第76話 終わらない幻
前回までのあらすじは、イルターシャの幻の世界により李章は、攻撃を受けてしまうのであった。大きな剣に刺されるという―…。
李章は、痛みに襲われる。
自らの意識を奪われるほどに―…。
(痛い…苦しい……。)
と、心の中で言うが、もう実際に声にすることはできない。
痛みがひどく、苦しみがひどくて、思考すらままならない状況で、かつ、死ぬことすら許してくれないのだ。
李章は、苦しみ続ける。どうしようもできなくなっていた。
まるで、フィルネの約束を守らねばならないほどのピンチに―…。
自然と李章は刀を抜こうとするが、その前に激痛がはしる。
(痛ァ…ガァ……………。)
と、李章の思考は完全に停止しかける。
振り絞ることもできずに、刀を抜くこともできずに―…。
あれ、李章は刀を抜かないようにしていたのではないか。
そんなポリシーなど、今の状況では意味がないのだ。
生きたい。生きたい。
という気持ちは誰しもがもっている当たり前の感情だ。死を選ぶのは、生きることによって自らの不利益が拡大し、もう二度と利益を得られることがないと感じるからだ。客観的でなく、主観的に―…。だけど、このような理由など本当に人が自らの死を選ぼうとする理由であるかなどとは本当の意味でわかっているとは限らない。本当の気持ちなど、完全に知りうるものではないのだから―…。
それでも、李章は生きたいと判断する。自らが生きなければ、好きな人である瑠璃を守ることができない。これは、李章にとって、最大限に守らないといけないことだ。だから、生きようとする。
そして、李章は地べたを倒れていくのであったが、痛みが意識を失わせない。ゆえに、手をだし、必死になる。そこにいるかもわからないイルターシャを倒すために―…。
それでも、現状は最悪の方を向いていた。地べたに倒れた時に、李章を刺した大きな剣はなくなったが、痛みは残ったままである。李章は立つことすらできない。
一方で、その様子を見ていたイルターシャは、
(李章…、私の幻の世界はどうかしら。まあ、お気に召すことはないでしょう。)
と、心の中で目の前で見えている李章の這いつくばる姿を見ながら、表情を喜ばせるのである。
イルターシャのサディストとしての一面がでている。快感に浸っているのだ。李章の苦しみ、這いつくばり、生を求める姿に―…。
(人は、誰しも生きたいと願うものなの。それは、生物が本来もっている本能。それに、逆らうことはほとんどできない。今、李章、あなたの姿がそうなの。プライドもポリシーも、死の危機の前では、ただの使えないものでしかないの。)
と、イルターシャは続ける。
イルターシャは、さらに、李章の姿を見ながら、続けて、
(まあ、人は簡単に死んでしまう。血を大量に出すことで、体の一部の中で重要な部分を単数もしくは複数を同時に失うことで、そして、思い込みによって―…。私の幻の世界では、相手に死ぬほどの痛みを与えて、痛みの限度を越えさせて、そのショックで相手を殺しているの。私の生きる世界は、やらなければ、やられるのだから―…。)
と、イルターシャは心の中で、冷静に自らの人生を思い出していた。
それほどに、李章を倒すことも、殺すこともいつでもできるようになっていた。
(さあ、どれだけ耐えられるかな―…、痛みに―…。)
と、イルターシャは痛みの度合いを引きあげるのであった。李章に対して―…。
李章は、声にならない悲鳴をあげ、苦しむのであった。もう、思考も何もできないほどに―…。
【第76話 終わらない幻】
李章は、追い詰められる中、声を聞く。
その声は、フィルネの声だった。
李章にとっては、言葉にすることはできなかったが、神のようなものだと感じた。
〈フィルネよ。刀を抜こうとしたことは良いことだ。だけど、イルターシャの方がそうさせないようね。大丈夫。これは、私で対処しておくから、私の特殊能力を一度だけど使う。正体はわかっている。幻なのだから―…。〉
と、フィルネは念話を李章に送るのであった。
だけど、その声を李章は、聞く前に意識を失いかけるのであった。闇の中へと―…。
〈これは―…、なるほど、おもしろいね。〉
と、フィルネは心の中で思い、自らの特殊能力を使うだけにしたのだ。
それは、幻にかかっていることをなかったことにした。無効にしたのだ。
そして、李章は、意識を失っていく中である言葉を聞く。
「やっと、俺が出られる。」
と。
フィルネもその言葉を聞いた。フィルネにとっては、李章の主人格が変わることに関してはどうでもよかった。自らの力を最大限つかってくれるのなら、どっちでもかまわない。
一方で、李章は、絶望した。失いかけた意識を無理矢理にでも戻そうとするぐらいに―…。そうしなければ、最悪の出来事が起きてしまう、かつてやったように―…。
それ以上の最悪になるように―…。
イルターシャは、李章の何かが変わったことに気づく。それは、李章は意識を失っていくにつれて、増幅するかのように感じた。
「!!」
と、驚く。恐怖を感じた。
(何!! この感覚は!!? 追い詰めたはずなのに!!!)
と、イルターシャは、李章にどうして恐れをなすのかわからなかった。
それもそのはずであろう。追い詰められた人間が、弱まっていくはずの気力が、むしろ相手を上回るほどの気力になっているのだから―…。驚かないのも無理はないだろうし、恐怖を感じることでもあろうし、理解できないものであろう。
やがて、李章は立ち上がるのであった。
「ありがとう、イルターシャには感謝している。俺は、ずっと李章のせいで、ずっと心の奥底に閉じ込められていたんだよ。ほんと、嫌な奴だ。俺がいなかった李章は、とっくの昔に死んでいてもおかしくなかったのによぉ~。助けた恩人のこの俺にこんな仕打ちだぜ。恩を仇で返された気分だ。まあ、そんなことはいい。イルターシャは俺に敗北する。ただし、俺を表に出させてくれた礼もあるから、ダメージは最低限にしておくし、五体満足に動けるようにしておくさ。」
と、李章(?)が言う。
この人格は、李章の心の奥底にいつも囚われており、李章が無理矢理にでも表に出さないようにしていた。そのこともあり、李章が負けることができなくなっていたのだ。負けそうになると、いや、正確に言うならば、李章が死に近づくと、心の奥底で閉じ込めてこくができなくなるのだ。李章の心の奥底にいるものを―…。
そして、今、それが現実のものとなり、表に李章(?)が出てきたのだ。
李章(?)は、気分がよかった。表に出てこられたのだ。そのことに貢献したイルターシャには、感謝している。試合に負けたいとは思わないので、勝利の時におけるダメージを最小限にしようと譲歩したのだ。李章(?)にとっては、最大の譲歩であったが―…。
イルターシャは、李章(?)にとっての最大の譲歩に合意できるわけがない。李章(?)の最大の譲歩は、結局、イルターシャにとって益をなすものではなかった。普通に多くの者の考えでは、そうなるのだ。だけど、力の差とは時に残酷だ。相手の力をしっかりと見極めないといけない。先を読んで―…。イルターシャは、李章(?)の最大の譲歩の条件のせいで、譲歩に対して合意することができなかった。
しかし、イルターシャは、幸運であっただろう。もしも、李章(?)がこのまま李章の表面の人格であり続けたら、間違いなく、イルターシャの生はここで終えることになっていたのだから―…。
そう、李章(?)に異変が起こるのである。
「ぐっ…、まだ、抵抗する気か…。幻を解かれてからに、いきりやがって―…。」
と、李章(?)は言う。
李章は、自らの武器に宿っている天成獣であるフィルネの特殊能力で、幻を解くことができていたのだ。
ここは、李章の心の奥底。
李章は、激昂する。
「俺は、まだ負けていない!!!」
と。
「そうか、お前は負けているんだぜ。イルターシャは、幻の属性の天成獣を扱っているのだから―…。いくら、李章、お前が操っている武器に宿っている天成獣の属性が生では無理だろ。いや、可能か。だけど、それは、李章、お前にはできない。できるのは俺だ。俺なら刀を抜いて確実に倒すことができる。」
「……ッ。」
(出させるわけには―…。だから、だから…。)
と、李章と李章(?)のやり取りが続く。
心の中の言葉は、李章である。李章は悔しそうにする。言葉がでないのだ。李章は、イルターシャとの戦いで、すぐに圧倒的に不利になってしまっているのだ。それは、李章にとってもわかっていることだ。それでも、それでも、李章(?)を表に出してしまえば、最悪のことになるのはわかっている。もう、二度とそんなことにはなってはいけない。してはいけない。
「負けない、これから勝つところだった。」
と、李章は、さらに意地をはるように言う。
「………負け惜しみだな。だが、まあいいか。フィルネによって幻が解かれたみたいだしな。やってみるがいい。愚か者よ。自分勝手な者よ。視野の狭き者よ。」
と、李章(?)は言う。
その言葉には、狡猾な一面ではなく、本当の中には、気づいてほしいものがあった。ゆえに、心の中で、
(いい加減気付けよ。受け入れろよ。自分を―…、弱さを―…。)
と。
幻の世界。
そこには、イルターシャと李章しかいない。
(しばらく、動かなくなったね。これ、私の勝利かしら―…。)
と、イルターシャは心の中で言う。
李章が、勝手に苦しみだしてから、しばらくの間、イルターシャはずっと李章を見つめていたのだ。李章が勝手に苦しみだしている以上、イルターシャからは何も手出しができない状態であった。
イルターシャは、相手の意識がはっきりしていないと幻をかけることはできないのだ。それは、武器に宿っている天成獣の属性が幻の者たちにとっても同様である。例外は存在しないわけではないが、ごく希少の部類に入るだろう。むしろ、そんな相手に出会ってしまえば、李章は試合開始後すぐに倒されてしまっていただろうし、生をあっという間に終えてしまっていただろう。
イルターシャは、李章の意識が戻るのを待っていた。戻って再度、幻を李章にかけないといけないのだ。そうしないと、精神の面に攻撃をすることができないのだ。
そうこうしているうちに、李章は意識をはっきりとさせ、立ち上がる。
その時、イルターシャは、
(戻ったようだね。あの威圧のような感じではなくなったようね。なら―…。)
と、心の中で言う。
イルターシャは、李章のさっきのような、威圧を感じなくなっていた。恐怖というものが和らいだのである。
「あら、さっきの威勢のようなものは消えたのね。」
と、イルターシャは言う。
李章は、
「さっき何を言ってきたが知らないが、それに関しては取り消させてもらいます。あれは―…、知らないほうがいいです。私は、イルターシャを倒します。勝負として―…。」
と、目をはっきりとさせ、意志を固めた表情をさせて言う。
それを聞いたイルターシャは、
「へぇ~、私を倒すね。でも、もう意味ないよ。」
と、言う。
その後、李章は、痛みに襲われる。
その痛みは、何か所で同時に起こった。
「もう、私の攻撃は、始まっているのよ。」
と、イルターシャは言う。
それは、すでに、李章に再度、幻をかけていたのだ。李章がさっき言葉をいう時に、成功していたのだ。
〈約束は守ってもらうぞ、李章!! 刀を抜け!!!!〉
と、フィルネの声がした。
【第76話 Fin】
次回、刀は抜かれる!!
誤字・脱字に関しては、気づける範囲で修正していくと思います。
次の更新で、第八回戦は終わります。その後はしばらく番外編となります。この番外編は、『水晶』の話数としてはカウントしません。近い内容を、リースの章のどこかでおこなうと思いますから―…。たぶん、二か月ほどのお休みをする前ぐらいに確実に入っていると思いますし、やっているとは思います。予定ですが―…。
では、次回の更新で―…。