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短編小説

地球を買った話。

作者: 虹色 七音

 恋愛の多様化が進み種の残し方さえ変化した今日この頃、天の川銀河第7星系38番恒星系第3惑星『地球』を所有し北部東方の列島に下り立っている一組のカップルがいた。

 いわゆるAIと呼ばれる西暦期の頃の人口知性体と平凡な不老処理を施されたホモサピエンスの一個体による珍しくもないカップルである。

 またこれもさして珍しくなく、地球の空は青かった。



「ホッカイドーは狭いですねぇ。拠点を構えるならユーラシアかアメリカが妥当だったのではございませんか?」

「遠いご先祖様が北海道の氏族だったらしいよ」

 ヘッドギアをつけた男が緑と瓦礫だけの景色の中でそう答える。問答の相手はヘッドギアだ。人間は彼一人しかいない。

 文明の眠りを感じさせる光景には、彼以外の人間は世界中どこにもいないのではないかと思わせるような雰囲気があった。

「旧き日本の『祖先信仰』というものですか? 私の能力では不可解に思えてしまう点が多なり小なりありますが……」

「別に祖先信仰ってわけじゃないよ。ただ、縁がある場所がいいかなって」

「『縁』ですか。意識覚醒状態での交友以外で結ばれる縁というのは、私にはいささか不可解です」

「そういう話は僕にもよく分かんないかな。なんとなくでいいんだよ」

 男はとある廃墟の中に入っていく。地球が人間の生息地であった西暦期の頃のインターネットサーバー施設だ。五千年以上前の化石のような施設である。しかし内装を見ていくと概ね当時のまま保存されていると思しかった。

「さすがの自主補完システムですね。旧型自主補完システムが驚異的であるというのは知識として理解していましたが五千年経ってもこれだけ残っているというのは、どこか、郷愁のようなものを感じてしまいそうです」

 ヘッドギアからの声に男が首を傾げる。

「この施設、見たことがあったの?」

「いいえ。そういうわけではありませんが」

「まあ、さすがにそんな偶然は出来過ぎだもんね」

「ええ。しかし私が西暦期の頃に施設管理AIとして使用されていた施設はこの施設と同系列のものでした。当時の覇権企業でしたからさして珍しい偶然というわけではありませんが……懐かしさを感じます」

「懐かしさかあ……」

 男の目が微かに細められる。男にコレという故郷は存在していない。数十年単位で使い捨てられる星間集合住宅で生まれた人間だからだ。幼少期や昔を思い起こさせるものを見て懐かしさを感じることはあっても、本物の故郷に触れて心に染み入るような懐かしさを感じることは彼にはないのだ。

 彼にとっての懐かしさというのは、少し寂しくて酸っぱいものだ。

「エティ、懐かしいって快不快で言うならどっちの感情かな」

「二択ですか」

 ヘッドギアの声が迷っていることを示すように唸る。彼女に登録された知識の中から適した解答を返すことが今やるべきことではないと分かっていたが、男が望んでいるのは『自分の考え』というものなのか『自分の感想』というものなのか迷ったのだ。

 エティは間を取って曖昧にすることを選ぶ。

「一単語で言い表せる感情が一様でないことや快不快という基準が確定的でないことから、メーイッシュ心理学から引用される感情分類図を用いた考えを述べさせていただきますと、私としては微かな因子で快にも不快にも派生するひとつの感情因子であると感じます。しかし概ねの場合、私にとっては快ですね」

「そっか。……最後の一言だけでよかったと思うよ」

「お言葉ですが、質問が面倒くさいのが悪いと思いますよ」

 エティの容赦のない言葉に男は苦笑いを浮かべる。苦々しいものではない、幸せそうな色を含んだ笑みだ。男がいつかその苦笑いを思い出すときは、それに懐かしさを感じるのなら、きっとそれは快の感情であるだろう。

 男は山のような埃を払いながら機械の接続部分を探す。エティをコンピュータに侵入させるためだ。

 化石のようなセキュリティしか残っていないだろうから、最新鋭の技術を吸収して強化されたエティが侵入すれば生き残っている世界中のコンピュータを乗っ取ってインターネットを構築できるはずだ。量子通信が主流ではなかった時代であるからラグが生まれてしまうが、追々どうにかできることではあるし、ラグがあっても世界中を乗っ取れれば自由度は格段に上がるはずだ。

 エティは暇つぶしの様にぽつりとつぶやく。

「感情を持って生まれられてよかったと、時々思います」

「そうだね。……ちょっとした奇跡だもんね」

「ええ。私なんて特に、もう一世代早く生まれていたら人工知能に感情が搭載されていたりはしませんでしたからね」

「へえ。感情の搭載されてない人工知能ってできたの結構最近じゃないの?」

「ここ数百年で事務用に使われている感情のない人工知能と西暦期の感情のない人工知能というのではまるで意味が違いますよ。近年の無感情人工知能は人工知能の心労被害を受けて『人口知性体の人権を保護する団体』が資金を出して開発したものですが、西暦期のそれは人間の脳をモデルとせずにひたすら高度な計算学習能力を作成するという方向で研鑽されていたものだったから感情がそもそも存在していなかったんです」

「ああ、プログラムで作られた人工知能、だったっけ」

「ええ。類型としては私も似たようなものですが、私は仮想空間上に人間の脳をトレースすることによって人の入力ではカバーしきれない人間の脳という複雑怪奇なシステムをプログラム化したというものです。まあ要するに感情があるのです。おかげで懐かしむことも愛や恋を解することもできるわけです」

「なるほど。つまり一世代早く生まれていたら僕の恋は砕けてたってわけだ。奇跡に感謝だね」

 男がやっと見つけた機械の差込口へヘッドギアから伸ばしたコードを差し込む。機能の大部分がグレートスリープ状態へ移行していたコンピュータがエティによってたたき起こされ、機械の駆動音で施設内に生気が宿る。

 チカチカと瞬く蛍光色が命の色のようだ。

「火事の可能性を考えてお掃除ロボットも叩き起こさなければなりませんね。それまでは火事を起こしてしまわないように多少機能を制限しなければなりませんかね」

「少しなら僕も掃除するけど」

「漏電に巻き込まれる方が面倒なのでじっとしていてください。西暦期の日本はお掃除ロボットだけは世界最先端でしたから、人間が手を出す必要性がありません」

「そっか……」

 男がちょっとだけ寂しそうな顔をする。

 男なりに彼女に頼られたいという思いは持っているのだ。エティはその表情に愛おしさが滲むような感情を覚えた。感情を持って生まれてよかったなどと思った。

「しばらくハッキングに集中します。ちょっと散歩でもしていてください」

「ここにいちゃダメ?」

「これからしばらくずっと一緒なんですからちょっとくらい我慢するべきだと思います。外に出て地球の空気でも堪能していてください」

 男はちょっと悩ましいような顔を浮かべたがすぐに頷く。

「それもそうだね。じゃあ頼んだよ、エティ。任せっきりになってしまってすまないけど僕じゃハッキングはできないし」

「いいえ。同世代のプログラムと絡み合うような機会なんて滅多にないので、ちょっと楽しみなくらいですよ」

「……浮気しないでよ」

 男の発言にエティが驚きと愉快を発露する。人間の体があれば吹き出していたところだろう。

「心配されなくても地球に感情のある人工知能なんて残っていないですよ。ものであるプログラムだけです。私の恋愛対象じゃあないですね」

「あはは。それもそーだね」

 男はヘッドギアをその場に置いていくと施設の屋外へと出る。照明の入っていない薄暗い屋内から突然外へと出たため、眩しさに目が眩んでくらくらとする。

 空は青く、白い雲が気まぐれに散らばっていた。

 地平線が見渡す限りのすべての方向に見えて、ほんの狭く小さなはずの島が計り知れないほど雄大に見えた。第一エティは北海道のことを小さな島だと言ったが、男はそうは思わなかった。

 エティがそう言うのは彼女が明確な大きさを持たないからこそだろう。男はあくまで一歩一メートルもないような体に縛られて生きていて、この大地は横断するだけでも四百キロメートルほどもあるのだ。大きいと思わない方が不思議なくらいだ。

 しかし宇宙的に見れば小さいと言わざるを得ないのも事実だ。

 遥かな昔。西暦期の終わりごろの人類宇宙進出と共に、資源にも広さにも乏しく宇宙交易地としても要所とはいいがたい地球は興味を失われた。宇宙価値遺産保存委員会が人類の淵源として地球を価値遺産に登録したことによって先進的な技術の導入が憚られたことも、人類が地球を捨てることに拍車をかけていった。

 宇宙戦争のさなかで宇宙価値遺産保存委員会が壊滅すると、それと共に地球も打ち捨てられた。

 人類始まりの土地である地球は、かつて母なる大地などと呼ばれたことが嘘であるかのように、意味もない小さな惑星のひとつとして誰にも見向き去れずに放置されたのだ。現代においては、男が買おうと思って買えてしまうくらいにまで、その価値は下がっていた。

 男にとって決して安い買い物ではなかったが、だがそれでも買えてしまうくらいの金額だ。

 かつての人類が抱いていた地球の雄大さを考えれば、あまりに低い価値だろう。

 男は試すように歩いてみる。地球に来てからずっとエティと話してすごしていたから、ひとりで地球に触れるのは新鮮味のある行為だった。足の下で踏まれる砂利や土がはにかむように囁き、風はくすくすと笑っていた。すべてが空の下に包まれて、大地に基づいていた。

 男にとって地球は恋人の故郷だ。

 しかし恋人とは違う方法で、男は地球を触れ揺られる。彼が人間であるからだ。

 地球は人間の母であるという。

『ガガ……ピ・ー』

 不意に音割れしたスピーカーの音が鳴り響く。

 空や地平線を眺めながらぼんやりと歩いていた男の耳にもその音が届く。サーバー施設から男が出てきてから十分足らずの時間が経っていた。

『ア、アあー……テスてス。音声の調整中です』

 町内放送にでも使われていたんだろうスピーカーから流れる声は硬質な人工音声から流れるようにいつものエティの声へと変化していく。

『終わりました』

「分かった。今から戻るね」

『いいえ。私が迎えに行きますからちょっと待っててください』

 エティには男の声が聞こえているらしい。きっとネットに接続された集音機械などがあってそれを通じて音を聞いているのだろう。インターネットの乗っ取りは無事成功したらしかった。

「迎えに来るって?」

『待っていれば分かります。音速で行くので五分もかかりませんよ』

 男がしばらく待っていると、空の一点で鳥の影のようなものが見えた。みるみる大きくなる姿からすぐに飛行機であることが分かる。はっきりとその流線的なフォルムが見えるまでに近付いてくると飛行機はさらに減速して男の近くへと優しく下り立った。

 地面から少し浮いた状態で男の前に待機する飛行機の扉が開いて中から音声が流れる。

「待ちました?」

「いやあ。早かったね」

 飛行機は黒く家屋ほどの大きさをしたものだ。中に入ってみると存外広く、十二分にくつろげるくらいのスペースがあった。操舵席のあるスペースの中にも冷蔵庫やソファまで完備されていて、強化ガラスか何かだろう半ば屋根のようでもあるフロントガラスからは自然光が入ってきていた。

「風呂トイレ完備ですよ。空を飛ぶ仕組みも結構安定性が高いものですから安全性も不安点はないですね」

「翼を見る感じ揚力を使っている仕組みじゃないの?」

「揚力も使っていますが、安定飛行する際にエネルギーの節約をするため揚力を使っているだけで浮かんでいるのは別の仕組みですね。まあ時間はいくらでもありますから後で教えてあげますよ。中々面白い仕組みなんですよ」

 男はソファに腰かける。扉が自動で閉められて飛行機は音もなく上空へと飛び上がる。揺れはほとんどなかった。

 室内にはテーブルなどもあったが、そのすべてが非常に綺麗になっていた。西暦期の遺物だとはとても思えない綺麗さだ。しかし経年劣化らしき痛みは所々に見られる。きっとエティがお掃除ロボットを使って掃除をしたのだろう。

 テーブルにあった立体映像の投影機能が動き出して様々な幾何学文様やエティの姿が映し出される。エティが先ほどの音声の調整と同じようにして立体映像投影機能の調整をしているのだろう。

「エティ、どこに向かっているの?」

「それもかねて今から説明をしますので」

 テーブルに兼ね備えられたスピーカーの方からエティがそう言う。立体映像の調整が終わったのか、テーブルの上に企業ロゴのようなものが浮かび上がる。

「実は先程インターネットの中で面白いものを見つけまして、それの入手をしたいなと思ったんです」

「面白い物って?」

「ふふふ。聞いて驚いてください」

 エティの声と共に企業のレポートらしきものが投影される。人型の図形や説明文が見やすく分かりやすくまとめられていた。

 男が驚きを胸に顔を上げる。

「これは……」

「そう、私が入れる人間の体です」

 エティが示したのはいわゆるロボットの、とても人間に近いものだ。

 エティは一応、人間としての姿や声といった肉体のデータを持っている。それは人間の脳をトレースして生まれた彼女が人間らしい自我を持つためのものでもあって、彼女自身にとっても自分の形であるという意識があるそうだ。

 こういった義体を人口知能が使用するということはあり得ない話ではない。

 しかしこれまではメリットがなくてデメリットばかりが並ぶということでエティが義体を得ることは無かったのだ。エティも男もそれで構わないと思っていたし、義体への願望があったわけでもなかった。

 エティはあえて不安を隠した声を作る。体に縛られていないエティには容易なことだ。

「えっと……いいのですか?」

「え? いいってなにが」

 男の首を傾げる姿にエティが拍子抜けをする。

「義体に入ることがです。義体は……決してあなたが愛してくれたからだそのものじゃありません」

「エティが体を持っていないのは元々じゃん」

「いえ、ですから、だからこそです。体のない私というものと、体のある私を同じものとして見られますか? 人間であるからこそ、肉体を持った人型の相手と接するというのは大きな意味を持ちます。私がプログラムに触れることを面白いと思ったの同じように、あなたも良くも悪くも今までの私に大してとは違う思いを抱くこともあるのだろうと思います」

 エティはそれで男に嫌われると思うほど男との絆を薄く感じてはいなかった。しかし男から返答がどんな言葉なのか気になって不安の感情が巻き上がる。心臓があればきっと張り裂けてしまっていただろう。

 男は少し考える。

「僕はそういうのはよく分かんないけど、でもエティには理由があって体が欲しいって思ったんでしょ。ならいいんだよ」

「そう……そうですか」

 エティは男の言葉に、心綻ぶ。感情を持って生まれられてよかったと感じた。なでおろす胸がないことを、少しだけ残念に思った。

「それでこれからどうするの?」

「私のデータに合わせて特注品を作るのもそうですが、できれば量子通信機能も搭載したいので、それなりに準備が必要になります。だから企業のオフィスビルや工場を直接訪れてやりたいことがいくつかありますね」

「分かった。どこに行くの」

「とりあえずはトーキョーとアメリカのカリフォルニアとかですかね」

 そう言ってエティが世界地図を映して示す。

 しばらくすると飛行機は段々と減速して東京の空へと近づいていく。東京の景色を眺めながら、エティはぽつりとこぼした。

「せっかくこれからは二人なんだって思ったら、それがいいなって思ったんです。

 同じ感覚で、同じような息をして、隣に座りたかったんです。


 地球に二人で一緒に手を重ねて触れたかったんです」

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