第7章 魔力訓練と無人の墓 3
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それから数日。セレナは初日と同じ時刻に廃校を訪れ、ニコラオスに魔力を教わった。
訓練開始から5日も経つと、ニコラオスとセレナは互いに心を開きつつあった。が、聞こえてくる魔力の声の内容は、初めの頃と何も変わらない。
魔力の声の意味について知るために、セレナは己の身の上話をした。
無関心な母、冷たい父、後継者としてしか見ない周りの大人たち。そんな中で、自分は乳母のカレンと従兄で婚約者のクラニオだけを頼りに生きてきた。
しかし、そんな乳母は高齢によりセレナの傍にいる時間も少なくなり、2年後セレナが成人する頃には引退することが決まっている。そして、クラニオはマギーアの副隊長として多忙な毎日を送っており、なかなか会える機会がない。
傍にいる時間が短くなってしまったことで、セレナの中でカレンやクラニオに対してモヤモヤとした嫌な感情を抱きつつあることに気づいていた。その感覚は、特に彼らが平気で魔法を使う時に襲ってくる。
その正体についても深く知ろうとすると、何故か急に怖くなって考えることをやめてしまう。分かるのはその感情が、決して良いものではないということだけだ。
そんなセレナの話を聞いて、ニコラオスは口を開く。
「……それって、自分にはできないことを平気でやってのける2人に嫉妬してたんじゃねぇの」
ミロワールを持ったまま椅子に腰掛けていたセレナは、同じく少し離れた場所に座るニコラオスをチラッと見上げる。
「……そう、なのかな」
「自分の気持ちなのに、どうしてそう自信がないんだ」
「だって、カレンもクラニオ従兄様も、私によくしてくれるのに、嫉妬なんて……」
「誰だって嫉妬はする。それは相手が誰であっても同じだ。……俺も、似たような感情を抱いたことがある、というか、今も持ってる」
「え……」
驚いたようにセレナが顔を上げると、今度はニコラオスが己の身の上について語り始めた。
ニコラオスは、自分の父親について何も知らない。どこの誰で、どんな人間で、今も生きているのか、既に死んでいるのかさえ知らない。彼の母も語らないし、ニコラオス本人も聞こうとも思わなかったという。
生きていようが死んでいようが、相手は自分と母をおいていった人間だから。
今年19歳になるニコラオスは、19年間母親と2人だけで生きてきた。
母は純粋の神族で、自分は魔族寄り。容姿もほとんど似ていない親子だが、それでもニコラオスは、母を尊敬している。
母は力は弱いものの一応魔力持ちで、特に隠密型の闇系魔法と幻術系魔法を得意としている。その技術はディアヴォロスでも軍を抜いていて、彼女がひとたび姿を消せばどんなに強い魔力持ちだとしても決して感知ができないほどだ。
そんな彼の母は、強く優しく、美しい女性だという。
厳しくも優しくニコラオスを導いてきた母。 ディアヴォロスの魔族たちに不信感を抱かれようとも、陰で「穢らわしい女神」だと言われようとも、母はニコラオスの前では決して笑顔を絶やさなかった。
だが、そんな母が最近、時折どこか遠くを見つめて、悲しげな表情をすることがある。
ニコラオスが声をかければまたすぐにまた笑顔に戻るが、それからも母は、ひとりでいるとどこかを見つめて悲しげに顔を歪ませているのだ。
胸の中で、モヤモヤとした感情が渦巻く。ニコラオスは、母にそんな顔をさせる人間が心底憎く、また母がそんな顔をするほど思っている人間を、心底妬んだ。
一体、誰を思って悲しんでいるのか?
何度聞こうと思ったか分からない。だが、聞けない。
恐らくそこは、母の《聖域》だ。
強い母の唯一で最も脆い場所。他人はもちろん、己が決めた者以外は踏み込むことが決して許されない場所だ。
常に笑顔だけを向けられるニコラオスには、触れられない。何よりそれが妬ましくて仕方がないのだと。
そんな母を見つめ続けたある日、ニコラオスは気がついた。母の視線は、たとえどこにいても同じ方向を向いていることに。
母の視線の先にあるもの、それは。
――…テオスの街。
ニコラオスは母の視線の先にそれがあることから、母を悲しませる元凶がテオスにあると考えた。
それがテオスの街そのものなのか、テオスの街にいる誰かなのかは分からない。だが、母の悲しみの理由にテオスが関係していることは確かだと思ったニコラオスは、今回テオスに侵入したのだという。
「…それで、分かったの?」
「いや、まだだ。母さんはテオスに着いて以降はそんな顔をしなくなったし、むしろ楽しそうに次の作戦を練っていた。だが、母さんの悲しみがなくなったわけじゃない。だから、絶対に突き止めてみせる」
セレナはその話に、心底心を打たれた。
やり方は強引でも、ニコラオスの根底には母親への深い情がある。母の悲しみを拭いたい。その願いのために、力を振るっているのだ。
そう気づいた時、セレナは改めて思った。
クラトス王は何故、ディアヴォロスの者たちを嫌うのか。
ニコラオスのような者たちばかりとは限らないかもしれないが、少なくともセレナの知る魔族寄りは、悪魔のように残酷で冷酷な人間ではない。きっと話し合えば分かり合えるのではないか。
そうニコラオスに打ち明けると、彼は諦めているかのようにため息を吐き、言葉を続ける。
「難しいと思うぞ。クラトス王が憎んでいるのはディアヴォロスの奴全員というよりは、半端者の王ひとりだ。半端者の王は、24年前に起きた、王と王妃の事故死に関わってるらしいからな」
「えっ、そうなの!?」
驚きのあまりそう声を上げるセレナに、ニコラオスは頷く。
「記録には残っていないけど、ディアヴォロスの間ではそう言われてる。ポリュデウケス王の時代までは、魔族や魔族寄りへの待遇が酷かったからな。半端者の王は、そんな王を殺して魔族を救った王だって話だ」
「…そう、なんだ」
「とはいえ、ディアヴォロスでも意見が割れてるんだ。半端者の王は俺たち魔族の『希望の星』だとか、その逆に、『魔族に近いくせに神族の国の王になった裏切り者』だとか」
セレナはその話を聞いてから、再びミロワールに視線を落とす。
その中で揺らめく青い炎は、見方を変えれば青白い星の光のようだ。『魔族の希望の星』、『神族の王となった魔族の裏切り者』、『異母弟殺しの大罪人』、そして、『街を混乱させた魔王』。
死して尚、半端者の王は人々の記憶に刻まれている。そしてその大半は悪評ばかりだ。
半端者の王は、どうしてそこまでして王になったのか。何故自身の姪であるオフィーリアを妻にしたのか。そして、何故そこまでしたのに最後に自害を選んだのか。
知りたい。父に対する抵抗のためではなく、ただ単純に、半端者の王が『その先』に望んでいたことを。
そこまでして手に入れたかったものが、何なのかを。
セレナは少し考えたのち、ニコラオスに尋ねた。
「ねぇ、ニコラの望みって、何?」
「俺の……?」
尋ねられたニコラオスは、天井を見上げて考えるようにうーん、と唸る。
ニコラオスの世界では、母親の存在が全てだ。母の悲しみを払い、母の望みを叶えることが、今の自分の望みだ。だが……。
「……本当の意味での『ただひとつの願い』っていうのは、まだ分かっていないのかもしれない。俺はディアヴォロスで生まれた半端者じゃないから、幼少の頃はよくよそ者扱いされてた。まぁ、今でも言ってくる奴はいるけど。俺は、そんな連中に自分のことを認めさせたかったんだ」
「……認めさせたい」
そう呟いてから、セレナは彼の境遇に激しく共感する。
それは、幼い頃のセレナにも共通する感覚だ。王の唯一の後継者として生を受け、女王になる以外に自分に生きる価値はないのだと思ってきた。
実際周りは、セレナを後継者としか見ないし、父も、「お前は私の後を継いで女王になるのだ」と何度も言い聞かせてきていた。
女王になれば、皆が自分を見てくれるのか?
後継者として懸命に学べば、父も母も、自分を認めてくれるのだろうか?
懸命に勉強をして、知識と教養を身につけて。そうすれば何かが変わると思っていた。
だが、現実は違った。
周りが自分を《自分》として見てくれることはないし、母もこちらに関心を向けてくれることはない。そして父は……。
そう考えるようになってから、セレナは努力することをやめてしまった。何をしても無駄だと、何も変わらないと思ったから。
思い出して気持ちが沈みかけていたセレナだったが、ニコラオスの「けど」という声にハッと我に返った。
ニコラオスは言葉を続ける。
「そんな時、母さんが言ったんだ。『お前はお前のままでありなさい。それがお前の力になるのだから』って」
「――っ」
「そう言われた時、俺はもう俺のことを見ない他人なんかどうでもいいと思った。俺を俺として見てくれる母さんのために力を尽くしたいと思った時、俺の魔力は覚醒した。…それが俺の『ただひとつの願い』なのかは分からないが、少なくとも俺の願いに最も近い望みなんだろう」
自分を自分として見てくれる存在。それは、セレナの周りには今までほとんどいなかった人間だ。あまりに周りが自分のことを王女としてしか見ないため、もうすぐ自分の元から離れてしまうカレンや、多忙でなかなか会えないクラニオのことまで、そういう人間なのではないかと疑ってしまうほどに。
認めさせたい、認められたい。
その願いのさらに先にある思い、それは……。
……………たい。
セレナはスクッ、と立ち上がると、水晶玉を両手で軽く包むようにして持つ。
魔力を流し込み、その中の青い炎を己の魔力の色として最近ようやく定着したエメラルドグリーンへと変える。
自分の心が安らぐ色として、セレナはここ数日カレンをよく観察した。それで気がついた。カレンの瞳の緑は、魔法を使っている時に淡い光を放つ。その光と瞳の色が混ざって、宝石のようなエメラルドグリーンへと変わるのだ。
これまでは、魔法を使う時のカレンをあまりよく見ていなかったのだと、セレナは今気がついた。それは恐らくニコラオスの言う通り、彼女への嫉妬によるものだったのだろう。
自分にとって母であり、祖母であり、同じ遅咲きの魔力持ち。尊敬と親愛と、少しの嫉妬が合わさり、セレナの魔力の色は定着したのだ。
そうして炎の色を変えると、セレナは目を伏せてさらに深いところを探る。
己の望み、目的、この力を一体何のために使いたいのか。
すると、セレナの頭の中で『あの声』が再び響き渡る。
――望みは、何?
その声に応えるように、セレナは心の中で呟く。
……父の秘密を、知りたい。
するとさらに、『声』が問いかける。
――それを知って、どうするの?
それは、ニコラオスにも問われた言葉。ニコラオスに問われた時から、セレナが何度も考えてきた言葉だ。
セレナはそれに応じて答える。
……父に、私を見てほしい。
――何故見てほしいの?
……私は。
セレナの脳裏に、幼少の頃の記憶が過ぎる。
*
セレナは5歳の頃、カレンと共に裏山に散歩に来て、そのままカレンとはぐれてしまったことがあった。
幼い頃の記憶なのでセレナはあまり覚えていないが、突然道が歪んだように見えたと思ったら、いつの間にかカレンの姿が見えなくなっていたのだ。
山の夜は、生まれた頃から明かりの絶えない夜しか知らない少女には、死と同等の恐怖だった。
辺り一面真っ暗闇。フクロウの鳴き声や、獣が草木を駆ける音すら恐ろしくて、セレナは涙を流していた。
……怖い、怖いよ。
誰か、助けて。
恐怖のあまり声は出なかったが、セレナはそう心の中で叫び続けていた。
しかし、当然のように返答はない。
諦めかけたその時、セレナはひとりの男に抱きしめられたのだ。暗くて見ただけでは、それが誰か分からなかったが、その後に聞こえてきた声で、セレナはその男の正体にすぐ気がついた。
「セレナ!!」
低い、大人の男の声。大きな体。山道を必死で走ってきたのか、息は切れ、上質な布の衣装はところどころ傷ついている。
「…父、上……?」
「無事だな、怪我はないか?痛みは」
「あり、ません……」
「そうか」
そう答えると、クラトスは安堵したようにはぁ、と大きな息を吐く。
はじめの焦燥した様子で名前を呼んでいた姿とは打って変わって、冷静に怪我の有無を尋ねてくるクラトス。
セレナは、一瞬父が別の人間と入れ替わったのかと思う程に驚いた。だが、そのあとはセレナから体を離していつものように冷たい目でセレナを見ながら叱責してきたので、その驚愕は一気に消えたのだった。
*
……当時は深く考えもしなかったが、ひょっとすると父は、あの時この世の終わりかと思う程に恐怖し、自分を心配してくれたのではないか。
そう考えた時、セレナの中でひとつの、小さいが絶対にして唯一の望みが生まれた気がしたのだ。
セレナの望み、それは……。
………父に、愛されたい。
そう答えると、セレナの手の中で水晶玉が強い光を放つ。
ニコラオスはそれをみて思わず立ち上がり、セレナは驚いたように目を見開く。光は数秒ほど教室内を照らし続けたかと思うと、スゥーッと消えて、元の青い炎に戻った。
少し間を置いて、ニコラオスが声を上げる。
「おい、やったぞ!今のは覚醒の兆候だ」
「ほん、と……?」
「あぁ、こいつができるようになれば、数日後には覚醒が始まって、高熱が出る。それを乗り越えられるかどうかはお前次第だけど、とりあえず一歩手前までは来たってことだ。やったな!」
歓喜の声を上げ、ニコラオスは子供のような満面の笑みを浮かべている。
覚醒の兆候。
これまで見込みのなかったセレナにとって、その言葉は全く現実味がない。だが、自分の目の前でまるで己自身のことのように喜んでいるニコラオスの様子を見て、セレナはようやく現実なのだと悟った。
ついに自分は、覚醒に近づくことができたのだ。
セレナの瞳で涙が光った。と同時に、満面の笑みを浮かべ、ニコラオスに勢いよく抱きつく。
「お、おい?」
突然のセレナの行動に、ニコラオスは戸惑うようにそう尋ねる。行き場の分からない両手をセレナの後ろで泳がせながら、自分の胸に顔を埋めるセレナの頭を見下ろす。
すると、「よかった……」という、涙に震えながらも歓喜に満ちたセレナのくぐもった声が返ってきた。と思うと、目に涙をたっぷりと溜めたままニコラオスを見上げる。
今にも涙が溢れ落ちそうな涙。しかしその顔に浮かんでいるのは喜びの笑みだった。
「ありがとう、ニコラ」
涙よりも先に、セレナの口から零れたのは心からの感謝。その心にあるのは、本当の願いを知ったことへの喜びと悲しみ。
セレナは理解した。自分が長年求めてきたものは、魔力でも、権力でも、真実でもなかったのだ。ただ何の障壁もなく、たとえ王女であろうとなかろうと、誰かから真っ直ぐに愛され、自分も相手を愛せることだけだったのだ。
愛のない結婚のせいで、自分の娘に関心を持たない母には、それを求められない。クラニオから妹のように大切にされても、カレンから娘か孫のように大切にされても満たされないのは、本当に愛されたかった、認められたかった者たちに、愛されていないと絶望したからだ。
……あの夜。あの、暗い山の中で。
初めて見た、父の必死な姿。
あの時、本当は、父は愛情を持って自分を見てくれているのではないかと思った。その希望は、年月と共に消えていってしまったと思い込んでいた。クラトス王はどこまでも冷たい男で、愛情という言葉を知らないのかという程に無情な《表》の顔ばかり見せるから。
だが、セレナの心の奥には、まだその希望が残っていて、魔力と共に覚醒される日を待っていたのだ。
涙で瞳を濡らしながらも、その顔は幸せそうな笑みを浮かべている。それを見ていたニコラオスがつられて笑みを浮かべ、セレナの体を抱き返す。
柔らかな笑みを浮かべ、ニコラオスは口を開く。
「よくやったな、セレナ」
そう言うと、ニコラオスはセレナの頭にポン、と手を置く。それは、クレニオがセレナによくする行動。だがセレナは、何故か心が痛いような、苦しいような感覚を覚えた。
それは、あの混乱が起きた日、ニコラオスに抱きしめられた時と同じ感覚だった。
胸が締め付けられるような苦しみと、それでも全力で離れたいとは思えない謎の幸福感。
その時、セレナの脳裏にある言葉が浮かぶ。それは、1週間の謹慎生活の中で、飽きるほど読んできた恋愛小説の中で、男女が抱き合っている情景を描いた描写。
――まるで彼と私の心がひとつになるようで、彼の熱がこちらにも伝わってくるようで、強い力で抱きしめられて苦しくて痛いはずなのに、何故か心地良くて、離してほしくないと、思ってしまった……。
セレナの心に満ちた感情は、それとよく似ている。
……まさか。私は彼を……。
いや、そんなはずはない。そんなこと、あってはならない。
だって私はテオスの王女で、彼はディアヴォロスの人で。
ありえない。許されない。
だって私は次の女王で、婚約者もいるのに。
その時、ふと気が付いた。ニコラオスから名前を呼ばれたのは、今のが初めてだったということに。
*
オフィーリアは王城の裏山を登っていた。
昔は王室のものだったその山は、今はオフィーリアの所有物だ。20年前、ある者の墓を建てさせるために王から買い取ったのだ。
その者は、本来先祖たちと共に王室の墓地に埋葬されるはずだった人間。《あの事件》が起きなければ、その者は先祖たちと安らかに眠っていたことだろう。
山道はある程度整備されて、その道から外れない限り道に迷うことはない。だがこの山には、その墓に眠る者の縁者にしか入ることができない秘密の道がある。
魔法で隠されているそれは、縁者が近寄ると墓へと向かう道を開くようになっている。
数年前に、セレナがその道に入って迷子になってしまったことがあり、クラトス王の命令でオフィーリアはその道の魔法をかけ直した。そこに墓があると知っている人物以外には、決して道を開かないように。
オフィーリアがそこへ向かおうと歩いていると、木々がひとりでに動き、新たな道をオフィーリアの目の前に開く。その道の先に、眩い光と、広い草原が見えてきた。
オフィーリアは迷わずその草原へ出る。無駄に広い草原の中央に、たったひとつだけ墓が建っている。
石の十字架と、その下には石板。オフィーリアは墓の前に少し離れて立つと、石板に掘られた文字を見た。
そこには、オフィーリアが考え刻んだ、墓の持ち主の名前とその人物を表す言葉が刻まれている。
――テオスで最も繊細で、勇敢な男。カストル・H・レヴィン
それは、この国で最も忌むべき人物の名前として、人々から呼ばれなくなった半端者の王の名前だ。
オフィーリアはここへ、月に1度は訪れて手入れをしてきた。しかし、今日訪れた理由はそれではない。確認をするためだ。自分の中で最近膨らみつつある、ひとつの仮説を。
オフィーリア・バラクは、このテオスで起きたことはほとんど把握している。といっても、例えば力のある魔力持ちが全力で隠していることは、オフィーリアでも簡単には知ることができない。
最近、彼女の従者であるジェイが、《禁術の書》の中の《蘇りの魔法》を、数日かけて書き写していた。
《禁術の書》は無断で持ち出したり書き写したりしてはいけないという絶対の掟がある。それを、三大賢者の従者として20年勤めてきたジェイが知らないはずがない。
ジェイがその写しをどうするつもりなのか、それはジェイが隠してしまったために視ることができなかった。が、彼の性格を知っているオフィーリアには、彼が掟を破った理由に心当たりがあったのだ。
……あの男が私を欺くような真似をする理由には、間違いなく『あの人』が関係している。ジェイが動くのは私の命令を受けた時か、『あの人』のためになる時だけだから。
オフィーリアは墓の前に手をかざす。
「…悪いけど、見せてもらうわよ」
オフィーリアの言葉と同時に、彼女の瞳が金色の光を放つ。すると、墓石の前の地面が割れて、そこから白い棺桶が浮き上がってきた。
それは、王族専用の棺桶だ。
オフィーリアはそれにそっと触れたかと思うと、棺桶の蓋を勢いよく吹き飛ばす。飛ばされた棺桶の蓋は、鈍い音を立てて地面に叩きつけられ、真っ二つに割れる。それは劣化と衝撃によるものというより、オフィーリアの怒りに満ちた魔力によるものだ。
オフィーリアは棺桶の中を覗き込む。
そこに、オフィーリアが心の中でそっと予測した、男の白骨遺体は………なかった。
死体はおろか、彼女が男のために一緒に埋葬した剣や、その他の装飾品も無くなっている。その跡は古く、恐らくこの墓は、20年間空だったのだろうということが分かった。
「……私の、星を………」
オフィーリアの瞳が、淡い光を放ち、彼女の周りを赤い、魔力の風が竜巻のように吹き荒れる。
その風の衝撃で棺桶は大破し、墓石にはヒビが入る。
オフィーリアはニヤリとドス黒い笑みを浮かべた。
オフィーリアは、20年前に決めていたことがある。悲しい時や、激しい怒りを感じた時こそ、全力で笑おうと。そうして強い自分を作り出そうと。
今のオフィーリアの心には、激しい怒りと、激しい悲しみが同時に溢れている。
オフィーリアは、己のこれまでを嘲笑う。
………実に、滑稽だ。私は20年間、無人の墓を守ってきたのか。
オフィーリアは天を仰ぎ、狂ったように高笑いをする。
消えることのない怒りと、情けないほどの悲しみと、己の無力さを呪う心。
――私から星を奪って、それで勝ったつもり?
「何も知らないのね。たとえ身体は奪えても、それは私のよ」