【アニメ第2話放送記念】残骸2 血塗れのガントレットについて
フラムが拾った呪われたガントレットに関する話です
とうに下半身はねじ切れた。
グールみたいなうめき声をあげながら、男――ガウルは籠手に覆われた腕の力だけで枯葉の上を這いずり回る。
鉄の指を柔らかい土に沈ませ、やけに軽くなった体を前へ前へと進めてゆく。
ここは森の中だ、助けは期待できそうにないし、仮に誰かが見つけたとしてもこんな重傷を癒せる魔法使いなんてそうそういやしない。
今から俺は死ぬ。
ガウル自身、それをわかっていながら、さほど悲嘆している様子はなかった。
冒険者なのだから、いずれは死ぬと思っていたのだろう。
ガウルはやがて一本の木の根元までたどり着くと、その幹に背中を預けた。
痛みは通り越して、ただただ寒い。
意識に霞がかかっていくのがわかる。
死が、一歩、また一歩と近づいてくる。
虚ろな瞳は、彼が残してきた血の道をなぞるように動く。
そこに、下半身をねじ切った化物の姿はなかった。
奇妙だな、と思った。
あれが獣だというのなら、肉を食らうために追ってくるはずだ。
ならばあれは獣ではなかったのだろう。
やはり化物だ。
なら仕方ない――アンヴォロのような胡散臭い男に近づいたのは、自分自身の意思だ。
誰を責めるでもなく、己の阿呆さを嘆くことぐらいしかできなかった。
視界が暗くなっていく。
意識が遠のいていく。
ただでさえ近かった〝死〟の足音が、さらに大きくなっている。
「怖い……な」
さすがにそう思った。
自分で思うより小さな声だった。
その直後、バケツが倒れたかのように、過去の記憶が脳内を駆け巡る。
走馬灯というやつだろう。
ガウルの口元がわずかに緩んだ。
思い浮かべたのは、金髪の女性だった。
恋人や家族ではない、娼婦である。
要は彼は己に呆れて笑ったのだ。
娼婦の名前は、フィノと言った。
◆◆◆
ガウルとフィノが出会ったのは今から半年ほど前のこと。
西区のとある娼館を訪れた男は、そこで一人の女を買った。それがフィノだった。
見た目は悪くなかったが、特に好みというわけではない。
ただ、店主がやけに彼女を勧めてきたのである。
しかも、タダで〝薬〟も付けると言って。
「お兄さんさあ、冒険者でしょお」
宿の一室で二人きりになったとき、フィノの目はどこか虚ろだった。
ガウルはそれが薬物中毒者特有の目つきであると気づいていた。
「だから何だ」
「ランクはいくつぅ? D? C? それよりもっと上?」
フィノは彼に体を寄せながら、畳み掛けるように聞いた。
「Cだ、スキャンすればわかるだろう」
しかし――店主の目がなくなった途端に、フィノの目つきは変わる。
光が宿る。
しかしその光が、余計に底なし沼のような深さを際立たせる。
「お兄さんは、ギルドを通さなくても依頼を受けてくれる?」
瞬間、ガウルは殺気立つ。
狙われる理由はなかったが、暗殺者の類ではないか――と。
するとフィノの表情がやわらいだ。
もっとも、眼差しは変わらず深淵のままであったが。
「ああ、安心してよ。取って食おうってわけじゃない。いや、食おうで合ってるのかなあ? あはは、まあともかく、ちゃーんとこっちのサービスはしてあげるからさ。お望みなら薬中のフリだってできるよ? 狂った人間の演技をするのは得意なんだ」
「らしいな。これまでの振る舞いでよくわかる」
ガウルは一旦フィノを引き剥がすと、ベッドに腰掛け彼女に尋ねる。
「それで、依頼とは何だ」
「お兄さん、話がわかる人だね」
「気になって抱く気にもならないだけだ」
フィノはにこりと笑うと、ガウルの隣に座った。
「あたしさぁ、故郷にいた頃はなーんも知らない純粋な女の子だったんだよ。将来は素敵な王子様と結婚して、素敵なお城に住んで、幸せな家庭を築くの。そんなことを夢見る、ごくごく普通の女の子だった」
エニチーデという村がフィノの故郷だ。
王都から馬車で数日かかるような僻地で、本当に森と畑ぐらいしかない田舎らしい。
そんな田舎での暮らしを一通り語ったあと、彼女は両手を広げて今の自分をガウルに見せつけた。
「でも見てよ。ほら、今のあたしをちゃんと見て。そんな女の子の行く末に見える!? 見えないよねえ!」
瞳を見開く彼女に、ガウルは先ほどとはまた別の狂気を見た。
薬で生み出されるものではなく、これは天然物だろう。
そして彼女は狂気をむき出しにしたまま、ガウルの腕に抱きついて上目使いで彼を見た。
「だからね、あたしは殺さなくちゃならないの」
ガウルは底なし沼の眼から、幾重もの腕が伸びてくる光景を幻視した。
フィノの瞳はそういう姿をしていた。
本来なら関わるべきではない女だ。
しかし――フィノは言っていた、こんな彼女も元は田舎で暮らすごく普通の少女だったと。
ああ……そう思う時点で彼女の術中にハマっているのかもしれないが。
しかし、ハマった以上は抜け出せない。
救ってやりたいと思った。
英雄願望というやつだ。
ガウルが拒まないと確信したのか、フィノは口角を吊り上げると、
「アンヴォロって男を」
憎悪の元凶の名を口にした。
それからだ。
ガウルはフィノの依頼を受けて、アンヴォロという男について調べだした。
報酬はしっかりと受け取っていた。
どうやらフィノは稼いだ金をすべて薬に使い込んだと見せかけて裏で溜め込んでいたらしい。
何なら、彼女を薬漬けにするために店が与えてくる薬も、使わず転売して金に変えていると言っていた。
軽薄そうな外見とは裏腹に、したたかな女である。
それもすべてはアンヴォロを殺すため。
アンヴォロさえ死ねば、フィノは幸せな少女に戻れる。
そんな未来を夢見て――あわよくば幸せな将来なんてものを妄想して――そうやって、ガウルは彼女にずぶずぶとはまり込んでいった。
わかっていただろうに。
あの底なし沼の先にあるものは、楽園などではないと。
◆◆◆
そして今日。
ガウルは中央区のギルドの掲示板に、ある依頼が貼られているのを見つけた。
依頼内容は王都西部の森で目撃された新種のモンスターの討伐、および肉体の一部の回収。
依頼主は――アンヴォロ。
おそらく今の時点ではまだ、アンヴォロはガウルが自分を調べているとは思っていないはず。
そう楽観視した。
ガウルは依頼を受け、東区にあるアンヴォロの屋敷を訪れた。
そして彼はアンヴォロから話を聞くフリをして屋敷の中を嗅ぎ回り、情報収集を行った。
成果はあった。
だが後になって思えば、それはアンヴォロの撒いた〝餌〟だったのかもしれない。
森に入る。
そこはいつもどおり、穏やかな森だった。
少し奥に入るとワーウルフが出るし、運が悪いとアンズーのような大型のCランクモンスターに遭遇することもある。
だが浅い部分ならばランクの低い雑魚モンスターしかいないため、駆け出し冒険者はこのあたりで経験を積むのが定番となっている。
もっとも、ランクが低いと言っても戦う術を持たない一般人にとっては脅威であるため、そういった仕事も必要なものなのだが。
ガウルはまず浅い方から、徐々に奥へ向かって歩を進める。
指定された区域を調査するも、アンヴォロが言っていたような新種のモンスターの痕跡は見当たらず。
彼から情報を引き出すという目的は達したのだから、別に依頼は失敗しても構わない。
何ならアンヴォロ自身、直に見たわけではないので十分に調査をして見つからなければそれでいい、報酬は支払うと言っていた。
できれば依頼を成功させて彼との関係性を作りたいところではあるが――そう思いながらさらに森の深い場所へと足を踏み入れる。
そこで、彼は見た。
ワーウルフの死体だ。
だがそれは、まるで絞ったタオルのような奇妙な形で死んでいた。
周囲に血を撒き散らし、ねじれに耐えきれず裂けた脇腹や口から内臓が飛び出た、あまりに異様な死に様だった。
ガウルは生唾を飲み込む。
本当に――アンヴォロの言っていた新種のモンスターはいるのかもしれない。
そう思い、緩んでいた気を引き締め、ついに見つけた痕跡を追っていく。
進めば進むほどに、ワーウルフの死体は増えていった。
だが不思議なことにそのすべてが、殺して両腕をちぎっただけで、胴体の肉が食われた痕跡がなかった。
ワーウルフの腕に肉が多くついていたという記憶はない。
何なら他の魔物よりも細かった記憶すらある。
ならば何のために腕を集めているのか――これは意味を持った殺人かもしれない。
そんなことをするのは人間だけだと思っていた。
だが、もしも、人間と同等の悪意を持ったモンスターがここに潜んでいるのなら――
緊張と、ある種の期待が入り混じった感情に、胸が高鳴る。
こういうときに少しでも楽しめている自分を見つけると、『俺は冒険者なんだなぁ』と実感する。
女を救うために、未知の怪物に戦いを挑む。
ああ、まさに英雄そのものじゃないか、とワクワクする。
そして――
「なんだ、あれ」
ガウルは見つけた。
それはワーウルフだ。
しかし首がない。
代わりに、まるで引きちぎられたようにギザギザの断面から、腕が一本伸びている。
そう、本来顔があるべき部分にワーウルフの腕があるのだ。
そしてその腕の手のひらを突き破り、また新たなワーウルフの腕が伸びる。
それが何個も――ざっと数えても十本以上連なり、十メートルにも及ぶ長い長い触手のようになっていた。
ワーウルフ……否、化物はその長い腕を鞭のように振るい、前方にいた別のワーウルフを爪でひっかく。
するとワーウルフの体はねじれ、滲み出すように血液が吹き出す。
「グギャッ……ギャ……ギャアァァアアアッ!」
響く悲痛な悲鳴。
飛び出してきた瞳が、木の陰に隠れるガウルの方を恨めしそうに見た気がした。
そして、何かが折れたような音が鳴る。
絶命の瞬間であった。
死体はその場に投げ捨てられる。
これまで幾度も見てきた、ねじれた死体はああやって作られてきたのだ。
そして化物はゆらゆらと亡骸に近づくと、突如として右腕を自身の腹部に突っ込んだ。
意味不明な自傷行為を目の当たりにして、ガウルは思わず声をあげそうになり、ビクっと肩を震わせる。
化物はそのまま己の腹部をかき混ぜるように何かを探し、ワーウルフの頭部を引きずり出した。
するとその頭部を使って、死んだワーウルフの両腕を喰らい始める。
普通に考えて、あの頭部と、あの異形の肉体が繋がっているとは思えないのだが――腕を一本食らうたびに、化物の首から伸びる腕も数と長さを増していった。
やがて捕食が終わると――化物は、ゆっくり後ろを向く。
その視線の先には、木の裏に隠れたガウルの姿があった。
(バレた……のか?)
ガウルのこめかみを冷や汗が流れていく。
目がないため、視線を向けられたわけではない。だがガウルは、肌にべっとりと張り付くような、気持ちの悪い感触を味わっていた。
これがもしもあの化物にとっての〝殺気〟なのだとしたら、どうやらガウルはここから逃げられそうにない。
ざっ、ざっ、と落ち葉を踏みしめながらゆっくりと、まっすぐと化物が近づいてくる。
そう――まっすぐと。
これは場所などとうにバレていると思うべきなのだろう。
ガウルは近づく足音を聞きながら静かにしゃがみ込むと、足元に落ちていた石を拾う。
そして森へ向かって――投げた。
石が草を揺らしカサッと音がした瞬間、化物の視線がそちらの方を向く。
(今だッ!)
ガウルは全速力で駆け出した。
直後、化物が長い腕を振るう。
その爪先は辛うじて彼の背中には届かず、完全に空振ると、その空振った先で木の幹に傷を付けた。
すると途端に触れた部分を中心に木がねじれ始め、メキメキと横に倒れていく。
(回って、折れた? 何だよ今のは、あんなのワーウルフなんかじゃねえ!)
しかし肉体を構成するパーツは確かにワーウルフではある。
幸い、ひとふりが大きいために動き出すためには時間がかかるようだ。
ガウルは逃げながら、あの化物にスキャンをかけた。
--------------------
Chimaira‐Prototype
属性:土
筋力:431
魔力:109
体力:297
敏捷:821
感覚:351
--------------------
キマイラプロトタイプ。
見慣れない名前、そしてワーウルフにはありえない数値が並ぶ。
「Cランクモンスターかよ……!」
しかも得体のしれない能力付きだ。
同じくCランク相当のステータスを持つガウルだが、情報がない相手とはできれば戦いたくない。
そうして彼は全速力で逃げ続け、そして――
「嘘だろ」
キマイラに、前に回り込まれた。
ガウルが逃げ出した時点でキマイラはまだ動き始めていなかったはずで、追跡してくるような気配もなかった。
だというのに、いつの間にか追い抜かれ、立ちはだかっている。
これもあの謎の力によるものなのか。
ガウルは踵を返し、来た道を全速力で引き返す。
しばし走る。
そしてまたしても、異形は前に現れ、道を塞いだ。
「ふざけんなよ、なんのつもりなんだよッ!」
彼の口から絶望の声が漏れる。
次は横へ走る。
今度は距離を取りつつも、可能な限りキマイラの行動を監視する。
そこで彼は見た。
キマイラは首から伸びた長い長い腕で近くの木の幹を掴む。
すると手のひらに何らかの力が発生し、幹を軸としてキマイラの体が振り回される。
その勢いを利用して体を放り投げ――さながら砲弾のように高速移動していたのだ。
しかも、高速移動中に別の木の幹を掴み、減速することなく遠心力を利用して方向転換までするおまけ付きである。
「早ぇ……Cランクなんかじゃねえだろ、この動きは!」
目の前で、木から木へと高速移動を繰り返すキマイラ。
その様はまるで勝ち誇り、見せつけ、ガウルの心を折っているようでもあった。
なぜなら彼を殺すつもりならば、すぐさまその腕で切りつけて、体をねじってしまえばいいだけなのだから。
心が削れる。
体も疲弊していく。
どうしてこんなことに。
ああ、そうだすべてアンヴォロのせいだ。
やっぱりあいつは極悪人だったんだ。
こんな得体のしれない化物をけしかけて、自分の周囲を嗅ぎ回ってた俺を始末しようとしていたんだ。
終わりだ。
もう終わりだ、死ぬしかない――
そんな悲観的な思考が頭を埋め尽くしていく。
そして彼の足が止まった。
「はぁ……はぁ……もう、勘弁してくれ……」
肩を上下させながら荒い呼吸を繰り返す。
陽は落ち、空は紫色に変わっていた。
やがて森は漆黒に包まれるだろう。
鬼ごっこは終わりだ。
高速移動をやめたキマイラが、ガウルの前に着地する。
首から伸びる腕をふらふらと左右に揺らす。
それはやがて勢いを付けるような動きとなり、最終的にひときわ大きく反り返って――
「嫌だ。俺、やっぱ死にたくねぇよぉおッ!」
諦めたかと思われたガウルは、全速力で後ろに走った。
振り下ろされたキマイラの爪が、腰のあたりをわずかに掠める。
(触れた……ッ! セーフか? セーフだよな? 今ので死ぬなんてことないよなあッ!)
目に涙を浮かべて完全にビビりながら、情けなく逃げるガウル。
「大丈夫だ、なんともねえ。俺は生きる。生きてる。生きて、帰って、これの報酬でフィノを買うんだ! そうだ、またあの女を抱いて――」
その時、ガサッと真横の茂みが動く音がした。
びくっと体が震えて硬直する。
茂みから――コウモリが飛び立っていく。
「はあぁ……なんだ、あの化物じゃねえのか……」
ずいぶんと走ったが、キマイラの姿は見えない。
ひょっとすると、撒けたのかもしれない。
「は……はは……こりゃあ、依頼失敗だな。でもまあ、いいだろ……金より、命だ……へへ、へへへ……」
すっかり気の抜けたガウルは、ふらふらとした動きで森を進む。
森というのは基本的に迷いやすいが、ここは王都に近い場所にある。
城壁に向けて歩けばいずれは出られるのである。
「俺に、英雄なんて無理な話だったんだよ……はは、アンヴォロも、大物すぎる。最後にフィノを買って、それでおしまいだ。何なら王都からも出て故郷の店でも継いじまうかァ?」
冒険者というのは命知らずの集まり。
だがなんだかんだで本当に死にかけると、考えというのは変わってしまうものである。
もっとも、いざ一飲みして夜が開けると、すっかりその心変わりすら忘れていたりもするのだが。
ふらふらと、ふらふらと歩くガウル。
そう――ふらふらと。
いくら歩いても、呼吸が整っても、真っ直ぐ歩けやしない。
やがて彼は気づく。
足首が妙に痛むことを。
「……お?」
ねじれていた。
前を向いているべき足先が真横を向いて、ねじれている。
力を入れて戻そうにも、見えない力に押し戻されてまたねじれる。
「おおぉ……? おおっ?」
さらに真横を通り過ぎて、後ろへ。
ここまでくると人間の骨格は限界を迎え、ごきゃっと鈍い音と痛みが生じる。
「うがあぁぁああっ!」
突然の激痛に崩れ込むガウル。
なおもねじれは続く。
足は一回転し、二回転、三回転とねじれていく。
「ん、だよ……クソッ、思わせぶりな……こと、しやがっ、ひぎああぁぁああっ!」
とうに骨は砕け、肉も潰れ、ねじれた部分の皮膚も薄くなっていく。
そしてついに、ぶちりと千切れた。
「うぐううぅぅ……ッ! あ、ああぁ、終わってくれ……頼む、ここまで、で……」
ガウルは祈る。
そして神は嘲笑い、膝から下が回転をはじめた。
「がああぁぁああああッ! ちく、しょおぉぉおおおおッ! 掠った、だけ、ぎぐっ、だぞ……あれ、だけ、げっ、があぁぁあっ!」
そこまで来ると、もう彼にも結末は予想できた。
触れられたのは腰。
ならば腰から下がすべて、ねじれて切れる。
数分もしないうちにガウルの下半身は切断され、彼は上半身だけの存在になっていた。
断面から溢れ出した血と腸を引きずりながら、腕の力だけで前へと進む。
そして木の根元へとたどり着いたのである。
「ああ……思い出す記憶も……なくなっちま、ったな……」
走馬灯は終わった。
ならばあとは逝くだけだ。
その時、ふと彼は思った。
何かを残したい、と。
あるいはそれは、彼の英雄願望がそうさせたのかもしれない。
そして彼は残る力を振り絞って右手のガントレットを外すと、指に断面から溢れ出した血を付着させた。
(……誰に見つかるかもわからねえってのに)
血を使って、ガントレットの裏側に文字を刻んでいく。
(届くのか。いや、届いたとしても……フィノを危険にさらすだけじゃねえのか)
もう声を出す力も残っていなかったが、辛うじて指先ぐらいは動く。
だがじきにその力すらもなくなる。
(ああ……願わくば……俺なんかじゃない、本物の英雄に……フィノを救える英雄に、届きますように……)
最後は意識が朦朧として、書き終えたかどうかガウル自身もわかっていなかった。
(……ああ、やっぱり、死にたくねえなあ)
後悔を胸に、一人の冒険者はひっそりと息を引き取った。
◇◇◇
奴隷となったフラムが、ガウルの籠手――〝血塗れのスチールガントレット〟を手に入れたのは、それからさらに数ヶ月後のことだった。
その夜、冒険者ライセンスを取得し、無事に宿屋にたどり着いたフラムは、装備を観察しているうちに気づく。
「んん? このガントレット、中に何か文字が書いてある」
「持ち主の名前でしょうか」
「あはは……冒険者がそんな学生みたいなことするのかなあ」
ミルキットの天然物のボケに、フラムの頬が緩む。
なおも観察を続けていると、彼女はその文字の解読に成功した。
「HARVEST……?」
「どういう意味なのでしょうか」
「収穫とか、そういう意味だったと思うよ」
「ご主人様は博識ですね」
それは嫌味ではなく、率直な感想だった。
文字の読めないミルキットからしてみれば、本当にすごいことなのだ。
「私の実家は農家だったからね。収穫の時期にハーヴェストフェスタって呼ばれるささやかなお祭りをやったりしてたんだ」
しかし、なぜこのガントレットにそんな文字が刻まれていたのかはわからない。
「他には……うぅーん、こっちは形がぐちゃぐちゃで読み取るの難しいなあ。オリ……サブ……んー……」
「以前の持ち主のメッセージ、ということでしょうか」
「かもしれないね、誰が持ってたのかも知らないんだけどさ……まあ、文字だけじゃ何もわかんないし、考えるだけ無駄かなー」
とにかく今日は疲れ果てている。
暗号の謎を解こうにも、まともに頭が回りそうにない。
フラムは解読をあっさりと諦め、眠りにつくのだった。
◇◇◇
フラムがガントレットを回収した翌日、ガウルの死体の前には一人の女性の姿があった。
「依頼を受けたっきり戻ってこないって聞いたからまさかとは思ったけど……ただ買われただけの相手だとしても、いざ死体を前にすると寂しいもんだね」
金髪の女性はしゃがみ込むと、白骨化した体を指先でなぞる。
「何か残ってればと思ったけど、自慢してた下半身は残っちゃいないし、大枚はたいて買ったって言ってた籠手まで剥がされて。ああ、かわいそうに」
血痕は残っていなかったが、下半身がないという時点で、壮絶な死に様だったことは想像できる。
しかし現状では、それがアンヴォロの仕業なのか、それとも単純に冒険者として依頼を受けて失敗してしまったのか、判別できなかった。
「ほらこれ、いい花束でしょ。どこかの誰かが奴隷商人を殺したおかげで、あいつに渡した賄賂が戻ってきてさ。おかげで羽振りがいいの」
女性は美しい花束を死体の前に添え、手を合わせてガウルの死を悼んだ。
「酒の方がよかったなんて言わないでよね。それじゃ、次は地獄で会おう」
そして死体に手を振ると、フィノはその場を立ち去った。
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