おまけ 襲撃の後 2
オフィーリアはため息を吐くと、話題を変えるように口を開く。
「……まぁ、そのことは後でいいわ。それより、住民への被害は?」
「…っ…、はい」
オフィーリアの問いにジェイは小さく息を呑み、短く返答する。下げていた頭を上げ再びメモワールの光文字へ目を落とした。
「…死者はいませんが、負傷者は152名。そのうち5名は重傷で、他は皆軽傷です。重傷者の中には非常に重篤な状態の者もいましたが、神官の《浄化》により現在は安定しております」
「……そう」
ジェイの報告に、オフィーリアはそう小さく呟き、息を吐く。
教会の神官となる者には、先祖返りであることに加えて重要な素質が求められている。
その素質とは、先祖返りの魔力持ちの中でも一部の者だけが扱うことのできる特別な魔法、《浄化》が扱えることだ。
《浄化》とは、文字通り荒れた大地を浄化するための魔法。
『太古の昔。今は芽吹きの大地と呼ばれている大陸には、数多の魔獣が蔓延っていた。空を覆い隠すほどの穢れによって、人はおろか草木の一本も生えない荒れた死の大地。ある日、そんな大地に一柱の神が降り立った。神は魔獣を異界へと追いやり、荒れ果てた大地を浄化し、清められたその地にはじめの命を芽吹かせた。』
芽吹きの大地パラフ大陸の始まりとして、テオスの街の平民たちに伝えられている神話。
神官たちが扱う《浄化》は、神話の神が大地を浄化した力と同じものだ。
とはいえ、現代には大昔のような大地はほとんど存在しない。そのため《浄化》は、今から約千年前の神官たちによって改良された。大地でなく、傷や病という名の穢れを浄化する魔法として。
一般の魔法の中にも治癒魔法は存在しているが、一般魔法による治癒では傷を癒すことはできても病を治すことはできない。また光魔法を併用した治癒魔法以外は、傷口を塞ぐか洗い流すかしかできず、傷そのものや体力を回復させることもできないのだ。
《浄化》は、元は魔法ではなく神の御業。それを魔法として形にし、素質さえあれば誰でも扱うことができるようにしたというだけのものだ。魔法の考え方では全てを解読することはできない、本当の《奇跡》の力と言える。
とはいえ、彼らが病や傷を癒すために《浄化》を使うのは、今回のような緊急時のみか医者が手に負えないと判断し教会に紹介状を書いた場合のみだ。そうでなければ、医者は仕事をなくしてしまう。
オフィーリアの瞳に、一瞬だけ安堵の色が光る。が、それは瞬きの間に消え、嘲笑するような笑みを浮かべてジェイの顔を見た。
「死人が出なかったのが幸いと言うべきか、それとも出さなかったことをさすがと言うべきか。ねぇ?ジェイ」
「…はい。主人様の采配によるものでしょう」
「……私の?面白い冗談ね、《忠犬》。……いえ、もう忠犬とは言えないかしら」
「………」
ジェイは全てを見透かすようなオフィーリアの言葉に、わずかに眉根を寄せ苦痛に耐えるような表情を浮かべる。しかし、何も答えなかった。
冷たい緊張が、2人の間に流れる。だがそれは、少しの間のことだった。次の瞬間、沈黙を破るようにオフィーリアは1度だけ大きく咳き込む。と同時に、勢いよく吐血した。
咄嗟に口元を手で押さえたが、血の量は多く、指の間から抑えきれない血液がボタボタとこぼれ落ちていく。
「オフィーリア様…っ!?」
オフィーリアの突然の吐血に、色を失った様子でジェイは声を上げた。
治癒魔法を行おうとジェイは手を伸ばしてオフィーリアに駆け寄るが、彼女はそれを手で制止する。
触れるなと言わんばかりの眼力でジェイを睨みつけると、胸ポケットからハンカチを取り出し、手と口元を拭う。彼女に睨まれたジェイは、案ずるような目で彼女の様子を伺いつつも、己の主人に拒絶に近い制止をされれば、動くことができなかった。
オフィーリアは荒い呼吸を落ち着かせるために何度も深呼吸をする。少しして呼吸が安定すると、西の方角に目を向け口を開いた。
「……手足がひとつ、壊された」
*
下西町の民家の端。市壁の下。傀儡人形たちが集まって何かを見ている。
取り囲むようにして集う傀儡人形たちの中心にあるのは、地面に仰向けに倒れ、まるで痙攣しているようにビクビク震えている1体の傀儡人形だ。
その光景はまるで、急に倒れた仲間を心配しているように見えるが、つくり物の人形に仲間意識なんてものはない。人形たちが見ているのは、倒れた人形が抱えるように持っている、黒い円盤だ。
その円盤は、一見大きなメモワールのような見た目だが、本体の色も、中央の魔石の色も黒色。さらに、何やら不気味なオーラを纏っている。
…夕方、セレナとニコラオスが破壊したものと同じ魔法器具だ。
「……同志の不振な機能停止を確認。警戒モードに移行します」
傀儡の1体が、無機質な 声を上げる。すると、周囲の傀儡たちも応じるように「了解」と無機質な声を重ねる。
少し間を置いてから、傀儡の集団の元へ飛行魔法で移動していたオフィーリアとジェイが降り立つ。
オフィーリアは傀儡たちの様子を見つけると、足早で近づき力強く声を上げた。
「警戒を解きなさい。班長は状況を報告、他は通常の巡回に移りなさい」
オフィーリアがそう命令すると、傀儡たちは一斉に声を上げる。
「イエス、主人様。警戒モード解除。状況を報告します」
「イエス。警戒モード解除。通常運転に切り替えます」
先ほど最初に声を上げた人形が応えると、他の人形たちが続けて声を重ねる。そして、倒れている1体とはじめに声を上げた1体を除いた全ての人形がその場を離れる。
初めに声を上げた一体はオフィーリアに向き合うと、無機質な声で報告を始めた。長い白髪を後ろでひとつにまとめた、先祖返りの特徴を持つ少年の姿をした人形だ。
「報告します。主人様のご命令通り、西の市壁付近にて魔法器具の捜索をしていたところ、同志の一体が不審物を発見。回収のため接触したところ、原因不明の不具合が生じ、機能停止しました」
「…ご苦労。あとの処理は私がします。通常の巡回に戻りなさい」
「イエス、主人様」
人形はそう返答すると、踵を返して民家の陰に消えていった。
人形の姿が見えなくなると、オフィーリアは肺が空になるまで大きく息を吐く。
「……魔法器具を発見したら直接触らずに私に報告するよう命令したはずだけど」
いまだにガクガクと震えている傀儡人形を見下ろしながら、オフィーリアは独り言のようにポツリと呟く。
「…また、欠陥でしょうか」
ジェイは慎重に尋ねる。が、オフィーリアは聞こえていないかのように彼の問いを黙殺し、指で手招きをするように人差し指をクイッと手繰り寄せる。
その動きに応じ、魔法器具は傀儡から離れて浮かび上がり、オフィーリアの目の高さで止まった。
魔法器具が身体から離れると、傀儡人形の痙攣は治った。が、傀儡は目を見開いたまま立ち上がる様子を見せない。完全に機能を停止しているようだ。
ジェイは傀儡の元に歩み寄ってその傍に膝をつくと、その体に手をかざす。
「…《辿れ、力の記憶。探れ、力の根幹。人の形を成す物の最奥を示せ》」
ジェイの詠唱と共に、彼の手から青と黒の光を放つ魔法陣が出現する。
《力の記憶》を辿り、《力の根幹》を探る。それは、透視魔法を行使することを示す呪文詠唱だ。
透視魔法は、心を持っている者に対して行使する際には詠唱する必要がない。だが、いくつか例外がある。ひとつは、相手が透視に対して《抵抗》した場合。この場合は相手への接近と詠唱が必須であり、また術者の魔力量が相手のそれよりも上回っていることも重要となってくる。そしてもうひとつは、心を持たない物に対して行使する場合。この場合にも対象物への接近と詠唱が必要だ。だがその《詠唱》には、『何に対して行使するのか』を明確に示す言葉を加える必要がある。
ジェイの先ほどの詠唱は、《人の形を成す物》…傀儡人形に対して透視魔法を行使し、機能停止の理由を調べることを意味している。
ジェイはしばらくの間目を伏せていたが、眉間に皺を寄せ、不可解といった様子で手を離し、目を開ける。
「…欠陥も不具合もありません。機能停止の直接の原因は、魔力切れのようです」
「……魔法器具に触れたせいで、中央の魔石に魔力を食われたのでしょうね」
オフィーリアはそう呟くと、目の前に浮かぶ魔法器具をギロリと睨みつける。
黒は魔族を表す色だとして、この街の人々は忌み嫌っている。だが、だが、魔法の世界における《黒》は、意味が大きく変わる。
魔法には七つの属性があり、属性ごとにそれを表す色がある。
赤ならば火属性、青なら水属性。黄色は空属性で、白は風属性。緑は地属性、金は光属性。そして最後のひとつ、黒が示すのは…闇属性。
闇属性には、他者や周囲から熱や魔力を吸収する性質がある。さらに厄介なことに、闇属性は魔法の痕跡すら消し去ってしまう。極めれば極めるほどその精度を増し、たとえ魔力が少ない術者でも上位の魔法使いを欺くことができてしまうのだ。
……おそらく、傀儡人形たちはこの円盤を《不審物》としては認識できても、《魔法器具》としては認識することができなかったのだろう。
(……ただの手足に過ぎない人形たちには、闇属性の魔力の検知は難しいか……)
オフィーリアは忌々しげに顔を歪め、大きくため息を吐く。そして魔法器具に触れるか触れないかという距離まで手を伸ばし、手をかざす。
「……《辿れ、力の記憶。探れ、力の根幹。黒を持つ物の正体を示せ》」
詠唱と共に、ジェイが先ほど出現させたものと同じ魔法陣が出現した。
オフィーリアの脳裏に、フラッシュバックするようにとある映像が流れ込んでくる。
ディアヴォロスの技術を利用して作られた魔法器具。その機能は、特定の魔獣に対してテレパシーを送り、呼び寄せるというものだ。
魔法器具は触れた者の魔力を一気に奪い取ってしまう性質があるため、運搬には魔力のない者を利用した。この市壁の下まで運搬したのは、この最西端の民家に幼い弟妹たちと暮らす20代の女性。魔族に近い容姿を持っているが故にどこにも雇ってもらえず、ひもじい思いをしていた。フードを被った人物に大金と共に運搬を依頼され、怪しいと思いながらも弟妹たちのために引き受けた。女性は、この円盤が何か、何のための運搬かなど詳細は何も聞かされていなかった。
女性によって市壁の下に配置された魔法器具は、魔獣たちへテレパシーを送りこの街に呼び寄せた。可動のための動力には、周辺の魔力を利用したようだ。
この民家には魔力持ちが多いが、皆決まった仕事を持たないため、魔封石のピアスを持つことができない。対策として、民家を囲むように魔封石の小さな柱がいくつか建てられていて、住民たちの余分な魔力を吸収し地へと返している。…だが、今はなぜかその役割を果たしていないようだ。
「…ジェイ、魔封石の柱を調べて。何か不審物を発見したら慎重に回収しなさい」
「…主人様、お身体は……」
ジェイは先ほど魔法の《反動》で吐血したオフィーリアの身を案じているらしく、躊躇うような表情を見せる。
だが、オフィーリアからすれば、余計な心配だ。
「…私の《忠犬》でありたいなら、言うことを聞きなさい」
「…御意」
ジェイは力強くそう答えると、飛行魔法を使い勢いよく跳躍する。軽やかに跳ねていくジェイの後ろ姿を見送ってから、オフィーリアは苛々した様子で前髪をクシャッと掴んだ。
「…まったく、本当に腹立たしいわね」
ポツリとそう言葉をこぼした。
(……全て、お見通しってわけ?)
破られた結界。不自然な魔獣の襲撃。魔法器具……。
まるで、こちらの戦略を全て知り尽くし、その欠点さえ何もかも見透かした上で計画されたような、今回の襲撃事件。
犯人の目星はとっくに付いているのに、その人物が得意としている魔法のせいでその《目的》まで探ることができない上に、どこに隠れているのかすら分からない。
本当に忌々しい。
全て知っているぞと言わんばかりの犯人の行動に、腑が煮えくり返りそうな気分になる。
「……まぁいいわ。あの半魔の子とセレナが今後も接触するなら、そこからいくらだって調べることはできる」
そう言いながら、オフィーリアは不気味に笑う。
…セレナ、私の姪。
あの子は善と悪を見極める目を持ってはいるけれど、それ故にお人好しが過ぎるところがある。善だと思った人のことは決して疑わないし、たとえその人間が何か悪事を働いたとしても、「何か理由があるはずだ」と考える。
それは彼女の長所だ。実際に彼女のその真っすぐさに良い影響を受けるものもいる。だが、同時に短所でもある。
その人の良さを利用する人間が、この世には山のようにいるのだ。
それは口で教えただけでは、「理解する」ことはできない。本当の意味で理解するためには、実際に体験して傷を負わねばならないのだ。
「……兄上、いつまでもセレナを箱入りにはしておけないわよ」
そう呟くと、冷静さを取り戻すように首を振る。
(……あの人の短所は、私のことを理解していると勘違いしていることよ。たとえあの人が何のためにここへ帰ってきたのだとしても、私の宝物には指一本触れさせないわ)
改めてそう決意すると、オフィーリアは天を仰ぎ夜の闇を睨みつけた。




