1話
「そんなの受け入れられねぇよ!」
扉の向こうでは、怒号に近い叫び声が聞こえてくる。
……どうもこういうのが苦手な性分で、結局レンに押し付けてしまった。
騒ぎを聞きつけて、何人かの看護師が寄ってきたが、僕の装いと、扉越しに聞こえる会話の内容で入室するのをためらっていた。
ここは病院。僕がいま位置するこの四階は内科の中でも、重症患者を扱う特別病棟だ。
昼下がりの静けさを破るように、金属製のドアが震え、誰かが壁を叩く音が響いた。
消毒液の匂いが強く鼻を刺す。どこか遠くでナースコールが鳴っているのに、誰もなかなか動けずにいる。
レンは中で、あの家族をなだめているのだろう。
いつも冷静なやつだが、今回は少しばかり荷が重いかもしれない。
僕はただ、白い廊下の端に立って、状況が収まるのを待つことしかできなかった。
「だから、こんなこと言われても受け入れられないよ」
泣き声まじりに、現実を拒むような言葉が何度も繰り返された。
病人にはいささか残酷な仕打ちではあるが、僕たちの仕事である以上、彼にはこのことを認識させるほかない。
もっとも、父親である彼が受け入れてくれなければ、アルトのことがかわいそうだ。
扉の隙間から漏れる声は、次第にかすれていった。
涙で喉を詰まらせながら、それでもまだ、何かを訴えるように言葉を紡いでいる。
「どうしてうちの子が……」
「たった一人だけの息子なんだ……」
嗚咽まじりの声が、ドアの向こうで震えていた。
――そんなこと、できることなら助けてやりたいよ。
息子の戦死を嘆く父親の声は、アルトの訃報が耳に入ったときの、あの胸を裂くような感覚を蘇らせた。
訓練後の集合に姿を見せなかったあの日、僕たちはすぐに捜索を始めた。
だが二日間かけても、結局アルトは見つからなかった。
「訓練が厳しくて逃げたんじゃないか」――そんな噂も出たが、信じる者はほとんどいなかった。
アルトは誰よりも努力家で、誰よりも真面目だった。
唯一の肉親である父親がこの通り病気に苦しんでいることもあって、高校を卒業するとすぐに従軍を志願した。
一番手っ取り早く稼げる仕事だったし、本人もそれを恥じるどころか、誇りに思っていた。
「国を守ることが、自分の生き方だ」――そう笑っていた姿を、僕は今でも覚えている。
金も稼げて、名誉まで手に入る。
そんな彼が、弱音を吐いて逃げ出すような人間であるはずがない。
僕とレンは、そのことを誰よりも知っている。
だから三日目の朝になって届けられたアルトの訃報は、どうしても信じられなかった。
別に危険区域でもなければ、野獣が出るような辺鄙な場所でもない。
定期的に健康診断も受けていたし、病死の可能性もほとんどなかった。
訓練時に背負っていたリュックには、飲み水と食糧が十分に詰められていたはずだ。
餓死なんて、起こるはずがない。
それでも――帰ってきたのは、欠損した体の一部だけだった。
それを発見したのは、訓練場から少し離れた斜面の下。
地面には大量の血が広がっていて、検査の結果、それがアルトのものだと確認された。
まるで、そこに誰かが彼を引きずり込んで、そのまま姿を消したようだった。
現場には争った形跡もなければ、足跡ひとつ残っていない。
軍は公式には「事故」と発表したが、どう考えても納得のいく説明ではなかった。
僕とレンは報告書を何度も読み返した。
どの行を見ても、どの言葉を見ても、嘘のように整っていて、真実の欠片がどこにも見当たらない。
アルトは死んだ。
そう記されているのに、心のどこかで、まだあいつがどこかで生きているような気がしてならなかった。
なんだって、発見された場所なんてとうの昔に探していたはずだ。
あれだけ近い場所に血だまりがあるのなら、気づかないはずがない。
いまになっても納得できない。
それに――欠損した体の一部といっても、何かに噛み千切られたような跡があった。
鋭い刃物で切断されたわけでもなければ、機械の損傷とも違う。
歯形のような圧痕が残っていたが、照合しても、どの野生動物のものにも一致しなかった。
軍の調査班は「腐敗による損傷の可能性」と報告書に書いた。
だが、現場の気温や環境を考えれば、それもありえない。
死後わずか二日で、骨まで砕かれるほどの変化など起こり得るはずがない。
――あれは、何かが“食った”としか思えなかった。
けれど、その何かに心当たりのある者は誰もいなかった。
夜間の監視記録にも異常はなく、外部の侵入痕もゼロ。
すべてが、跡形もなく消えていた。
「なんでだよ……なんでうちの息子が……!」
父親の叫びに意識を引き戻される。
三十分近く話し続けていたレンも、ようやくこの重い役目から解放されそうだった。
別の部隊のことは知らないが、僕のような一般部隊の兵士には、暗黙の決まりがある。
仲間が死亡した場合、その訃報を家族に伝えるのは、部隊の中で一番親しかった者の役目。
「遺族の心理的負担を軽減するため」――そんな名目がついてはいるが、要するに、見知らぬ役人よりも“知っている顔”の方が都合がいいというだけの話だ。
どんなに丁寧な言葉を選んでも、伝える内容は変わらない。
どれだけ慎重に振る舞っても、悲しみの結末は同じだ。
けれど、割り切れるはずもなかった。
報告のたびに、誰かの人生をこちら側の言葉で終わらせてしまうような気がしてならない。
まして今回は、よりによってアルトだ。
あいつと笑い合った記憶が、ひとつひとつ喉の奥で詰まっていく。
レンは最後に一礼し、静かに病室を出てきた。
疲労の色を隠しきれない顔で、僕を見るなり小さく首を振る。
両手に持っていたはずの、国旗に包まれた遺品はもう見当たらなかった。どうやら、渡せたらしい。
扉の向こうでは、まだ嗚咽が絶えず続いている。
病室の白い壁に反響するその声は、戦場で聞いたどんな悲鳴よりも深く、長く、胸の奥をえぐった。
レンは無言のまま廊下の壁にもたれかかり、目を閉じた。
その肩がわずかに震えているのを見て、僕は声をかけることができなかった。
この仕事に慣れるなどという言葉は、どれほどの時間が経とうとあり得ないのだろう。
窓の外では、冬の陽が沈みかけていた。
遠くで鳴る非常ベルの音さえ、どこか遠い世界の出来事のように感じられる。
アルトが最期に見た空も、きっとこんな色をしていたのかもしれない――そう思った瞬間、胸の奥にずっと押し込めていた何かが、静かに軋んだ。
僕たちは黙って廊下を歩き出す。
ただ靴音だけが、冷たい床に響いていた。
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