二つの未来と、小さな嘘
月兎たちが去った後、
広い部屋には静寂が戻っていた。
ろうそくの火が、静かに揺れている。
薄暗い空間に残るのは、巫女様と嘉兵衛――ただ二人。
「さて……」
嘉兵衛が、ゆっくりと口を開いた。
「先ほどは、“未来は見えぬ”とおっしゃいましたな。
ですが実際のところ、どのような未来が見えたのでしょう」
穏やかな声だが、そこには確かな関心があった。
「巫女様が“見えぬ”とおっしゃるほどです。
よほどの事があったのでは、と」
一瞬、返事はなかった。
次の瞬間――
薄い暗幕の向こうから、ひょこりと小さな影が顔を出す。
肩にかかるほどの黒髪。
前髪はきっちりと揃えられ、片耳にかけるように刺さっている高価そうな装飾が揺れている。
幼い顔立ちだが、その瞳だけは年齢にそぐわぬ深さを湛えていた。
巫女様は、膝を抱えるように座り、ぽつりと呟く。
「……見えたのは、二つの未来じゃ」
嘉兵衛は、黙って耳を傾ける。
「一つは――
あの者が、身近な存在や、他の民を虐殺しておる未来」
巫女様の声は、わずかに震えた。
「もう一つは――
人も、ハーフも、異国人も……
皆が、楽しそうに笑って過ごしておる未来」
小さな手が、膝の上でぎゅっと握られる。
「二つの未来が、同時に見えるなど……
これまで一度もなかった」
巫女様は、視線を落とした。
「どう説明すればよいのか、分からなかったのじゃ」
一拍置き、さらに言葉を続ける。
「それに……
我が知る存在も、虐殺される側に含まれておった」
嘉兵衛の眉が、わずかに動く。
「本来ならば、どちらの未来であっても受け入れ、
その二つに関する助言をすべきなのじゃろう」
巫女様は、唇を噛みしめる。
「だが……見知った者が、最悪の未来におるならば……
救ってやりたいと、思ってしもうた」
小さな声で、告白する。
「だから、未来は見えぬと嘘をついて……
我の都合のよいように、助言してしまった」
巫女様の肩が、少し落ちた。
まるで、悪いことをしてしまった子供のように。
反省と後悔が、その小さな背中に滲んでいる。
嘉兵衛は、しばらく黙っていたが――
やがて、にこやかに口を開いた。
「その能力には、制約があると。
お父上からも、確かに伺っております」
巫女様が、びくりと顔を上げる。
「ゆえに、その助言が制約に反する事だというのも、理解しておりますぞ」
だが、嘉兵衛は続けた。
「しかしですな。
詩情を挟んでしまう事が、必ずしも悪いとは思いませぬ」
ゆったりとした口調で、諭すように。
「文献に記された制約も、
どのような意図で作られたものかは分かりませぬ」
「時代によって、定められる制約が変わる事など、
よくある話でございます」
嘉兵衛は、優しく微笑む。
「ましてや、巫女様はまだ幼い」
「今回の事は、一つの経験。
そう受け止められてはいかがですかな」
その言葉に――
巫女様の表情が、ぱっと明るくなった。
「……胸が、すっとした」
小さく息を吐き、顔を上げる。
「ありがとう、嘉兵衛」
一瞬、嘉兵衛の表情が固まる。
「……おじいさま、ですぞ」
「……」
巫女様は、少しだけ視線を逸らし――
「……ありがとう、おじいさま」
その一言で、嘉兵衛の顔が再び、にこやかに戻った。
「ほっほっほ」
巫女様は、肩をすくめる。
「……しまらないなぁ」
そう愚痴を零しながらも、
その顔には、先ほどまでの曇りはなかった。
ろうそくの火が、静かに揺れる。
二つの未来は、まだそこにある。
だが――選ぶのは、あの少年自身。
巫女様は、その行く末を、
ただ静かに見守る事を決めていた。




