【アニメ第11話放送記念】残骸11 殉愛者たち
フラムとフィノは、手に入れた地図を頼りにアンヴォロの潜伏先へと向かう。
そこは先ほどの研究所のように隠された場所ではない。
通りに面して堂々と存在するギャラリーだった。
アンヴォロの所有する美術品の数々が展示してある。
休日は無料開放しており誰でも自由に入れるが、今は鎖で施錠されている。
「さすがに人前でフラムちゃんに壊してもらうってわけにもいかないわよね」
鎖を前に、フィノが言った。
するとフラムが手を伸ばし、軽く鎖をほどいてしまう。
「えっ、フラムちゃん怪力……?」
「最初から鍵なんてかかってなかったの。ただ鎖が巻かれてただけ」
「そういうこと。つまり――」
フィノは門の向こうにある建物を見上げ、目を細める。
「また捕まりたがりなのね、あの男は」
「どういう意図かは知らないけど、私が前に行くね。フィノさんは離れないように」
「頼りになる背中。あたしがあの包帯の子だったら惚れてたわ」
「茶化さないでよ」
フラムはほんのり頬を赤く染めつつ、ジト目でフィノを睨んだ。
一方でフィノは懲りていない様子で笑う。
状況とは裏腹に明るい空気を纏いながら、二人は門を開いて敷地内に入った。
中庭の先に建物があり、そちらにも扉があるが――そこもまた、施錠されていなかった。
中へ入る。
ギャラリーの中は広く、天井も高い。
床は白く、ランプの光を反射して輝くほど綺麗に磨かれていた。
そしてそんなどこか無機質で寂しい空間に、いくつかの展示品が置かれている。
「やな匂い」
フィノが顔をしかめる。
これだけ掃除が行き届いた空間なのに、どこからか血なまぐさい匂いが流れてくる。
フラムもそれに気づいており、険しい表情で前を見据えた。
「くれぐれも離れないように」
重ねて言われると、フィノもさすがに茶化す気にはならなかった。
慎重に前へと進む。
カツ、カツ、とやけに足音が響くのが不気味だった。
もしもここにアンヴォロがいるのなら、とっくに気づいているだろう。
しかし仕掛けてくる様子はない。
フラムは彫像の横を通り過ぎながら、右手の感覚を確かめるように軽く拳を握って開く。
いつでも魂喰いを抜く準備はできている。
さらに前進すると、小さな音が聞こえてきた。
かちゃかちゃと、ナイフとフォークが皿に当たるような音だった。
フラムが足を止め、前に行こうとしたフィノを手で制する。
「この先にいる」
「……あたしにも聞こえてきたわ」
「この音は――」
「食事中なんでしょうね」
「こんなときに?」
「待ってるんでしょう、あたしを」
「余裕をかましてるってこと。見下されてる気がしていい気分じゃないな」
「アンヴォロのする善人面は、そういう自覚に欠けてるのよ。だから妙な気持ち悪さがある」
おそらくこの会話だってアンヴォロに聞こえているだろう。
だからフィノは挑発するようなことを言ったのだが、反応はなかった。
フラムとフィノは視線を交わす。
言葉にはしなかったが、『いけすかないね』で気持ちは一致していたと思う。
さらに二人は進んだ。
やがて展示品の雰囲気が変わり、悪臭も強くなる。
まず最初に見えてきたのは、天井からぶら下げられた人間の開きだった。
脚部は骨が剥き出し、胴体は切り開かれ空っぽになった中身をさらけ出している。
「本物の死体だ……」
フラムはもう慣れたものだ。
フィノも今さら驚きはしなかったが――露悪的な異常性を感じずにはいられなかった。
「ご丁寧に内臓までぜんぶ取り除いてぶら下げるなんて、魚じゃないんだから」
「首、繋いであるね」
フラムの言葉通り、死体の首には雑に縫合した痕があった。
そしてその顔にフィノは心当たりがあった。
「アンヴォロの元執事――」
そのとき、椅子が動く音がした。
さらに足音が近づいてくる。
フラムは魂喰いを引き抜くと、音のする方に向けて構えた。
「名前はクライスと言う」
「アンヴォロ……!」
フラムごしにフィノは睨みつける。
一方でアンヴォロは、剣を向けられても動じる様子はなく、ぶら下げられたクライスの死体を見てどこか寂しそうに語る。
「私が子供の頃から面倒を見てくれた人でね。体を壊して執事を辞める日まで、家族同然に育ってきたんだ」
「だったら何で殺したのよ」
「それは――」
「ああ、いや、わかってるわ。あんたは愛する人を殺して、食らうことでしか食欲を満たせない。そういうことだったわね」
フィノの敵意をむき出しにした言葉を、アンヴォロは否定しなかった。
「黙ってないでなんとか言いなさいよッ!」
「ずっと、なぜ因果は巡らないのかと、私の良心は嘆いていたよ」
「はっ、まさに今のあんたは因果応報じゃない!」
「そうだ。今日のために、神は私に向かう因果を溜めておいたのかもしれない。そんな風に考えてしまってね」
アンヴォロはクライスの死体に歩み寄ると、しゃがみ込んで頭部に手を伸ばした。
フラムは斬ろうと思えば斬れる距離にいたが、剣を振るわず様子を見ていた。
彼から敵意が感じられなかったからである。
アンヴォロは慈しむように、クライスの頬を何度も撫でる。
「おいしかったよ。あんなにお腹がいっぱいになったのは久しぶりだ」
「だったら、何で泣いてるの」
アンヴォロは立ち上がると、指で流れた涙を拭いフラムと向き合った。
相変わらず殺意は感じられない。
「フラム・アプリコット。君は、生まれてこなければと思ったことはあるかな?」
「あるけど」
ステータス0で、足手まといで――それは勇者パーティに入る前からそうだった。
親や友人にたくさんの迷惑をかけてきた。
消えてしまいたいと思ったことは、一度や二度ではない。
「私もそう思っているよ。私は、存在するべきではなかった」
「だったらあたしを不幸にする前に消えなさいよッ! 他人を巻き込んでないで!」
自省めいた言葉を垂れ流すアンヴォロに、フィノは怒りを禁じ得ない。
「あんたの本質は〝悪〟よ! そういや自分の行動を後悔する善や慈悲も自分の一部だと思ってるようだけど、あんたは文字通り他人を食い物にする化物でしかないッ!」
「では、どうすればよかったのかな」
「死ねば?」
あまりに真っ直ぐなフィノの憎悪に、アンヴォロは頬をほころばせた。
苦笑ではなく、心から嬉しそうに。
「そうだな、その答えをもっと早くに示されるべきだった」
「かわいそうに。あんたの本質を見抜ける人間が周囲に誰もいなかったのね」
「ああ、ああ、まさにその通りだ。私が積み上げてきたもの、築き上げてきたものなど、すべて張りぼてに過ぎないのだから」
「よくわかってるじゃない。だから手塩にかけて育てた最愛の娘を簡単に奪われるのよ。あんたと過ごした十年以上より、あたしと出会ってからの方があの子は幸せそうだったわよ? 見せてやりたいわ、あたしに抱かれてるときのあの子の顔を!」
「見てみたかったよ。さぞ腹が膨れることだろう」
「ふ、ふふっ、苛ついてるんでしょう、アンヴォロ。化物の分際でいっちょ前に親の情があるんだから本当に滑稽よねあんた! なるほどね、これがあんたの言ってた〝溜め込まれた因果〟ってやつぅ? 理想の父親を演じて偽物の愛情を注いで、でも心のどこかでは『自分は本物の愛情をアデリッサに注いでいた、娘もそれをわかってくれている』と期待してた。まるで普通の父親みたいに! それがあたしに軽く抱かれただけで全部上書きされるんだもの。あまりに無様で、あまりに愚かで! あんたのマゾ食欲が満足するのも当然だわ!」
活き活きと罵倒するフィノ。
何も言い返せないながらも、明らかに苛立つアンヴォロ。
フラムは軽く頬を引きつらせながら、そのやり取りを聞いていた。
「どうしたのよアンヴォロ、反論してみなさいよ。あんたは支配者気取ってあたしの人生をぶっ壊せるぐらい頭がいいんでしょう? こんなところで黙り込まれちゃがっかりなんだけどぉ」
「笑いたければ笑えばいい」
「そう? じゃあそうさせてもらうわ。あっはははははは! まさかあのアンヴォロがこんな小物だったとはね! こんなクソ野郎にあたしの人生がめちゃくちゃにされたかと思うと最悪の気分だわ、あっはははははははッ!」
フィノはアンヴォロを指さし声をあげて笑う。
悪意100%の嘲笑であった。
だがある程度その嘲りを浴びたところで、表情に変化が生じる。
噛み殺した怒りの中から、悦びが顔を出したのだ。
フラムの顔は、今度は嫌悪に歪んだ。
本当にアンヴォロはマゾヒストだとでもいうのだろうか。
「ここで苛立ち、殴りかかれる自分でありたかったものだ」
「無理よ、紳士ぶった腰抜けなんだから」
「そうだな。私に許された人生とは、おそらく聖人君子か悪逆無道かのどちらかだけだったのだろう」
永遠の空腹という苦痛を受け入れるか。
あるいは悪人になりきって人を食らうか。
だが後者の場合――〝好き好んで人を食らう〟のなら、その行為に嫌悪感を抱くことはないのだから、彼の空腹は満たされないだろう。
つまり実質的に選択肢は一つしかなかったと言える。
諦める。
果たして普通の人間にそれが選べるだろうか?
死ぬまで続く死ぬような苦しみに耐えてまで、生きる価値を見いだせるだろうか。
「ゆえに誰も救えず、何も得られず……」
ならばどうしたらよかったのだ?
アンヴォロは何度もそれを問うてきた。
しかし己の欲望に関する話である限り、答えを出せるのは自分だけだ。
そして彼は選んだ。
表では善人、裏では悪人。
その二面性によるギャップで己を不快な気分にして、欲望を満たす。
善人でもあるのだから、誰かに恨まれ討たれても〝当然のこと〟と受け入れられるだろう。
悪人でもあるのだから、恨んだ誰かを暴力で退けても、〝力を持たないのが悪い〟と見下せただろう。
そう、できるつもりだった。
彼はフラムとフィノを案内するように、ゆっくりと歩きだす。
フラムたちがついていくと、そちらにはさらに別の死体が吊られていた。
当然、クライス同様に体を解剖された状態で。
「彼はレイノルドと言ってね、幼馴染なんだよ。今でも交流が続いていて、定期的に酒を飲み交わしていた。はは、だからかな、肉には酒の風味が染み付いているようにも感じられた」
思い出を噛み締めるように、死体を撫でるアンヴォロ。
彼はさらに他の死体に近づいていく。
フィノは憎しみの籠もった目で彼の背中を見ていたが、同時に異変も感じ取っていた。
後ろ姿が、やけに老け込んで見えるのだ。明らかに覇気がない。
「彼女はアンナロッサ。孤児だった彼女を引き取ってメイドとして働かせていた。私を親のように慕ってくれていたよ。やはり若いだけあって肉質も柔らかく、どこか甘い香りがしたよ」
ギャラリーの奥まで来ると、他の展示物に隠れて見えなかった死体の数々が見えてくる。
ざっと十体ほどはいるだろうか。
どれも逆さ吊りにされたまま解剖されている。
血抜きのために一度は首を落とす必要があったのか、頭部は後から繋ぎ合わせられていた。
「イーグル。優秀な執事で、ビジネスにおけるよき理解者でもあった。彼なしでは今の地位は築けなかっただろう」
そしてアンヴォロは全ての死体について語っていった。
どれも彼の親しい相手ばかりである。
彼はそれらの死体の中央に置かれた椅子に座る。
机の上には空になった皿が何枚か積み重なっていた。
フラムは思わず尋ねる。
「あなたが殺したの?」
「そうだ」
アンヴォロは何かを思い出すように目を閉じて、何かを悔やむように両手を握る。
「私が殺した。私の大切なものを、私自身の手で壊したんだ」
嘘をついているようには見えない。
しかし、フィノにはその表情には偽善めいたものが混ざっているように思えた。
そう、休日にボランティアに参加したときのような感情が、わずかだが滲み出しているのだ。
「こんなにも腹を満たす美食があるだろうか。こんなにも恍惚とする快楽が他にあるだろうか。私を取り巻く世界は、きっと今日という日を迎えるために、大事に大事に育てられてきたんだろう」
「あなた、そこまで欲望に弱い男だったの? てっきりあたしにとどめを刺すつもりでここで待ち受けているんだと思ったけど――」
フィノは失望し、哀れむようにアンヴォロを見た。
「何、勝手に絶望してんのよ。この勝負も、あたしの見てきた地獄も、全部あんたが始めたことでしょう?」
「勝敗の話をするのであれば、フィノ君の勝ちだったんだろう。アデリッサの心を奪った時点で」
「勝手に負けてんじゃないわよ! あんたのその〝相手に譲歩してます〟みたいな態度、ずっと気持ち悪いのよッ!」
フィノが声を荒らげると、別の足音が近づいてきた。
どちゅ、どちゃ、と重たく湿ったものが床に叩きつけられる音だ。
そいつはぶら下がった死体を腕で押しのけ、フラムたちの前に現れる。
「あぁなぁたぁ……? どこぉに、行ってたの、お?」
それは――たぶん、女性だ。
しかし顔から右腕にかけてがいびつに腫れ上がり、一体化しているため、元の顔がどういう形だったのかわからない。
辛うじて残っている左側頭部の髪が長いので、女性だったのか? と推測できた。
肉体の変異は胴体や脚部にも及んでおり、腹は膨れ服はすっかり破れており、脚も左右で太さは違えどどちらもぶよぶよの肉に覆われていた。
剣を構えるフラム。
彼女の背中に抱きつくように、後ろに下がるフィノ。
一方で、アンヴォロはその異形を前にしても動じることなく立ち上がり、抱きしめた。
「すまない、来客でね」
「あらぁ、そ、そそう、なの。よ、よく、よかたら、食べ……て? きと、すごぉくおいしいわ」
女性の手には、脂や血で汚れた皿が握られていた。
上には輪切りされたピンクの生肉が置かれており、痙攣するように表面が波打っていた。
アンヴォロはそれを受け取ると机の上に置き、丁寧にナイフとフォークで切り分け、口へと運ぶ。
「ああ、おいしい。おいしいよデルーナ」
「よか、た。た。おかわ……もてくる」
デルーナと呼ばれた異形は満足した様子で笑顔のような表情を浮かべると、背中を見せてギャラリーの奥へと消えていく。
その背中を見送るフラムは思わず呟いた。
「あれは……何なの」
すぐさまフィノが答える。
「アンヴォロの奥さんね」
「あれが? だって、どう見てもオリジンコアを埋め込まれてる」
フラムがコアの名前を出すと、アンヴォロは肉を口に運ぶのを中断して言った。
「そうか、君はその名前を知っているのか。あれはハーヴェストコアと言ってね、エキドナと我々で共同開発した食肉製造用のコアなんだよ」
「エキドナってキマイラの……馬鹿じゃないの。あんなもので肉を増やしたところで、誰が人間を食べるっていうの!?」
「人以外にも使う予定だったんだよ。結局は、未完成で終わってしまったがね」
終わった、とアンヴォロは言い切る。
ひょっとすると、施設の場所が暴かれたことで、彼の主導する計画は教会から切り捨てられてしまったのかもしれない。
フラムはさらにアンヴォロに問いを投げかける。
「奥さんにそれを使ったのもあなたなの?」
「ノーだ。妻は自らの意志でハーヴェストコアを取り込んだ。私に、至高の肉を提供するために」
「そんなのありえないわッ!」
フィノが声をあげる。
するとアンヴォロは、なぜこのような結末になったのか、その経緯を語りだした。
「アデリッサが消えたあの日……娘は私の書斎に侵入し、ハーヴェストに関する資料を見つけた。そこでハーヴェストが自分を家畜にするための計画だと気づいた」
「知ったから突き落としたんでしょう」
吐き捨てるようなフィノの言葉を、アンヴォロは首を横に振って否定する。
「アデリッサは自ら身を投げたんだ」
「ふざけるなッ!」
「ふざけていないよ。アデリッサが私の資料を見ている場面を、デルーナが目撃してね。デルーナは以前からハーヴェスト計画を知っていたらしく、私と計画を守るために娘を追い詰めたそうだ」
「……だから、自分から?」
「デルーナが言うには、間違いなく地面に叩きつけられて重傷を負っていたらしい。だが少し目を離した隙に、動けないはずの彼女は消えていた。何者かが現れ、連れ去ったのだろうな」
フラムには、確証はないが心当たりがあった。
おそらく、セーラと同じなのだろう。
一方でフィノの意識は、アンヴォロへの憎悪からぶれない。
「それで、ヤケクソになったあんたは自分の身近な人を殺して回ったの? それがこの悪趣味な展覧会の顛末?」
「デルーナだよ」
「また人のせい」
「彼女は娘を逃がした罪悪感から、人を殺めるようになった。元々、私においしいと言わせることにこだわっていたからね。妻がどんなに手の込んだ料理を作っても、私が満たされることはなかった。それがコンプレックスだったんだろう。人肉さえ用意すればその苦しみから解放されるんだ、責めることなどできない」
「何を良い話みたいに言ってんの。人が死んでんのよ!?」
愛情ごっこに酔っている。
アンヴォロの開き直り方は、アデリッサに溺れるフィノですらそう思ってしまうほどであった。
「何で止めなかったのよ」
「私に頼まれるまでもなく、私の親しい人物を殺して処理し、食肉として私に振る舞った」
「狂ってんのよあんたらはッ! だからまともなアデリッサは逃げるしかなかった!」
「ああ、狂っているな。そしてそうさせたのは私だ」
「責任を取ったみたいな面してんじゃないわよッ!」
怒りの限界を迎えたフィノは、アンヴォロの頬を思い切り殴りつけた。
アンヴォロは椅子ごと床に倒れ込む。
彼は笑みを浮かべ、頬を手でさすりながら答えた。
「その愛を誇るべきか、その破滅を嘆くべきか、私にはわからない。私にできることは、彼女の振る舞う料理を食らい尽くすことだけだったんだよ」
救えない。
フィノにはそれ以外の言葉が浮かばなかった。
すると、離れていったデルーナがこちらに戻ってくる。
新たな皿を手に。
彼女は夫の姿を見つけると、テーブルではなく倒れた彼の方に料理を運んだ。
よく見れば、デルーナの腕は一部が切り取られている。
アンヴォロの最も親しい人々は殺し尽くした。
もう、出せる料理は自分の肉だけ。
だからコアを使ったのだろう。
「あな、た……おにく、にく、ふふ……おいしい、たべ……」
「ありがとう、デルーナ――」
アンヴォロは料理に手を伸ばす。
その目には涙が浮かんでいた。
その情景を見てフラムは呟く。
「見るに耐えない」
フィノほどの憎しみは抱けない。
ただ、冷たく嫌悪することはできる。
そうしていい相手なのだと思った。
だからその場で剣を振り下ろした。
放たれた気剣斬は、料理を持ったデルーナの腕を切断した。
腕を切り落とした斬撃はさらに奥にあった死体と、壁に飾ってあった絵画を破壊し、壁に叩きつけられる。
「ああぁ、あああぁああ、あなたあぁぁぁあああああッ!」
断面から血が噴き出したかと思えば、ぼこぼこと肉が増殖し始める。
しかし痛みはあるのか、デルーナは傷口を抑えながらよろめいた。
フラムは二発目を放つために、今度は刃を寝かせて切っ先を後ろに向け、構える。
そのとき――
「やめろぉおおッ!」
アンヴォロが彼らしくない声をあげ、フラムに掴みかかった。
するとフィノが横からタックルを叩きつけ、そのままアンヴォロと二人で転がっていく。
「ぐうぅ……デルーナッ!」
「滑稽ねアンヴォロ。あれだけ不快なもので腹を満たしてたやつが、いざ妻が殺されるとなるとそれを止めようとするだなんて! やっちゃってよ、フラムちゃん!」
フラムは無言で二発目の斬撃を放った。
再びの気剣斬。
今度は脇腹に命中し、ぶよぶよの体がぱっくりと開いて、一部の内臓まで視認できるようになる。
黒い水晶も一瞬だが見えた。
デルーナの肉体は柔らかく、斬りつければ簡単に破壊できた。
その代わり、異様な速度で肉が増えるためすぐに傷は塞がってしまうが。
「やだあぁああっ! いだいいぃぃっ、あなだ、あなだあぁぁああっ!」
「離せ……くっ、デルーナ!」
「ほら言いなさいよ、前みたいに満腹になったって! 娘を追い込んでも言えたんだから、奥さんがどうなろうと言えるはずでしょう!?」
「ううぅぅうう、いたいよおお、だずげで、あなだ、だずげでえぇぇえ」
「……ッ!」
「黙るな、言えよ。言えぇッ、アンヴォロォォオオオオオッ!」
フィノの怒号が空間に響き渡る。
アンヴォロはフィノを振りほどき、妻のもとに駆けつけようとする。
だが、それよりフラムが三発目を放つ方が早かった。
先ほどの一撃でコアの位置は確認できた。
あとはそこまで、斬撃を届かせるだけだ。
「反・気剣斬ッ!」
完璧なトドメを刺すために、反転の魔力が込められた斬撃が飛翔し、デルーナに迫る。
デルーナはコアを取り込んではいたが、ぶよぶよの体になるばかりで戦闘力はちっとも向上していない。
この攻撃を防ぐことなどできなかった。
「あな……た……あい、し……」
アンヴォロに向けて手を伸ばし、最後の言葉を言い切ることなく――コアは破壊される。
肉体は枯れ果て、ボロボロになって崩れていく。
「ああ……デルーナ……」
アンヴォロの瞳から、一筋の雫が流れ落ちた。
フラムは、冷めた表情でそんな彼を見下ろした。
「聞いてて思ったんだけどさ。愛する人を食べることでお腹が満たせるって言うんなら、真っ先に奥さんが食べられてないとおかしいよね」
「そうではない」
「ハーヴェストの対象も、奥さんでよかったはず」
「そうではないんだ」
「何も違わないよ。あなたは奥さんを生かすために、生まれてきた娘を生贄にした。ただそれだけの悪党なんだから」
フラムの言葉でアンヴォロの余裕が失われていく。
紳士を取り繕うことに限界を感じた彼は、スーツの中に腕を突っ込み、隠し持っていたナイフを取り出した。
「アンヴォロ、あんたってやつはッ!」
フィノはナイフを奪おうと腕にしがみつく。
アンヴォロは自らの首を掻っ切ろうと力を込める。
「なぜ止める、殺しに来たのだろう!?」
「あたしが殺す! ありったけの苦痛を与えて、あんたの無様な死に顔をこの目に焼き付けたいの! 自殺なんてさせるものかッ!」
「私はデルーナを失った、もう十分だろう!」
「ただの自滅が贖罪になると思ってんじゃないわよッ!」
もみ合う二人にフラムはゆっくりと近づくと、アンヴォロの手首に魂喰いを突き刺した。
彼の手首から上が、ナイフもろとも体から切り離される。
「ぐああぁぁあああっ!」
苦痛に悶えるアンヴォロ。
フィノは這いずるように腕を伸ばしナイフを奪うと、彼に凶刃を向けた。
「あああぁぁぁああああッ!」
憎悪と歓喜と宿願と。
目に涙すら浮かべながら、万感の想いを込めて刃をアンヴォロの首に沈ませる。
肉を裂く感触が手のひらに伝わってくる。
気持ちいい。
同時に響く叫び声。
心地良い。
すぐさま引き抜く。
血が溢れる。
一部が手に付着して糸を引く。
美しい。
「死ねッ、死ねアンヴォロッ! あたしの過去はもう返ってこないッ! 夢も、希望も、綺麗だった自分もッ! だから――」
次は脇腹にやってみよう。
ああ、肉とは違って内臓まで貫いてるから少し柔らかいな、これも悪くない。
今度は腕。
こっちは骨が途中で引っかかって感触はいまいち。
けれど腕に刃が当たったときの叫び声は、一際大きかった。
痛いなら、苦しいなら、それでいい。
嬉しかった。
こんな男でも、ちゃんと突き刺せば顔は苦痛に歪むんだ。
ここまで狂っていたから、ひょっとすると死の痛みすら狂気が超越してしまうんじゃないかって心配だったけど。
なんだ、いざこうしてみると、ただ娘を愛せなかっただけのちっぽけな男じゃないか――
「できるだけたくさんの後悔を背負って、無様にッ! 死ねよぉおおおおおおッ!」
「がっ、がふっ、ぐ、がああぁあああっ!」
突き刺す、引きちぎる、かき回す。
脂でナイフの切れ味が落ちてきた。
皮を貫くためにぐりぐりとひねりを加える必要がある。
そんな試行錯誤すら愛おしい。
けれど――楽しい時間というのは、いつか終わりが来てしまうもので。
「アンヴォロ?」
ふと気づいてフィノが声をかけてみると、もう反応はない。
体は冷たくなって、目は上を向いたまま動かなくなった。
「アンヴォロ、嘘。もう死んじゃったの? ねえ嘘でしょ? あんだけ人を見下しておもちゃにしてたやつが、こんなあっさり死んじゃうわけぇ!?」
フィノは何度かアンヴォロの体を掴んで揺らしたが、とうに死んでいるのだから、それで何かが変わるはずもない。
彼女はアンヴォロの死に顔をじっと見たまま、声を震わせた。
「ああ……ああぁ……」
「フィノさん、大丈夫?」
フラムが肩に手をおいて、身を案じる。
振り返ったフィノは、目を血走らせて興奮した様子だった。
「フラムちゃん、ねえフラムちゃん」
「う、うん……」
「もう、アンヴォロはこの世界にいないのよね」
「死んだみたいだね」
「この世界は、アンヴォロがいない世界になったのよね」
「うん、なったよ」
確かめたかったのだろう。
これが、夢ではないのだと。
フィノは瞳を見開いたまま口角を吊り上げ、両腕を広げて最高の笑顔を浮かべた。
「あっはははははは! ははははははっ! こんなに世界が鮮やかに見えるなんて! あたしは自由だっ! あたしは夢を取り戻した、人生を取り戻した、もうあたしを縛る鎖なんてないんだあぁぁぁぁあああああッ!」
そして、高らかに叫ぶ。
喉が嗄れても構わずに、笑い声と咆哮を何度も繰り返す。
「おぉ……」
人間、テンションが上がり切るとここまでなるのか、とフラムは若干引き気味だった。
まあ、薬物中毒のモノマネができるぐらいなのだから、元から感情表現が極端な人間ではあるのだろうけど。
「このまま一日中踊り明かしたい気分! ねえフラムちゃんも付き合ってよ、いいでしょ!?」
「気持ちはわかるけど、早く動かないと」
「どうしてよ、もうちょっと浸らせてよ! みんなでアンヴォロの死体を囲んでパーティーを開きましょう!」
「こんなことして、教会が動かないと思う?」
ほぼアンヴォロの自殺のようなものだが、それでも教会は黙っていないだろう。
「フィノさんはアデリッサを連れて、すぐにでも王都から出た方がいい。お金はあるんでしょ?」
フラムが冷静に言い聞かせると、フィノは一瞬で落ち込み、肩を落とす。
「アデリッサを連れて行くかは……ここから考えるわ」
「どうして?」
「せっかく記憶喪失になったのよ? あたしだって、嫌な出来事を全部忘れて生きていけるならそれを選ぶわ。無理にあたしが連れ出して、思い出させる必要はないじゃない」
アデリッサからしてみれば、大好きだった両親の裏の顔を知り、その上で失ったのだ。
幸せなお嬢様は、悲劇の底へと急転直下。
記憶喪失のままの方が幸せかもしれない――と考えてしまうのも仕方のないことである。
フラムも気持ちはわかるので、何も言い返せずに頭をかく。
すると、ふと彼女は壁側に何かを見つける。
「あの鞄、なんだろう」
フラムが指した先には、不自然な壁のくぼみと、その中に置かれた革の鞄があった。
どうやらフラムが気剣斬を放った際に絵画が破壊され、その裏に隠されていたものが出てきたようだ。
二人で近づいて開いてみると、そこには黄金に輝く金塊がぎっしりと詰まっていた。
「うわ、なにこれ……もしかしてアンヴォロの隠し財産なの?」
フラムが驚いていると、フィノは蓋の裏に貼られた封筒を発見する。
フィノはそこに記された文字を読み上げた。
「娘へ」
アンヴォロは、フィノがここにたどり着くことを予見していた節がある。
そして自ら命を断つという選択肢も頭の中に入れていたようだ。
つまり流れによっては、フィノにアデリッサを託して妻と共に逝く、という美しい結末も考えていたのだろう。
もっとも、フィノもフラムも、外道にそんな華々しい散り様を許すほど甘くないが。
この封筒にしても同じことである。
フィノは書かれた文字を読み上げた直後、中身も確認せずに封筒をビリビリに破った。
「はいバイバーイ」
「ちょ、そんなことしていいの!?」
「いいに決まってんじゃない。あんなクソ親の遺言なんか渡したところで、アデリッサにいい影響なんてないんだから」
そう言って鞄の蓋を閉じると、両手で持ち上げる。
「このお金はあたしとアデリッサの将来のために存分に使わせてもらうわ。そうだ、フラムちゃんも分け前いる? 手伝ってくれたし」
「いらない。王都に住んでる人間が使うにはリスクが高すぎる気がする」
「確かにそうね、じゃあこっちは外に出たら使うことにしましょう。えーっと……出るのは表じゃない方がいいわよね」
「たぶん裏口とかあるだろうから、そっちかな。外に出たら一旦、アデリッサに会いに行く?」
「そうね……ええ、そうしましょう」
「ちゃんと連れてくんだよね」
「もしあたしの顔を見て記憶を取り戻すようであれば、エニチーデまで連れて帰るわ」
「思い出さなくてもそっちのがいいと思うけどな」
「そこまで自分に自信は持てないわよ」
フィノはアデリッサの親の血が付着した自らの手を見て、苦笑した。
フラムの場合、大切な人を守るための血は勲章ではないかと思うのだが――他人の恋路にあまり口を出すのはよくないことだ。
納得はしていないが、ひとまず今は黙っておくことにした。
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