第5話
「アン、大丈夫だから。帰ろう。もう平気だよ」
アンは何か悪い魔法をかけられて、そのせいでこんなことを言ってるんだとルーセルは思った。
が、アンは頑としてその場を動こうとはせず、フォロンの背に隠れてしまった。
とうとうルーセルは自分が間違ってると認めざるを得ない。
「……何をしたの?」
リアはぎっとフォロンを睨み付けたが、フォロンは彼女を無視して話し出す。
「アンは私と一緒にいたいんだってさ」
見下ろされてそう言われても、ルーセルは絶望の眼差しでアンを見つめるばかりだ。
「人間は不便だと思わないかい?誰かと交わって生きていかなくてはならない。1人じゃ生きられない。でも私達は、そんな事はない。自由だ」
「だったら…アンは関係ないでしょ。その子は人間でしょ」
「まだわからないのかい?」
さも馬鹿にした表情でフォロンは言った。かちんときたが、素直にけんかを売っても勝てる相手ではないとわかっているから、リアは睨み付けるしかない。
「アンは本当に、自分からここへ来たんだ」
「……じゃあ、紫水晶は何なの」
「別に?ちょっとやってみただけさ。一体何人が、彼女を助けに来るんだろうって、ね」
「…………!」
「てめぇっ…!」
「!やめっ…!」
止める間もなかった。
フォロンに掴みかかろうとしたルーセルが、次の瞬間には弾き飛ばされていた。そのまま近くの木にぶつかり、ぐったりと動かなくなる。
「ルーセル!」
悲鳴のようなアンの声。
彼女はフォロンの背から抜け出して、ルーセルの方へ駆けていく。
「ルーセル、ルーセル!!」
リアは杖を取り出したまま、フォロンの前に立ちはだかっていた。
「…助けてあげないのかい?」
やはり意味深な笑顔のままフォロンはそう聞く。
そりゃ助けたいのはやまやまだ。
だが、背を向けた瞬間、何をされるかわかったものじゃない。
2人を守れるのは自分しかいないのだと、リアは自分に言い聞かせた。
「何が目的なの?」
「……本当に人間は不便だね。同情するよ」
彼の表情に、リアはますます混乱する。
「それで?魔法使い、君はどうするつもり?ここで私と戦うのかい?」
それも方法としては考えていた。
リアがフォロンの気を引いているうちに、2人を逃がす。でも今はもう無理だ。ルーセルは動けないし、アンはあんな状態だ。
「はやく!どっちでもいいからルーセルを助けてよ!フォロン!あなたは…こんな事する人じゃないはずでしょ!助けてよ、ルーセルを助けてよ!!」
「…アン…」
かすかなうめき声に、リアははっとして振り向いた。
「ルーセル!」
どうやら気を失っていただけのようだ。
「ルーセル、大丈夫!?ご、ごめんなさい。…私のせいで、こんな……」
「まるで、あの時と同じだね、アン」
フォロンの言葉に、その場にいる誰もが凍りついた。
―――じゃああたしが死ねって言ったら死ねるの?―――
―――死ねるよ―――
「悪趣味…」
リアの言葉に、フォロンはにっこりと笑って見せた。
そろそろ我慢も限界だ。
ルーセルははっとしてアンを見上げた。
アンはさっと視線を反らす。
それが、全ての真実を物語っていた。
「思い出したから…?だから、ここに…」
「……ごめんなさい」
フォロンにどなりちらしたい所を、ルーセルはぐっと我慢した。
今大切なのは、そんなことじゃない。
「だから、城にいられなかったのか?」
こくりとアンは頷く。
「だって…私、皆に迷惑ばっかりで、嫌な思いさせてばっかりで、もうやだよ…。誰もいない所に行きたい……」
「そんなの無理だ」
ルーセルはきっぱりと言い切った。
「アンがそう思うのは、皆のことが好きだからだ。皆、僕だって、アンが好きだ。だから、アンがあの時のことを忘れても、一緒にいたかったんじゃないか!」
その時、背後で爆風が起こり、リアの声が聞こえてきた。
「2人とも、早く逃げて!!」
「……行こう!」
立ち上がって差し出されたルーセルの手を、アンは少しの逡巡の後、ぎゅっと握り返した。
「予告なしにいきなりはひどくないか?」
と言いつつも全く堪えてない顔でフォロンは言う。その顔はどこか楽しそうだ。
「………」
背筋を冷たい汗が流れるのがわかった。
本当に、2人がこの森を抜けるまで待つかどうかわからない。
けれど……
「本当に、人間は不便だ。…でも、興味深い生き物でもある」
「魔族に言われたくない!爆ぜる炎の精たちよ…」
言いながらとにかく見掛けだけは派手な呪文を放つ。
森を抜けるにはどれくらい必要だろうか。
「君はどうして私に刃向かう?敵わないとわかっているのに」
ムッとしてリアは言い返す。
「そんなのわかんないじゃない!油断してるとあんただって危ないわよ!この地を司る27の…」
と言いつつも、敵わないのはわかっていた。
何しろ攻撃しているのはリアだけで、彼はただそれを防いでいるだけなのだ。まるで子供の相手をしているように余裕な態度だ。
「どうして人間はそんなに簡単に自分の命を粗末にするんだろう?私は永く生きてきたが…それだけはわからん」
「それにあたしも入ってんならそれは大きな間違いよ!だってあたしは死なないしね!我が前にその形を示せ…」
次の攻撃も、フォロンは難なく受け止める。
「それから明らかに自分よりも強い相手に向かって行くのも…魔族では考えらないな」
「だからあんたは人間ってものをわかってないって言ってんのよ!次行くわよ破魔の血をひく月の乙女、その碧き…」
「私と戦いたいのか?」
「!」
がっと鈍い音がして、次に目を開けた瞬間にはフォロンの大きな手で口を塞がれていた。
「だが、少し話さないか?アンもいなくなってしまったし…寂しいんだ」
「―――」
リアはまじまじと目の前に立つ魔族を見返した。
今、この口が寂しいと言ったのか?
「だから、この手を離しても魔法を唱えないで欲しいんだが」
そっと手を離されても、リアは魔法を唱えなかった。驚きで声が出なかったのだ。
「あなた…変わってる」
フォロンはいすに座りながら苦笑した。
「よく言われる。でも…他人のぬくもりを知ってしまうと、魔族だって寂しさを感じるんだ」
「………」
勧められるままに、リアもいすに座った。
どこか遠くを見るフォロンの青い瞳。それを見つめていると、リアの興奮も段々と収まってきた。
「アンはもう大丈夫よ」
言いよどんで、もうひとこと付け足した。
「…ルーセルが、そばにいるから」
「よかった」
そう言って笑うフォロンは本当に人間みたいで、リアはますます変な気持ちになっていく。
今まで、魔族というのはとにかく危険なだけだと思っていた。
でも、フォロンは違う。
「アンと会ったのは今日が初めてなんだ。私を一目見ただけで、連れて行ってと言ってきた」
こんなに楽しそうに人間のことを話す魔族なんて、いるはずないのに。
「多分私達は似てたんだろう。1人で…」
リアははっとした。
「もしかして、紫水晶を要求したのは…」
ルーセルをここに呼ぶため?
フォロンは意味深な笑みを浮かべた。
「暇つぶしさ」
リアは黙って頷くと苦笑した。
「さて、どうする?戦いを続けようか?君はさっきからずっと、戦いたそうだったけれど…」
「い、いいえ!!」
思わず首を振ってしまって、しまったと思った。これではあまりに情けないではないか。
見ればフォロンも笑っている。
「では、それはまたの機会にしよう」
音を立てずにフォロンが席を立った。
「どこに行くの?」
「さぁ?また、何かおもしろいことを探しに」
その時の笑顔に、リアは言い知れない寂しさを感じた。彼は自分の居場所を探しているのかもしれない。
リアも静かに席を立った。
「フォロン」
「……なんだい?」
「私たち、友達になれないかな」
「友達に…?」
珍しい生き物でも見るように彼は振り返る。
「私はリア。リア・マクフィーン」
今度こそ本当に、彼は驚いたようだった。
「…本気かい?」
「当たり前でしょ」
しばらくの沈黙。フォロンは顎に手をあてて黙った後、また口元にあの笑みを浮かべる。
「わかった、リア。退屈になったら遊びに来るよ」
リアは笑って頷いた。
「私の所に来てね。今回みたいなことは、もうしちゃダメだよ」
「努力する」
リアに睨まれて、フォロンは肩を揺らして笑ってみせた。本物の人間よりも人間らしく。
思わずその綺麗な笑顔に見惚れてしまって、リアは顔を赤くした。
「リア」
背を向いていたフォロンが思いついたように振り返って、リアの顔を覗き込む。
「友達になろうと言ったのは、私が美形だったからかい?」
「は…」
リアが反応を返す前に、彼は素早く頬にキスをして、笑った。
ような気がした。
彼女が気付いたときには、彼の姿はもう消えていたから。