白衣の奥の提案
扉が静かに開き、
慧一郎が部屋へ戻ってきた。
白衣のボタンは、相変わらず掛け違えられている。
その姿を見て、
蓮が腕を組んだまま問いかけた。
「あえて聞くけどさ。
正太は、どうなった?」
慧一郎は、まるで天気の話でもするかのように答える。
「二、三日安静にしていれば問題ないでしょう」
淡々とした声。
そこに、深刻さは一切ない。
「内臓への影響も軽微ですし、
命に関わるような後遺症もありません」
その言葉に、
部屋の空気が少しだけ緩む。
だが――
慧一郎の視線は、すでに別の場所を捉えていた。
亜華巴。
「それよりも」
一歩、距離を詰める。
「“治癒”と呼ばれる現象について、
詳しく聞かせてもらえないだろうか」
先ほどまでの、
測るような視線とは違う。
純粋な好奇心。
研究者の目。
亜華巴は、少しだけ背筋を伸ばした。
「簡単に説明すると……
一定の傷や疲労を、軽減する力だと思っています」
言葉を選びながら、続ける。
「誰かに教わったわけでもなくて、
ある日、突然使えるようになっただけなので……
詳しい仕組みまでは、わかりません」
「ふむ」
慧一郎は顎に手を当てる。
「では、その力を使う際に必要な条件は?
身体への影響などはあるかな」
亜華巴は、少し考え、正直に答えた。
「治したい、と思えば使えます。
ただ……一日に使える回数と時間には、
はっきりとした制限があります」
視線を落とし、続ける。
「それを超えると、
頭痛や吐き気がして、身体が動かなくなります。
二度ほど、同じ状態になったので……
多分、間違いありません」
月兎と世一が、
無言で表情を曇らせる。
「あと……」
亜華巴は少しだけ頬を赤らめた。
「力を使った後、
すごくお腹が空きます。
食べる量も、かなり増えちゃって……」
その様子に、
場の緊張がわずかに緩む。
慧一郎は、しばらく黙り込んだ。
何かを組み立てるように、
思考の海に沈む。
そして――
「君は」
顔を上げ、静かに言う。
「見たところ、人ではない。
ハーフだね?」
亜華巴は、こくりと頷いた。
「やはり」
納得したように、小さく息を吐く。
「私はね、昔から考えている」
淡々と語り始める。
「医療という行為は、
人のためにのみ使われるべきものだと」
その言葉に、
世一の眉がわずかに動く。
「だが」
慧一郎は、続けた。
「君の力は、非常に興味深い。
医療とは異なるが、
“治す”という結果だけを見れば、
無視できない存在だ」
一歩、踏み込む。
「検証も兼ねて――
しばらく、私の助手として働いてみないか?」
部屋の空気が、張り詰める。
「安心していい」
慧一郎は続ける。
「千冬くんは、私とは考え方が違う。
人だろうが、ハーフだろうが、
差別をするような人間ではない」
その言葉に、
離れた場所で器具を整理していた千冬が、
一瞬だけ視線を向けた。
「他所の治療院では、
女同士の無駄な軋轢もあると聞くが……」
肩をすくめる。
「私のところでは、そういった下らない問題は起きない。
人選は、確実にしているからね」
亜華巴は、すぐには答えなかった。
千冬。
月兎。
蓮。
世一。
仲間たちの顔を、一人ずつ見回す。
「……少し、考えさせてください」
そう言って、静かに頭を下げた。
「もちろん」
慧一郎は、柔らかく微笑む。
「急ぐ話ではない。
君自身の意思で、決めるといい」
その微笑みの奥に、
何があるのか。
それを測るには、
まだ時間が足りなかった。




