霧の街の洗礼
茶屋を出たところで、五人はそれぞれの進路へと分かれることになった。
「泊まる宿については、ここに書いてある通りだ」
京士郎は、懐から取り出した紙切れを月兎と世一に手渡す。
「安くて飯も美味い。
最低限の生活をする分には、不自由はしないだろう」
二人が目を通しているのを確認すると、京士郎は続けた。
「宿で手続きを終えたら、月兎と世一は一度、訓練場へ来てくれ。
さっき教えた場所だ。メモの裏にも書いてある」
紙を裏返すと、簡単な地図と時刻が記されている。
「面倒だと思うかもしれないが、
道中の戦いの話を聞いて、隊長がお前たちの力に興味を持ったようだ」
淡々とした口調だが、どこか含みがあった。
「学ぶことも多いだろう。
訓練の一部だと思って、気楽に来るといい」
月兎と世一は顔を見合わせ、軽く頷く。
「分かりました」
「……まあ、行くだけ行ってみるか」
そうして京士郎と蓮と別れ、三人は宿へ向かった。
簡単な手続きを済ませ、荷物を部屋に置くと、
亜華巴が口を開く。
「私は、治療院に行ってきます。
働くことを……ちゃんと伝えたいので」
「気をつけてな」
月兎の言葉に、亜華巴は小さく微笑み、
一人、別の道へと向かっていった。
残された月兎と世一は、京士郎に指定された訓練場へ向かう。
「……めんどくせぇ」
世一が、歩きながら露骨に愚痴を零す。
「戦った直後に訓練とか、正気かよ」
「でも、避けて通れない気がする」
月兎は、そう答えた。
やがて辿り着いたのは、
四方を簡素な塀で囲まれただだっ広い訓練場だった。
地面には、先ほどまで誰かが稽古をしていたらしい痕跡が残っているが――
人の姿は、ない。
「……誰もいねぇな」
世一が周囲を見回す。
「早く来すぎたのかな」
月兎も同じように視線を巡らせた、その時だった。
――ぞくり。
背筋を撫でる、はっきりとした殺気。
二人は同時に振り返り、本能的に武器へ手を伸ばす。
だが――
どこにも、人影はない。
気配も、位置も、掴めない。
張り詰めた沈黙の中。
「――これで一度、死んだぞ」
冷え切った声と同時に、
二人の喉元へ、鋭い刃が突きつけられた。
双剣。
首筋に伝わる、冷たい金属の感触。
動けば、終わる。
その瞬間、別の声が飛んでくる。
「そこまでだ、夜伽」
低く、よく通る声。
その言葉と同時に、喉元の刃がすっと引かれた。
二人は警戒を解かぬまま、勢いよく振り向く。
少し離れた場所に、
キセルをくゆらせながら立つ男がいた。
片目を刀傷で塞ぎ、
大柄な体躯に、自分の背丈ほどもある長刀を携えた男。
杉山善徳。
そして、そのすぐ傍に――
無表情のまま立つ、双剣の使い手。
吉沢夜伽。
「今のは、挨拶みたいなもんだ」
善徳が、どこか愉快そうに言う。
「こっちへ来い」
夜伽、月兎、世一は、指示に従って歩み寄る。
善徳の横に夜伽が並び、
月兎と世一とが向かい合う形になる。
「どうだった、夜伽?」
善徳が問いかける。
「面白そうか?」
夜伽は、ちらりと二人を見ただけで答えた。
「……弱い」
一切の感情を込めない声。
「京士郎の報告を、疑う必要がある」
その言葉に、
月兎と世一は、はっきりと“なめられた”と感じた。
世一の拳に、自然と力が入る。
善徳は、二人の反応を楽しむように笑う。
「この国を守る者としてな」
キセルを口元から外し、続ける。
「お前たちが、どれくらいの“脅威”になるのかは、
ちゃんと知っておかなきゃならねぇ」
そして、指で示す。
「夜伽は、そこの生意気そうなやつと」
世一を見る。
「俺は、お前だ」
月兎を見る。
「一対一で、力量を測る稽古をしてやる。
――全力で、かかってこい」
二組は、それぞれ距離を取る。
杉山善徳 対 常闇月兎。
吉沢夜伽 対 烏丸世一。
霧の街での“居場所”を得た直後に待っていたのは、
逃げ場のない、真剣勝負だった。
合図は、まだ――
誰も、出していない。




