第2章 出会い 2
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オフィーリアの言葉が、頭の中に響く。
「覚醒前の魔力持ちにできることは、《認識》と《操作》の2つだけだ。だが、そんな時にも使える護身術がある。…お前も王族なら、もしものこともあるだろうから、覚えておきなさい」
そう言って、何度も根気強く教えてくれたオフィーリアの声。それはまるで、今のセレナを勇気づけるようだ。
今まで自力で魔力を扱えたことがなく、今日もジェイの手助けがあってはじめて魔力を引き出せた身だが、一か八か、やるしかない。
セレナは朧げな記憶を必死に思い起こしながら目を伏せ、自身の魔力に集中する。
ヘソの下、丹田と呼ばれる場所に力を込めて、魔力が自分の身体の中心に集まっていく様子を強くイメージする。
極限まで集中すると、周囲の音が徐々に小さくなってくる。そして一瞬全く聞こえなくなったその時、声を張り上げて叫ぶように、一気に魔力を吐き出す。
ここだとばかりにセレナは目を見開くと、周辺に彼女の身体を包み守るような魔力の竜巻が起きる。
「なっ…――っ」
男の驚愕の声をかき消すように、魔力の風は、男の身体をセレナから勢いよく引き剥がし、そのまま真後ろに吹き飛ばす。男は書庫中央のローテーブルまで飛ばされると、背中を強く打ちつけ気を失った。
男の拘束から逃れたセレナは、一気に全身の力が抜けたようにその場に座り込む。
まるで何キロもの距離を、全速力で長時間走り続けた後のような、疲労感と脱力感。心臓がバクバクと大きな音を立て、呼吸が上がって息苦しい。セレナは必死に胸を押さえて落ち着けようと努める。
……うまく、いった。
はじめて、ひとりで魔力を操作することができた。
魔力訓練を受けた後だから引き出しやすかっただけかもしれないが。
セレナは必死に息を吐き、呼吸を整える。
顔だけ振り返ると、男はまだ机の上で伸びている。
この部屋の扉は厚くて、外の音は中の人間には聞こえないし、中の音も外には漏れない。なのできっと、今の物音は他の誰にも聞こえていないだろう。
セレナは立ち上がり、恐る恐る男の元に近づく。
黒い短髪、白い肌、レザー製の黒いジャケットに、白いシャツと黒のズボン。耳には赤いピアス。このピアスは、第二覚醒を終えた魔力持ちが身に付ける《魔石》のピアス。魔石の中でも着用者の魔力を一定量封じる機能を持つ《魔封石》が使われているものだ。
リミッターの役割を持つそれは、カレンやオフィーリア、ジェイも身につけている。着用者の余分な魔力を吸収し、放出をある程度抑えているのだ。
ぐったりと目を閉じていて瞳の《色》は見えないが、その髪色からセレナはひとつの予測を立てる。
「……もしかして、《魔族》…?」
《魔族》……それは、悪魔の末裔と言われている種族。テオスの街より馬車で丸1日かかる距離にあるディアヴォロスの街に住んでいる。
神族と魔族は、気が遠くなるほど昔から冷戦と熱戦を繰り返していて、今も対立している。理由は時代によって異なるので、対立の始まりとなった出来事を知っている者はほとんどいない。
魔族の特徴は、夜闇のような真っ黒の髪に白い肌。そして1番の特徴は、鮮血のような真っ赤な瞳だ。
この男は瞳の色が見えないので、魔族の色を持っているのかは分からないが、黒髪である時点で魔族の血は混ざっている。
それなのにどうして、中間門の厳しい警備を抜けることができたのか。
それに、彼が言っていた禁術の書とは一体……。
気になることは山ほどあるが、このまま彼の目覚めを待っていたらまた襲われるかもしれない。先ほどのあの術が使えたのはまぐれで、次はないかもしれない。そう思い、セレナは男の身体を引きずって机から降ろし、ひとり掛けのソファーに座らせる。
セレナよりも背が高く、力も強かった男の身体は、腕力のないセレナでも動かせるほど軽い。想像よりずっと軽くて、セレナは驚き半分気の毒に思った。
セレナの腰のベルトはただの装飾品なので、外してしまっても問題はない。セレナはそれを拘束具にしようと考え、男の腕を背もたれの後ろに回させて手首を拘束する。
男が覚醒を終えた魔法使いなら、この程度の拘束は簡単に解けてしまいそうだが、何もないよりはマシだろう。
セレナは男の座るソファーの向きを男の顔が正面から見えるような位置まで引きずって変え、3人掛けソファーに腰掛ける。ソファーの肘掛けに頬杖をつき、半ばボゥッと男の顔を見つめる。
整った顔立ち、白い肌。
初対面なはずの顔を見ながら、セレナの心には不思議な感覚が入り混じる。
……どこか、懐かしい。
身に覚えのないはずの容姿、名前も知らない初対面の相手。なのに、雰囲気がどこか懐かしいような、どこかで会ったことのあるような気がしたのだ。
それは、まるで……。
「……そんなわけ、ないか」
セレナは小さく呟くと立ち上がり、先ほど落としてしまった本を拾いにいく。
その間も、男の様子が気になるようにチラチラと見ていた。
*
男は、夢を見ていた。
夢の中の自分は、いつも焦燥感に駆られていた。
認めてもらいたい、認めさせなければ。認めさせるんだ、絶対に。
そんな感情ばかりが駆け回っている。
いつも自分と戦っていた。自分の中の魔力と、自分の中に生きる獣と。
《半端者》の自分を心配するような仲間は誰もいない。認めてくれる仲間など、ただのひとりもいなかったのだ。
そんな中で、唯一彼の味方をしてくれた人。
その人は仲間ではないが、優しく、強い言葉をくれた。
――ニコラ、お前はお前のままでありなさい。それがお前の力になるのだから。
その人は、俺に唯一の役割を与えてくれて育ててくれた大切な人だ。その人のためなら、なんでもしようと決めた。けれど……。
その人は時折、何かを隠して苦しんでような、悲しんでいるかのような表情を見せる。
何があったのかは知らないが、その人の顔を曇らせた出来事が、その人の心を傷つけた人物が、何よりも許せなかったのだ。
――…認めさせなきゃ…。………んを、あいつらに………。
*
「――っ」
男はカッと目を見開く。
いつの間に寝てしまったのか…?辺りを見渡してみると、先ほどまで男が拘束していたはずの女が、3人掛けソファーに腰掛け呑気に本を読んでいる。
……思い、出した。
そこでふと、自分が目の前にいる女から魔力による《抵抗》を受けて飛ばされ、意識を失ったのだと思い出した。
男は慌てて立ち上がろうとしたが、上手く身体が動かない。振り返って見ると、手首がベルトで拘束されているようだ。
立ち上がろうとした弾みで男が座るひとり掛けソファーがガタッと音を立てる。その音で、女ははじめて気づいたように顔を上げ、男の方を向く。
「あ、起きた?」
セレナは男に声をかけながら、聞いていた本を閉じる。ローテーブルの上に本を置くと、グーッと背伸びをして男の方に身体を向けて座り直す。
緊張感の欠片もないセレナの様子に、男は戸惑いを隠せないといった様子だ。
動揺のあまり震えている男の瞳は、明るくて優しい赤。鮮血というよりも朝焼けのような色をしている。
彼が魔族だろうということはその《色》で分かったが、怯えているように見えるその姿が噂通りの悪魔の末裔とはとても思えない。
「まだ動かない方がいいよ。かなり思いっきり背中打ってたから」
侵入者相手の態度とは思えないほど呑気すぎるセレナの様子に、男は怪訝な表情を浮かべる。
心を落ち着けるようにフーッと深い息を吐くと、男は努めて冷静に口を開く。
「……どうして俺を衛兵に引き渡さない」
「うん、そうした方がいいんだろうけど、ちょっと聞きたいことがあったから。あなたを引き渡したら、聞けなくなるでしょ?」
セレナはそう答えると、男の警戒を解くように小さく微笑む。
「…あなた、純粋の魔族?」
セレナがそう尋ねると、男は目を丸くする。
「…尋問のつもりか?」
動揺のせいか、男の声は先ほどまで彼女を脅迫していた時は打って変わり、少し高い声で尋ねてくる。
セレナは否定するように首を横に振る。
「…ううん、ただ興味があるだけ。純粋の魔族と話すの、はじめてだから」
神族と魔族は、テオスの街とディアヴォロスの街に分断される前はひとつの大きな街でともに暮らしていた。
そのためか、純粋の魔族や神族は少ない。黄色い瞳を持ちながら、神族の特徴である白い髪を持たない神族寄りの半端者や、赤い瞳を持ちながら魔族の特徴である黒い髪を持たない魔族寄りの半端者。2つの種族の《色》が混ざった《交ざり者》が多いのだ。
ちなみに、ジェイも交ざり者だ。
セレナは続けて口を開く。
「純粋ってことは、ディアヴォロスの街から来たのよね?」
「…答える義務はない」
男はそうぶっきらぼうに答えながら、ふいっと目を逸らす。男の冷たい返答に、セレナは少しむっとして拗ねるような声色で言い返す。
「こっちはいきなり襲われて、何だか分からないまま刃物を突きつけられたのよ。聞く権利くらいあるでしょ」
「そんなの知るか。お前が素直に《禁術の書》について話していれば、殺すつもりも……傷つけるつもりも、なかったんだ」
そう答える男の目線が、セレナの首筋に向けられる。セレナを襲ったことを深く後悔しているような様子だが、男はそれを悟られないように、必死に隠しているようだ。
曇りのない、真っ直ぐな瞳。彼はきっと、嘘をついていない。
朝焼けのような真っ赤な瞳が、セレナの瞳とぶつかる。揺らぎのないその瞳から、彼がとても純粋な人なのだろうと伝わってくる。
しかし、セレナは振り返うようにして1度目を伏せ、口を開く。
…知らなければならないことがあるのだ。そのためには、決して引くわけにはいかない。
「まず、先に言っておくけれど、私は禁術の書なんて知らないし、見たことも聞いたこともないわ」
「嘘をつくな。お前は俺と同じだろう」
男は完全に確信しているかのように、そうはっきりと言い放つ。セレナもはっきりと否定したつもりだったのだが。男はセレナの言葉を信用しなかったようだ。
セレナは言いにくそうにこめかみを掻くと、仕方ない、というようにため息を零す。
「…同じ、魔力持ちって意味なら間違ってないけど、私は遅咲きだから、魔法書はまだ読めないのよ」
セレナの答えに、男は心底驚いたように目を丸くして黙り込む。
《禁術の書》が魔法書の類なのであれば、セレナはそれをまだ読むことはできない。
全ての魔法書には、第二覚醒前の魔力持ちや普通の人間が間違っても開くことができないように、簡易な封印魔法が施されている。
第二覚醒を終えたものは、一番初めに魔法書の封印を解くための解除魔法と、再び封じるための封印魔法を教わり、それを使いこなせるようになってから初めて魔法書を読むことができる。なので、《遅咲き》のセレナにはまだ読めないのだ。
セレナは男の反応にむっと顔を顰める。信用を得るために話しただけなのに、そこまで驚かなくてもいいじゃないか。
「悪かったわね。どうせ出来損ないですよ」
セレナが不貞腐れたようにしてそう言うと、男はハッと我に返り申し訳なさそうな顔をして口を開く。
「いや、悪い。そんなつもりじゃなかったんだが……」
そう謝って頭を下げかけてから、男は急に自分の立場を思い出したかのように、いやいや違うだろ、と口の中で呟きながら首を振る。
表情をコロコロと変える男の様子を見たセレナは、あまりにおかしくて思わずプッと笑う。普通相手の機嫌を損ねたからといって、侵入者が侵入した城の人間に対して頭を下げたりするだろうか。
いや、しない。
この人は、悪い人ではない。