10話 実食!マンドラゴラ
マンドラゴラの捕獲のために激闘を繰り広げた数日後、俺はエミィに呼ばれて椅子についていた。
「さて……エクス、あなたお待ちかねの、マンドラゴラの実食よ」
「楽しみ過ぎて夜しか寝られなかったぜ」
「あなた昼寝メチャクチャしてるでしょ」
してたわ。
ともかく、そのくらい楽しみにしていたので、俺はワクワクして仕方なかった。
何せ、マンドラゴラである。食べた味が全く想像つかない。おいしいのかな。楽しみ。
「まず、結論から言うわ」
ごとごと色んな準備をしながら、エミィは言う。何だろうかこれ。網に、何やら燃料入りの瓶のようなものが用意されている。
「マンドラゴラは、おいしいわ」
「おっ、マジでか!」
「ええ、食べたわけじゃないんだけど、含有している成分がちょっと知ってる奴でね。あ、じゃあおいしいんだ、っていう結論になったわ」
「おぉ……! じゃあ早速食べようぜ!」
「ただし!」
エミィは強い口調で言った。俺は今にもフォークを持つところだったのが、停止させられる。
「ゆっくり食べること。そして私の説明、一通り聞いて、理解してから食べること。それだけは守って。いい?」
「え……な、何だ。どういう事なんだ」
「まぁまずは聞きなさい」
エミィは準備を終え、俺を冷静な目で見てきた。
「マンドラゴラに毒があるのは知っているわね?」
「ああ、知ってる」
「麻薬成分に近いものもあるって話も、分かってるわね?」
「まぁ……? え、でも流石に抜いたものを食べるんだろ?」
「……」
「え、違うの?」
この話もしかしてマズいか? だいぶグレーな感じがしてきた。
「まず、毒について話すわ」
「はい」
これから収穫した野菜を食べるだけだというのに、食卓の空気はだいぶ重苦しい。
「私の分析したところ、マンドラゴラにはとあるアミノ酸が入っていることが分かったわ」
「あみ……?」
「興味ないだろうから軽く流すけど、これがいわゆるマンドラゴラの毒よ。で、ここからが重要」
「はい」
俺は姿勢を正す。
「このアミノ酸が、マンドラゴラの旨みよ」
「……ん?」
俺は話がよく分からなくなって、首を傾げた。
「旨みって言うのは、つまり、何だ。ん?」
「マンドラゴラのおいしい部分、ということね」
「なるほど。え、さっき毒って言ってなかったか?」
「言ったわ」
「なるほど。……ん?」
俺はさらに訳が分からなくて、首を傾げてしまう。
エミィは話を変えた。
「ところで、エクス? お酒は美味しいわよね」
「うまい。間違いない」
「でも、お酒の酔いというのは、本来人間には毒よ。アルコールという成分が、人間を酔わせるの。実際許容量を超えた飲酒は人間をダメにするでしょう?」
「お、おう……」
俺は訝しく思いながら聞き入る。
エミィは〆た。
「要するに、そういうことよ」
「……え、俺今から毒食わせられんの?」
「大丈夫、私も食べるわ」
そういう事じゃないが。
「え、毒、ぬ、抜かないのか?」
「一応抜いた奴は先にちょっと食べたのだけれど、何というか、微妙だったわ。あれなら大根の方がよっぽどおいしいわよ」
「そ、そうか……」
つまりは、こう言うことらしい。―――毒がある。だが、その毒がうまい。なので毒抜きをするとうまくない。じゃあ毒を抜かずに食おう。
俺はエミィに尋ねた。
「正気か……?」
「大丈夫よ、エクス。毒は食べて直ちに命に影響があるものではないわ。体調と相談しながら、ほどほどの量を見極めれば十分楽しめるの。お酒みたいにね」
「何だよその説得力」
エミィって常識人だと思っていたのだが、そうでもないのだろうか。俺は思わず険しい顔になってしまいつつも、マンドラゴラを見下ろす。
「もう一つ、麻薬成分だけど」
エミィは言う。
「毒の成分とそう変わるものではないわ。違法ではないし、麻薬成分だけ抜けるものでもないし、我慢して。でも今回食べたら少なくとも半年までは食べないのは、お互いのために約束しましょう」
「お、おう。分かった。……マンドラゴラってそんなに覚悟もって食べるものだったんだな」
「私もまったく想定してなかったけどね。さて、ここまでは脅かしだから、毒を強調しつつ食べられるって話をしたけど」
エミィは、ニヤッと笑う。
「正直、興味ない? マンドラゴラのアミノ酸、うまみ成分としてはその辺のお肉よりもよっぽどあるらしいのよ。それが分かって、一口は食べたいと思うじゃない?」
「……」
俺は熟考の末にこう答えた。
「人生は経験だよな!」
「さぁやるわよ、マンドラゴラの炙り焼き!」
俺たちはテンションを爆上げしてハイタッチした。やるぞやるぞやるぞ! 食うぞ食うぞ食うぞ!
エミィは冷蔵庫から、すでにカット済みのマンドラゴラを取り出してきた。脅しは本当に脅しだったらしい。やる気に満ち溢れてるじゃんエミィ。
「じゃ、火をつけて、と」
「酒は?」
「食べ合わせの問題とかあるから、今回は何もなしで行きましょ。どうせ必要ないわよ」
「その断言ちょっと怖いな……」
エミィはテキパキ準備を進め、「火よ」の一言で燃料を火に変えた。真っ赤な炎が、網を透かして揺れている。
その上に、エミィはマンドラゴラを置いた。きゅーっ、という不思議な音がする。マンドラゴラの切り身の上に、エミィは何か黒い調味料を垂らす。
「それは?」
「醤油よ。ジパングから取り寄せたの。しょっぱいだけの液体のように見えて、うまみ成分が豊富でね。多分マンドラゴラと相性がいいと思って」
熱を帯びて、マンドラゴラから湯気が上がる。醤油も身に馴染んでいる。エミィは二切れのマンドラゴラをひっくり返した。不思議な音はやみ、ジュウジュウと焼けている。
「……そろそろいいかしら。薄いし、色も透き通ってきたし」
「い、行くか?」
「そうね、行きましょう。先に言っておくけど、一切れ食べたら十分休むわよ。おいしいからってバクバク食べたらダメ」
「分かった」
俺たちはフォークで自分の小皿にマンドラゴラを移した。じっと見下ろす。こうやってみれば、本当に大根か何かに見える。
「じゃあ」
「ああ。……いただきます」
「いただきます」
チビッと齧る。エミィも同じだ。うまいといっても毒は毒。舌で転がしたりしつつ、警戒しておいた方がいい。
が、俺は舌で転がして、目を丸くした。
「……エミィ」
俺はエミィを見る。エミィも俺と同じく目を丸くして、俺を見つめている。
「え、ええ?」
「え? は? ふっ、ははっ、マジかこれ。マジかこれ!」
「うわーすっごい! おいし! びっくりしちゃった! 何よこれ、すごーい!」
二人してマンドラゴラのおいしさにまばたきしてしまう。え、うまいぞこれ。すげーうまい。マジか、これが毒か。いや、こんなうまいもん中々食えないぞってくらいうまい。
「えーマジかよ! これ、これひっどいな! 毒!? 毒がこのおいしさ!? うわー……何か、何か残酷だなぁ」
「えー、これは、これはダメじゃない? ダメよこのおいしさは。えー?」
歯ごたえは大根に近い。だが噛みしめた瞬間出てくる、しょうゆで引きたてられた素材の味が、ちょっと笑ってしまうくらいうまいのだ。何これ。本当に何これ。
次の一口は、お互いに一口で一切れ行ってしまう。おいしすぎて。そして俺たちは唸る。
「いやぁああああうめぇええええ。はぁあああ? 美味いんだが! 何だこれ! うわーうめぇええええ」
「おいしぃいいい。えぇ? 毒? 毒じゃなかったら毎日食べたいくらいなんだけど。これ毒なのぉ?」
何だか二人ともハイテンションになっている気がする。ここから十分待つまで、二切れ目までは休まなきゃなのか。うわーこれ、うわー……。
はー、とお互いに『おいしい』『これ毒なの?』という意味の言葉しか言わずにうだうだする。あー何だろうか。何にもする気が起きない。俺たちは背もたれに寄り掛かる。
「これ……やばいな……二切れ目……どう、どうする」
「分かんない……何か……分かんないけど……楽しい……」
「分かる……」
椅子に寄り掛かるのに限界が来て、俺はよろけながら立ち上がった。近くのソファに寝っ転がると、エミィも「私も~……」と俺の上に倒れ込んでくる。
俺たちは、そのままそこで力尽きた。
数時間後、目が覚めると、よく分からない高揚感も、毒による虚脱感も抜けていた。
起き上がろうとして、俺の上の重みに気付く。エミィ。小柄な彼女が俺の上に折り重なっているのを見ると、エミィはまだ眠っていた。
「エミィ。エミィ」
「う~ん……?」
俺がそっとゆすると、眠そうにエミィが目を覚ました。俺を見上げ、何度かまばたきしてから状況を思い出し、硬直する。
「……え、と」
「おはよう。体調大丈夫か?」
「え、あ、うん……」
「良かった。じゃあ退いてくれるか? このままじゃ起きれないもんで」
「わ、分かった、わ……」
ぎこちない動きで、エミィは起き上がる。窓の外ではすでに陽が落ちていて、夕焼けに照らされてその顔は真っ赤だ。
「そ、そそそそ、その……」
エミィはしばしモジモジしてから、こう言った。
「ま! マンドラゴラは、これっきりなんだからねっ!」
言って高速で片づけをし、エミィは自室にこもってしまった。俺はキョトンとしてから、「え」と言う。
「まさか、今日の夜ご飯、マンドラゴラ一切れ?」
その日の夜は、貴重な体験と交換に、ちょっとひもじい一晩となるのだった。