【コミック8巻発売・アニメ第7話放送記念】残骸8 執愛者たち
ローブをまとった女は、人目を避けながら、軽やかな動きで王都を駆けた。
屋根の上まで軽く飛び上がり、時には宙を舞い――そして彼女は、両腕でアデリッサを抱えたまま中央区の教会へとたどり着く。
(さてと、ここまで来ちゃったけど……本来は首を突っ込むべきじゃないのよね)
三階から飛び降りたアデリッサは、治療しなければ命を失う状態だった。
ローブの女がそんなアデリッサを連れ去ったのは、彼女とその母親の会話を聞いていたからだ。
(連中の動向を探るために〝声〟を集めて聞いてたけど、あんなの聞いちゃったら助けないわけにもいかないし。かといって治療できる教会も信用できるわけじゃないし)
レデンプターの屋敷からもっとも近いのは東区の教会だ。
女がそこではなく、わざわざ遠い中央区の教会までアデリッサを運んできたのには、理由があった。
(……だから信用できる人間を頼るしかない)
門をくぐり敷地内に入ると、外の掃除をしていた修道女と目があった。
修道女は、怪しげな女が抱える血だらけの少女を見て顔を真っ青にすると、慌てて駆け寄ってくる。
「そ、その子はどうしたんですか!? 急いで治療しないと!」
「ええ、お願い。それと――親から、この子を守ってあげて」
「親から……?」
「頼んだわよ」
アデリッサの体はふわりと浮かび上がり、芝生の上に横たわる。
修道女が驚いた様子で浮かぶ少女を見ていると、その間にローブの女は姿を消していた。
「えっ、さっきの人はどこに……いえ、まずはこの子を治療しないと! ティナさん、怪我人よ! こっちに来てー!」
修道女は建物に向かって大声でそう呼びかける。
声に応じて、ティナやセーラたちは中から駆け出してくるのだった。
◆◆◆
「行方不明ってどういうことよッ!」
フィノは椅子から立ち上がり、テーブルを強く叩いた。
向かいに座るウェルシーは周囲を気にしながら「まあまあ」と彼女をなだめる。
ここは東区にある落ち着いた雰囲気のカフェ。
いくら隅の席を使っているとはいえ、フィノの怒声は店中に響き渡り、店員すらも肩をビクッと震わせた。
「こんなとこで騒いだらみんなに迷惑だよ」
「そんな話を聞かされて落ち着いてられないわよ」
「ほらほら、深呼吸して」
フィノは納得のいかない様子だったが、言われた通りに深く息を吸い、そしてどこか苛立たしげに吐き出す。
おかげで多少は落ち着いたのか、椅子に腰掛けた。
「なんでアデリッサがいなくなるのよ。何かを知ってしまったってこと?」
「大事に育てられたと思うし、両親が手を出したとは考えにくいかな。家出とか」
「なら真っ先にあたしとの待ち合わせの場所に来るわ」
「自信満々だあ。でも確かに、フィノは待ちぼうけしてたもんねー」
「別に約束してたってわけじゃないけど、いつもあそこで会ってたから……」
いつもなら来るべき時間に、アデリッサは現れなかった。
代わりに数十分遅れてウェルシーが現れ、このカフェで話をすることになったのである。
「それで、行方不明って話以外には何も聞いてないの?」
「行方不明というより、捜してるんだよね。使用人たちや、雇われた冒険者が」
「つまりアンヴォロも居場所を知らないってこと?」
「じゃないかなー。だから一番大きな可能性は、身代金目的の誘拐とか」
「……まさか西区のチンピラたちが?」
アデリッサは西区の娼館に出入りしていた。
目をつけられていたとしてもおかしくはない。
しかしウェルシーはそれを否定した。
「それはないかも」
「どうして言い切れるのよ」
「西区の方はゴロツキたちが揉めてるとかで、それどころじゃないんだって」
「内輪揉めでもしてるの?」
「さあ? 私はこっちにつきっきりだから、あんまり事情は掴めてなくて」
フィノは今は西区を離れているため心当たりはなかったが、ふとフラムの顔を思い浮かべる。
彼女も何やら厄介事に巻き込まれている様子だった。
西区に居を構えているようだし、もしかするとゴロツキの揉め事にも関わっているのかも知れない。
「でも西区の可能性が低いとしたら、中央区か東区か……アンヴォロと敵対する貴族がいるとしたら」
「んー、ほんとアンヴォロは外っ面はいいから、そういうのなさそうだけど」
「だったら誰が……!」
強く拳を握りしめるフィノ。
ウェルシーも具体的な情報を掴んでおらず、申し訳なさそうな顔をしている。
「一つ言えることは、私たちはアデリッサの手がかりを何も持ってないってこと」
「諦めろっていうの」
「じゃなくて、足を動かさなきゃ。記者の基本だよー」
つまり、取材に向かうとウェルシーは言う。
フィノはまだ気分が落ち着かなかったが、それが正論であることは理解している。
荒ぶる感情をぐっと抑え込み、ウェルシーの提案に乗ることにした。
◇◇◇
フィノとウェルシーがやってきたのは、レデンプターの執事を務めていた老人の家だ。
最初にここを訪れたとき、彼は二人を試すように無関係な話題ばかりを喋っていた。
何度も訪れて信用を得てみろ、という意味合いだったらしいが――アデリッサが行方をくらましたと伝えれば、何か話してくれるかもしれない。
そう期待して、ウェルシーは何度もドアを叩いたが――
「こんにちはー! いらっしゃいませんかー!」
反応はない。
「あのおじいさん、耳が遠いんじゃないの」
「この前の受け答えはしっかりしてたよ?」
「じゃあ寝てたりしてね」
「夕方なのに?」
「あの年頃のおじいさんは寝るのが早い人だっているでしょう」
フィノは苛立った様子でドアノブに手を伸ばす。
ひねってみると、あっさりとドアは開いた。
「あれ、開いちゃったわ」
「不法侵入はダメだって!」
「様子、見てみましょうよ」
「だから不法侵入は!」
「アデリッサが誘拐されたのよ? レデンプターの関係者を狙った犯罪の可能性も考えられるわ」
「詭弁ー」
ウェルシーは乗り気ではなかったが、半ば強引にフィノに家の中へと引きずり込まれていった。
中は明るく、比較的最近まで人が生活していた形跡が残っている。
リビングに行くと、飲みかけのお茶と、倒れた椅子が残されていた。
「うわ、事件の予感……」
「だから言ったでしょう?」
得意げな様子のフィノは、台所へ向かい、そこにある裏口のドアを確かめた。
鍵は開いている。
さらにしゃがみ込み、木製の床をじっと観察した。
「何かを引きずった跡があるわね」
「つまり何者かがこの家に入ってきて、あのおじいさんを引きずって誘拐したと?」
「その可能性が高いんじゃない。でなきゃ、こんな半端な状態で放置しないでしょ」
フィノは倒れた椅子を顎で指しながら言った。
確かにあの老人は元執事だ。
家の中も掃除が行き渡っており、倒れた椅子を放置して外出するとは考えにくい。
表も裏も鍵を開けたまま出ていくこともないだろう。
「しかしこうも関係者ばかりが狙われているとなると、レデンプターへの怨恨の線も出てくるかもねー」
「裏で何をしてるかわかんないわ。あたしみたいに復讐したがってる人間が他にもいるのかもしれない」
「つまりその犯人を捜して……」
「ええ、手を組むわ。アデリッサの安全は確保した上でね」
「それはやだー、だったら私は手を引くから」
「何よ、今更アンヴォロの肩を持つつもり?」
「ではなく。いくら老人とはいえ、人間を拐うなら複数犯でしょ。しかも家の中の様子がそんなに時間が経ってなさそうってことは、昼間に誘拐してる。フィノみたいに個人で動いてる人間じゃこんなことはできないよねー」
「組織的な犯行だっていうの?」
「アデリッサの誘拐然り、その可能性を考えておくのは大事だと思うよ」
だからウェルシーは、真っ先に西区のゴロツキを思い浮かべたのだ。
今の王都において、複数人で誘拐を実行しそうな犯罪集団は彼らぐらいしかいなかったから。
つまりこの現状は、それ以外の危険な集団が存在していることを意味している。
「……とりあえず、この家を調べましょうか」
「誘拐犯の方ではなく? この家を?」
「あのおじいさんも何かを隠してたんでしょう。アンヴォロが信用してた人物なら、何か手がかりを渡されてるかも」
「一応、これやってること犯罪だからね?」
「大丈夫よ、幸いにも言い訳はいくらでも思いつくから」
「悪知恵ー」
仮に誰かにこの家を調べているところを見つかったとしても、行方不明になった老人の手がかりを捜していると言えばある程度は誤魔化せるだろう。
話が通じる相手なら、という前提はあるが。
◇◇◇
二人は一時間ほど家の中を捜索した。
そしてフィノは老人の書斎らしき場所で、棚の奥に隠された箱を発見する。
中にはアンヴォロから送られたであろう封筒が複数入っていた。
フィノは箱をひっくり返し、手紙をテーブルの上にばらまく。
ウェルシーはそのうちの一つを手に取ると、興味深そうにジロジロと見つめた。
「これは……本当に手がかりがあるとは」
「あのおじいさん、あたしたちが信用できる相手なら何かを話そうとしてたんじゃないかって思うのよ」
「そんな感じはあったね」
「つまり話したい何かがある。アンヴォロの悪事の証拠を握ってたんじゃないかな」
「だとしたら、いくら信用できる相手とはいえアンヴォロもうかつだよね」
「……そうね」
実際、アンヴォロにはそういう一面もある、とフィノは感じていた。
完全に隠匿していない。
バレるかバレないかギリギリのスリルでも楽しんでいるのかと思ったが――その行動にも意味があるのだろうか。
二人は次々と封筒を開き、中身を読んでいく。
「ねえフィノ、これ」
ウェルシーが手渡した手紙には、奴隷の女性を食べた日の思い出が克明に記されていた。
「あ、これあたしが食べられた日だ」
「こんなことまで自慢してたなんて。あのおじいさん、どんな気分で読んでたんだろうね」
「案外、慣れてたんじゃないの。昔からそういう男だったから」
「人間不信になりそー」
「人間の闇を暴く記者が何を言ってんのよ」
「確かに。クソ人間って世の中に結構いるんだよねー」
口の悪いウェルシーの言葉に、フィノは肩を震わせ笑う。
そして新たな手紙を開いたとき――玄関の方で、ガチャリと音がした。
「ウェルシー!」
「わかってる」
二人は慌てて手紙を箱の中に戻し、そしてウェルシーが老人の書斎へと運んでいった。
フィノは自分を食った証拠と、もう一枚の手紙を胸の谷間に入れると、台所の方へと後ずさる。
足音が近づく。
フィノの喉が鳴った。
冷や汗がにじみ、心音が騒がしくなる。
そして扉が開き――
「お? なんでここに人がいるんだよ」
緑髪の男が顔を出した。
フィノは驚き、思わずその名を声に出す。
「ライナス・レディアンツ!」
「おう、ライナス・レディアンツだぞ。で、あんたは誰だよ」
その声を聞いて、書斎からウェルシーも戻ってきた。
「わ、ライナス・レディアンツ!」
「フルネームで呼びすぎだろ。俺の自己紹介が必要ないんなら、あんたらのことを教えてくれ。場合によっては……」
ライナスはすっとナイフを抜くと、二人の方へ向けた。
「ギルドで取り調べることになる。俺としては、女性を連れ歩くならデートの方がいいんだがな」
しかし不思議と、その瞳には敵意は感じられない。
それどころかお茶目にウインクまで見せるライナスであった。
◇◇◇
フィノ、ウェルシーはそれぞれ椅子に腰掛け、この家の主人と知り合いであること、そしてアデリッサの誘拐と絡め、何者かに拐われた可能性が高いことを伝えた。
ライナスは相槌を打ちながら、時折頷きつつその話を聞くと、テーブルに手をついて頭を下げた。
「俺の仲間と似た見解だな。疑ってすまなかった」
「英雄っていうとお高く止まった連中だと思ってたけど、割とみんな腰が低いのね」
「初対面でそれはさすがに失礼だよ、フィノ」
「ごめんごめん。でも頭を上げてよライナスさん。あたしたちこそ、勝手に家に入ったのは事実だから」
「そう言ってもらえると助かる」
顔を上げたライナスは、白い歯を見せながら爽やかに笑った。
フィノはいかにもモテそうな男だと思ったが、同時にやっぱりアデリッサの方が魅力的だと認識する。
「それでギルドはどうしてこの一件を調べてるの? そしてどうして英雄であるあなたがわざわざ出張ってるのよ」
「俺の友達がこの家で誘拐が起きたって情報を手に入れたんだよ」
「目撃者がゼロだったわけではない、と」
「だろうな。そしてちょうど魔族領から帰ってきた俺に相談してきたんだ、相談されたら乗らないわけにはいかないだろ?」
「忙しいのね。王都に定期的に帰ってきてるとは聞いてたけど、それって休息とか補給のためだと思ってた」
「友達との付き合いは休息だろ」
「うわ、友達多そう」
「自慢じゃねえけどそれなりに多いな」
またしても歯を見せて笑うライナス。
なぜか困った顔のフィノはウェルシーの方を見た。
彼女はそれをバトンタッチの合図と感じたらしく、引き継ぐ形で口を開く。
「ライナスさん、そういうの効かない女性もいるんで勘違いしちゃいけませんよ」
「別にそういう意味で笑ったつもりはないんだけどな。それに、今の俺は一途に想い続けてる相手がいるんだ、他の女の子に手を出そうとは思わねえよ」
「それは興味深い話ですね。もしよければ根掘り葉掘り……」
「ウェルシー」
「あはは、わかってるってフィノ」
余計な好奇心が顔を出したところで、フィノに釘を差される。
ウェルシーが苦笑いしていると、ライナスが何かに気付いたように言った。
「ウェルシー? あんた、マンキャシー商店の妹さんか」
「おや、ご存知でしたか」
「以前に何度かお兄さんの依頼を受けたことがあるからな。確か今はクロスウェルのやつが専属で契約してるんだっけ」
「ええ、クロスウェルさんにはお世話になってます」
クロスウェルは王都のギルドに所属するSランク冒険者だ。
寡黙で冷静な男だが、リーチと契約してからはしばらく王都に戻ってきていない。
「あいつも予定通りならもう帰ってきてるはずだったって聞いたぞ」
「珍しい果物を探すのが難航してるって話ですね」
「残念だな……あいつがいたら、お嬢さんたちの護衛を頼めたんだが」
「護衛? あたしたちに?」
フィノがそう言うと、ふいにライナスの表情が険しくなった。
「あんたは危険な事件に巻き込まれてる。違うか?」
すべてを見透かすようなその目に、彼女はうろたえる。
「べ、別にそうでもないけど……」
「俺はすぐに旅に戻るから守ってやることはできねえ。だが戦いの素人だけじゃどうにもならないことはある。悪いことは言わねえから、冒険者を雇って護衛に付けるんだな」
「冒険者、ね」
目を細めたフィノは、ガウルのことを思い出す。
HARVESTという言葉を遺し、そしてフラムに呪われたガントレットを託して逝った冒険者だ。
利用しているつもりだった。
しかしフィノはそこまで割り切れる人間ではなかった。
黙り込み、軽く唇を噛む彼女を見て、ライナスは語調を和らげて問いかける。
「心当たりがあるのか?」
「あるし、そいつはもう死んだわ」
「そうか……」
「危険だからこそ、頼れないのよ。特に命を賭けるような場面はね」
「……俺もお説教は嫌いだ、そこまで言うんなら止めはしない。だが――あんたのことを想う誰かがいるんなら、命だけは無駄にするなよ」
「あたしの目標は、呪縛から抜け出して幸せになることよ」
「ならいい、健闘を祈ってるよ」
ライナス自身も忙しい身だ。
深入りするつもりはないのか、あっさりと手を引いて立ち上がった。
◇◇◇
ライナスと別れ、フィノとウェルシーは二人で中央区の通りを歩く。
そして東区に差し掛かったところで、フィノは言った。
「ウェルシー、今日はありがとね」
彼女にあまり似合わない、どこか儚く見える笑み。
それを見てウェルシーは不機嫌そうにぼやく。
「私にも言わないつもりかな、今からフィノがどこに行くのか」
ウェルシーは、フィノが懐に隠した手紙に何が書かれているのか見当が付いていた。
「あの手紙、地図が同封されてたんでしょ。文章まではわかんないけど」
「今日は様子を見に行くだけよ」
フィノは否定しなかった。
そこが危険な場所であることも。
「死んだりしたら恨むよ。私が」
「そんなに長い付き合いだっけ?」
「私は情が深いんだよ。あの世に化けて出てやるから、覚悟してね」
「ふふっ、アデリッサの無事も確かめずに死ねるわけないじゃない。じゃあね」
手を振って、あくまで明るい別れを装うフィノ。
ウェルシーは遠ざかる後ろ姿を見ながら、ポケットから一枚の紙を取り出した。
そこには地図が描かれている。
「……一応、兄さんには伝えとかないと」
バーンプロジェクション――ウェルシーは一度見たものを、火の魔法で紙に焼き付けることができる。
◆◆◆
その日の夜、中央区教会にて、ベッドに寝かされていた少女が目を覚ます。
「ここは……」
「ティナ、起きたっすよ!」
目を覚ましたアデリッサの目の前には、金髪の少女の姿があった。
体を起こして周囲を見回すと、もう一人の大人の修道女も近づいてくる。
「おはよう、体は痛くない?」
「はい、わたしは一体……」
混乱した様子のアデリッサだが、セーラもティナもそれに対する答えを持っていなかった。
なのでティナは、ありのままに語る。
「誰かが傷だらけのあなたを中央区教会まで運んできてくれたのよ」
「それでおらたちが治療したっす。どうしてあんな怪我をしてたっすか?」
「怪我、わたしが……うっ……!」
思い出そうとすると、アデリッサは頭を押さえて苦しみだした。
「落ち着くっすよ、アデリッサお姉さん! 無理して思い出す必要はないっすから」
「アデリッサ……それがわたしの名前、なんですか」
「そうっす、アデリッサ――」
「セーラ」
ティナに制止され、セーラは慌てて手で口を押さえた。
アデリッサが首を傾げていると、ティナが優しく微笑みかける。
「無理して思い出すことはないわ。今はゆっくり、体を休めることを考えるのよ、いいわね?」
「はい……」
釈然としないまま頷くアデリッサ。
そしてティナとセーラは彼女を残して廊下に出た。
バタンと扉が閉じた瞬間、ティナは軽くセーラの頭を小突く。
「こら、話しちゃダメって言ったでしょう」
「ごめんなさいっす、名前まで含まれてるとは思わなかったっす……」
「レデンプター家の屋敷で何が起きたかがわかるまでは、あの子はここで保護するんだから。くれぐれも他の人に言わないように、いいわね?」
「わかってるっすよぉ」
教会に連れ込まれた傷だらけの少女が、レデンプター家の令嬢であることはすぐにわかった。
顔を知っている修道女がいたのである。
そして親からこの子を守ってほしいという忠告もまた、全員に共有されていた。
「あの子の身に何が起きたかはわからないけど、あの傷は高所から落下したときに付くものだわ」
「骨もずいぶん折れてたっすもんね。しかも記憶喪失なんて、あの子と同じっす」
「突き落とされたか、飛び降りた女の子。そしてそれを必死に捜すレデンプターの人々……」
使用人や雇われた冒険者がアデリッサを捜していることは、少し調べれば修道女でもすぐにわかった。
特に使用人は口が軽い、少し誘導してやればすぐに答えてくれる。
「事件の匂いがするっすね」
「しかもあの子は外で拐われたのではなく、屋敷の敷地内で姿を消したみたいなのよ」
「そして親に気をつけろって言ったんすよね、謎の女の人が」
「……私たちは冒険者じゃないわ、事件を解決することはできない。けど、この王都で何かが起きているのなら――あの子の命を守ることぐらいは、できるかもしれないわ」
出会ったばかりの他人のために胸を痛め、守ろうとするティナ。
その立派な姿に、セーラはどこか誇らしげに微笑むのだった。
◆◆◆
デルーナ・レデンプターは、料理へのこだわりが強い女性だった。
結婚する前から料理が趣味だったし、結婚してからは愛する夫においしいと言ってもらいたくて、こだわりの詰まった食事を作り続けた。
東区の屋敷で扱う食材は基本的に下処理されたものだ。
だがときに、肉の新鮮さを求めるときは、生きた食材を仕入れることもある。
当然、キッチンは屠殺するには手狭なので、アンヴォロはそのための屠殺場まで用意してくれた。
特に信用できる使用人に手伝わせ、今日の食材を天井のフックに吊るす。
「んううぅぅううっ! おくひゃまっ、おやめをぉおおおおっ!」
抵抗が激しいため、手足は縛ったまま、猿轡も噛ませてある。
しかし彼は年齢の割には元気だ。
現役時代は夫の護衛も兼ねていたというし、レデンプター家に仕えていなければ冒険者にでもなっていたのかもしれない。
「おくひゃまっ、ああ、ああぁぁあああああっ!」
重たい斧を手にしたデルーナは、恐怖に歪む男の首に全力で刃を振り下ろす。
ぶちゅんっ! と首が落ちた。
途端に叫び声が途切れ、代わりにべちゃべちゃと溢れ出した血が床に叩きつけられた。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
初めての殺人を終え、肩で呼吸をするデルーナ。
彼女は口元に笑みをたたえ、血で汚れる床を見つめる。
「まずは血抜きを……ふふ、おいしいお肉にしないと」
食材の名は、クライス。
アンヴォロの幼少期を支えた、レデンプター家の元執事であった。
◇◇◇
皮を剥ぎ、内臓を取り出し、そして部位ごとに肉を切り分ける。
あとの作業は他の動物の屠殺とさほど変わらなかった。
雑食ゆえに少し匂いは気になるが、調理でどうにでもなる範囲だった。
切り分けた肉をキッチンに持ち込み、いつものように――否、いつも以上に手の込んだ料理をする。
その匂いを嗅ぎつけてか、アンヴォロがキッチンに顔を出した。
「ごめんなさいあなた、準備が遅くなってしまって」
「構わないよ。それより、いい匂いがしているね。今日は何肉を使っているのかな」
「ふふ、後でのお楽しみです」
「ああ……楽しみだ。実に楽しみだよ……」
ありふれた仲の良い夫婦のやり取りを交わして、アンヴォロは去っていく。
調理を続けるデルーナの頬は赤らんでいた。
「彼、おいしいって言ってくれるかしら。今日こそ、心からおいしいって……!」
デルーナは、これまで毎日のように手の込んだ料理を作ってきた。
そしてアンヴォロは、味の具体的な感想も言ってくれたし、当然のように毎日『おいしい』と言ってくれた。
だがある日、気付いた。
彼は本気でおいしいとは思っていない。
おいしいと告げることが善行だとわかっているから、言っているだけだと。
なぜなら、休日の炊き出しで料理を手渡すときと同じ顔をしているから。
東区の清掃活動中に通りすがりの子供に感謝されたとき。
多額の寄付金を渡した学校が完成したとき。
道端で倒れた人を助けたとき。
そういうときと――同じ顔をしていたのだ。
つまり本質的に、アンヴォロはデルーナの食事を『おいしい』とは思っていないのである。
彼女は料理を愛し、夫を愛していた。
だからこそ、アイデンティティが砕け散るほどのショックを受けた。
彼女は試した。
様々な食材、調味料、調理方法――しかしそのどれもが、アンヴォロを満足させることはできなかった。
そしてある日、デルーナは知ったのだ。
彼の書斎に置かれていた冊子、そこに記されていたハーヴェスト計画。
それは愛する我が娘、アデリッサを〝永遠に減らない肉〟へと変貌させ、アンヴォロの食欲を満たし続けるという内容だった。
アデリッサでなくてはいけなかった。
なぜなら――アンヴォロは、娘を溺愛していたから。
デルーナはまだ、アンヴォロの全てを知ったわけではない。
でも今日は自信があった。
もしアンヴォロが、己の愛した者の肉を求めるというのなら。
それ以外で食欲を満たすことができないのなら。
人間などいくらでも殺してみせよう――
「愛してるわ、あなた……」
それは娘を逃がした贖罪と、アンヴォロへの愛情。
その二つが歪んで曲がって混ざり崩れた、成れの果てのような狂気だった。
◇◇◇
食堂のテーブルの上に並ぶフルコース。
アンヴォロは切り分けたステーキにフォークを突き刺し、口に運ぶ。
そして告げる。
「クライスさんが、行方不明になったそうだ」
後ろに立つデルーナが答えた。
「ここにいますよ」
「ああ、そうだね」
アンヴォロは次々と肉を口に運んでいく。
「おいしいなあ」
しみじみと、噛み締めるように彼は言った。
それは――デルーナが一度も聞いたことのない、感情のこもった『おいしい』だった。
「すごく、おいしい」
繰り返されると、デルーナの瞳から涙が溢れ出す。
彼女はやがて耐えられなくなり、膝をつき、崩れ落ちた。
「う、うぅ、あなた……あなたぁ……っ」
「デルーナ、愛しているよ。君の思いやりにはいつも感謝している」
その奉仕に心からの感謝を。
この料理に心からの賞賛を。
デルーナの心が満たされていく。
「私も、愛しています……ううぅ……っ!」
ああ、これが、これが、これが、これこそが! 私のほしかったものだ! と――そして同時に理解する。
アンヴォロが求めていたものはこういうものなのだ、と。
心が満たされること。
それは食欲が満たされることと同じなのだ。
そういうものを、アンヴォロは求めていたのだ。
「あなた……私、がんばりますね……がんばって、あなたの大切な人を、たくさん殺しますから……! 明日から毎日、あなたにおいしいって言わせてみせますから!」
「ははは、楽しみだなあ」
「はい、楽しみにしていてください。アデリッサも必ず探し出して、あなたに食べさせます!」
アンヴォロは食事を進める。
大量にあった料理はどんどん減っていく。
しかし彼は振り返らなかった。
感動に心を震わす妻に見せるのは、至高のディナーに歓喜する後ろ姿だけ。
咀嚼する口元には笑みを。
「おいしい、最高だ。これが私の求め続けた、美食……!」
しかし頬には涙が伝う。
それは嘆きか喜びか。
きっと誰にも、アンヴォロの本心など理解できないのだった。
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