とんだ茶番ね〜隣国のブラコン皇太妃は偽りのハッピーエンドを認めない〜
王立アルビアート学院。
選ばれた優秀な貴族が通い、勉学に魔法、武術を学び、磨く、若者たちの学舎である。
今日はその学院の卒業記念パーティー。普段は王族であろうと容易く入ることができない閉鎖的な場所だが、今日だけは生徒たちの両親。つまりたくさんの大人の貴族たちが脚を運ぶ。
多くの人の目があり、何か問題を起こしたり、何かの余罪が明るみに出れば、あっという間に噂の中心。そして、ことによってはおもて舞台に立つことができなくなる。
そう今まさに、その場で起きている出来事もまた、多くの貴族たちの噂の的になること間違いなし。
「エリシリア・ヴォルデルス。君との婚約を破棄する」
会場となっている学院のダンスホール。その中心で、青年は隣に可憐な彼女を抱き寄せ、後ろに数名の同じ年頃の令息を従え、目の前にいる令嬢に宣言した。
怪訝そうな顔をする令嬢に対し、青年はひどく顔を歪ませて怒りを露わにしていた。
この二人は婚約者同士だった。青年、ギルベルト・アシュバイゼはこの国の第一王子。そして向かい側の令嬢は、この国の宰相の娘である公爵令嬢エリシリア・ヴォルデルス。国の決めた政略的なものではあったが、お互いに想いあっていた。
「殿下……何を言われているのですか?婚約破棄って……どうしてそんなことを言うのですか!私は、貴方にそうさせるほどの何かをした覚えはありません……」
「覚えがないだと……よくもそんな嘘が言えたものだな」
「嘘なんて言っていません!殿下……私が何かしたのなら言ってください……私には身に覚えがないのです……」
「っ!図々しいにも程があるぞ!」
ギルベルトは怒りのこもった激しい罵倒に、今にも泣き出しそうな顔をするエリシリアの肩が大きく跳ね上がる。
どうしてこんなにも彼が怒っているのかわからない。それに、後ろにいる令息たちも同じように怒り、傍にいる見知らぬ令嬢はずっとギルベルトに抱き寄せられていた。エリシリアは今のこの状況が全くと言っていいほどわからなかった。
ギルベルトのそばにいる女性も、彼の後ろにいる令息たちも。
自分の弟に騎士団長の息子、魔法塔主の息子に隣国の公爵令息。
学院でも有名な令息たちがなぜ自分にこんなにも怒りを向けているのか。
「俺の前では猫を被り、裏では随分な振る舞いをしていたようだな」
「猫?裏での振る舞い?一体何のお話しですか?」
「まだしらばっくれるつもりか!」
ギルベルトは声を荒げながら、エリシリアにとっては身に覚えのない行動を口にしていた。
婚約者という立場を利用して、身分の低い令嬢たちを虐げ、令息たちには性的な命令を出して弄んでいたと。
そして、その行動は学院内にはとどまらず、学院外でも多くの男性と関係を持ち、手紙のやり取りもしていたと。
その手紙もギルベルトの手元にあり、全て中身を確認したそうだ。内容はとてもこの場で口にできるようなものではない、生々しく、卑猥なものだったようだ。
「しかも、俺やこいつらが彼女と仲良くしているのを妬み、他の婚約者たちと結託していじめていたそうだな」
「そんな!全く身に覚えがありません。それ以前に、私は彼女が誰だか存じ上げません!」
エリシリアがギルベルトの傍にいる令嬢に視線を向けながらそういうが、目が合った瞬間に彼女は体を震わせてギルベルトに寄り添った。
そんな彼女を優しく抱きしめ、ギルベルトは鋭く冷たい視線をエリシリアに向けた。
「自分よりも身分の低いものには興味がないということか。そうだな、お前にとって自分よりも低い身分は平民と変わらないのだったな」
「そんなこと思ってもいません!本当に私は、そちらの方が誰か知らないのです!」
「もういい!これ以上ここで口論をしてもしかたない。証拠は揃っているんだ。父上も母上も許可してくれるだろう」
どんなに訴えかけても、エリシリアの言葉はギルベルトには届かなかった。
冷たい視線を向けながら、その場に崩れ落ち、肩を振るわせながら涙を流す彼女に彼は言葉を吐き捨てた。
「よかったよ。君のような娼婦と結婚しなくて」
一度もこの身を捧げたこともないのに、心から愛していた相手からそんな言葉を吐き捨てられ、エリシリアの心は粉々に砕けてしまった。
完全な見せ物状態。男も女も関係なく、その場にいた貴族たちは汚いものでも見るようにエリシリアを見る。中には、実はそんなことをする人間だったのかと下心を抱くものもいた。
きっと彼女はもう表舞台に立つことはできない。仮令、冤罪だったとしても。
まるで小説のラストのような断罪シーン。きっとこのままギルベルトと側の令嬢が結ばれ、次期王と王妃になるだろう。だけどこれは、本当にハッピーエンドなのか。
否、これは偽りのハッピーエンドであり……
「とんだ茶番ね」
ざわめきの声が響くダンスホール。だけどそこに、似つかわしい拍手の音と、まるで楽器のようにヒールの音が鳴り響く。
「貴方は……」
「ごきげんようギルベルト殿下。この度はご卒業おめでとうございます」
美しいドレスに身を包んだ彼女はにっこりと笑みを浮かべる。
年齢は彼らよりも2、3上のようだった。
この会場に来ているということは誰かの家族だろうかと、ざわめきがまた一段と大きくなる。
「あ……あ、姉上……」
そう口にしたのは、ギルベルトの後ろにいる令息の一人、隣国の留学生であるシルトフェンス・グラシードだった。
冷や汗を流し、目の前にいる実の姉に対して恐怖を抱く彼に対し、視線が交わった瞬間に愛しげな表情を浮かべる彼女、隣国の現国王の妻であり、シルトフェンスの姉、ルーチェ・ラルフリエイト。
「……ラルフリエイト皇妃様。ごきげんよう」
「堅苦しいのはいいわ。今日は、姉としてきているから名前で呼んでくれていいのよ」
ギルベルトにそう返事をするが、彼女の視線はずっと怯えるシルトフェンスの方を向いていた。
多くの貴族が彼女の正体を知った瞬間にコソコソと隣の者たちと話をしていた。
ルーチェは各国にその名が轟いており、特にとてつもないブラコンであることは有名だった。それは、シルトフェンスが恐怖を抱くほどに異常なもので、転移魔法が得意ということもあり、弟愛転移魔法師として有名であった。
「な、なぜ姉上がここにいるのですか!」
「なぜって、愛しのシルフェの卒業パーティーだから参加しないわけには行かないでしょ。お父様から許可を頂いてきたのよ。転移魔法使ったからあっという間」
「そんな、父上が許可など……」
「お父様ったらひどいのよ。ついさっき許可をくださったのよ。まぁ当日言えば間に合わないと思ったのでしょうけど、甘く見られたものね」
クスクスと笑いながら、彼女は脚を進める。近づいてくることに恐怖し、シルトフェンスは後退りをする。しかし、ルーチェの足はその場で膝をつき、心が砕けてしまっているエリシリアの隣で止まった。
「さて、ギルベルト殿下。先程の茶番は見させていただきました」
「茶番だと……」
「えぇ茶番よ。とんだ茶番。こんな話を小説にしても全く売れないでしょうね」
「茶番などと……貴方には関係ないことだ。いくら友人の姉とは言え、ここは私の国だ。貴女の国ではない。口を挟まないでもらおうか!」
怒りに顔を歪ませるギルベルトに、ルーチェは深々とため息をこぼす。
まだパーティーが開かれているため、多くの貴族たちが再び中央に目を向ける。
この国の次期王と、隣国の皇妃の揉め事。彼らにとっては他人事のため、その様子を好奇心のままに見つめていた。
「先ほど言われていた内容について、証拠はあるのですか?例の手紙も」
「えぇ。これがその一通で……」
「お借りするわね」
スッと懐から出した手紙は、さきほどまで数メートル先にいたはずの彼女の手に渡っていた。
転移魔法を使用して距離を詰め、彼から奪った手紙の中身を、彼女は何の躊躇いもなく口にした。
生々しく、事細かに書かれた情事の内容。気分が悪くなるほどの恥ずかしい愛の言葉。一部のものは聞きたくないと耳を塞ぎ、大人たちは気まずそうに目を逸らしていた。
「随分大人っぽい言い回しね」
「貴方は!恥じらいというものはないのですか?」
「なぜ?手紙でのやりとりなんて、誰かに見られるリスクがある代物よ。自分で書いたわけでもないし、恥じらう意味がないじゃない」
そう言いながら、ルーチェは再び手紙に目を向ける。
言葉遣いや、言葉の選び方、表現方法が10代の女の子のものではない。それ以前に、その手の書物や、実際体験したからと言ってこんな具体的に、聞くだけでたやすく想像できるようなものが書けるはずがない。
「ギルベルト殿下、貴女は彼女のアリバイを調べましたか?」
「アリバイ?」
「そう、この手紙のやり取りをしていた時間帯、密会していた時間帯、身分の低い令嬢と令息が虐げられている時間帯、彼女が何をしていたのか」
「アリバイも何も、エリシリアがやったのだから調べる必要など」
「調べていらっしゃらないのですね」
ルーチェが鋭い視線を向ければ、グッとギルベルトの口が固く噤まれる。さすが隣国の皇妃と思わせるほど、ただ睨みつけるだけで相手を萎縮させる。
「さて、私が思うにこの茶番を考えた真の黒幕がいると思います」
「黒幕?」
「そう。ヴォルデルス令嬢を陥れた何者が」
ルーチェはそのままギルベルトに近づき、にっこりを笑みを浮かべた瞬間、閉じていた扇で彼の傍にいた彼女の頬を叩き、地面に這いつくばらせた。
何が起こったのかわからなかったが、すぐさまギルベルトが声を上げて非難の声を上げようとしたが、ルーチェがそのまま拘束魔法を使用し、ギルベルトと実弟も含めた令息たちを拘束した。
「姉上!なにをしているのですか!」
「ごめんねシルフェ。さすがに貴方が関わっているとなると、口を挟まないわけにはいかないの。安心して、すでにアシュバイゼ陛下には許可をいただいているのだから」
「ち、ち上、の?」
ルーチェは地面に這いつくばり、何が起きたのかわからないと叩かれた頬に触れる令嬢を冷たい目で見下ろす。
「さて、貴女のことを聞こうかしら。私、友好国であるこの国の貴族は全て把握してるつもりよ。成り上がりも全てね、でもね、貴女のことは知らないの。だから教えてくださるかしら?」
笑みを浮かべながらルーチェは令嬢を見下ろす。だけど、誰がどう見てもその笑顔に怒りや嫉妬、彼女の負の感情が込められていることは明らかだった。
「貴女でしょ。いや、正確には貴女たちというべきかしら」
「かっ!」
目線を令嬢と合わせたルーチェは、そのまま勢いよく令嬢の首に手をかけて力をこめていく。苦しさに悶えるが、そんなのどうでも良さげに、彼女は淡々と言葉を続ける。
「私がただシルフェの卒業祝いにここに来たと思う?そんなわけないでしょ?閉鎖されたこの学院で弟にもしものことがあってはダメでしょ?だからね、常に私に報告してくれる子が何人もいて、このことを教えてくれたの。まぁ普通だったらどうでもいいのだけれどね、さすがに可愛い弟も関わってるとなると黙って置けないわ」
グッとより一層力を込めれば、また彼女は激しく苦しみ喘ぎ出す。それでもやっぱり、ルーチェの表情が変わることはなかった。
「傀儡計画だったかしら。有力な貴族たちを我がものにして、好き勝手に国を動かそうとしたのでしょ?そのためには貴女が王妃になる必要があったから、婚約者であるヴォルデルス令嬢や他の令嬢たちを排除する必要があった」
ルーチェは全てを知っていた。
ヴォルデルス令嬢が陥れられてることも、証拠となっていた手紙を誰が書いたのか、証言者たちが誰に言われてそんなことを言ったのか、彼女は全部知っていた。全部知って、ことを済ませてここへやってきたのだ。
「ハッピーエンド?違うわね。これは偽りのハッピーエンドで、ただの茶番よ。でも、そんな茶番で深く傷ついた子がいるわ。その子に対して思うことはないの?」
また一層手に力を込める。令嬢は何度も何度も「ごめんなさい」と口にするが、ルーチェは聞く耳を持たなかった。
「権力やお金が簡単に手に入るなんて馬鹿なことを思わないことね。権力にもお金にも、責任が付きまとうの。貴女が王妃になって、果たしてその責任を背負い切れるのかしら」
ルーチェがそのまま手を離せば、彼女は激しく咳き込みながらその場に這いつくばった。
不意に誰かがホールに響くほどの大きな音で手を叩く。同時に数名の兵士がやってきて這いつくばる令嬢を拘束し、ショックで膝をついているエリシリアを数名のメイドたちが寄り添ってその場を後にした。
「全く、情けないことだ」
「っ!……父上」
ホールの入り口。先ほどまでルーチェたちに取り囲むようにしていた貴族たちが道を開き、美しい女性と一緒に、一人の男がこちらへと脚を運んだ。
「あら陛下。もう終わったのですか?」
「あぁ。協力感謝する、ルーチェ皇妃」
「父上……なぜここに」
ルーチェと会話をしている時はどこか柔らかい表情を浮かべていたが、すぐにその表情は実の息子に対して冷たい視線を向けた。まさに失望と言っているような目だった。
「全く、我が息子ながら何とも情けない。調べもせず、他人の言葉を信じてエリシリア嬢を貶めるなど……公爵に面目が立たん」
「ち、父上!しかし証拠が!手紙が、証言が!」
「すべて作り上げられたものだ。昔から我が国と敵対している国のな」
先程の令嬢は、その敵国のスパイのような存在だった。
閉鎖された学院は王族だろうと関与ができない。だからこそ、学院内で将来的に王となるギルベルトを自分たちの傀儡にすることで、この国を自分のものにしようとしていた。
しかし、敵国の運が悪いところは、ルーチェを敵に回したことだった。
弟の近辺を調べていた彼女が全てを知り、数日前にアシュバイゼ陛下に話をし、敵国のスパイを全て捉えた。残るは学院内にいる先程の令嬢だけだった。
「ギルベルト。お前には失望した。王位継承権については改めて考えさせてもらう」
「父上!」
「他の者もだ。婚約者がいながらこのようなこと。ただでは済まぬと思え」
項垂れる令息たち。そしてシルトフェンスもまた、命の危機を感じていた。
もともと彼がこの国に留学したのは、勉学のためだと言われているが、実際はルーチェから逃げるためだった。だがしかし、こんなことが起きてしまってはもうここにいることはできない。このまま国に連れ帰されることになる。
「あ、姉上……お、俺、は」
「シルフェ、貴方は次期公爵家の跡取りとしての自覚がないんじゃない?」
「っ!そ、そんなことは!」
「他国の学院に通って、平和ボケしたの?私と一緒にいた時の貴方の方が緊張感を持っていた気がするのだけれど」
それは、ルーチェがいたからだとは口が裂けても言えなかった。
せっかく姉のいない開放的な、自由な生活ができていたというのに。シルトフェンスは自分のお花畑だった頭を悔やんだ。
「国に帰ったら、私が手取り足取り教育し直してあげる。私が、貴方を本当のハッピーエンドに導いてあげる」
【完】