第2話
ルーセルが真っ青な顔で部屋から飛び出して行くのを、リアは視界の端に捉えていた。
怒りでよく前が見えない。
アレンはきっと涼しい顔で隣に立っているだろう。何か会話が交わされている。
彼が部屋から出て行くので、リアも慌てて後を追った。
「さっき、どうしてあんなこと言ったんですか」
早足で歩く背中に問う。
自分の声が非難がましく聞こえることはわかっていたが、特に悪いことだとは思わなかった。
リアは全てのものに対して怒っていた。
ルーセルを傷つけたアレンにも、それを止めなかった王にも、そして全てが終わってから、彼の後を追うしかない自分にも。
アレンは感情の読み取れない声で、歩調を緩めず言った。
「王子には悪いことをしたと思ってる。でも計画の邪魔だ。彼がいたら、正確さを欠いてしまう」
きっぱりと言うアレンに、咄嗟にリアは言い返せない。
「王の依頼は魔族の抹殺だ」
「じゃ、じゃあ…アンは見殺しにするってことですか」
ようやくアレンが足を止める。
どうしてこの人はこんなにも、人の命を軽んじられるのだろう。
「じゃあ聞くが、例えばアンを助けたとして、それで紫水晶が奪われてもいいのか?」
「だって…これじゃああんまりです!」
せめて「努力する」とだけでも、言ってあげられなかったのか。
せめて、アンが生きていることだけでも。
「たった1人の人間のために、この国全てが犠牲になってもいいって言うのか?」
「…!」
リアは何とか気持ちを落ち着けるように、細く息を吐いた。
「その為に、たった12才の子供を見殺しにして、それで何かを守ることになるんですか…!?」
ため息をついたアレンの瞳には、ただ面倒くさそうな感情が宿っているだけだった。
「もういい。お前、研究所に戻れ。これ以上関わるな。それで、研究所の契約書をもう1度読み返すんだな」
吐き捨てるようにそう言う。
「何歳とか、そんなことは関係ない。…この国がここまで来るために、多くの人間が犠牲になってきた。どんな国だって、数え切れないくらいたくさんの人間の、血の泉の上に成り立ってる事を忘れるな。この国を守るのが、俺達の役目だ」
それだけ言うと、さっさと踵を返して行ってしまった。
1人残されたリアは、もう怒りやら何やらでいっぱいだった。
アレンの背中を見送るのも悔しくて、元来た道を戻って走り出した。
この街に着いたのは、今日の昼だと言うのに。
太陽はもう傾き始めていた。
それにしても何という広さだろう、この庭は。
リアがいるのは王宮の中庭だった。めちゃくちゃに走っているうちに、ここまで来てしまったのだ。
「はぁ…」
彼女は重いため息をついた。
今日1日だけで、今まで信じてきたものが全て打ち砕かれてしまった感じだ。
実はリアは昔、研究所で働く魔法使いに命を救われたことがある。だからこそ、同じように人を助けたくて、誰かの役に立ちたくて、ここまで頑張ってきたのに、どうしてアンを助けることが出来ないんだろう。研究所の人間は、もっと優しくて、もっと強いんじゃなかったのか?たった1匹の魔族から、女の子1人救うことが出来ないなんて。
アレンのことを思い出し、リアは奥歯を噛み締めた。
…違う。今は自分がその魔法使いだ。彼が出来ないなら、私がやればいい。
不意に背後の茂みから音がして、リアは顔を跳ね上げた。
黒色の瞳が、リアを射抜いた。
「お…」
庭を縫って来たのだろうか、所々花粉を身につけた第2王子は、そこに座っているのが魔法使いだと気付くと、静かにその場に座った。
夕日を浴びて輝いたルーセルの瞳は、気のせいか少しだけ濡れているように見えた。
リアはそっと視線をそらす。
「魔法使い」
「…はい」
リアは頭を下げたまま首をひねる。ルーセルの声は、絶望も諦めもしていない声だった。
何か、決意の込められているような。
「僕を、西の森に連れて行ってくれ」
その瞳がリアを見据えて光る。やけになって言っているのではない、冷静な声。
それでも、やっぱり…。
「…王子。アンはもう…」
リアは言葉を搾り出す。さっきはあれほど非難していたアレンの言葉を、今自分は言おうとしている。
でも、危険があるとわかっていて王子を連れ出すことは出来なかった。
もしかしたら、アレンもこんな気持ちを味わったのだろうか。
「魔法使い」
ルーセルが遮った。口の端を上げて、どこか不敵な笑みを浮かべる。
「お前、嘘つくの下手だな」
凍りついたリアを見上げて、ルーセルは言う。
「アンはまだ死んでなんかない」
その瞳はリアを見据えたまま動かない。
「アンは本当は生きてるんだろう?だって魔族は約束を違えない。大体、紫水晶が手に入ってないのに殺すなんて変じゃないか」
それはもはや確信している口調で、リアは嘘をつけないことを悟る。
「頼むよ。連れて行ってほしいんだ。このまま何もしなかったら、アンは死ぬ。……僕が、アンを助けなきゃ」
「………出来ません」
心は痛んだが、そう言うしかなかった。ルーセルは泣きそうに顔を歪めた。
泣くかな、と思った。少し残酷な気持ちになる。
泣いて部屋に閉じこもっていればいい。そうすれば、彼の身は安全だと安心出来るから。
ああ、私にアレンを責めることは出来ないな。
リアはルーセルに向き合って、腰を屈めて目の高さを合わせた。なんだか子供を諭す母親のような気分だ。
「アンは、私が助けます」
アレンが言った意味が、今のリアにならわかる。
この王子はまだ子供なのだ。頭は回るかもしれないけれど、感情にまかせて何をしでかすかわからない。
「森は危険です。王子は、ここに居て下さい」
涙をこらえてうつむいていたルーセルが、突然立ち上がった。
「死ぬのなんか怖くない。何もしないでアンが死んじゃう方が怖い!アンを助けて死ぬなら、それでいいんだ!!」
「………」
リアは言葉を失った。
理性的な、常識的な言葉はどれも、言う意味がないとわかったからだ。
ここまで言われたら、引き下がれるわけがない。
「わかりました」
ほっと笑うルーセルを見て、魔法使いはただしと加える。
「生きて帰りましょう。3人で、必ず」
出された食事をぱくぱくと平らげるルーセルを、母親も給仕達も、あっけにとられて見ていた。
そこに父の姿はなく、第1王子は他国へ留学中だ。
食堂の広く長い机。その真ん中に、母親と息子は向かい合うように座っていた。
「ルーセル。落ち着いて食べないと、喉をつまらせるわよ……」
見かねた母親の忠告も聞かず、ルーセルは黙々と食べている。
あんなに仲の良かった女の子が命の危険にさらされているというのに食欲を発揮する息子を、王妃は複雑な面持ちで眺めた。
あっと言う間にルーセルは食事を終え、立ち上がる。
「ごちそうさまでした。おやすみなさい」
そして、彼女が返答する前に出て行った。
「どうしちゃったのかしら…?」
彼女は複雑な気持ちで首を傾げた。
「誰も入るな」と言い残して、ルーセルは扉を閉めた。メイドは彼の気持ちを勘違いしたのか、何も言わずに通路に消える。
それを見送ってから、彼は扉を閉めベットのシーツを剥ぎ取った。
ここは3階だ。
抜け出すには魔法を使うのかと尋ねたルーセルに、魔法使いはにやりと笑った。それなら、とっておき
の方法がありますよと。
外の窓から音がしたので、ルーセルはそっと近づいた。
「私です」
そっと辺りをうかがうように入って来たのはリアだった。彼が目を丸くしている前で、彼女はなにやらシーツをぐるぐるとほどいている。
「外から来たのか…?」
「そうです。上から」
と言いいながら、楽しそうに上を指差す。よくわからない。が、ルーセルの目はリアの手の中に奪われた。
シーツの中から杖が出てきたからだ。
「うわぁ」
思わず歓声がもれる。こんな間近で杖を見たのは初めてなのだ。
「触ってみてもいい?」
「どうぞ」
持ち上げてみると意外に軽い。指の先からひじくらいまでの長さだ。すいぶんと古い木だ。自然に生えるのだろうか、ぐるぐると渦を巻いている。先端の方は細くなっていて、青い宝石がいくつかちりばめられ、見た事のない字が躍っている。
「すごい…。どうやってこんな…」
振り向くとリアはシーツを結んだり伸ばしたりして、ロープを作っていた。その手つきの鮮やかさにルーセルは目を奪われる。おまけに、出来たロープはどうやってもほどけなかった。
「ええ…?」
「これ知りませんか?」
「うん」
素直に頷くと、リアはいたずらっ子のように笑った。
「じゃあ後で教えてあげますよ。私の住んでた所では、子供の頃は皆こういう事をやるんです…ってそんな事言ってる場合じゃなかった」
言われてルーセルは黒いフード付きマントをかぶった。腰には短剣を収める。
他の雑多な道具をベットに放り出し、真ん中辺りに寄せてから、ふとんをかける。これでももし誰かが覗いたとしても、寝ていると思うはずだ。
電気を消して、バルコニーに出る。
そこにはすでに黒いマントをかぶったリアがいて、バルコニーの手すりにさっきのシーツを結んでいた。所々に足をかけるための結び目を残しながら、下へと伸びていく。
「こうやるんですよ」
そう言ってバルコニーから身を乗り出すと、シーツにつかまりながらするすると、あっという間に下に降りてしまった。
ルーセルはただ口をぽかんと開けるしかない。
最初は怖くてどきどきしたが、すぐにそれは面白さへのどきどきに変わった。
子供の身軽さでロープに移ると、リアのように降り出した。
もうすぐ春だと言っても、夜の風はまだ冷たかった。
「さすが。男の子はこういうの旨いですね」
リアの方がすごいと思ったが、言うのは止めておいた。だって普通、若い女の人はこんなこと知らないはずだ。
「このシーツ…このままで大丈夫なの?」
リアは意味ありげに笑うと、手を伸ばして1番下の結び目をほどいた。そして現れたシーツの橋を引っ張ると、何故だかシーツの結び目がどんどんほどけて、手すりの結び目までほどけて、全部のシーツが落ちてきた。
得意そうなリアを尻目に、ルーセルは不安そうに呟いた。
「どうやって帰るんだ…?」