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エナドリ中毒でモンスター化した部長の元で働くことになりましたー私と定時と働き方改革ー

エナドリ中毒でモンスター化した部長の元で働くことになりました―転職初日の悪魔―

作者: mythic shift


はじめまして。これは“ツノの生えた上司”の話です。

最初は笑って読めます。でも進むほど、じんわり胸が痛くなるかもしれません。

働く誰かの“避難口”になるような物語を目指して書いています。

よかったら、もう少しだけページをめくってみてください。

01:転職初日の悪魔


転職初日の違和感というのは、大体において些細なものだ。 だが葉月の場合、新しい上司の頭から"ツノ"が生えていた。

廊下ですれ違った社員から、悪魔の洗礼を受けた。

「……あ、"魔課"ですか。歓迎会、あるといいですね……あなたが無事なら」

魔課って何だ。まだ誰も悪魔化していない。

("何か"が死んでる顔だったな……あの人)

意味のわからないまま、無言で会釈して進む葉月。その先の空間だけ、妙に空気が冷えている気がした。いや、気のせいではない。確実に3度は下がっている。

案内されたのは、総合企画部/第三企画課の中でも部長の真正面のデスク。なぜよりによって一番目立つ場所なのか。新人への配慮というものがこの会社にはないらしい。

席についてモニターを立ち上げると、目の前のモニター越しに"何か"が見える。黒くて、細長くて、なめらかな弧を描いて——

角度を変えると、黒髪の間から、ツノが、くっきりと突き出していた。

ツノである。角である。牛や鹿が頭に生やしているアレである。

葉月は一瞬、自分の視力を疑った。だが、周囲の社員は平然と業務を続けており、誰もツノには触れない。"ツノ? あるよね普通"くらいの空気感だ。

この会社、大丈夫か?

葉月がモニター越しにツノを凝視していると、そのツノが——動いた。いや、ツノの持ち主が立ち上がったのだ。

静かに立ち上がった部長が、モニターの向こうから歩いてくる。

コツ、コツ、コツ……

音の間隔が、心電図のリズムみたいだった。 一歩ごとに、「何か」が終わる気がする。

ピィーーーー……。

……いや、気のせいだ。今日は転職初日だ。たぶん。

黒いスーツの男が、無言で葉月のデスクの前に立つ。

その額からは、やはり本物らしきツノが——しかも2本も——堂々と生えていた。

目が赤い。寝不足か? いや、もしかしてモ◯スターエナジーが血管に溶け込んでるのでは?

視界の圧がすごい。

「志摩だ。……以上」

以上って何だ。自己紹介にしては情報量が少なすぎる。

「えっ、あ、はい! 葉月です、今日からお世話になります」

「18時。契約はそこで終わる。過ぎれば、それは"代償"になる」

契約時間がラストオーダーみたいな扱いを受けている。いや、あの口ぶり……マジで勤怠システムを生贄にしろってこと?

志摩は何も言わずに立ち去った。モニター越しにまたツノが見える。

ツノはどう見てもアレだが、「定時で帰れ」って言われたのは、たぶん会社員人生で初めてだった。……意外とこの職場、アリかも。

今日は定時で帰ろう。


02:自販機の謎とエナドリ買い占め


昼休み、喉を潤そうと自販機へ向かった。が──見た瞬間、目を疑った。

モ◯スター、レ◯ドブル、リ◯D、チ◯ビタ、オ◯ナミンC……片っ端から「売切」である。三連コンボでエナドリ全滅。ここは戦場か。いや、戦場にだって補給はある。

転職失敗フラグが立っていた。18時厳守ってあの悪魔言ってたのに。

そこへ現れた補充業者が、疲れ切った表情でぼそりと漏らす。

「……ここの部長が、毎朝1セット全部買い占めるんすよね。もう慣れましたけど」

慣れるな。それは異常事態だ。

廊下の奥、自販機の前に立つ黒いスーツの人物が見える。志摩部長である。その輪郭は逆光で沈み、黒髪とツノが闇に溶け込んでいる。

まるでラスボスがバフ効果を得るために自販機に立っているかのようだった。

自販機の明かりに照らされて、志摩の手にした缶の緑の「M」ロゴが、不気味に光る。午後1時にモ◯スターエナジーを飲む上司。冷静に考えて、威圧感がすごい。

葉月が立ち止まった瞬間、志摩がこちらを振り返る。

「昼は、食べたか」

「え、あ、まだです……」

「生命を燃やす前に、燃料を摂れ。——それが、お前の義務だ」

エナジードリンクの摂取指導ではない。昼食の話だ。……たぶん。

ツノが生えた上司に心配される日が来るとは、転職活動中の葉月は想像もしていなかった。


03:魔課の真実

席に戻ると、パソコンの右下がピコンと光った。

社内チャット「Yamada/総企三課」からのメッセージ。

『初日お疲れさまです〜。

いろいろ驚くこと多いかと思いますが、死なないでください』

……唐突である。軽すぎる。

いや、そもそも山田さん、隣の席じゃなかったっけ?

(話しかけた方が早くない?)

葉月は恐る恐る返信する。

『……ツノ、ですよね?』

即レスが返ってくる。

『そう、それです。通称・志摩部長の「過労角」説と「エナドリ進化」説。どっちに賭けます?』

『いえ、賭けません……でも過労でツノが生えるなら、日本のサラリーマンは全員ユニコーンかと』

『www』

画面越しのやり取りなのに、まるで雑談してるみたいだ。

『でも、あの人、実はすごく部下思いです。厳しいけど、無茶はさせないし、「止めるために悪魔になる」って感じで』

『悪魔になる……?』

『……誰か、止められなかったのかもしれません。でも、なんでツノなんて生えちゃったんでしょうね……』

不意に届いたその一文に、葉月の指が止まる。

画面の文字には感情がないはずなのに、どこか温度があった。

(ツノに、そんな意味が……?)

悪魔のふりをしてでも、誰かを止める。止めるために、あえて怖い存在になる。

ツノはその覚悟の象徴なのかもしれない。

葉月はふと、視線をツノの方へ向けた。

(伝説の悪魔部長……配属ガチャ、もしかしてSSRの可能性もある?)

ただし、見た目のインパクトが強すぎて、当たりかハズレか判断がつかない。

とりあえず、この職場で生き残るには志摩部長を理解することから始めるしかなさそうだった。


04:天使と悪魔の対決


昼休み明け、葉月のデスクに社内チャットがピロンと鳴る。差出人は「志摩部長」。

「15時 会議室B集合。全員参加」

葉月は画面を見つめた。今日初日なんだけど、もミーティングか。しかも全員参加って、新人に優しくない職場である。

周囲を見回すと、他の社員たちも無言でモニターと向き合っている。隣の山田も完全に無言。目も合わない。

え、さっき"過労角派か進化派か"とか聞いてきた人が……なに、対面は禁忌なの? 口頭は“契約違反”とか?

雑談とかないのだろうか、この課。全部チャットなのだろうか。それとも話すと舌でも抜かれるのだろうか。志摩部長に。

葉月が同僚に聞こうとしたその時、周囲の人間が一斉に立ち上がった。まるで合図でもあったかのように。そして列になって会議室へ向かう。

その整然さはまるで儀式か行進のようだった。軍隊かここは。

会議室Bに入ると、壁に「働き方共創プロジェクト/社内選抜説明会」の投影スライドが映っている。働き方共創って何だ。共創という言葉の響きが既に胡散臭い。

壇上に立つのは、柔らかく微笑む男だった。白いスーツに淡金色の社章。髪型まで整いすぎていて、逆に人間味がない。まるでAIが描いた「理想の上司」のような完璧さである。

天羽部長が口を開く。

「皆さん、お集まりいただきありがとうございます」

声まで美しい。声優かこの人は。

「このプロジェクトは、我が社が外部パートナーと進める"働き方改革"の先導企画となります」

「健康、効率、幸福。全てを実現する、新しい未来を一緒に創りましょう」

健康、効率、幸福。三拍子揃った完璧なキャッチフレーズである。胡散臭さも三拍子揃っている。

山田が小声で呟く。

「うわ、天羽さん……まぶし……」

「"天課"、顔面レベル高すぎ……」佐藤が続ける。

葉月も心の中で思った。

(えっ、なにこの人……カリスマって感じ。清潔感えぐ……)

(でも、なんでだろ。ツノは見えてるのに、こっちほうが“人間味”ある気がする……)

天羽がスライドを指しながら続ける。スライドの光より、天羽の反射率のほうが高い。目が潰れるわ。

「我々"人事戦略課"は、心身にやさしいデザインを中心に構成を考えています」

人事部/人事戦略課。なるほど、エリート部署である。

「本企画には、もう1チーム——総合企画部/第三企画課にも参加いただきます」

「審査は『現場適用性』『効果測定』『持続可能性』の3つの観点で行います」

会議室に一瞬、静寂が訪れる。そして、ざわっ……と空気が揺れた。

「魔課って……あの志摩さんとこだろ……」

「働き方とか一番縁なさそうじゃん……部長がツノ生えてるし……」

「人事戦略の天羽部長vs現場の志摩部長……これ、会社を二分する戦いになるんじゃ?」

葉月は心の中で叫んだ。

(うそ……なんで……転職早々重い……)



説明会終了後、会議室を出る志摩部長に葉月が声をかける。

「あ、あの……志摩部長。私、今日からですけど、プロジェクトに……」

志摩が振り返る。無表情である。

「……人員は、揃ってる。……役割も、振る」

「"働き方改革"か……面白い」

葉月は心の中で思った。

(……面白い、って。部長、何か企んでる?)

ツノの生えた上司の含みのある一言が、なぜか不穏な予感を運んでくる。天課と魔課の戦いは、思っているより複雑になりそうだった。


05:檻と刃の設計論


翌朝。昨日の空気もまだ抜けきらぬ中、魔課の会議室に社員が集まる。葉月は改めて気づいた。

魔課って、私含めて5人だけなのか。意外と少ない。

みんな静かで、普通そうな人ばかりだ。なのに、なぜかツノの生えた部長がいる。このギャップは何なのだろう。

志摩部長が静かに着席すると、誰ともなく会議が始まる空気になった。ホワイトボードもプロジェクタもなく、ただ机に紙が数枚配られている。アナログすぎる。

「……働き方共創プロジェクト。三課は参加する」

志摩が口を開く。相変わらず簡潔である。

「が、俺たちは"ポーズ"は出さない。"現場で使えるか"を第一に考える」

山田が控えめに手を挙げる。

「あ、あの……たとえば、どういった方向性ですか?」

「"選べること"。強制しない健康。ルールじゃなく、逃げ道をつくる」

逃げ道という単語が部長の口から出るとは思わなかった。

「押しつける制度じゃなくて、"逃げても咎められない選択肢"を、だ」

佐藤が心配そうに口を挟む。

「え、それ……会社から却下されませんか?」

「されたら、されただ」

志摩の表情は変わらない。

「——問題提起になればいい。黙って従って過労死されるよりは」

社員たちが一瞬沈黙する。空気が少し、変わった。

葉月は心の中で思った。

(この人……怖いけど、何か刺さる)

(なんでだろう、"反抗"っていうより、"誰かを守ってる"感じがする……)

静かに山田がつぶやく。

「……午後、体が重くなるとか、ありますよね」

「僕も……カフェイン効かないタイプなんで、けっこうキツいです」佐藤が続ける。

「制度って、正しいけど、“逃げ道”がないんですよね」高橋が小さく笑う。

(正論がしんどいって、あるかも)

志摩が満足そうに頷く。

「人事戦略課の制度は“檻”だ。設計図としては優秀だが、人間のためのものじゃない」

「……檻?」葉月が聞き返す。

「モルモットに給食を与えて、回し車でよく走るようにするための設計だ。……人間扱いはしてない」

一同、沈黙。志摩の比喩は時々、核心を突きすぎる。

「……次のMTGまでに、全員1案出せ。"今よりマシな働き方"であれば何でもいい。ふざけすぎても、怒らない」

「怒るのは、現実を知らないやつの意見だけだ」

葉月は心の中で思った。

(この部長、口は悪いけど……ちゃんと見てる。たぶん)

志摩がぼそりと呟く。

「……見てろよ、天羽。うちは檻じゃなくて、せめて刃くらいは持たせる」

葉月は心の中で突っ込んだ。

(それ、絶対企画書には書けないやつ……!)


06:契約違反を咎めに来た悪魔


昼食後、葉月がオフィスのドアの前で立ち往生していた。セキュリティカードを忘れてしまったのだ。

(やばい。入れない)

背後から、重い足音が一歩ずつ近づいてくる。

振り返ると、志摩部長が黒い手帳片手に、無言で立っている。

まるで契約違反を咎めに来た悪魔のようだった。

「ひいっ!」

葉月が身を縮めた瞬間、志摩が手に持ったカードホルダーの紐を、無言で葉月の首にかけた。

ようこそ、魔課へ。あなたのIDが承認されました。そんな声が聞こえた気がした。

「あっ……すみません……すぐ戻るつもりで、つい」

「辞めるつもりなら、先に言え」

「えっ……?」

意味がわからない。カードを忘れただけなのに、なぜ退職の話になるのか。

「カードを置いて出るな。そういう奴を、前に見た」

志摩の声に、わずかな重みがあった。

「……わかっている。ただの不注意だ。だが二度とするな。首から下げておけ。それが、お前を繋ぎ止める命綱だ」

葉月は何も言えず頷いた。

カード忘れで怒られると思ってたのに……なんか、ちょっと違う。


07:バラバラなチーム、けれど種がある


会議室で机を囲む三課のメンバー。葉月含めて5人と、席についた志摩。昼休み後だというのに、まだ少し空気が硬い。

葉月はまだ緊張していた。初日からプロジェクト参加で、しかもツノの生えた部長の下で働くことになるなんて想像もしていなかった。

志摩が口を開く。

「……で、案は?」

沈黙。数秒が流れる。

山田が優しく手を挙げる。

「あの……昼寝スペースとか……午後になると集中切れちゃって……強制じゃなく、選択肢があると安心できるかも……」

佐藤が続く。

「俺は立ち仕事したいっす。イス、腰にくるんで。気分でスタンディング選べるやつとか……」

高橋もマイペースに加わる。

「音と匂いを選べる作業空間とか……集中できる曲と、コーヒー豆の香りとか……」

葉月は驚いた表情で周囲を見た。

(ちゃんと考えてる……それだけ、疲れてたんだ)

山田が思い出したように言う。

「人事戦略課のやつって、逆に"優しすぎて"怖くないですか? もうそれでいいって言われてる感じして……」

「"栄養管理+短縮昼食"とか……正しいけど、息つけない」高橋が続ける。

「"自由"って名目で、じつは管理されてる系ですよね。檻の中に芝生敷いてるみたいな」佐藤が的確に表現する。

全員が「あるある……」という顔でうなずく。

志摩が、やや口元を動かす。言葉を選びながら、低い声で語り出した。

「そうだ。"正しい"制度なんていらない。俺たちが作るのは、"逃げても咎められない選択肢"だ」

全員が一瞬、志摩の言葉に意表を突かれる。

「正論で作られた制度は、檻になる」

「逃げ場のない職場は、戦場だ」

「……そこで、人間は壊れる」

山田がぽつりと呟く。

「部長って……そんなこと、考えてたんですね……」

「普通に、やさしい……?」高橋が小声で言う。

志摩は何も返さない。表情は無のまま。だが、空気が変わったのは確かだった。

葉月は心の中で思った。

(志摩部長の下だと、言っていいんだ……そんな空気が、ちょっとだけある)

志摩が低く言う。

「ふざけてもいい。突飛でもいい。……"現実に負けない案"を出せ。それだけだ」

佐藤が調子に乗って言う。

「じゃあ、俺、昼にカレーうどん食べても咎められない制度……」

「それ、設計関係ないじゃないですか!」山田が突っ込む。

笑いが起きる。会議室の空気が、少しだけ柔らかくなった。

葉月は心の中で思った。

(たぶん——この人は、怒ってるんじゃない。守ろうとしてるんだ)

ツノの生えた部長の正体が、少しずつ見えてきた気がした。


08:志摩の不器用な優しさ


葉月が帰り際、会議室を覗くと、志摩が一人でホワイトボードの前に立っていた。黙々と案を整理し、文字を直している。

(……結局、部長が一人で?)

志摩は振り返らない。集中して作業を続けている。

葉月はそのまま声をかけられずに、オフィスを後にした。

翌朝、志摩からメンバーに配られた紙を見て、葉月は驚いた。

それは全員の案をベースに、丁寧に再構成したものだった。

山田が感嘆の声を上げる。

「私の"昼寝案"……こんな言い回しにしたら、通りやすくなりますね……」

高橋も資料を見ながら呟く。

「"選択制BGM"のとこ、補足入ってる……わかりやすい」

佐藤が目を細める。

「腰痛対策の部分、医学的根拠まで調べて追記してくれてる……」

葉月の胸に、温かいものが広がっていく。この人の不器用な優しさが、少しずつ分かってきた気がした。


09:久賀の再登場と志摩の咎


その日の午後。私たちは会議室に呼び出されていた。天羽が満足げに微笑んでいる。

「というわけで、今回は"働き方意識調査"の一環として、かつて三課に所属していた社員をお呼びしました」

葉月は心の中で思った。

(なんかイヤな予感しかしないんだけど……)

ドアが開き、スーツ姿の男性が入ってくる。

「お久しぶりです、志摩さん」

「……久賀か」

場の空気が一瞬で冷えた。まるで氷点下に突入したかのような冷たさである。

天羽が嬉しそうに続ける。

「ぜひ、当時の三課の勤務環境について、率直なご意見を」

久賀が少し間を置いて口を開く。

「……そうですね。当時の志摩さんは、誰よりも厳しい人でした。だから、壊れるのも早かった」

志摩は無言。葉月が横目で志摩を見ると、何かが痛むような表情をしていた。

葉月は心の中で思った。

(……今、何かが刺さった。そういう顔だ)

天羽が静かに口を開く。

「……久賀さんが三課にいた当時、私もチームの一員でした」

会議室がざわめく。天羽の告白に、誰もが驚いていた。

「当時の志摩さんは、誰よりも厳しくて、誰よりも現場を守ろうとしていました」

「私は、人事部に異動してから……正しさで守ろうとした。でも、誰も守れなかった」

「久賀さんを本当に支えたのは、志摩さんだった。……私は、見ているだけでした」

会議室が静まり返る。

「だから私は、制度を信じるようになった。人の力を信じられなかったからです」

天羽が立ち上がり、窓の外を見つめる。

「明日から、本格的な健康施策を実施します。自販機の配置見直し、カフェイン依存改善プログラム……すべて、正しいことです」

「正しいことをすれば、きっと誰も壊れない。そう信じています」

天羽の微笑みが、わずかに揺らいだ。その瞬間、彼もまた人間なのだということが、垣間見えた。


10:エナドリ消失とチームの結束


翌朝、三課のオフィス。山田が廊下から駆け戻ってくる。

「自販機が……なくなってます!!」

「え、昨日の夕方にはあったよね!? 嘘でしょ!?あれしか頼みの綱なかったのに!?」佐藤が叫ぶ。

葉月が急いで冷蔵庫を開ける。

「……ない。部長の予備のエナドリ、全部、ない……!」

冷蔵庫は空っぽだった。いつもきれいに整列していた緑の缶が、一本も残っていない。

「まさか、あれも環境改善対象……?」高橋が冷静に分析する。

社員たちがザワつく。

「このままじゃ部長が……」

オフィス内で、デスクに突っ伏してうなだれる志摩。普段の威圧感は微塵もなく、ただの疲れ切ったスーツの男がそこにいた。

「部長が、部長が……省エネモードに……!」佐藤が絶望的な声を上げる。

「M缶……どこかにM缶はないのか……!」高橋が効率的に引き出しを漁る。

冷蔵庫の中は空っぽだった。きれいに整列していた緑の缶が、跡形もない。

「非常用タンクとかないの!? USB充電とか……!」

「誰か早く、カフェインの予備バッテリー持ってきて……!」

葉月が立ち上がる。

「っ……私、行ってきます!」

葉月はダッシュで外へ向かった。

コンビニへと急ぎ、葉月が肩で息をしながら袋を抱えて帰ってきた。

「M缶……5本確保……!」

待機していた社員たちが歓声を上げる。

「ナイス葉月!早く部長に!」


11:寝顔と恋の芽生え


休憩室で志摩がソファに横になっている。顔色が悪い。普段のツノも、なんだか小さく見える。

葉月は心の中で思った。

(……部長、大丈夫ですか?)

そっと、冷えたM缶とお茶を志摩の手の届く場所に置く。志摩は静かな寝息を立てていた。

葉月は心の中で続けた。

(この人、普段からこんなに……疲れてたんだ)

ツノにそっと視線を向ける。間近で見ると、思っていたよりも繊細な形をしていた。

(……守るために、生えたんだ。ツノも、強がりも、全部)

葉月はそっと、ソファの横に座った。志摩の寝顔を見ていると、なぜか胸が締め付けられるような気持ちになった。

この人を、一人で戦わせてはいけない。

そんな気持ちが、静かに芽生えていた。


12:志摩部長のいない作戦会議


翌日の会議室。いつもなら志摩部長が着席している席が、空いている。

昨日のエナドリ切れで体調を崩し、休憩室で横になっているのだ。チームは戸惑いながらも、静かに集まってくる。

会議室の空気は重い。普段の志摩部長の存在感がいかに大きかったかを、今更ながら実感する。だが、誰も「やめよう」とは言わない。

山田が小声で呟く。

「部長、大丈夫でしょうか……」

「エナドリないと、本当に干からびちゃうんじゃ……」佐藤が心配そうに言う。

高橋がタブレットをいじりながら冷静に言う。

「でも、このまま何もしないわけにはいかないですよね」

葉月が口を開く。

「……このままじゃ、部長が壊れるだけだよ」

全員が葉月を見る。

「だから、志摩部長がいなくても回る仕組みを作ろう」

「それが、私たちがこの企画で出す"答え"なんじゃないかなって思う」

葉月の声に、少しずつ力が込もっていく。

「この職場を"部長が一人で背負わなくてもいい場所"にする。それが部長を救うことにもなるって……」

チーム、沈黙。だが、山田が最初にうなずいた。続いて佐藤、高橋も静かにうなずく。

山田が思い出したように言う。

「"選べる働き方"って、部長がずっと言ってましたよね」

「うん。"押しつけじゃなくて逃げ場"。あれって制度じゃなくて"態度"なんだと思う」佐藤が続ける。

高橋がタブレットを見ながら合理的に提案する。

「例えば、業務ごとに"今日は在宅でも大丈夫"って判断できる一覧表とかどうですか?」

「それ、上長のサインいらない形にできたら気が楽になります」山田が目を輝かせる。

葉月がまとめるように言う。

「"セルフ運用マニュアル"って形にして、自己裁量と支援のグラデーションをつけよう」

佐藤が手を挙げる。

「"午後は30分だけ横になっても許される制度"、正式に作れないかな。人によって疲れるタイミング違うし」

「"昼寝シフト"って制度名なら……意外と正当化できそうですね」高橋が効率的に分析する。

会議室の空気が、少しずつ明るくなってきた。志摩部長がいなくても、チームが機能し始めている。

葉月が立ち上がり、ホワイトボードに向かう。

「"逃げても咎められない"。"選べる自由"。"誰かの犠牲で回らない"組織構造」

文字を書きながら続ける。

「部長が倒れたことに意味を持たせるなら、私たちが"新しい在り方"を証明しないといけない」

社員たち、静かにうなずき、ノートやタブレットに案を書き込み始める。山田は具体的な制度案を、佐藤は運用方法を、高橋は効果測定の方法を。

それぞれが、自分なりの答えを見つけ始めていた。

会議室の扉がわずかに開いていた。風……にしては、整いすぎている。

(……もしかして)

でも、誰もいない。残された空気だけが、優しかった。

少し離れた休憩室では、志摩が横たわりながら天井を見つめていた。会議室から聞こえてくる、かすかな話し声。

彼の目が、ゆっくりと閉じられていく。

唇の端に、わずかな安堵の表情が浮かんでいた。


13:任された者たち


葉月は、ひとり会議室に残っていた。

壁に投影されたスライドが、静かに天井の明かりを受けて滲んでいる。

(……本当に、これでいいのかな)

あの部長の言葉は、不思議と引っかかる。

正しくあろうとするのではなく、逃げてもいい道を作る——なんて、今まで聞いたことのない提案だった。

(でも、たしかに。逃げ場がないのって、苦しかった)

かつて自分も、正論に押しつぶされそうになった記憶がよぎる。

だからこそ、志摩のあの言葉は、妙にしっくり来たのだ。

(……じゃあ、私の言葉でもいいのかな)

葉月はそっとスライドの最終ページを開き、ペンを取った。

誰の指示でもない。志摩の文言でもない。自分自身の言葉。

「"誰かの命綱になれる選択肢を"。……これで、いい」

手元の画面に、小さな一文が追加された。

明日、プレゼンを聞く誰かに——それが届けばいいと願って。

コンペ当日の会場前。三課のメンバーが資料を手に集まっている。

「……部長、まだ来ませんね。ツノ、昨日ちょっとしなってたけど……」佐藤が時計を見ながら呟く。

「エナドリ補給、間に合わなかったのかな……」高橋が心配そうに言う。

「でも、あのツノが曲がってても、志摩さんは志摩さんですよ」山田が資料を握りしめる。

葉月がゆっくりと口を開く。

「最初は……部長が"全部自分でやりたい人"なんじゃないかって思ってた」

メンバーが葉月を見る。

「でも違った。任せるのが下手なだけで、任せることを、諦めてただけだったんだと思う」

「だから、今度は……私たちが、任される番なんです」

葉月は心の中で思った。

(いなくても回せる仕組み。それを証明するために、いま私たちが立ってる)


14:コンペ決戦と名前で呼ばれた瞬間


会場で天羽部長のプレゼンが始まっている。

「……この制度は、社員の健康指標と業務負荷を統合的に管理し、個別最適な"働かせ方"をレコメンドします」

スライドには美麗なUIとスマートなフロー図が映し出されている。相変わらず完璧な資料だった。

審査員が質問する。

「ふむ……実装まで考えられているのは立派だが、やや現場の温度感に乏しいか?」

天羽が微笑みを崩さずに答える。

「データに基づいた科学的なアプローチこそが、真の働き方改革に繋がると確信しております」

その時、会場の扉が静かに開いた。

志摩部長が入ってくる。ツノは隠していない。堂々と、悪魔の風貌のまま壇上に向かう。

「……!」高橋が息を呑む。

「来た……」佐藤が安堵の表情を見せる。

葉月は心の中で叫んだ。

(志摩部長……!)

「三課、志摩だ。プレゼンは……俺がやる」

軽く一礼し、端的にスライドを切り替える志摩。資料は簡素だが、一つ一つの文字に重みがあった。

「この案は、俺が部下に助けられた案だ」

会場がざわめく。上司が部下に助けられたと公言するなど、異例中の異例だった。

「制度じゃない。机上の空論でもない。……現場で血のにじむように動かした結果だ」

「山田の昼寝提案、佐藤の腰痛対策、高橋の集中環境設計……そして葉月が、それを『命綱』にした」

「一人ひとりの『逃げ場』が、全員の『居場所』になった。人を守る、刃になった。」

その瞬間、山田・佐藤・高橋が静かに立ち上がり、壇上に向かって深く頭を下げた。

会場が静寂に包まれる。

観客席で久賀がぽつりと呟く。

「……志摩さん、エナドリ、もう飲んでないんですね」

「昔みたいに、朝一で自販機に並んで……あの頃のあなたは、本当に壊れかけてた」

志摩がツノを軽く傾けながら、低く呟く。

「……契約を、移譲しただけだ。信頼に値する者に」

審査員が結果を発表する。

「……審査基準の3つの観点から検討いたしました。『効果測定』『持続可能性』では両案とも優秀でしたが……」

「『現場適用性』において圧倒的な差がありました。最優秀提案は、三課案とします」

拍手が起きる。天羽は静かに目を伏せて、笑みを崩さない。

「……さすがです。志摩さん」

志摩の赤い瞳が、わずかに和らぐ。

「俺のツノが役目を終える日も、そう遠くはないだろう」

「……礼を言う、葉月——あれが、真の命綱となった」

初めて、名前で呼んでくれた。届いた。

葉月は心の中で思った。

(この人のツノは、誰かを守るために生えたんだ)

(……今度は、私たちが、そのツノを、休ませる番だ)

※この短編は単発でも読めますが、 実は「恋人未満契約編」「レッ○ブル感あふれる新キャラ編」など、別構想もいくつかあります。 もし反応などいただけたら、そちらも書いてみたいなと思ってます…!

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