戦う理由、楽しむ覚悟
世一と亜華巴の姿を、月兎は視界の端に捉えたまま、前方へ意識を集中させていた。
倒れ伏すヌル兵衛。
その少し後ろで、なお静止したままのアシナガ。
そして――
地面を踏みしめる、重い足音。
「はっはっは!」
豪快な笑い声と共に、豪凱が月兎へ向かって歩み寄ってくる。
土佐犬の血を引く巨体が揺れるたび、地面がわずかに震えた。
月兎は反射的に構える。
だが、豪凱は一定の距離を保ったところで立ち止まった。
「どいつも面白そうな相手だがな」
豪凱は、楽しげに周囲を一瞥し、
それから、真っ直ぐに月兎を見据えた。
「俺は、お前と一騎打ちがしたい」
その声には、殺意がない。
ただ、純粋な期待だけがあった。
「一度負けたままじゃ、男として悔しいだろう?
正々堂々、力をぶつけ合って勝敗を決めようじゃないか」
月兎は、刀の柄を強く握りしめる。
恐怖は、確かにある。
だが、それ以上に――この男の言葉は、奇妙なほど澄んでいた。
「……あなたは、どうしてそんな場所にいるんですか」
月兎の声は、思ったよりも静かだった。
「戦うだけなら、隊に入るなり、他にも方法はあるはずだ」
それは、戦いたくない気持ちから絞り出した言葉だった。
豪凱は、一瞬きょとんとした顔をした後、
腹の底から笑った。
「ははは! なるほどな」
そして、肩をすくめる。
「俺はな、強い相手と一対一で戦いたいんだ。
隊だの規則だの、大勢の集団は性に合わん」
親指で後方を示す。
「だが、こいつらのことは嫌いじゃない。
強い相手と戦える“場所”をくれたからな」
その言葉に、月兎の脳裏に浮かんだのは、
あの村で、楽しそうに拳を交えていた鬼たちの姿だった。
「……刀を交えれば、死ぬこともある」
月兎は、言葉を選びながら続ける。
「本気でやれば……あなたを、殺してしまうかもしれない」
制御できない力。
あの感覚。
ヌル兵衛が語った、血を飲んだ人間の末路。
不安が、胸を締め付ける。
だが――
豪凱は、そのすべてを笑い飛ばすように、豪快に笑った。
「それでいいじゃないか!」
迷いのない声。
「戦って死ぬなら本望よ。
戦わなくても、寿命が来れば勝手に死ぬ」
月兎を真っ直ぐに見据え、言い切る。
「なら、自分が楽しいと思えることをして死ぬのが一番だろう?
人の楽しみは無限にあるが――」
拳を握りしめる。
「俺にとっての最高の楽しみが、戦いだった。
それだけの話だ」
あまりにも単純で、
あまりにも迷いのない生き方。
月兎は、はっとする。
――自分には、そこまで楽しめるものがあるだろうか。
戦いを、楽しめるのだろうか。
あの鬼たちのように。
この男のように。
巫女様の言葉が、胸に蘇る。
「戦いを、苦悩ではなく、楽しむための選択としていた」
「どうせなら、楽しく過ごした方が、最期の時にも納得して逝けよう」
その心を見透かしたかのように、豪凱は口角を上げた。
「俺はな、お前に殺されても恨みはしない」
清々しい表情で、言い放つ。
「男同士、純粋な力比べをしようじゃないか」
月兎は、深く息を吸った。
不安は、消えない。
恐れも、まだそこにある。
それでも――
刀を、ゆっくりと構える。
「……分かりました」
視線を上げ、真っ直ぐに豪凱を見る。
「あなたと、戦います」
その声には、逃げはなかった。
月兎は、初めて――
戦うためではなく、向き合うために剣を握った。




