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鬼ガシマ  作者: Toru_Yuno
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洗濯場の小さな誇り

治療院の門をくぐり、亜華巴(あげは)は軽く背筋を伸ばした。

 これからここが、自分の居場所になるかもしれない。そう思うと、胸の奥が少しだけ温かくなる。


「こちらです」


 淡々とした声でそう告げ、千冬(ちふゆ)が先を歩く。

 表情は相変わらず動かないが、足取りは迷いがなく、この場所を熟知しているのが分かる。


 診察室、処置室、薬棚の並ぶ部屋。

 一通り案内された後、千冬は少しだけ歩調を緩めた。


「次は、ここです。……重要な場所なので」


 連れてこられたのは、治療院の裏手にある洗濯場だった。


 中に入ると、湿った布の匂いと、石鹸の香りが混ざり合う。

 そこには、山のように積まれた衣類と――


「……っ」


 一心不乱に洗濯をしている、小さな女の子の姿があった。


 年の頃は十か、十一くらい。

 人の子に近い姿だが、頭には小さくて丸いアライグマの耳がちょこんとついている。

 濡れた袖を気にも留めず、小さな手で布をこすり、干し、また次の洗濯物へと向かう。


 その動きは驚くほど丁寧で、そして楽しそうだった。


「この子は、アライグマと人のハーフです」


 千冬が説明する。


「洗濯が生きがいで、楽しみでもあるそうで。

 本来なら、もっと効率的な方法もありますが……本人が望むので、ここは任せています」


 女の子は、こちらに気づくと顔を上げた。


「こんにちは!」


 にこっと笑うその顔は、年相応にあどけない。


 亜華巴は思わず微笑み返した。


 ――差別はしない。ただ、人だけを治療する。


 津田慧一郎の言葉が、ふと頭をよぎる。


 治療はしない。

 けれど、居場所は奪わない。


 その在り方が、この洗濯場に、静かに息づいているように思えた。


 一通りの案内を終え、二人は再び津田慧一郎(つだけいいちろう)の元へ戻る。


「終わったみたいだね」


 慧一郎は、書類から顔を上げて言った。


「君にはこれから、雑務と、僕が必要と判断した時に治癒の力を使ってもらう。

 検証はするが、無理は絶対にさせない。そこは約束しよう」


 亜華巴は、こくりと頷く。


 すると、慧一郎は少し考えるような間を置いてから、さらりと言った。


「ちなみにだが……君に恋人はいるのかな?

 子作りをする予定は?」


 一瞬、空気が凍る。


「……」


 次の瞬間、千冬が一歩前に出た。


「人格破綻者は、セクハラも当然のように口にするのですね。

 人を治療する前に、ご自身の頭の治療をなさった方がよろしいかと」


 表情ひとつ変えず、淡々と。


「君は何を言っているんだ?」


 慧一郎は本気で不思議そうな顔をする。


「これほど珍しい力を持つ存在の血が途絶えるのは惜しい。

 セクハラではなく、純粋な質問だよ。まったく……」


「おっと」


 千冬は小さく首を傾けた。


「本音が漏れてしまいました。申し訳ありません」


 声色は丁寧だが、謝罪の色は一切ない。


「……」


 亜華巴はおろおろと二人を見比べ、意を決して口を開いた。


「恋人も、子作りをする予定も……ありません」


 一瞬だけ、慧一郎は本当に残念そうな顔をした。


「そうか。予定ができたら、すぐに教えてくれ」


 すぐに話題を切り替える。


「それから、業務の一環として、ある店に何度か足を運んでもらうことになる。

 千冬くんと一緒に、いつもの物を渡してきてくれるかな」


 千冬は視線だけで意図を理解し、短く答えた。


「承知いたしました」


 二人は治療院を後にし、指定された店へ向かう。


 店先には、糸目で人の良さそうな男が立って待っていた。


 千冬が手慣れた様子で品を渡す。


「いつものです」


「毎度おおきに」


 男は柔らかく笑い、次に亜華巴へ視線を向けた。


「これから、私が届けに来ることもあると思います。

 よろしくお願いします」


 亜華巴がそう言うと、男は少しだけ姿勢を正し、


「こちらこそ。

 よろしゅうお願いします」


 関西訛りのその言葉と共に、穏やかな笑みを浮かべた。


 亜華巴は、小さく会釈を返す。


 ――こうして、

 彼女の新しい日常が、静かに動き出した。

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