婚約破棄宣言から始まる恋 〜 銀細工の君と少年王子、それぞれの恋
夜会もたけなわ、ダンスの音楽が途切れ、談笑の花が咲く中でした。
「マーガレット、君との婚約を破棄させてもらう!」
カイル王子の声が、高らかに響きました。
突然のことに、私は声も出せません。
会場はしんと静まり、皆様の視線が私に集まります。
何が起こったのかと、私は止まった思考を無理矢理動かし、壇上でふんぞり返っている殿下を見上げました。
御年十二歳、お母上譲りのくすんだ金髪と美しいお顔立ち。そのお顔にはめ込まれたアイスブルーの瞳で、まっすぐに私を見下ろしておられます。
「殿下と……銀細工の君? どういうことだ?」
どちら様かの囁きが聞こえてきました。
その呼び方、やめていただきたいものです。銀色の長い髪は私のささやかな自慢ですが、そんなたいそうな名で呼ばれるのは荷が重いです。
いえ、それは今は些細なこと。
「どういうことだ」というのは、私も同じ思いでして。
「ええと、殿下……」
混乱していて、うまく言葉が出てきません。
ですが殿下の顔だけは、しっかりと見据えておりました。はたから見たらこれ、無言で睨んでいるように見えるかもしれません。
そのせいでしょうか、私の視線を受け止めかねたように、殿下の瞳がほんの少しそれました。
助けを求めるような、その視線──それを見逃す私ではありません。素早く視線の先を追うと、そこに美しいご令嬢の姿を認めました。
この国きっての大富豪、サディア家のご令嬢、パールバティー様。
異国から嫁いで来られた、母君譲りのエキゾチックな美貌は、同性の私でも見とれてしまいます。
彼女もまた十二歳。それでこれほど美しいのですから、十年後、私と同じ歳になる頃には、世の男性が群がってくるような美女となっていることでしょう。
「あ……と……」
私の視線を受けて、パールバティー様がそっと目をそらしました。
(……なるほど)
大体の筋書きがわかりました。
殿下とパールバティー様は同い年、通っておられる学校もクラスも同じです。
大変に仲睦まじい、という噂は耳にしておりました。
才色兼備にして文武両道、何事もトップクラスの殿下と張り合う才女とも伺っております。
お淑やかそうな外見とは裏腹に、なかなかにオテンバなところもある積極的な子であり、人望も厚いとも聞いております。
ええそうです。未来の王妃候補として実にふさわしく、また、聞き及んでいる限り、殿下のドストライクなタイプです。
(唆されたか、煽られたか……さてどちらでしょう?)
素直で良い子なのですが、それゆえに少々子供っぽいところがある殿下。
十歳になる前から社交の場に出ていたというパールバティー様にしてみれば、チョロイものなのかもしれません。
まあ、根本的な対応は後日として。
とりあえず、目の前の状況をどうにかしないといけません。
「やはりそうなのか……」
「噂では……まさかと思っていたが……」
「サディアのご当主はご存知なのか?」
まずいですね。
これ、ちゃんと鎮火させないと、根も葉もない噂が飛び交うことになります。社交界において、噂ほど怖いものはありません。ええもう、うんざりするほどわかっています。
「殿下」
私は意を決して一歩前に出ると、ギロリ、と今度は本当に殿下を睨んでやりました。
「な……なんだ?」
明らかに殿下がひるみました。横目で見ると、パールバティー様も「やっばーい」という顔で視線を泳がせています。
「ひとつ、確認したいことがございます」
「う……うん、ええと……なに?」
ちょっと語気を強めたら、殿下、タジタジになりました。
そういうところは、まだおかわいいものです。
ですが、容赦はしませんよ?
「私、いつ殿下と婚約したのでしょうか? 全く身に覚えがないのですが?」
◇ ◇ ◇
「この馬鹿者が! イタズラで済む話ではないぞ!」
騒ぎを聞いて、王宮へ戻りかけていた陛下が会場へ戻り、皆様の前で殿下とパールバティー様をお叱りになりました。
それを聞き流しながら、私は一人、庭へ出ます。
殿下からのいきなりの婚約破棄宣言、ただのイタズラでした。
なんでも、最近クラスメイトから借りた小説にそのようなシーンがよくあり、「ちょっとやってみたかった」のだとか。家庭教師である私が相手なら、「冗談だよ、てへぺろ♪」でなんとかなると思ったそうです。
なりません、ての。
嫌々出席した夜会でこの仕打ち、何の嫌がらせですか。
ええもう、ちょっぴりですが、殺意わきましたよ。
これ、私的な夜会だから叱られる程度で済んでますが、公的なものなら国の恥ですからね。
しっかり陛下に叱られてくださいね。
「マーガレット殿」
ひんやりした夜風でぐったりとした気分を癒していると、さわやかな声で呼びかけられました。
振り向くと、黒髪長身のイケメン──パールバティー様の兄、ルドラ様が、直立不動で立っておられました。
「ルドラ様……」
「本当に、申し訳ない」
社交界でも一、二を争うと言われている硬派イケメンが、深々と頭を下げてくださります。
「妹がご迷惑をおかけした。兄として、心よりおわび申し上げる」
ええと、どうしましょう。
名門サディア家のご嫡男に、頭を下げさせてしまいました。これ、私の方が叱られたりしませんかね?
「いえ……まあ、子供のイタズラですから」
「イラズラでは済みませんよ。あとで私からも叱っておきますので」
「ええと……ほどほどにしてあげてくださいね」
すでに陛下からたっぷりと叱られて、二人とも涙目でした。この上、ルドラ様からもきつく叱られたら、トラウマになりかねません。
「おてんばな妹で、本当に申し訳ない」
「いえその……お元気でよろしいと思いますよ」
「お気遣い、痛み入ります」
すっかり恐縮した顔のルドラ様が、私の横に立ちました。
ええと、隣に立つ必要はないような……とはいえ、あからさまに避けるのも失礼な気がします。まあ、それほど不快でもないので、気にしないことにしましょう。
「いやまったく……どうお詫びしてよいのか……」
「もうお気になさらないでください」
穏やかな口調で答えた私に、ルドラ様が首をかしげます。
「あの……怒ってらっしゃらないのですか?」
「ええ。さっき叱って、すっきりしましたから」
陛下がお叱りになる前に、私もきっちり叱っておきました。
ええもう、人として許してはいけないと思いましたから。
他人の目がありましたが、遠慮なんていたしません。これでクビならそれでいい、とすら思いました。
「皆がいるところで殿下を怒るなんて、何様のつもりかしら?」
やはりというか、当然というか。
そんな嫌味な声が聞こえて来ました。
でも、それに反論してくれたのは、誰あろう殿下だったのです。
「悪いことをしたのは僕だ。マーガレットは怒っているんじゃない、叱ってくれているんだ」
大勢の前で人を辱しめるのがどういうことか、僕は今、身をもって思い知っているんだ。
邪魔をしないでくれ。
……まさかそんなことを仰るとは、想像もしませんでした。
門地も財産もない、平民出の私。そんな私が殿下の家庭教師に選ばれたことで、多くの方の妬みを買っていました。
根も葉も無い噂も、たくさん流されています。
教えるのは男女の営みだとか、実は陛下の愛人なのだとか、聞くのもおぞましい噂を流されて、もうやめたいと何度思ったことか。
それゆえ、殿下とは一定以上は踏み込まず、わりとドライな関係を築いてきたと思っていたのですが。
私は怒っているのではなく、叱っているのだと。
そう思ってくれるぐらいには、信頼されていたみたいです。
「あんなことを言われては、怒りなんて消し飛んでしまいました」
「確かに」
ルドラ様も感心したように頷きます。
「王子とはいえ、十二歳の少年の言葉とは思えませんでした。あなたの指導が素晴らしかったのですね」
「恐縮です」
家庭教師を引き受けて良かったと、初めて思いました。
でもその家庭教師も、もうじき終わりです。
来年、中等部へ進めば専門的な教育が始まります。王宮お抱えの教師陣が家庭教師をすることになりますので、私はお役御免です。
名残惜しいですが、今日のお言葉を聞けば心配はないでしょう。きっと、立派なお世継ぎとして成長されることと思います。
「私も、あなたの授業を受けてみたかったですね」
「では、お子様がお生まれになったら、雇っていただけませんか? そうしたら、一緒に授業いたしますよ?」
「なるほど、魅力的な提案ですね」
ルドラ様は笑顔を浮かべました。
「しかし、それには問題がありますね」
「やはり……平民出の私では、サディア家の家庭教師は無理ですか」
まあ、ダメもとで言ってみただけですけどね。
「そうではありません。もっと根本的な問題です」
「……と、いいますと?」
「私には妻はおろか恋人もいないんですよ」
ルドラ様が私に向かってウィンクしました。
ちょっと、ドキッとしてしまいました。なんというか、その……はて、なんでしょうね?
「なので、子供が生まれるためには、まず素敵な女性と出会い、恋をするところから始めなければなりません」
そう言ってルドラ様は、庭に咲いていたバラを一輪手に取りました。
「ですが、最初の関門、素敵な女性との出会いはできたようです」
え、と首をかしげた私に、ルドラ様は手に取ったバラを差し出しました。
「マーガレット殿、妹の非礼のお詫びも兼ねて、お食事にご招待させていただきたいのですが。ご都合はいかがでしょうか?」
◇ ◇ ◇
◇ ◇ ◇
それから半年。
カイルはサディア家の私的な食事会に招かれ、その屋敷を訪ねていた。
「それで、あれからルドラ様とマーガレットはどうなの?」
「一度だけ、お詫びを兼ねたお食事に応じていただけましたよ」
「……半年で、それだけ?」
「相手はあの『銀細工の君』ですよ? 野暮な兄様が苦戦するのはわかりきっていたじゃないですか」
銀細工の君。
それはマーガレットの美しい銀髪に由来する、彼女の美しさを讃える二つ名。
だが同時に、十一歳で大学を卒業した才女への、妬みを込めた呼び名でもあった。
いつもツンと澄ました顔をして、人前で笑顔を浮かべることはないマーガレット。血の通わぬ金属でできているからだろう、なんて悪意を込めての「銀細工」。
そんな二つ名のあるマーガレットに、アタックする。
ルドラがそう言ったとき、カイルは「よぉく、よぉく考えた方がいいですよ?」と、遠回しに無理だと忠告した。
パールバティーは「兄様には、高嶺の花すぎます」と、妹ゆえの遠慮のなさでバッサリ切った。
しかしルドラは「ダメもとだ。きっかけだけでいい、一度だけ協力してくれ」と、カイルに出会いのチャンスを作ってくれと拝み倒した。
その結果が、あの夜会でのイタズラ騒ぎだ。
「殿下、いまさらですが……あれはやりすぎだったのでは?」
「ホント、いまさらだね」
お茶菓子を口に放り込み、カイルが笑う。
「騒ぎを起こせと言ったのは、君じゃないか」
夜会に引っ張り出したところで、マーガレットは巧みに会話を避け、壁の花に徹する。ルドラが話しかける隙など見せないはず。
パールバティーはそう予想し、なんとか談笑の場に引きずり出すべく騒ぎを起こせと、カイルにアドバイスしたのだ。
「まあ、そうなんですけれど……私、夜会での婚約破棄宣言をこの目で見る機会があるなんて、想像もしてませんでした」
「相手はマーガレットだよ? あれぐらいぶっ飛んでないと、驚いてくれないって」
「マーガレット様に叱られたときは、カッコイイことおっしゃってましたけど……陛下は見逃してくれませんでしたし。ホント、怖かったです」
「さ、さんざん謝ったじゃないか……」
「兄様も、これどうしろっていうんだよ、て頭抱えてましたしね〜」
「いや、そこは頑張ってもらわないと」
やや冷たいカイルの言葉に、パールバティーがニンマリと笑った。
「殿下の大切な家庭教師を奪うのなら、これぐらいなんとかしてみせろ、てことでしたのね?」
「……何度も言ってるけど。僕はマーガレットのこと、そういう目で見たことは一度もないからね?」
「ああ、そうでしたねぇ」
「信じてないだろ?」
「いえいえ、信じてますよ。大好きな殿下のことですもの♪」
その「大好き」の意味を問い質したい──そんな気持ちをなんとか抑え、カイルはため息をついた。
「でも……そうかぁ、やっぱり苦戦してるか」
いつもツンと澄まして、懐に入らせるような隙は見せない、マーガレット。
だが、カイルは知っている。
マーガレットは決して血の通わぬ銀細工ではないことを。あれは、心ない言葉に傷つき続けたゆえの、自己防衛のための澄まし顔なのだと。
「少し野暮だけど、ルドラ様は誠実な方だ。お似合いだと思ったんだけどなぁ」
「あら殿下。私、苦戦しているとは言いましたが、ダメだったとは言ってませんよ?」
パールバティーが目を細め、うふふ、と口元を押さえた。
「苦戦続きの兄様でしたけど、半月前に何か進展があったみたいで。実は今日のお食事会、主賓はマーガレット様なんです」
「え、今日マーガレットも来るの!? 聞いてないよ!」
「殿下の登場はサプライズにしたくて。殿下がマーガレット様と今日のことを話し合わないよう、招待のタイミングには気を使いました」
「それで招待が昨日の夜だったのか」
「殿下がいることに驚いて隙を見せてくだされば、本当のお人柄がわかるというものでしょう?」
なるほどね、とカイルはうなずいた。
完全無欠モードのマーガレットは、万事に対してソツがない。しかし、あまりにソツがなさすぎては、本当の人柄は伝わらない。
「つまり今日の僕の役目は、マーガレットを引っかき回すことだね?」
「さすが殿下。その通りです!」
キラン、とパールバティーの目が光った。
「いいですか殿下、今日は兄様にとって勝負の日です。お父様とお母様に、マーガレット様のいいところをしっかりアピールして、援護してくださいね!」
「りょーかい。婚約破棄宣言に比べたら、楽勝だよ」
「あら……いらっしゃったようですね!」
迎えに行ったルドラの馬車が戻って来たのが見え、パールバティーがいそいそと立ち上がった。
「お父様とお母様が気に入れば、外堀は埋まったようなもの。今日は全力で、マーガレット様を追い込みますからね!」
「いやいや、狩りじゃないんだから」
「何を言ってるんですの、恋は狩りです! やるか、やられるかです! ああ、憧れの銀細工の君がお義姉さまに……絶対に逃がしませんよ!」
えいえいおー、と威勢のいい声を上げて部屋を出て行くパールバティー。
なるほど、何より君が気に入っているんだね、という言葉は口にせず、カイルも急ぎ部屋を出て。
窓から見えた光景に、しばし立ち止まった。
「へえ……」
馬車から降りるマーガレットをエスコートすべく、手を差し出したルドラ。
そのルドラの手を見て、顔をほころばせて手を重ねるマーガレット。
その柔らかく、わずかに上気した笑顔に「銀細工」の面影はなく。
誰が見ても、言うだろう。
あれが「恋する乙女の顔」なのだと。
「これ、外堀を埋める必要はなさそうだなぁ」
僕もいつか、パールバティーにあんな顔をさせてみたい。
そんな思いを胸に秘め、カイルは、まだ恋を知らない素敵な女の子を、追いかけて行くのだった。