人のための医療
亜華巴と津田慧一郎の話がひと段落した、その時だった。
それまで黙って聞いていた世一が、
明らかに機嫌の悪そうな声で口を開く。
「なあ」
低く、刺すような声。
「医療は人だけって、どういう意味だよ」
視線は逸らさない。
「人だろうがハーフだろうが、
治すのが医者じゃねぇのか?」
一拍置いて、吐き捨てるように続ける。
「俺は何度も世話になった。
ハーフでもな」
その言葉に、
部屋にいた全員の視線が、慧一郎へと集まった。
月兎、蓮、亜華巴。
誰もが、この問いの答えを待っている。
慧一郎は、驚いた様子もなく、静かに息を吐いた。
「ああ……君もハーフか」
柔らかい声だが、距離はある。
「その話を聞けば、腹も立つだろうね」
世一の眉が、ぴくりと動く。
だが、慧一郎は構わず続けた。
「僕はね。
人だからこそ、医療という行為が生まれたと思っている」
淡々と、理屈を積み上げるように。
「ハーフも、人の一種ではある。
だが――ハーフが医療の道へ進むことは、ほとんどないだろう?」
世一は反論しかけたが、言葉を飲み込む。
「人ではない動物や植物でもいい。
彼らの中から、“治療”という概念は生まれていない」
慧一郎は、指先で白衣の裾を整えた。
「人は、必要だったから医療を生み出した。
もし他の生き物にも同じ必要性があるなら、
人とは全く別の場所で、
独自の“医療”が発展していなければおかしい」
静かな口調。
だが、理屈は鋭い。
「けれど、現実はそうなっていない」
一瞬、間を置く。
「だから僕は、
自然の摂理として、人以外には治療を施さないと決めている」
世一の表情が、わずかに揺れる。
「怪我をし、自然治癒し、
その過程で強くなっていく動物たちの進化」
慧一郎は、淡々と語る。
「それもまた、彼らの生き方だ。
そこに人のエゴで介入し、
時代に合わせて変化していく過程を潰すのは――
あまりにも身勝手だと、僕は思う」
沈黙。
誰も、すぐには言葉を返せなかった。
納得できるかどうかは別として、
彼の中に一貫した思想があることは、否定できない。
やがて慧一郎は、世一を見て、少しだけ声を和らげた。
「誤解しないでほしい」
静かな口調。
「僕はこの考えだから、人だけを治療する。
それ以外で、差別をするつもりはない」
視線を逸らさず、言い切る。
「君個人を否定しているわけではない」
世一は、しばらく黙っていた。
拳を握りしめ、
それから、渋々といった様子で口を開く。
「……わかったよ」
完全に納得したわけではない。
だが、理解はした。
その空気を感じ取ったのか、
慧一郎は話を切り上げるように言った。
「亜華巴くん」
視線を向ける。
「どうするか決めたら、またここに来なさい」
それだけ告げると、
周囲を一瞥し、淡々と続けた。
「用は済んだ。
今日はもう帰っていい」
それは、柔らかい言葉だったが、
明確な退室の合図だった。
誰も反論せず、
一同は静かにその場を後にした。
白衣の男の思想だけが、
部屋に、重く残されていた。




