第7章 魔力訓練と無人の墓 2
…私が、心安らぐ色。
思い浮かぶのは、赤子の頃からいつも自分を見守ってくれた瞳の色。まるで多くの人の心を和ませる木々の色のような緑の瞳。優しい笑み、母のような温もり。
……乳母として傍に仕えてくれたカレン・ボアルネは、いつでもセレナの心を安らかにし、セレナを強くしてくれていた。
今の自分を作ってくれたのは、無関心な母でも、冷たい父でもなく、彼女だ。
そう確信した時、セレナの手の中で青い炎が、緑色の光へと変わる。
それを見ると、セレナは初めて自分の力で魔力を引き出せたことに、歓喜の表情を浮かべた。ニコラオスは、少し助言しただけで実現することができたセレナの理解力と想像力に、「へぇ」と感心するような声を漏らす。
「やるじゃん。センスあるよ、お前」
「そうかな」
ニコラオスにそう言われて、セレナは照れくさそうにそう答えた。
「よし。じゃあそのまま、さらに自分の姿を見つめてみろ」
セレナは水晶に映る自分を見つめたままニコラオスの言葉に首肯すると、目を伏せてふぅ、と息を吐き、集中する。ミロワールという名の鏡に映る自分を、まっすぐに見つめる。
そして、考えた。己について。ニコラオスに尋ねられたことについて。
――それを知って、どうするつもりだ?
理由、目的。
自分は20年前の事実を知って、どうしたいのか?
それを考えるにあたり、まずセレナは20年前のことを知ろうと思った経緯を思い起こした。
セレナがそれについて調べようと思ったのは、1年前。歴史の師から授業を受けていた時のことだ。
*
1年前。セレナは王の命令で、外部から教授を呼んで学習を受けていた。
テオスには貴族たちの通う学校があり、王族もそこに通うことはできるのだが、セレナは学校には通っておらず、自室で個別授業を受けていた。
それは、今のテオスには魔力持ちと一般の生徒が通う合同学校が存在していないから、というのが大きな理由のひとつだ。
廃校となってしまった男爵家の学校は歴史上唯一の合同学校で、当時はかなり周囲から反対されたらしい。そのため男爵が死んで家が絶えた後、当時の王が圧をかけて廃校にしたのだ。
セレナは遅咲きだが、一般的な遅咲きと違ってセレナは覚醒の可能性がかなり高かった。
だが、それはあくまで可能性の話で、本当に覚醒するかは分からない。いずれ覚醒するものと思って魔法学校に入学して、結局覚醒しなければ時間の無駄になる。
かといって覚醒しないだろうと考えて一般の学校に入学して万が一覚醒してしまったら、その学校では魔法を学べないので転校するしかない。だが魔法学校では、学び始めるのが数ヶ月違うだけでも実力差がはっきり出てしまうので、転校するとしたら新しく入学する世代と共に1年遅れて入学するしかない。そうなると、18歳で行うはずの成人の儀式も1年遅れてしまうのだ。
また、一般の知識や、魔法の知識よりもまず、女王としての知識と教養の習得が最優先であるセレナは、クラトス王が厳選した教授たちから教えを受けることになったのだ。
ある日、歴史の授業を受けていたセレナは、ちょうどその時20年前の事件について学んでいた。自分の目の前に座り、歴史書の内容を己の解釈と共に淡々と読み聞かせてくる教授の抑揚のない声を聞き流しながら、セレナは眠気と戦いつつ歴史書の文字をぼうっと眺めていた。
その時、セレナはとある1文に目を止めた。
『半端者の王は、オフィーリア・レヴィンの賢者としての役目を奪い、己の妃とした』。
セレナはその1文を見て、一気に眠気が吹き飛んだ。
賢者は、この街では王よりも上位の立場にある存在だ。誰にでもなれるものではなく、賢者として選ばれることは名誉といえる。
そんな立場にオフィーリアが立つことを、伯父である半端者の王が防いだというのだ。それは単純に、姪に自分の上に立たれることを不快に思ってのことかのようにも見える。だが、そんなことをしても、既に賢者が何人か存在するこの街で、半端者の王が街の頂点に立てることはない。
そもそも賢者の選抜や管理については、王の管轄ではない。
三大賢者……当時の二大賢者や、その他古株の賢者たちの管轄だ。王の一存だけで、賢者への道が絶たれることはあり得ない。
セレナは教授の顔を見て、口を開く。
「先生。半端者の王はどうやって叔母様から賢者の役目を奪ったの?」
すると、教授はピタッと動きを止め、驚いたような顔でセレナを見る。
当然だろう。それまではあまり身が入っていない様子の生徒が、急に意欲的に質問をしたら、誰でも驚く。
セレナも、自分で自分に驚いていた。正直、これまでの歴史には全く興味が持てず、ほとんど右から左へ流していた。だが、その1文だけは何故だか気になった。
ひょっとすると、自分にとっては馴染みの深いオフィーリアについての事柄だったからかもしれない。当時20年前についてのことを民話でしか知らなかったセレナは、半端者の名も当時まだ知らなかった。
セレナから尋ねられた教授は、冷静さを取り戻すようにコホン、と咳払いをひとつついてから、口を開く。
「半端者の王がいかにしてバラク公爵の役目を一時剥奪したのかについては、様々な噂があり、信憑性は定かではありません。が、よく言われているのは、古株の賢者様たち全員を買収した、という噂です。実際、当時謎の金の動きがあったという記録があるため、その噂は他の中でも最も有力ですね」
「……?賢者たちは余りあるほど資金を持っているのに、お金で動いたの?それに、半端者の王はどうしてそこまでして叔母様を自分の妃にしたのかしら」
「それは……」
教授はそう追及されると、言いにくそうにもごもごと口を動かし、目を泳がせた。
知らないのか、知っていて言わないのかは分からないが、どちらにせよ、その裏に何かがあるのは明白だ。
教授の答えを待っていると、どこからともなく男の低い声が聞こえた。
「セレナ、そこまでにしなさい」
セレナは声のする方を振り返る。そこには、いつの間に入ってきていたのか、クラトスが扉の前に立っていた。
「陛下」
教授はクラトスの姿にスクッ、と立ち上がると、胸に手を当てて軽く頭を下げた。それにつられるようにしてセレナも立ち上がると、クラトスに向かってドレスの裾を広げ軽く頭を下げる。そしてクラトスの顔を見上げて尋ねた。
「父上、何故お止めになるのですか」
「半端者の王は我が一族の最大の汚点だ。けして触れてはならぬ」
「一族が辿ってきた歴史を知り、善行は受け継ぎ、悪行は繰り返さないように知識として知っておくことが、王として人々の上に立つものの義務だと、そう私に教えたのは父上ではありませんか」
「……バラク公爵家には屁理屈を習いに行っているのか?ともかく、半端者の王のことを深掘りするな。これは命令だ」
「……」
セレナはむっと顔を顰めた。
クラトス王は、自分の命令であれば娘も言うことを聞くと思っているようだ。王の立場上、彼の周りには彼の命令に従う忠実な者たちばかりが集うため、それも仕方がないのかもしれない。
だが、表向きには忠誠を誓っている配下たちも、裏では何を考えているか分からない。
彼らもセレナも、クラトスが嫌いながらも重宝している傀儡人形とは違って人としての《心》を、感情を持っているのだから、誰のどんな言葉に従うかは、自分で決める。
こうしてセレナは、20年前の、半端者の王について調べることにしたのだ。
*
そう、それが目的。
父が詳しい理由も説明せずに、ただ「関わるな」とだけ厳命した半端者の王についての真実。それを知るためにセレナは歴史書を読み漁り、さらにその裏を知るために、魔法の習得……その中でも特に、隠密型の透視魔法を身に付けたいと思った。
透視魔法は、人の心を視ることができる魔法だが、人以外にも、《世界》が覚えている記憶、物に込められた思いやその裏の出来事まで視ることができる。
透視魔法は戦闘向けではないが、視ようと思えば世界の全てを視ることができる。国の情勢を読むために、非常に役立つ能力だ。
20年前の真実を知るという目的以外でも、やはり魔法はセレナにとっては必要だ。
……今のセレナには、まだ自分の姿は見えない。『ただひとつの願い』など、見えようはずもない。
ならば、まずは小さな望みをひとつずつ願えばいい。
それが、今の自分にできる唯一の魔法だ。
セレナは、願った。
――人も、大地も、国も、20年前の真実も、全てを視ることのできる《目》が欲しい。
と、その時。
セレナの脳裏で声が響く。
――望みは、何?
「――っ!!」
セレナは驚愕のあまり息を呑み、水晶玉を手離す。手離された水晶玉が、ゴトン、と鈍い音を立てて床に落ち、ニコラオスの足元まで転がっていく。ニコラオスはそれを拾うと、驚いた様子で肩を震わせているセレナを見て口を開く。
「……聞こえたか」
そう尋ねられて、セレナは静かに頷く。
まるで、頭の奥で直接響いたような、少し低い自分の声。
何かの警告のような強い口調と、聞き流すことの出来ないような、恐ろしい程の声色。
これが、魔力の声……。
自分の姿が見えないセレナを責めるかのような、自分の好きな色さえ分からなかったセレナを嘲るような、自分の声なのに自分ではない他人のものであるかのような声だった。
――望みは、何?
魔力の声は、そう尋ねてきた。
ニコラオスが言うに、魔力の声は啓発だ。己の望みを引き出すための、きっかけとなる言葉。
ならば、今の言葉はどういう意味なのか?
自分の望みが自分でも分かっていないことを表しているのか、それとも、望みもないのに魔法を欲するべきではないと、警告しているのか……。
「……こんなんじゃ、分かんないよ」
考えているうちに冷静になってきたセレナは、不満をこぼすようにそう呟く。
ニコラオスはそれを、「当たり前だろ」と返すと、水晶玉を手にセレナに近付き、セレナの手を取ってそれを握らせる。
「簡単に分かるようになったら、ここまで苦労しない。自分の望みっていうのは、本来深く考えなくたって多少は見えるものなんだ。少しでも見えれば、魔力は覚醒する。それが全然全く見えないってことは、今まで他人の目を気にして自分を押さえ込んできたってことだ。そんな奴が急に何もかも見えるようになるなら、初めから自分を押さえ込んだりしないだろ」
「……確かに」
納得すると同時に、セレナは理解する。
遅咲きの原因。魔力が覚醒しない者たちの共通点。
魔法は己を映す鏡。
魔力の声は、己の望みを表す言葉。魔力覚醒には、『ただひとつの願い』が必要だ。
ならばその逆に、己の姿が見えない者、『ただひとつの願い』をわずかでも見つけられない者は、永遠に覚醒することがない。
『ただひとつの願い』を見つけられない人間の特徴とは、望んでも無駄だという環境にいた者。もしくは決められた道以外を許されず、『望む』ということすら知らなかった者。さらにニコラオスの言う通り、他者からの目が怖くて己を強く押さえ込んでしまう者たちだという事だろう。
セレナは、生まれたその時から女王となる道を決められ、少しでも他の道を望もうとすれば、周りの大人たちから牽制されてきた。そんな世界に生きてきたセレナにとっての精一杯の抵抗、それが、20年前の真相を暴くことだった。
彼らが隠したがっている真実を突き止めることで、セレナは彼らの束縛から逃れたかったのだ。
だが、そうやって他人の目から逃れることばかり考えていた結果、セレナは自分自身を見失ってしまった。無駄な争いを避けるために自分の気持ちを殺していたこともあったために、セレナはこれまで覚醒できなかったのだろう。
ガックリと肩を落としたセレナ。……今日は落ち込んでばかりだ。そう自分でも気づきつつも、セレナは落ち込まずにはいられなかった。今まで争いを避けるためにしてきた己の行いが、自分の可能性を潰す行為だったのだと知ったのだから。
……私がまず知るべきは20年前の真実ではない。自分自身だ。
セレナの様子に、ニコラオスは励ますように口を開く。
「コツだけでも掴めたんなら、あとは繰り返し練習するしかない。だが、この時間以外での練習はやめろよ。考えてばかりだと疲労する。疲労すればその分魔力の制御も難しくなって、飲み込まれやすくなるからな」
「うん、分かった」
セレナはそう頷くと、手渡された水晶を両手で包み、再度意識を集中させる。
しかし、青い炎の色を変えることはできたものの、その日はそれ以上魔力の声が聞こえてくることはなかった。
*