守る側だったはずの背中
世一は、ただ黙ってその光景を見ていた。
月兎が、豪凱と刃を交えている。
「……なんだよ、あの力」
思わず、声が漏れた。
前に見た時とは、まるで違う。
いや、比べること自体が間違っている気さえした。
旅の途中で見てきた月兎は、
世一にとって「強い」と言える存在ではなかった。
鬼のいる村では、一方的に打ち倒され、
自分が割って入らなければ、あっさり死んでいただろう。
守るべき存在。
背中を預けるというより、
背中を守ってやる側だと思っていた。
だが――
今、目の前で戦っている月兎は違う。
自分が苦戦したヌル兵衛よりも、
明らかに格上の豪凱と、互角以上にやり合っている。
剣の重なり。
踏み込みの速さ。
そして、何より――折れない心。
「……守られる側じゃ、なかったのかよ」
胸の奥が、ざわついた。
認識が、音を立てて崩れていく。
その瞬間、別の感情が、じわりと湧き上がる。
――じゃあ、俺は?
この先も、
こいつのそばに立っていていいのか?
戦力として、
仲間として、
一緒に戦う資格があるのか?
強さへの渇望。
自分の力への、不安。
いつもなら、強気な言葉で誤魔化していたはずの感情が、
今は、どうしようもなく胸に残る。
世一の表情から、いつもの余裕は消えていた。
焦り。
置いていかれるかもしれないという恐怖。
それを押し殺したまま、
世一は二人の戦いの行方を見届けた。
やがて――
豪凱が去っていく。
その背中を、月兎が静かに見送る。
一方、別の戦線では、
コハクが負傷したと判断したタケルノが撤退の構えを見せていた。
そして、倒れたままのヌル兵衛。
それらを冷静に見渡していたアシナガが、淡々と告げる。
「命令はない。
だが、この戦況でこれ以上戦う意味はない」
感情のない声。
そう言い残し、
アシナガは他の者と同様に撤退していった。
ヌル兵衛だけを、その場に残して。
戦場に、静けさが戻る。
月兎、亜華巴、世一、京士郎、蓮。
五人が集まり、短く言葉を交わす。
「……とりあえず、雪霞に戻ろう」
誰かがそう言い、
全員が無言で頷いた。
――その直前。
世一は、倒れているヌル兵衛へ一歩踏み出しかけた。
「……待て」
低い声。
「こいつ、まだ生きてる。
さっきの話……あの“血を飲まされた人間”の事、
もう少し聞き出せるかもしれねぇ」
世一の視線は、鋭くヌル兵衛を捉えていた。
焦りと同時に、情報を掴まなければならないという直感。
だが――
「やめておけ」
静かに、だがはっきりと京士郎が言った。
世一が振り返る。
「面倒なことになりそうなそいつより、
確実な情報源は、もう得ている」
「……は?」
京士郎は、感情を交えず続ける。
「タケルノとコハクだ。
動機も、探している人物の名も分かっている。
雪霞近辺に“場所”がある事もな」
一拍置き、冷たく言い切る。
「それ以上、そいつに関わる理由はない。
放っておけ」
切り捨てるような言葉。
世一は、唇を噛んだ。
合理的だ。
正しい判断だと、頭では分かっている。
それでも――
胸の奥に、わずかな引っかかりが残った。
「……ちっ」
短く舌打ちし、世一は引き下がる。
その時――
亜華巴が、倒れているヌル兵衛の元へ歩み寄った。
迷いはない。
膝をつき、そっと手をかざす。
淡い光が、ヌル兵衛の身体を包み込む。
治癒。
それを終えた後、亜華巴は小さく微笑んだ。
「食べるのは、やめますから」
誰に聞かせるでもない、穏やかな声。
「騙されて、自分もご飯にならないように……
ちゃんと、生きてくださいね」
そう言い残し、立ち上がる。
その場を離れていく亜華巴の背中。
ヌル兵衛は、まだ完全には意識を取り戻していなかった。
だが――
朧げな視界の中で、
その言葉だけは、はっきりと胸に残った。
温かさ。
優しさ。
理由は分からない。
だが、胸の奥が、妙に熱くなる。
それが恋だと気づくには、
まだ少し、時間が必要だった。




