プロローグ 2
セレナは再び大きなため息を吐き、天井を仰ぐように寝返ると両腕を上にグーッと伸ばす。
「…まぁ、流石に使用人や侍女も自由に入れるような書庫に本当のことなんてあるわけないわよね」
長時間の読書で疲労したためか、セレナの声は彼女自身も驚くほど小さかった。
望む答えが得られなかった鬱憤を晴らすように、セレナはさらに呟く。
「……『魔王を倒した勇敢な王子』…小さい頃は信じられたけど……」
懐かしむような、悔やむような声。セレナは軽く目を伏せる。
と、その時。何者かによって書庫の扉がゆっくりと開かれる。
王宮の書庫の扉は分厚く重いため、外からノックしても中の人間には聞こえない。なので、ノックなしで扉が開くのはいつものことだ。
扉を開けた人物は、いまだにその人物の存在に気付いていないセレナを見つけると、中に入らないまま口を開く。
「こちらにいらしたのですね、セレナ様」
年配の女性の、低くおっとりとした声。半ばぼうっとしていたセレナは、ビクッと肩を震わせて飛び起き、扉の方を見る。
白髪混じりの赤毛を後ろでひとつにまとめ、耳には白く丸い石のピアス。侍女が着るようなドレスを身に纏っている。
女性の名は、カレン・ボアルネ。この城で40年働き続けてきたベテランで、侍女の中では唯一の《魔力持ち》だ。
そんな彼女は、セレナが普段生活しているプランセス宮の侍女長であり、セレナの世話係でもあ。
カレンの左頬には、刻み込まれた皺であまり目立たないが、若い頃の事故で負った火傷の跡がある。
カレンはセレナと目が合うと、優しく微笑む。その姿に、セレナは安堵した。
「なぁに?カレン」
セレナが尋ねると、カレンは半開きの扉をそのままにして部屋の中に入り、会釈するように軽く頭を下げる。60間近になるカレンの所作は、背中がまっすぐピンと伸びていて美しい。
「お取り込み中に失礼いたします。そろそろお時間です」
少し嗜めるような声で言われて、セレナは部屋の壁掛け時計に目をやる。
時計の針は、もうじき14時だ。次の予定が15時なので、急いで外出用の服に着替えなければ間に合わなくなってしまう。ドレスは脱ぐだけでも一苦労なのだ。
セレナは急いで立ち上がる。
「いけない、忘れていたわ。カレン、片付けを手伝って」
そう言いながらセレナは慌てて本を手に取り、片付けに向かおうとする。
助力を求められたカレンは応えるように笑みを深くすると、右手の人差し指をピン、と立てまるでオーケストラの指揮者のように指を動かす。
すると、その指につられるようにして本が宙に浮き、それぞれ元あった棚へと自ら収まっていく。セレナの手の中にあった本も、他と同じく棚へと収まる。
……魔法だ。
口の中で吐息のように呟くと、モヤモヤとした暗い影がセレナの心に降りてくる。だが彼女は、その正体を打ち消すようにして一度だけ目を伏せた。
「……さぁ、セレナ様。お支度をしましょう」
全ての本が片付くと、カレンがそう声をかけてくる。
「……うん、ありがとう」
セレナは頷きながらそう答えると、カレンより先に書庫を出る。続いてカレンも書庫を出ると、低い音を立てて分厚い扉を閉じセレナの後について廊下を歩き出す。
背後にカレンの気配を感じながら、セレナは自責のように心の中で呟く。
……せめて、あれくらい使えれば。
*
誰もいなくなり、火が消えたように静まり返った書庫。その中には、氷の王女と同じ《魔法使い》にしか読むことのできない魔法書が置かれている本棚がある。
その棚の隙間で、息を殺して潜んでいるひとつの影……。
黒いマント、黒い服。そして、夜闇のような黒髪と赤い瞳。
それは、民話に登場する《悪魔》と同じ《色》であった……。
ただいま工事中です。
修正できた話から更新していこうと思っています。