白晶、名を呼ぶ刃
霧は、街の外縁でわずかに薄くなっていた。
雪霞の外周――
結界と霧の境目をなぞるように、二つの影が歩いている。
「わっちは、まだ姫様の剣は扱えまへんさかいねぇ」
青柳妖狐は、どこか楽しげにそう言った。
軽口のようでいて、その視線は鋭く周囲を探っている。
「もしもの時は、頼みますえ。五位はん」
からかうような口調。
だが、そこに本気が混じっているのは、稲田正太にも分かっていた。
「はぁ……」
正太は肩を落とし、情けない声を漏らす。
「僕の時に、強い人は来ないでほしいなぁ……」
ユキヨの血で作られた刀を扱える者。
雪妃衆の五位。
その肩書きに反して、本人は相変わらず頼りない。
「ほんま、ええ性格してはるわ」
妖狐はくすりと笑いながらも、歩みは止めない。
――その時だった。
霧の向こう。
街の外れ、結界のすぐ手前。
一人の男が立っていた。
微動だにせず。
武器を構える様子もなく、ただそこに“在る”。
正太は思わず足を止めた。
「あの……」
声をかけるまでに、一瞬の逡巡。
「何をしているんですか?
街に用があるなら、詰所へ行ってください」
警戒中です、と続けようとして、喉が詰まる。
「今は警戒中ですので……
不審な行動を取られますと、一緒に来ていただく事になります」
精一杯の職務口調。
男は、ゆっくりと視線だけを向けた。
「すまん」
低く、落ち着いた声。
「邪魔をしたなら謝ろう。
だが――」
男は、あっけらかんと告げた。
「多分、貴様らが探している人物は……俺だ」
空気が、凍る。
殺気はない。
だが、圧がある。
妖狐は即座に距離を取り、正太も反射的に刀の柄へ手をかけた。
「……」
この男は、違う。
理屈ではなく、本能がそう告げていた。
「すみませんが」
正太は一歩前に出る。
「武力行使をもって、あなたの身柄を確保します」
それが、雪妃衆としての最低限。
次の瞬間――
正太は踏み込み、刀を振り下ろした。
だが。
軽い音。
まるで、飛んできた蠅を払うかのように。
男は片手で刀を受け止め、弾いた。
正太の身体が、容易く後方へ吹き飛ばされる。
「……っ!」
地面を転がり、息を詰まらせる。
男は、興味なさそうに言った。
「今は、人を待っている」
視線すら、正太を捉えていない。
「つまらぬ児戯に付き合うつもりはない。
怪我をせぬうちに去れ」
その言葉に、妖狐の表情が変わる。
「……正太はん」
声が、低くなる。
「埒があきまへん。
刀の力、使いなんし」
鬼気迫る声音。
正太は、一瞬だけ迷った。
だが――
このままでは、何もできない。
正太は、刀の柄に埋め込まれた
小さな白い水晶に視線を落とす。
淡く光るそれに、声をかけた。
「……跨王」
喉が震える。
「力を……貸してくれ」
――応えるように。
水晶が、白から淡い青へと変わった。
同時に、刀身が歪み、形を変える。
刃は厚みを増し、重く、威圧的な姿へ。
正太の脳裏に、はっきりと浮かぶ文字。
《跨王》
その瞬間。
男の目が、初めてはっきりと正太を捉えた。
「……ほう」
口角が、わずかに上がる。
好戦的な笑み。
「それが――
雪霞の姫の血か」
空気が、変わった。
今まで“無視されていた”二人は、
ようやく――
敵として、認識された。




