第145話-1 真実を知ることは残酷なことでしかない
『水晶』以外にも以下の作品を投稿しています。
『ウィザーズ コンダクター』(「カクヨム」で投稿中):https://kakuyomu.jp/works/16816452219293614138
『この異世界に救済を』(「小説家になろう」と「カクヨム」で投稿中):
(小説家になろう);https://ncode.syosetu.com/n5935hy/
(カクヨム);https://kakuyomu.jp/works/16817139558088118542
興味のある方は、ぜひ読んで見てください。
宣伝以上。
前回までの『水晶』のあらすじは、クリスマスの日、世界が石化するという現象が起き、石化されなかった瑠璃、李章、礼奈は異世界からやってきたギーランによって、異世界へと送られるのだった。そして、魔術師ローの話により、世界を石化させたのはベルグの可能性があり、彼を探すために異世界の冒険に出ることになるのだった。そんな中で、クローナを仲間に加え、アンバイドを一時的な協力関係を結ぶことになり、リースへとたどり着く。
そこでは、ベルグの部下で幹部の一人であるランシュが仕掛けたゲームに参加することになるが、そこで、リース王族の一人であるセルティーと知り合うこととなり、チームを組んでランシュのゲームの中で最終的にはランシュを倒すのだった。それを利用したかつてのリース王国の権力者側であったラーンドル一派の野望は、それを知っていた王族でセルティーの母親であるリーンウルネによって防がれることになる。
詳しくは本編を読み進めて欲しい。
そして、リースは王族とランシュの共同体制ということで決着することになる。
一方で、ベルグの部下の一人であり、ランシュと同等の地位にあるフェーナがベルグの命により、ベルグの目的達成のために、その部下ラナを使って瑠璃のいる場所を襲うが失敗。その時に、サンバリア側の刺客であることがバレて、瑠璃、李章、礼奈、それに加え、クローナ、ミランとともに、サンバリアへと向かうのだった。これは陽動作戦であり、ローもそのことを知っていて、瑠璃たちを成長させるために敢えて、乗るのであった。
そして、瑠璃たちは、セルティー、ローらと別れ、船の乗り、サンバリアを目指すのだった。
「ドグマロ!!!」
ミランが激昂する。
ミランからしてみたら、瑠璃が血の繋がった妹である以上、殺したいほど憎んでいた過去があるが、それでも、この「人に創られし人」の一族であるということだけは、知られるわけにはいかなかった。
この世界において、人が人を創った、その存在はただ一人しかおらず、その人はそれを一回しか実行していないのだ。
そんなことはその存在に対する過去を暴くことになり、そして、その「人に創られし人」の子孫はかなりの数がおり、その人間と子孫には首筋に水晶が埋め込まれているのであり、埋め込まれた状態で生まれるのだから―…。
それを、人通りがある場所で、堂々と言って良いことではない。
そのことを知っている者からすれば、差別の対象でしかないのだから―…。
それでも、真面に接してくれる人もいるのだが―…。
世界は何でも一枚岩のように勢力を語ることなんてできないのに、そのように語る沼に浸っている人は結構いたりする。
それは、領域を一括りにすることに人が物事に対して、考えているからに他ならないということであろう。その領域設定に関する使い方をミスしてしまうと、差別とか偏見とか言われるものへとなってしまうし、未来の一地点における視点からの今という状態の歴史という認識において、悪い意味で目立つことになるのは避けられないであろう。つまり、負の歴史ということになる。
この負の歴史をなかったことにするような人間は、正しさをある一定のものにおける認識以外は認めないという自らが人間であり、完全にも完璧にもなれない存在であることを忘れ、全知全能であることを無意識か意識的にか周囲にアピールしていることになる。
そのアピールは結局、自らの存在に対する嘘でしかないことを言っているだけなのだ。その嘘を自分は真実だと思っているようにして言ってくるから、質が悪い。
そういう輩に限って、自分が正しいと思っている価値観に対して、それとは合わないことを言ってくる者達に対して、すぐに否定して、自分の考えに沿うもの以外は認めないという態度をとる。そこにあるのは、考えるということではなく、自分が正しい基準であるという認識と同時に、自分以外を劣っているという蔑視という面が見え隠れしているだけなのだ。
そのことに気づいていないのではなく、それが当たり前だと思っているからだ。
本当に大事なのは、色んな人の意見を取り入れながらも、自分の中でしっかりと考え、知識や経験、それらの組み合わせによるものを用いながら、しっかりと自分が考えていることが本当に正しいのか、不安に思いながら、自問自答することだ。
不安は気持ちの面でマイナスにしてしまうところはあるが、それと同時に、マイナスの出来事を想定することを意識的にすることができるので、結果として、それに対する対策をある程度とっていたりすることができるし、杞憂に終われば、対策の意味はなかったかもしれないが、それでも、成功を手に入れることができるのだ。
ゆえに、不安な気持ちになるという意味はないと考えると人はいるだろうが、マイナスの結果になった場合、備えているのといないのとでは、気持ちの面での落ち着きは異なっている場合があるので、しない心配であったとしても、しておくべき場合は存在するということだ。
迷わないことは時に大きな力となるが、それゆえに、大きなミスに繋がるということも十分にあり得るというわけだ。
人の感情はマイナス面にはたらく時もあるが、プラス面ではたらく時もあるということだ。不安だろうが、喜びだろうが、そういう面は変わらなかったりする。
さて、ミランがその人物の名前を言う。
会いたくない人物であり、二度と出会わない方が得であるということはしっかりと理解できている。
それでも、会ってしまった以上、ドグマロの視界からどのようにして消えるかということを必死になって考える。
思い浮かばないであろうが―…。
そんなことを百も承知であるドグマロは、
「ミランのことは常に好意を持っていろんな言葉で表現しようと思っているけど、そのように睨みつけられると悲しくなってしまう。」
と、別の話をし始める。
ドグマロからしてみれば、これは、話題を逸らすというよりも、ミランに敢えて、こちらの方へと聞かせるという狙いがあった。ミランという人の性格や行動を知っているからこその対応であろう。
ドグマロの狙いに見事に嵌ってしまうのだった。ミランは―…。
「そんな話はどうでも良いでしょ!!! 今の話はさっさと冗談だったと言いなさい!!! その話はこのアウリア大陸ではよっぽどのことがなければしない方が良いわ!!!」
ミランは精一杯警告する。
「人に創られし人」の一族。
そのことを知っている人間は、リースの周辺ではそんな数がいないから誤魔化すことも簡単ではあるが、アウリア大陸では噂話で有名になっていたりするので、その話はすべきではない。
なぜなら、ある話と関連にして寝物語で語られるのだから―…。
「知っているさ。寝物語で有名さ。
ある時、首筋に水晶が埋め込まれた人の集団が船でやってきた。
彼らは「人に創られし人」、不死の魔女によって創られし人。
魔女は自らの娘の死を受け入れられずに、禁忌を犯す。
そして、その娘の子孫は迫害を逃れ、アウリアへ。
それから暫くして、かの地の近くに大帝国が領域を広げる。
人々に不幸をもたらし、蹂躙する―…。
その国は、ある日を境に、突如として消える。
人々の平和が戻る。
この何気ない寝物語で聞かされる最初の詩は、まるで、ある人物と「人に創られし人」の歴史の一部を現わす。だけど、この物語には肝心なところがなく、寝物語でもその理由を正確に語られることはない。そして、首筋に水晶が埋め込まれた「人に創られし人」は、アウリア大陸には二百年前に漂着したという。そして、多くがこのサンバリア周辺の砂漠の中にあるオアシスでその多くが暮らしている。だけど―…。」
と、ドグマロは言う。
ドグマロは、この寝物語の歴史というものの全てを知っているわけではないが、一部の事実に関してはしっかりと知っている。
そして、「人に創られし人」の歴史でも一部しか知られていない歴史はしっかりと存在している。それは、彼らにとっては、知られたくない歴史であり、善悪というものが一つの中に複雑に織り交ざり、かつ、立場によって変化するものであり、良い面悪い面を持ち合わせているようなものを教えてくれるものだ。
そして、この寝物語の詩に関しては、少しだけ触れられるだけ触れるのであれば、二百年前にアウリア大陸にやってきた「人に創られし人」の一族の多くが砂漠の中で暮らしていることは事実であり、確実に迫害されたわけではないが、どうしても差別的なものに遭うということがあったからである。
人は自らと違うものを人だと認識することができない場合がある。同じ人として分類されることがあったとしても―…。
それは、自分が人であり、その基準からある程度離れると、人ではないという認識に基づくものであり、個々によって違いはあるだろうが―…。人が何かしらの範囲を有限にすることによって、区別することから派生するものであり、それは使い方をしっかりとすれば、ものの見方に良い結果をもたらすが、間違うと差別などの悲惨な歴史を生み出すことになる。
その歴史は、未来において、負の歴史の役割を果たし、その負の歴史を負の歴史に思わない人々の存在が発生することによって、過ちを繰り返すものとなり、人の不幸の一ページを刻み、そのことによる犠牲者が加害者になるという負の連鎖だって、発生することがある。
差別をしてきた者が差別される存在になるかのように―…。
そして、人は他者がいないと生き残ることは可能であったとしても、できることが限られる範囲がかなり極小なものとなり、かつ、種を残すことができずに滅びるという運命を確定させるだけなのだ。
そのような運命を望む生物はいないであろう。
ゆえに、周囲を慮りながら、範囲設定をしっかりと正しいのかどうかを何度も確認しながら、自分に問いかけていくしかないのだ。
さて、話を戻す。
ドグマロは「だけど」というところで瑠璃へと視線を向けて、言う。
「君のような子を一族の集会で見たことはないし、それに―…、君は自分がどういう存在かを知らないようだから、しっかりと教えないといけない。「人に創られし人」の一族とは、どういう―…。」
と、ドグマロが言いかけたところで―…。
「いい加減にしなさい!!!」
と、ミランが吠える。
一方で、瑠璃はずっと、ドグマロの方へと視線を見せながらも、ミランとドグマロの会話を聞きながら―…。
(「人に創られし人」の一族―…。)
と、今日、今、起こっている場というものにまだ思考が追いつかないという感じだ。
瑠璃からしてみたら、自分の首筋にある水晶というものがどういうものであるのか、ずっと疑問に思ってきたのだ。アンバイドには話せるような感じではなかったので話すことはできなかったが、血の繋がった父であるギーランとは再開したところが、リースであり、ランシュの仕掛けたゲームの中であったので、ゆっくりと話す機会がなかった。修行がかなりにハードなものであったということから―…。
そして、ランシュの仕掛けたゲームが終わった後は、サンバリアの人間によって襲撃を受けるという事件があり、その後の砂漠越えの準備とリースを見て回るという観光もしていたので、聞く暇はなかったし、サンバリアがなぜ自分を襲ってきたのかということで、完全に忘れてしまっていたのだ。
ゆえに、ドグマロの言葉は、自分の根源に対する疑問を呼び起こすのにピッタリであったということだ。
瑠璃は、ドグマロに聞こうとするが―…。
「瑠璃!!! あいつの話は聞くな。嘘八百だから―…。」
と、ミランは瑠璃に対して警告する。
ミランからしたら、ドグマロは事実を言っているようにしか聞こえないが、それでも、今の瑠璃が聞くには負担が重すぎるし、「人に創られし人」の一族というものは、このような人通りがある場所で話して良いものではない。
その歴史が希望と悲惨の隣り合わせであるものであったとしても―…。
ドグマロも観念したのか。
「ふう~、済まないねぇ~。ミランに会ったからつい興奮してしまって、余計なことを言いそうになったよ。まあ、こっちの目的はリースの方へと向かうことだから、ここまでしておかないとな。あと、悪い話をしてしまったから、良い話をしておいた方が良いだろうな。もし、砂漠越えをするのなら、「人に創られし人」の一族の人間に会うと良い。そうすれば、きっと、自身がどういう存在であるかを聞くことができるはずさ。魔女の敵とやらを、「人に創られし人」の宿命とやらを―…。じゃあ。」
と、言って、ドグマロは去っていく。
その姿を、見ることしかできなかった。
この出来事は、瑠璃の中に大きな疑問を残し、その魔女から語られる後の話の一部を聞いただけで、絶望することになる。
それは後の話。
【第145話 真実を知ることは残酷なことでしかない】
第145話-2 真実を知ることは残酷なことでしかない に続く。
誤字・脱字に関しては、気づける範囲で修正および加筆していくと思います。
ドグマロが言っていることが一つの伏線回収的な要素があるのですが、詩の中には、いくつか嘘というものもしっかりと含まれていますので、それをすべて事実だと解釈はしないようにしておいてください。
そして、「人に創られし人」の一族の使命、特に、瑠璃はあることの使命も追加されているようですが―…。それは第1編の最終章で―…。
これからは、砂漠へ行くための準備と護衛依頼があるかどうかを探すこと―…、アンバイドとワイセッセの対決の行方ですねぇ~。サンバリアから逃れた者達の行方に関しても―…。
かなり内容が濃いような感じがするでしょうが、イスドラーク到着までには瑠璃以外にもいろいろと動きが少しだけどあると思います。
まあ、サンバリアの章は、第242話まで一応は続きますからぁ~。
ということで、読んでくださっている方々には感謝しかありません。ありがとうございます。
では―…。