「これで……死なせずにすみましたわね」と彼女は言った
「お慕いしているのです」
ここで終わっていれば、なんと愛らしいセリフだっただろうか。
血の滲むような努力のすえ、運にも恵まれ。
異例の若さで宰相の地位へ登り詰めた自分にも、人の心はある。
年若いご令嬢に心を寄せられれば悪い気はしないし、それが地位や財産ではなく、私自身に向けられていると分かれば尚のこと心は躍る。
だが、目の前のご令嬢は少々……いや、だいぶ言葉数が多かった。
「一目見た時から心を奪われてしまったのです。その優しげな瞳に宿る鋭い光。胸に秘めておられる想いを覆い隠しておられる憂いを帯びた表情。その理知的な語り口。思慮深いお言葉から伝わる崇高な理念と、底知れぬ野心。ああ……何もかもが愛おしい……」
正直に言おう。怖い。
何が怖いと問われれば、私に対しての好意の熱量もそうだが……それよりも、言葉の端々から伝わる、私の本質を見透かしたような言い回しが恐ろしかった。
崇高な理念。
底知れぬ野心。
確かに、心当たりがないと言えば嘘になる。
けれど、それらは決して誰かに言い当てられてよい性質のものではなかった。
「リリアンヌ・エヴェレットと申しますわ」
ご令嬢はふわりとスカートの裾をつまみ、年相応のはずの淑やかな礼をした。
彼女はかつて重い病で床に伏せており、社交界への顔出しがずっと遅れていたと聞く。
そのせいで周囲の未婚の令嬢たちより、すでに少し年上になってしまっているようだった。
本来であれば、そのことを気にしていてもおかしくはないのだが、彼女の瞳に浮かんでいたのは、焦りでは無くただ真っ直ぐな好意だった。
「閣下は、わたくしのような者をご存じありませんでしたでしょう? 長く病で伏せっておりましたから。ですけれど、わたくしはずっと閣下のお噂を耳にしておりましたのよ」
「私の噂、というと」
「若くして宰相に就かれた天才。冷静沈着に見えて、その実、胸の内に熱い志を秘めておいでだとか。民への想いを痛いほどに抱いておられるのだとか」
誰がそんなことを吹聴して回ったのか、問いただしたくなる。
だが、その噂話の方向性は危ういほど真実に近かった。
私は、この国の在り方を変えようとしていた。
この国は、表向き穏やかに見えるが、内側はひびだらけなのだ。
一部の貴族と王家が肥え太り、末端の民が削られる構造はいずれ崩壊を招くだろう。
だから私は、穏やかな改革では届かない部分まで是正するため、いわば国家転覆に近い手段を視野に入れていた。
王座をひっくり返して取り替えるか、形だけ存在させたまま中身をすげ替えるか。
どちらにせよ、今のままではいけない。
そのための布石を、誰にも悟られぬよう、少しずつ打っている最中だった。
それを、どうしてこの令嬢はこうも的確に言い当ててくるのか。
「閣下の瞳を拝見した瞬間、確信しましたの。あぁ、この方は多くを背負っておられる。決して表には出せぬ想いを抱え、それでも歩みを止めぬお方なのだと」
固まる私の前で、リリアンヌ嬢は愛しげにそう言った。
背負っているのは今の王政を将来的にひっくり返しかねない企みなのだが、そう正直に口にするわけにはいかない。
「……そこまで見られているとは思わなかった」
そう答えるのが精一杯だった。
私の言葉に、彼女は満足そうに微笑む。
「わたくし、長らく病床でございましたので、人を観察するくらいしかできませんでしたの。本を読んでは、登場人物の表情の裏を想像し、人の話を聞いては、その心を思い描き……。ですから、分かってしまうのです。何となく」
なんとなく。
その曖昧な言葉のくせに、彼女の言葉は私の急所ばかりを射抜いてきた。
このまま彼女を放置しておけば……もしかすると、いずれ私の企みを口にたどり着き、口にしてしまうかもしれない。
それが、もっとも危険だった。
「ねぇ、閣下」
耳元に届く声が、ひどく甘い。
だが、その音色とは裏腹に、私は妙な緊張を覚えた。
「わたくし、閣下のおそばにいたいのです。そのお心を支え、見守り、見届けたい。全部、見ていたいのです」
全部。
なんという言葉の選び方だろう。
私の胸の奥で、乾いた笑いがひとつ、ひび割れた。
もはや遠回しな脅迫にすら聞こえてくる。
あなたの裏側を知っているのです。
それでも離れません。
どうしますか、閣下。
そう迫られているように思えて仕方がなかった。
実際のところ、リリアンヌ嬢の意図がどこまであったのかは分からない。
しかし、たとえこれが私の邪推であったとしても、放置はできない状況になっているのは確かだった。
彼女は名門エヴェレット家の令嬢だ。
病で長く伏せり、婚期を逃しかけているとはいえ、その名は十分な重みを持つ。
ただ「怪しいから」という理由で排除するなど、人の道に反するし、政治的にも愚策だろう。
そして何より――彼女の言葉のいくつかは、私の胸に痛いほどよく響いてしまっていた。
「……リリアンヌ嬢」
「はい、閣下」
「君は、私に何を求めている?」
リリアンヌ嬢は一瞬だけ驚いた顔をしたが、すぐに頬を紅く染めた。
「わたくしが求めているのは、ただひとつ。閣下のお心だけですわ」
お心。
誤魔化しも逃げも許されない、最も厄介な要求だ。
権力や金ならば、ある程度は条件で折り合いをつけられる。
だが、心などという不安定なものを差し出せと言われて、はいそうですかと応じられるほど、私は器用ではない。
だが、無碍に扱うこともできない。
これは脅迫なのか。
それとも、本気の恋なのか。
あるいは両方なのか。
いずれにせよ、彼女を完全に切り捨てる道はない。
ならば――こちらの手の届く範囲に、引き寄せるしかない。
「……なるほど。そういうことか」
「え??」
「リリアンヌ・エヴェレット嬢」
私は、静かに決断を口にした。
「君には、私の側にいてもらう」
「そばに……」
「そうだ。君を、私の婚約者とする」
一瞬、時間が止まったようだった。
すぐに、リリアンヌ嬢の瞳から、ぱあっと光が溢れ出す。
「まあ……まあ……本当に……?? 閣下、本当に……??」
嬉しさに震える声。
純粋な喜びに満ちた笑顔。
この反応を見る限り、彼女は本気で恋をしているらしかった。
脅迫の意図など微塵もなく、ただひたすらに、私への感情が過剰なだけのようだ。
それはそれで、やはり恐ろしいのだが。
とはいえ、これで彼女は「宰相の婚約者」として、私の側に置かれることになる。
不用意に外で何かを口走る可能性は、いくらか減るはずだ。
少なくとも、そう期待するくらいには、私はまだ楽観的だった。
◇
婚約の話が正式に進むまでのあいだ、私はリリアンヌ嬢との面会を意図的に増やした。
彼女があのような言葉を口にするに至ったきっかけを探るためだ。
どこから、何を見て、私にああいう印象を持ったのか。
私の計画に綻びがあったのなら、その確認は早い方がいい。
そう考えていたはずだった。
「閣下。もしお時間をいただけるなら、あちらへ参りとうございますの」
リリアンヌ嬢は、いそいそと用意を整えた姿でそう告げてくる。
長く病床にあったせいか、外へ出るのがよほど嬉しいらしい。
その喜びようは微笑ましく、つい頷いてしまう。
「どこへ行きたい??」
「孤児院ですわ」
返ってきた答えは、予想よりもずっと具体的だった。
「孤児院、か」
「はい。以前から寄付だけはしておりましたの。ですが、実際に足を運ぶ体力がなくて……。今のわたくしなら参れますもの。どうか、ご一緒していただけませんか??」
特別な理由はないのかもしれない。
ただ自分の関わってきた場所を、この目で見たいだけなのかもしれない。
そう思い、私はうなずいた。
しかし結果的に、この選択が私の計画の方向性を変えることになるとは、その時はまだ知らなかった。
◇
孤児院は、想像していたよりもずっと質素だった。
壁はところどころ剥がれ、窓枠も古く軋んでいる。
中には元気そうな子どももいたが、痩せた顔の子も多かった。
「……思っていたより、厳しい状況だな」
口に出してみて、初めて自分が何も知らなかったことを思い知らされる。
私は毎日、膨大な書類を捌いているはずだった。
だが、数字と報告書の文字は、ここにいる子どもたちの頬のこけ方まで教えてはくれない。
リリアンヌ嬢は、子どもたちの前にしゃがみ込み、微笑みながら話しかけている。
彼女は人見知りをしないらしく、あっという間に輪の中心になった。
「まぁ、よく食べておいでね。えらいことですわ」
「おねーさん、とっても綺麗!!」
「まあ……ふふ。ありがとう」
そうしてまるで旧知の仲のように打ち解けてしまう。
その光景を眺めていると、胸のあたりが少しだけ軽くなるのを感じた。
だが同時に、院長から聞いた話が心に重くのしかかっていた。
「寄付はあるのですが……」
「増えた分の子どもたちに対して、支援が追いつかんのです」
「それでも、見捨てるわけにはいきませんから」
私の机の上を通り過ぎていく膨大な書類のうち、いったいどれほどがこの孤児院に関係していたのだろう。
そこに記された数字の向こう側に、こうして生活している子どもたちの姿があったことに、私はどれほどの想像を割いてきたか。
答えは、あまりにも情けないものだった。
「閣下」
帰り道、リリアンヌ嬢が私を見上げる。
「少しでも、良くなればいいですわね」
「……そうだな」
「わたくしはただ、見ていることしかできませんけれど。でも閣下なら、何かを変えられるのでしょう??」
問いではなく、確信の口ぶりだった。
その無邪気な信頼は、皮肉にも国家転覆を目論む私の足を止める。
変える方法など、幾つも思いつく。
私には、そのための権限も、つても、知識もある。
そうだ。
あるのだ。
私はこれまで、その力を別の方向にばかり使おうとしていた。
王座をひっくり返すことばかり考え、その前に救えるはずの場所すら見えていなかったなどと、まさか今になって自覚するとは。
「……できる限りのことはしよう」
そう答えると、リリアンヌ嬢は嬉しそうに微笑んだ。
◇
それから、彼女が行きたいと言う場所へ私は付き合うようになった。
城下町の外れ。
古い教会。
さびれた市場。
職人たちの作業場。
病人が多く集まる地区。
どこへ行っても、国の綻びが目に付いた。
「この辺り、夜になると道が真っ暗になるのですって」
「この教会、雨が降ると天井から水が落ちてくるそうですわ」
「ここで怪我をした人たちが、働けなくなって困っているのだとか」
リリアンヌ嬢は、まるで以前から知っていたかのように、争点になりそうな情報をぽつりぽつりと口にした。
しかし彼女はずっと病床にいたはずだ。
どこからそんな話を集めてくるのか。
「噂話が好きな侍女がおりますの。それに、わたくし、本を読んでおりますでしょう?」
「本と噂話で、ここまで正確に状況を把握できるものなのか」
「何となく、ですわ」
また、その言葉だ。
何となく。
にもかかわらず、彼女の指し示す場所は、どれも放置してはならぬ問題を抱えていた。
私は宰相として動き、必要な予算をつけ、人員を派遣し、制度を見直していった。
密かに行っていた国家転覆のための布石は、その過程で徐々に優先順位を下げていく。
おかしな話だった。
体制そのものをひっくり返す以外に道はないと考えていたはずの私が、目の前のひとつひとつを改善していくうちに、気づけば転覆などしなくても国を動かせる基盤が整いつつあったのだ。
私の働きかけに応じて、地方の役人が、教会の神父が、孤児院の院長が、次々に協力を申し出る。
「宰相さまがここまでしてくださるなら、私どもも力を尽くします」
「上が変わると、下も変わるものですな」
「王都の偉い方々が、こちらを見てくださるとは思いませんでした」
自然と集まってくる人々。
その輪の中心に、いつもリリアンヌ嬢がいた。
「閣下はすごいですわ」
彼女は素直にそう言い、私の手を取る。
「わたくし、間違っておりませんでしたわね。
閣下は、きっとこの国を導くお方だと」
甘い言葉だ。
だが、これほどまでに甘く、そして苦い言葉もない。
転覆してから変える道だけが、唯一の手段ではなかった。
正面から権限を行使し、支持を得て、地道に積み上げていく方法もあったのだ。
そんな当たり前のことに、なぜ今まで気付けなかったのか。
いや、私一人では気が付かなかったのだろう。
きっと、この令嬢が私の袖をつかんで、あちこちに連れ回してくれたからこそ見えた景色だった。
厄介で、愛情の言葉が重くて、胸の内を見透かす視線が怖くて……それでも目を離せない存在。
リリアンヌ・エヴェレット。
◇
ある日の夕暮れ。
王都の高台から街を見下ろしながら、私はふと口を開いた。
「リリアンヌ」
「はい、閣下」
「君は、いったい何が見えているのだろうな」
思わず漏れた本音だった。
孤児院の窮状も、城下町の歪みも、教会の疲弊も、私の迷いも。
君はどうして、初めから知っていたかのように、迷いなくその場所へ私を導けるのか。
君の目には、何が映っているのか。
そう問うと、リリアンヌ嬢は、ほんの少しだけ目を丸くした。
「何が……ですか??」
「そうだ。国のことも、民のことも、私のことも。君はまるで、すべての行く末を知っているかのように振る舞う」
彼女は少しだけ考えるように視線を宙にさまよわせ、それから、ゆっくりと笑った。
「わたくしが見ているのは、閣下だけですわ」
「……私だけ、か」
「はい。この国をどう導いてくださるのか。どの道を選ばれるのか。どんな顔をなさるのか。それを見ていたいと思っておりますの」
リリアンヌ嬢は、横から私の顔を覗き込むようにして、言葉を続けた。
「欲しいものは、閣下のお心だけですわ」
それは最初に聞いた時と同じ言葉だった。
けれどやはり、ただの甘ったるい恋の告白には聞こえなかった。
国を変えることばかり考えていた私に、目の前のひとつひとつを見ることを教えたのは彼女だ。
その過程で、私は自分の心をどれだけ彼女に預けてきただろうか。
答えは、もう明白だった。
潔く認めよう。……どうやら、私の負けらしい。
私は、彼女に惹かれている。
宰相としてではなく、一人の男として。
それを自覚した瞬間、胸の奥で何かがほどけた気がした。
彼女を側に置く決断は、最初は半ば保身のためだった。
しかし今は違う。
私は心から、彼女に側にいてほしいと思っている。
「もう、君の欲しいものは、君のものだ。」
私の言葉に、リリアンヌ嬢は目を丸くした後それはそれは綺麗な顔で微笑んだ。
そして、小さな声で何かを呟く。
私の耳に届かないほどのソレは一体どんな言葉なのか。
「……すまない、風の音で聞こえなかったのだが……」
聞き漏らしてしまった言葉を教えてもらおうとするも、彼女はクルリと背を向けて楽しげに笑うだけだった。
「秘密ですわ」
そう言って悪戯に微笑む彼女と共に、私はその場を後にするのだった。
タイトル
「これで……死なせずにすみましたわね」と彼女は言った
そうなのです。本文に出さないタイトル回収と言うものが、書いてみたかったのです。
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お読みいただきありがとうございました♪
皆様、良い一日を!!




