第1章 黒い影 1
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誤字があれば、また修正します。
「魔法とは、己を映す鏡である」
天井の高い大広間に、女性の冷たい声が響き渡る。
大広間にはセレナとその背後で控えているカレンの他に、数名が集まっている。そのほとんどが、セレナよりも年下の少年少女たちだ。
彼らは先ほどまで落ち着きなくソワソワと辺りを見渡していたり、近くの者と談笑していたりと少々騒がしかったが、その冷たい声で一気に静まり返った。
セレナを含む一同の視線が、声のした方へ向けられる。
その女性は、目の前の中央階段の上に立っていた。
白銀の、腰まで長い長髪。黄色よりも黄金に近い瞳は、神族の始祖と言われている女神と同じ《色》であることから、彼女のような瞳を持つ神族は《先祖返り》と呼ばれている。
髪色と同じ白生地に、金の刺繍があしらわれたエンパイアドレスに、5月だというのに冬物の、裏地が赤色で引き摺るほど丈の長い黒のマントを羽織っている。
一方のセレナは、外出用に用意していた紺色のミモレ丈のドレスに、腰には白いベルトをしていた。
「……あれが《大賢者》様?」
「40歳だって聞いてたけど、うちの母さんより若そうだな」
彼女の姿を初めて見たのであろう数名の子供たちが、コソコソとそんなことを呟き合っている。
彼らの驚愕の理由を、セレナは身をもって知っている。
セレナが彼女と初めて会ったのは3歳の頃だが、現在の彼女の容姿は当時と全く変わっていない。彼女の兄が年相応な見た目をしているのに対して、20代のまま変わらぬ姿の彼女に、親戚であるセレナも会う度いつも驚かされているのだ。
赤も黒も、《悪魔》の色としてこの街では忌み嫌われている色だ。それを、まるでなんでもないことのような涼しい顔で着こなしているその女性こそ、バラク公爵当主にして《氷の王女》、オフィーリア・H・バラクだ。
恐怖に似た緊張の中で、オフィーリアはいつの間にか傍らに控えていた銀髪の従者に手を引かれ、ゆったりとした足取りで階段を降りてくる。
左手を従者に引かれ、もう一方の手でスカートの端を軽く持ち上げて、セレナたちのいる大広間まで降りてくる。表情は冷たいが、所作は優美で神々しい。セレナは思わず見惚れてしまった。
……私の憧れ。
その黄金の瞳は、まさしく氷の王女と呼ばれるに相応しく、ひと睨みされるだけで凍りつきそうなほどに鋭い。
――魔法とは、己を映す鏡。
月に2度、魔力持ちの子供たちのために無償で開かれている『魔力教室』の始まりに、彼女が必ず口にする言葉だ。
ちなみに教室の名前が『魔法教室』ではなく『魔力教室』なのは、ここでは魔法の訓練を一切行わないからである。
階段を降り切ると、オフィーリアは子供たち一人ひとりの顔を確認するように見回してから、再び口を開く。
「……初めての者も多いようだから念の為自己紹介をしておこう。《三大賢者》がひとり、《Silver disaster》だ。一応このバラク家の当主でもあるが……まぁ、それはどうでもいい。我々にはそんなもの、関係ないからな」
男性のような勇ましい口調。《大賢者》として話をする時の彼はいつもそうだった。
レヴィン王国の王都であるテオスには、魔力持ちが何人かいる。《先祖返り》の魔力持ちは特に魔力量が多く、特殊な魔法が使える者、複数の魔法を同時に使える者ばかりだ。
そんな《先祖返り》の魔力持ちには、国から《神官》もしくは《賢者》という特別な役職が与えられる。どちらに就けるかは本人の魔力量と素質次第だ。
賢者は神官よりも魔力量が多い者が選ばれる。彼らは主に《研究》することが仕事で、新たな魔法の開発や、魔力を動力として動く《魔法器具》を開発して商人に卸している。
オフィーリアが「関係ない」と言ったその意味を知っている子供はただ黙って話の続きを待っているが、数名は分かっていないようで、不思議そうに首を傾げている。
オフィーリアはそんな様子に気づくと、音なく吐息を漏らして口を開く。
「神官と賢者は、魔力量や技量において明確な違いがある。しかし、元は同じ先祖返りだ。我々先祖返りは、王族・貴族・平民といった肩書きに囚われない神の再来。私の《バラク》という家名も肩書きも、全ては形だけのものだ」
そう説明されると、不思議そうな顔をしていた者たちは半分納得したように頷く。
彼女の言葉の通り、この場には貴族の子供と平民の子供が混在している。
貴族の世界では、自分たちが平民と同じ空間に、同じ《生徒》という立場で存在するという状況はあり得ないことだ。それは、平民側も同じ。
しかし、魔法の世界、特に先祖返りの世界では、人とは皆同じ肉の塊であり、そこに王族や貴族、平民といった肩書きは無意味だという考え方が普通なのだ。
何度もこの教室に参加しているセレナにとっては見慣れた光景だが、初めて参加したのであろう子供たちは、己の常識とかけ離れた状況に困惑して辺りをソワソワと見回してしまうのだ。
「…これから訓練を始める前に先に言っておくが、この教室で私が君たちに魔法を教えることはない。私がここで教えるのは、あくまで魔力の扱い方のみだ」
オフィーリアがそう言うと、知らなかったのであろう一部の子供たちがどよめき声をあげる。
中には、こんな声も聞こえてきた。
「魔法使いなのに、魔法を教えないって?」
「俺たちを魔法使いにしないつもりか?」
「大賢者様、噂通り氷のように冷たい人なんだな」
最後に聞こえてきたその言葉に、セレナは眉根を寄せてムッとする。
どうせ聞こえていないと思っているのか、「自分より強い魔法使い誕生するのが嫌なんだ」だとか、「本当は魔法を使えないんじゃないか」だとか好き勝手な言葉まで聞こえてくる。
強い魔力を持っている者は、視力や聴力にも優れている。彼らの不満や誹謗は間違いなくオフィーリアの耳に届いているはずだ。
だが、オフィーリアは気にすることなく、慣れた様子で口を開く。
「…君たちも知っての通り、魔法には流派がある。古代の魔法の言葉を詠唱する《オリジンヌ》派。自らの言葉を詠唱して魔法を実現する《エール》派。無詠唱で魔法を実現する《イマジナシオン》派。他にも杖や道具を使う者、妖精や精霊の力を借りる者、己の魔力だけで魔法を実現できる者と様々だ。どれを教えるかは、何ができるかによって変わってくる。ここにいる者が全員同じ流派を実現できるならばともかく、皆がそれぞれバラバラの流派を扱うならば、私ひとりで教え切ることは不可能だ」
オフィーリアの言葉に、半数の者は納得するように頷き、もう半数はあまり理解できていないらしくポカン、としている。
セレナはこの手の説明を数十回聞いているため、受け流すようにしてただ聞いていた。
魔法学校は貴族街にも平民の住まう下町にも存在している。だが、魔力操作を教える教室を開いているのはここ《トレゾール邸》だけだ。
15年前までは、魔力操作は魔法使いに家まで来てもらって習うもので、資金に余裕のある商人や王族・貴族だけが教わっていた。
オフィーリアの話にポカン、としているのは、皆貴族の子供たちばかり。彼らにとっては、たかが魔力操作のためだけに教室に通うこと自体理解し難いことなのだ。
「……一方で、魔力操作は答えは違えどやるべき事は同じだ。それに、魔力操作は魔法を扱う際にも役立つが、それよりも、君たちがこれから経験する《第二覚醒》にも大いに役立つ技術だ」
オフィーリアが続けた言葉に、セレナの心に暗い影が再び降りてくる。
……《第二覚醒》。
魔力持ちが《魔法使い》になるために重要な過程。
平均的に10歳から15歳までには見られると言われている。
この場に生徒として訪れているのは、皆6歳から10歳ほどの者たち。そんな中で唯一の16歳であるセレナは、明らかに浮いている。彼らにとって、セレナの存在は様々な意味で異質だろう。
セレナは肩を落とし、ため息を吐く。いたたまれないような気分になったが、仕方ない。セレナはこの年齢になっても、まだ覚醒できていないのだ。
オフィーリアは説明を続ける。
「我々が持つ魔力は、いわば自分自身だ。己の心次第で、いかような姿にも変化させることが出来る。だが、危険も伴う力だ」
オフィーリアは再び辺りを見渡してから、一呼吸おいて子供たちに問いかける。
「君たちの中で、魔力は万能であると一度でも考えたことのある者は、手を挙げろ」
突然の質問に、一同が戸惑いの声を上げる。
皆質問の意図が分からず、困惑している様子だ。だが、この質問も冒頭の言葉同様オフィーリアが必ず尋ねてくるものなので、セレナはやはり聞き慣れていた。
少し間を置いてから、半数以上が恐る恐る手を挙げる。
オフィーリアはそれを見て、「そうか」と呟くと子供たちに手を下げるように促し、話を再開する。
「…確かに、魔法は万能に近い。草1本生えない枯れた大地に花を咲かせたり、ただの石ころを金へと変えたり、不治の病を治したりすることもあるだろう。……だが、我々魔力持ちは、なんでも出来るからこそ、してはいけないことがある」
――できるのに、してはいけない……?
この場にいるほとんどが、そんな疑問を持ったであろう。どういうことだとばかりにざわめき始める。
まだ難しいことを全ては理解できない彼らには、オフィーリアの言葉は難解だったに違いない。正直、セレナ自身も全てを分かっているわけではないのだ。
ザワザワと騒ぐ子供たちの声が、大広間に響いてオフィーリアの説明を中断させている。このままでは話が進まない。
オフィーリアが制止するようにスッと手を上げると、その様子に気づいた子供たちが徐々に静かになっていく。
完全に静かになるのを待ってからオフィーリアは手を下ろし、ようやく説明を続ける。
「先ほども言ったが、魔法は己を映す鏡だ。鏡に必要以上に力を込めたら、どうなると思う」
「……壊れる……?」
オフィーリアの目の前に立っている9歳ほどの平民の少年が小さな声でそう答えると、オフィーリアはその子供を見下ろし、静かに首肯する。
「その通り。鏡は粉々に壊れ、その破片が辺り一面に飛び散り、己だけでなく傍にいる他人にも危害が及ぶ。魔法とは繊細なものだ。そのため我々には禁止事項や、守らねばならない理が山とある。それは己や他人を傷つけないためでもあるが、この世界を壊さないためでもあるのだ」
そう言うと、オフィーリアは自分の目の前で手のひらを上にして開き、そこから無詠唱で氷の塊を出現させた。
彼女が《氷の王女》と呼ばれる所以ともいえる、攻撃型の氷系魔法だ。
シャンデリアのようにキラキラと光るそれを、手の中で弄ぶようにしてクルクルと回している。
その姿に、子供たちの間から感嘆の声が上がった。
そんな子供たちの反応を無視して、彼女は言葉を続ける。
「魔法は、術者の望みや願いを映し出す鏡。とはいえ、望みのまま無理やり実現できるほど都合の良いものではない。実現するには、世界への理解と正確な魔力操作が重要だ。どちらか一方でも足りなければ、その見返りは己の精神、肉体、もしくは世界そのものにくる。だから我々は、自分にできる限界以上を求めてはならない。一歩間違えば、己だけでなくこの世の全てを破壊しかねない。我々の力は、そういうものだ」
厳しい口調と共に、彼女の手の中で金属音のような甲高い音を立てて氷が砕け散る。
脅しにも似たオフィーリアの言葉に、この場にいるほとんどの子供たちの顔が青くなり、怯えるような表情を浮かべている。だが、彼女の言葉は脅迫でもなんでもなく、また大袈裟に言っているわけでもない。実際の歴史をもとにした、れっきとした忠告だ。
自身の魔力に心を飲み込まれて、命を落とした魔力持ちは過去に何にも存在する。その時は幸い、国を巻き込むような事態にはならなかったそうだが、それでもいつ周囲を危険に巻き込んでもおかしくないほどの暴走ぶりだったらしい。
巻き込んでからでは遅い。失ったものは、取り戻せない。