プロローグ2
自己紹介もかねて
俺の名前は尾形敏之、現在27歳で独身だ
右投げ右打ちで、メインは外野手
仕事は業界ナンバーワンのコンビニのオーナー兼店長
何故その歳でオーナーに??
と思うかもしれないが、言わゆる親のスネかじりってやつだ
もちろん親父もオーナーである
今はそんな仕事の合間に野球をするのが人生の楽しみだ
土曜の夜勤明けの、日曜の早朝と昼、それが俺の野球をやれる時間となっている
そのあと日曜も夜勤があるため、終わったらすぐ寝て仕事に向かう
まぁ毎週じゃないから何とかなってる感じかな
野球は試合のみだが、今までの野球人生と比べると何倍も楽しい
なにより、試合あっての野球だと草野球で気付かされた
本当に大したことはないんだが、この辺で俺の小、中学生時代の話をしておこう
小学校の頃は地元の少年野球を小学3年生の終わり頃に始めた
4年生になって、初めての大会を初戦で負けたが、その後の敗者復活戦で勝ち、その後あれよあれよと準優勝(決勝でコールド負けしたが)
凄く期待される世代となったが、この準優勝が少年野球の最初で最後の賞となった
地元の中学校に進むと、当たり前のように軟式野球部に入部
そこで初めてのポジション争いをして負けたのを今でも覚えている...
それは中学1年生の時の秋の1年生大会のスタメンを決めるため、顧問のノックをエラーしたら抜けていく式のものだった
残った1人がスタメンとして出れるのだ
俺はファーストのポジション争いのため参加した
結果はラスト2人でエラーしてしまい、泣く泣く友達に譲る形になってしまった
今でも鮮明に覚えている
そこからは毎年顧問が代わり、2年生の時だけ顧問に気に入られて大会に出た
しかし、最後の大会は出番なしだった
この中学では、引退試合を毎年やっていて、後輩VS3年生で最後に試合をする
その試合で俺はまだやれるのでは?
と思えるヒットを打った
引退して少し経った後にやった試合だったから、当然みんなは練習不足
しかし、俺は高校でやると何故か決めていたため素振りやランニングを繰り返していた
そしていざ引退試合当日
みんなはシニアでもやっているという後輩ピッチャー相手に三振の嵐
誰も打てていなかった
そう、"誰も打っていない"中でだ、
俺はストレートに降り遅れながらもライト戦にツーベースヒットを打ったのだ
嬉しかった
何となくだが、全員をここで追い越せた気がした
自分の努力は無駄じゃなかったと初めて思った
"たまたまだとしても"
場面は変わり、中学の進路面談の時の話だが、ここで運命の決断をすることとなる
今思えば色んな選択肢もあったが、成績が全体の平均前後の俺にはそこまで選択肢があると思ってなかったんだ...
担任の男性教諭と話し、"本気で野球がやりたい"と伝えた
そうして話し合っていくうちに、ある高校をおすすめされた
ある商業高校であった
その商業高校は、校舎を立て替えたばかりで綺麗だし、偏差値も46ぐらいと、俺に丁度いいぐらいの場所だった
実際はもう少し上も狙えたかもしれないが無理なくいける公立高校ではベストだったのかもしれない
そこで担任に言われた推し文句は、
"挨拶が気持ち良かった"
であった
野球も真剣にやってそうと聞き、二つ返事で、
"そこに行きます"
と言った俺は本当に浅はかだったのだと今は思う
甘い甘い俺は地獄への第一歩を踏み出したのだ
そうこうして時間は過ぎていく
推薦では受からず、一般で受かり高校へ入学するのだが、
入学前に野球部に体験みたく参加して、入学式を待つ形となった
ここで自分の馬鹿さ加減を説明しておこう
特色化推薦というものでスポーツの枠で申し込んだ時の話だ
監督と部長からの面接があったのだが、そこで自分の長所を聞かれた時に答えた内容は、
"やる気と気合いに自信があります"
である。
野球の話なのに、根性論から入ってしまっていた
その後体力測定もあったが、特に目立つところもない俺は当然のように受からなかった
ちなみに後日知ることとなるのだが、この推薦枠で取る人間は決まっていたらしい
出来レースに参加していたのだった...
それでも頑張るぞ!
と意気込みMAXで入学したのを覚えている