【書籍版5巻電子刊行記念】EX17-1 血統(前)
書籍版5巻が電子で発売されました、よろしくお願いします。
コンシリア東区の一角――豪勢な民家が立ち並ぶ中に、その古風な作りの剣術道場はあった。
贅沢に土地を使った広い稽古場で、二人の少女が木の剣を手に手合わせをしている。
一方は細身の片手剣を持った金髪の魔族の少女、名をアリューズと言う。
もう一方は大振りな両手剣を持った緑髪の少女、ハロム・ヤンドーラ。
二人は同じ十二歳であり、そして共にこの道場に通う門下生でもあった。
他の門下生や師範の女性が見守る中、ハロムとアリューズの攻防は佳境を迎えていた。
アリューズは細身の木剣を片手に、ハロムに斬りかかる。
鋭く素早いその一撃を、彼女は二周りほど大きい両手剣で受け止めた。
「くっ……」
「防戦一方じゃない、その程度なの? あの英雄の娘が!」
少女はなおも素早い動きで乱打をお見舞いする。
苦しげな表情で、剣の向きを変えてハロムは待ち続けた。
そして少女がとどめを刺すため、大振りの一撃を繰り出そうとしたとき――
「そこッ!」
ハロムの瞳がカッと見開かれ、少女の脇腹に刃が走った。
その一刀は無防備な胴体に命中するかと思われたが、少女は後ろに宙返りをして軽く回避する。
「甘いわね」
そして素早く懐に入り込み、ハロムの胴体を横から木剣で叩いた。
「そ、そこまでッ!」
師範の女性が困惑気味に宣言する。
「二人ともいい動きだったね。うん、すごくよかった……ところでハロムちゃん、大丈夫かな?」
そして特に勝敗を語ることもなく二人を褒め称えると、ハロムをいたわる。
無防備な胸骨に一撃を食らったためか、彼女は苦しげな表情で膝をついていた。
「やっぱりやりすぎだよね」
「魔族だから強いのは当たり前なのに」
二人の模擬戦を観戦していた門下生たちが、ひそひそとアリューズを糾弾する。
しかし彼女は気にする様子もなく、ハロムに近づくと、見下すように冷たい目を向けた。
「期待外れね。何度やったって結果は変わらないわ」
するとハロムは笑顔を浮かべ、立ち上がる。
「うん、やっぱりアリューズは強いね。問題点もわかったし、すっごくためになった」
嫌味なくそう言い切ると、握手すべくアリューズに手を差し伸べた。
すると彼女は苦虫を噛み潰したような顔をすると、「ふん」とそっぽを向いて去っていく。
アリューズが離れていったところで、他の門下生たちが一気にハロムに駆け寄った。
「ハロムちゃん、大丈夫だった?」
「怪我してない? 痛かったよね」
「平気平気。実戦だったら死んでたんだから、私ももっと頑張らないと」
「ハロムちゃんの向上心ってすごいよね」
「やっぱり将来は冒険者を目指すの?」
「あはは……」
英雄、ガディオ・ラスカットの娘。
血は繋がっていないとはいえ、その称号はあまりに偉大だ。
それに加えてハロムの人柄もよい。
彼女が好かれるのは当たり前のことだった。
一方、階段に腰掛けたアリューズは一人で布巾で汗を拭う。
鋭い視線をハロムに向ける彼女に、師範がおずおずと近づいてきた。
「あのー……アリューズちゃんは大丈夫、かな?」
「見ての通りです。私は一太刀も当てられていませんから」
「そ、そうだよねえ。いやあ、それにしてもアリューズちゃんは強いよねえ」
「当然です、私は高貴な家の出なのですから、人間ごときに劣るはずがありません」
「確かに魔族は身体能力でも人間より優れてるよね。けど、本当は魔法の方が――」
「私に騎士剣術は相応しくない、と?」
アリューズは師範を睨みつける。
彼女は蛇に睨まれた蛙のように、軽く後ずさりながら頬を引きつらせた。
「い、いや、そういうわけではなく、向き不向きの問題というか。私なんかが教えても才能を活かせるかわからないというか」
「現在、この王都でまともに騎士剣術を教えているのはこの道場だけです。あなたもそれが売りになると思ったから、ここに建てたのでは?」
「それは……そうなんだけど……」
この師範、元Bランク冒険者で騎士剣術の使い手であった。
だがフラムの手でオリジンが倒され、世界が平和になる中で治安も改善され、冒険者の仕事は減っていく。
当然、魔物討伐や何でも屋の仕事は残るが、パイが減ると生活は間違いなく苦しくなるだろう。
そこで、彼女はコンシリア復興を機に、思い切って貯めたお金を使って道場を開いた――というわけである。
その目論見通り、かつての英雄が使っていた剣術を学ぼうと多くの門下生が集まったわけだが。
師範の女性は思う。
(この子もハロムも、とっくに私より強いんだよね……)
一方は魔族の中でも優れた魔力を持つ一族の娘。
もう一方は、Sランク冒険者とAランク冒険者の間に生まれた娘で、さらに英雄に育てられたサラブレッド。
将来的な成功が約束された二人である。
そんな彼女たちの師範を務めるのは、正直言ってかなりの重荷であった。
「それに、私は今の自分ではまだ満足していません」
そんな師範の心を読んだように、アリューズは言う。
「どんなに身体能力で勝っても、私はまだ……気剣斬すら習得できていないのですから」
そして再び、忌々しげに門下生に囲まれるハロムを睨みつけるのだった。
◇◇◇
模擬戦を終えた後、ハロムたちは稽古を再開する。
プラーナを扱うのに必要なのは邪念の無い澄んだ心。
門下生たちは木剣を高く掲げ、目を閉じて呼吸を整える。
それは騎士剣術の道場だからこそ見る、独特の風景であった。
「自分の体の中の生命を意識するのよ。魔力とは違う、まずは全身を駆け巡る血液を意識すると掴みやすくなるわ」
意識を集中させる門下生たちに向かって、師範がそう呼びかける。
そんな中――ハロムだけは他の門下生とは異なり、前方の離れた場所に巻き藁が置いてある。
そして一足先に瞳を開くと、まっすぐに見据えた標的に向けて剣を振り下ろす。
「ふッ!」
短く強く息を吐き出すと、大剣から飛翔する刃が放たれた。
刃が命中した巻き藁は、見事に真っ二つに両断される。
それに触発されるように、他の門下生たちも各々のタイミングで剣を振り下ろした。
だが、誰一人として刃を飛ばすことはできない。
もちろんアリューズも。
プラーナにより腕力の強化はされており、ブォン! と恐ろしい威力で空を切る音こそ鳴った。
だがそこまでだ。
(どうして……)
悔しさに唇を噛むアリューズ。
実在するかもわからないプラーナを集め、それを刃に込めて飛ばす――そんな人間離れした技など、自分にできるはずがないと考えるのが普通だろう。
だが身近にそれを実現した人間がいるからこそ、他の門下生たちも稽古に打ち込めるのだ。
ハロムに向けられるキラキラとした純粋な憧れの眼は、澄んだ熱量を持っている。
(私の心が淀んでいるから……?)
今のままでは、ハロムどころか他の門下生にも追い越されてしまうかもしれない。
たとえ魔族特有の身体能力の高さで〝強さ〟を得ることはできても、真に欲した力は――
◇◇◇
帰り道、アリューズが一人で帰っていると、後ろから足音が近づいてきた。
彼女が振り返ると、至近距離にひょっこりとハロムが顔を出す。
「アリューズ、一緒に帰ろ?」
「ハロム、あなた……はぁ」
ため息をついたアリューズは、大股になってハロムを拒む。
するとハロムは小走りで彼女についてきた。
アリューズは呆れ顔で問いただす。
「どういうつもりなの」
「何が?」
「私はあなたに嫌われることしかしてないわ」
「そんなことないと思うけど。今日も模擬戦を受けてくれたし」
「……痛かったでしょう」
「あれぐらい平気だよ。模擬戦なら仕方ないと思うな」
「わざと強くした、って言ったらどうする」
「手を抜かないでくれたんだなって思う。だってアリューズ、本気を出したらもっと強いよね」
暖簾に腕押しとはまさにこのことか。
何を言っても、ハロムには特有の前向きさで流されてしまう気しかしない。
正直、アリューズの苦手なタイプだった。
「今の私の目標はアリューズに勝つことだから。その強さの秘密を探らないと」
「それは私が魔族で、優れた家の出だからよ」
「相手の隙や癖を見抜く鋭さって言うのかな、そういうのは魔族とか関係ないでしょ」
「……あなたの隙が大きすぎるだけよ。剣に振り回されてるようにしか見えないわ」
「あはは……それはお母さんにも言われたかも。でも、あの剣で強くなるのが私の夢だから」
今は亡き父を懐かしむように、少し寂しげな顔でハロムは言った。
アリューズは思うところがあったのか、それに関しては馬鹿にしたりはしない。
「まあ、もう少し成長して身長が伸びれば扱いやすくなるんじゃないかしら」
「うん、そう思って牛乳いっぱい飲んでるの!」
「そう……」
「あとねあとね、筋肉が付くようにってお肉もたくさん食べるようにしてて」
「興味ないわ」
「アリューズは食事に気を使ったりしてるの?」
「だから答える義理なんて……」
結局、そんなやり取りはアリューズの家につくまで続いた。
そもそもハロムの家は別にアリューズの家と近くない。
むしろ遠回りだというのに――ハロムのしつこさに辟易しながら、アリューズは帰宅するのだった。
◇◇◇
ある休日――学校も休みで道場も開いていないため、アリューズは暇を持て余して街に繰り出していた。
中央通りの賑やかさは、余計なことを考える隙すら与えてくれない。
心地よい不快さがある、と感じていた。
すると、そんな人混みの中でどうやって見つけたのか――
「やっぱりアリューズだ!」
ハロムに捕捉されてしまう。
アリューズは「うぇ」と露骨に嫌そうな顔をするが、ハロムは構わず、人混みをかき分けて駆け寄ってきた。
そして目の前に来るなり、手を両手で握って満面の笑みを向けてくる。
「暇だよね? 遊ぼっ!」
「忙しいわ」
「えぇー、道場もなくて暇で仕方ないって顔をしながら歩いてたのに」
「見てたの……?」
「うん、観察してた!」
「趣味悪いわね。でも忙しいのは事実よ」
「どう忙しいの?」
「一人でぶらつくのに忙しい。じゃ」
ひらひらと手を振って去っていくアリューズ。
ハロムは当たり前のようにその隣に並ぶ。
「で、何して遊ぶ?」
「で、じゃないのよ。遊ばない」
「実は私は用事があってね」
「あなたの方が忙しいんじゃない!」
「方がってことは、やっぱりアリューズは暇だったんだ」
「しまった……」
「だから用事の場所に一緒に行ってみないかなーと思って」
「どこに行くのよ」
「鍛冶屋さん!」
ハロムはアリューズの手を握ると、強引に引っ張っていく。
「あ、ちょっと、行くって言ってないわよ!」
「でも興味あるでしょ?」
「そりゃあるけど……ああもうっ、引っ張らなくても行くから! 待ちなさいって!」
彼女の叫びも虚しく、ハロムは止まることなく走り続けるのだった。
◇◇◇
鍛冶屋など入ったことのないアリューズは、緊張した面持ちで周囲を見回している。
棚や壁には様々な形状の武器や鎧が並んでおり、いかつい顔をした冒険者が睨みつけるように物色していた。
また、店主らしき男性も顔に傷のある強面の男性で、近づくのも憚られた。
一方でハロムは慣れているのか、気軽に声をかけた。
「こんにちは、おじさん」
「おうハロムちゃんか。今日はお友達も一緒かい」
「はいっ! この子、私と同じ道場に通ってるんですよ」
「ってこたぁ騎士剣術を? 魔族なのに変わってるねえ」
アリューズは気まずそうに目をそらす。
しかし店主は気を悪くすることもなく、穏やかに微笑んだ。
ハロムはそんなアリューズに声をかける。
「このお店、パパがよく通ってたんだって」
「ガディオ・ラスカットが?」
「おう、あいつの剣の面倒を見てたのは俺だ。まさか二代に渡って面倒見ることになるとは思ってなかったけどな」
「二代って……ハロムあなた」
「うん、私の大剣を作ってもらえないかって相談してるの。お母さんには内緒にしてね?」
「大剣なんてどこで使うのよ。それにそんなお金をどうやって」
「ハロム嬢ちゃんは友達にも話してなかったのか。冒険者やって金貯めてんだよ」
「なっ――あなたそうだったの!?」
さすがに驚きを隠せないアリューズ。
ハロムは照れくさそうに頬をかいた。
「まだ始めたばっかりだけどね。気剣斬が使えるなら、王都周辺の弱い魔物ぐらいなら狩れるんじゃないかと思って、こっそりライセンス取っちゃったんだ」
「道理で最近急に動きがよくなったわけだわ」
「よくなってたの!?」
「あ、いや、それは……」
アリューズは照れくさそうに頬を染めた。
彼女が成長を認めてくれていたという事実に、ハロムの頬が緩む。
鍛冶屋の主人もそんな二人のやり取りを微笑ましく眺めていた。
「実戦経験の有無はでけえからな。戦士を目指すんなら避けては通れねえ道だ」
「そうは言うけど、私たちまだ子供なのよ?」
「ガディオのやつはもっと早くから冒険者やってたぞ。ソーマやケレイナもそうだったな」
「今は時代が違うでしょうに」
「早いに越したことはないかなと思って」
「でも親に秘密って……バレたら怒られるわよ」
「うん……お母さんは鋭いからいずれバレると思うけど、そのときは真正面から説得しようと思ってる」
夢――目標――ハロムはそういう、はっきりとしたものを目指して前に進んでいる。
アリューズは急に自分がちっぽけな存在に思えて、胸にどす黒い嫉妬が渦巻くのを感じた。
「アリューズ?」
ハロムが心配そうにその顔を覗き込む。
アリューズはごまかすように顔を背けた。
「な、なんでもないわ」
鍛冶屋の主人は、そんな彼女に声をかける。
「剣、握ってみるか?」
「えっ、私が……?」
「そうだよ、握ってみるといいよ。道場で使ってる木の剣とは全然違うんだから!」
「どれ使ってもいいぞ、好きなもんを選びな」
アリューズはディスプレイされた剣を眺めると、遠慮がちに指を指す。
「じゃあ、あの細いやつで……」
興味自体はあったようで、すぐに目当ての商品は決まった。
アリューズは金属の刃でできた剣の柄を握ると、いつものように構える。
「重たい……」
木の剣とはまったく違う重量感と、冷たさ。
刃も鋭く、命を奪うための凶器だと強く感じる。
「私も最初に持ったときはびっくりしちゃった。片手剣でこれなんだから、大剣だったらもっと重いだろうなって」
「そうね……ハロムはそんな武器を持てるの?」
「だから最近は、稽古のとき腕に重りを付けてる」
てへへと恥じらうハロム。
固まるアリューズ。
「ちなみにどれぐらいの重さを?」
「剣の重さと遠心力を考えて、片手に十キロずつぐらい」
「……あの手合わせのときも?」
「ううん、手合わせのときは外してるよ! あんなもの付けてたらアリューズに勝てないんだもん」
さすがにそこまではないようで、彼女はほっと胸を撫で下ろす。
しかし、やはりハロムと自分は違うのだと感じる。
結局のところ、騎士剣術をうまく使えないのもそれが原因ではないかと――そう思わずにはいられない。
「お嬢ちゃんも少し剣を振ってきな。それだけで感覚も掴めるだろ」
主人に言われるがまま、アリューズは迷いを振り払うように剣を振った。
だが何のために剣を振るのか――理由が曖昧な彼女には、その重さは恐ろしいものに感じられた。
◇◇◇
店を出てからも、ハロムはアリューズを色んな場所に連れ回した。
ギルドに顔を出したり、勇者ケーキを二人で食べたり、可愛い洋服を互いに見繕ったり。
それはアリューズにとって、長らく感じていなかった『友達と遊ぶ』という感覚。
少しずつ、ハロムに心が解きほぐされていくのを感じる。
だからこそ、同時にこれではいけないとストッパーをかける冷静な自分もいた。
気づけばハロムは当たり前のようにアリューズの手を握っている。
一年以上前、両親と一緒に歩いたとき以来の感触だ。
ほしかったものは。
取り戻したかったものは。
取り戻せないものは――
「ねえアリューズ」
ハロムの声が、思考に耽るアリューズを現実に引き戻す。
「何?」
「私の好きな場所ばっかり連れ回してるけど、アリューズは普段、どんなところに行ってるの?」
「……特にないわ。学校と道場と家ぐらいで」
「友達と遊んだりしないの?」
「必要を感じないもの」
「そっかー……私はアリューズと遊べて楽しかったけどな。また遊びたいと思ってる」
「遊ぶと言うか、勝手に連れ回しただけじゃない。自覚もあるんでしょう」
「だって、そうでもしなきゃアリューズと遊べないと思ったから」
「意地悪ばかりした私にどうしてそうも構うんだか……」
「なんかね、アリューズを見てると、放っておけないなって思っちゃうの。最初は強くてかっこいいなって思ってたはずなのにね」
肉体的な強さがあるからこそ、心の弱さが際立っていた、ということだろう。
本性を見透かされたようで、アリューズは途端に恥ずかしくなった。
「でも一方的にそう思ってても意味がないから、まずは私のことを知ってほしいなと思って連れ回してみました」
「だから何もかもが強引なのよ」
「これで私に興味持ってくれた?」
「知らない……けど、私のことを教えたら解放してくれるっていうんなら、案内できる場所はある」
「どこどこ!」
ぐいっと顔を近づけるハロム。
アリューズは頬を赤く染め、押し返した。
「近い! 変なことしないでついてきて」
「うんっ!」
やたら上機嫌なハロムは、今度はアリューズに腕を絡めた。
スキンシップ過剰なのは、好意云々ではなく単純にハロムという人間の生態なのだろう。
そう理解しつつも翻弄されるアリューズは、落ち着かない心音に苛立ちながら目的地へ向かった。
◇◇◇
「おぉー、綺麗だーっ!」
ハロムは柵にもたれかかり、コンシリアを一望しながら言った。
ここは東区の高い位置にある公園である。
この街がオリジンに破壊される前から存在する場所であり、現在は公園の中央に慰霊碑が建てられていた。
「落ちたら怪我するわよ」
「そこまで間抜けじゃないよお。アリューズはいつもここに来てるんだ」
「ええ、単純にこの広い景色を見ていると、何も考えずに時間を過ごせるわ」
アリューズはハロムの横に並ぶと、どこか物憂げな表情で言った。
「アリューズはさ……」
「ん?」
「何か、すっごく重たいものを背負ってるんだろうなって、勝手に思ってる」
「身勝手ね」
「ごめん」
「重いか軽いかなんて話、あなたの前では口が裂けてもできないわ」
「どうして?」
「自覚ないの? その……父親のことよ」
「ああ、二人とも死んじゃってるから、か。重たいかなあ、私」
「超重量級よ」
「体重みたいな言い方しないでよぉ。でも……そういう話、なんだ」
ハロムにそう指摘され、アリューズはわかりやすく〝しまった〟という顔をした。
そして観念したように――あるいは溜め込んでいたものを吐き出すように、ぽつりぽつりと語る。
「言っておくけど、私の父親は生きてるわよ。あの人の子供であることも誇りだと思ってる」
「仲良しなんだね」
「……そうでもないわ」
「えっ?」
「騎士剣術を習っていることも反対されてるし、私も母のことを事あるごと『バカな女』って呼ぶあの人のことが嫌い」
「え、えっと、仲の良さと誇りは別……みたいな話?」
「嫌いな部分はあっても好きな人はいるわ」
「ああ、そっか。そうだよね」
「そう、それが私の誇りなの。それしか……ないの」
では一体、何が問題なのか。
ハロムにはわからない。
アリューズは落ち込んでいるようにも見えるが――しかし、励ましの言葉を望んでいるとも思えず。
ただ黙って、彼女の寂しげな横顔を見つめることしかできなかった。
◇◇◇
それから気まずい空気が戻ることもなく、二人は並んで家路につく。
その道中、前方から散歩中のケレイナと、彼女に抱っこされたティオが現れた。
ケレイナはハロムとアリューズの顔を順に見て、笑みを浮かべる。
「ハロム、どこに行ったのかと思えば友達と遊んでたのかい」
「ねーね!」
ティオは姉の姿を見つけると、嬉しそうに手を伸ばす。
「うん、この子はアリューズって言うの。道場で一緒なんだ」
ハロムが紹介すると、アリューズは丁寧に頭を下げた。
ケレイナはその所作で育ちの良さを感じる。
「道場で……ってことは、この子も?」
「はい、騎士剣術を学んでいます」
アリューズはかしこまった口調でそう返事をした。
そして妙に硬い表情でケレイナに近づく。
「あの、ケレイナさん」
「はは、あたしの名前も知ってくれてるんだねえ」
「一つ、お尋ねしたいことがあります」
やけに真剣なトーンでそういい出すので、ケレイナは困った様子でハロムの方を見た。
だがハロムも何も知らないので、首を左右に振ることしかできない。
そしてアリューズは言った。
「あなたは、ガディオ・ラスカットを〝バカな男〟だと思いますか?」
「アリューズ!?」
思わずハロムの声が上ずる。
彼女は慌ててアリューズとケレイナを交互に見た。
だがケレイナは、その様子から決してガディオを侮辱する意味はないと察したのか、怒ったりはしない。
アリューズなりに深刻な理由があるようだ。
ならば――と、ケレイナもまた真剣に答える。
「あいつがどうして死んだのかは知っているんだね」
「復讐と聞いています」
「うん、そうやってガディオは自分の生き方を貫いたんだから。それをバカだなんて言うわけない」
その答えを聞いてアリューズは無言でしばし考え込んだ。
「……そうだよね、同じなはずなんて」
そしてそう呟くと、最後にケレイナに深く頭を下げて去っていった。
「え、アリューズ!? えっと、あの、また明日っ! 道場で会おうねっ!」
ハロムは慌ててその背中に声をかけるも、アリューズが振り向くことはなかった。
ケレイナも遠ざかっていく彼女を見送る。
「あの子は?」
「わかんない……何か抱えてるんだと思うけど。どうしたらいいのかな」
「友達として傍にいてやればいい。それだけでも一人よりは楽になるからね」
「……うん、わかった!」
ハロムは両手をぎゅっと握って頷く。
ケレイナに抱っこされたティオは、そんな姉に手を伸ばした。
ハロムは弟に優しく笑いかけ、その小さな手を握る。
そして三人は穏やかな空気で、自宅へと戻っていくのだった。
◇◇◇
東区の自宅に戻ったアリューズがリビングに入ると、ソファに腰掛けていた父ヴィントが読んでいた本をぱたりと閉じる。
「帰ったか」
「お父様……」
いつもなら書斎にいるところだ。
おそらくアリューズが帰ってくるのを待っていたのだろう。
「今日は何をしていたんだ」
「ともだ……同じ道場に通う知り合いの女の子と遊んでいました」
ヴィントにとってそれは意外な答えだったのか、少し答えに詰まる。
「……道場で友達ができたのか」
「いえ、友達ではなく。知り合い、です」
「そうか。危ないことはしていないな?」
「二人で洋服を見たり、甘いものを食べただけです」
「ならいい」
彼は立ち上がると、娘の前に立った。
そして少し腰を落として視線を合わせ、肩に手を置いて語りかける。
「くれぐれも危ないことはしないように。お前は、あのバカな女と同じようになってはいけない」
言い聞かせるように、ヴィントは言った。
アリューズは何も言わずに、わずかにうつむく。
そしてヴィントはテーブルに置いた本を手に取ると、リビングから出ていった。
一人残されたアリューズは、静まり返った部屋の中で瞳を潤ませる。
「お母様がいた頃は、こんなんじゃ……」
幸せだったあの頃に思いを馳せて、肩を震わせる。
◇◇◇
それから、ハロムは前よりもアリューズに馴れ馴れしく接するようになった。
道場での手合わせで手抜きをすることはなかったが、行きも帰りもついて回って、休日は遊びに行こうと誘ってくる。
正直、アリューズからすると鬱陶しいぐらいだった。
ハロムは事あるごとに『私たち友達だよね?』と確認して友達だと認めさせようともしてくる。
もちろんアリューズは拒否だ。
あくまで知り合い。友達などではない。
こうなるともう根競べのようなものだった。
ハロムが諦めるのが先か、アリューズが折れて友達だと認めるのが先か。
けれどアリューズはわかっていた。
おそらく、自分が折れるのが先だと。
だって、こんなにも絆されている。
学校から帰って道場に向かう前、ハロムが迎えに来るのを楽しみにして。
眠る前に目を閉じると、明日あなたに会ったときどんな話をしようと考えて。
学校でぼんやりしていると、気づけばハロムの顔を思い浮かべている。
怖いぐらい入り込んでくる。
けれど同時に、別の感情も強くなっていった。
◇◇◇
ハロムが剣を振り下ろす。
木剣から放たれた気剣斬は、十メートル以上離れた場所にある金属の鎧を纏ったかかしを真っ二つに両断した。
「ふうぅ……」
息を吐き出すハロムのその姿は、他の門下生から見ると一流の剣士のように見えたに違いない。
「す、すげえ……」
「あんなことできるようになるんだね……」
日々進化していくハロムの剣技に、門下生たちの憧れは強くなる一方だ。
それをアリューズは、稽古場の隅で羨むように見つめている。
◇◇◇
アリューズが素早く剣を繰り出す。
「ふっ、ふっ、はあぁッ! ハロムは相変わらずスピードへの対応が下手ね!」
「くっ……」
ハロムは木剣の腹でそれを受け止め、そして――わずかに角度を傾け、アリューズの剣を弾いた。
「っ!?」
剣を打ち込んだ瞬間、いつもとは違う感触を覚える。
リズムを崩され、わずかに生じる隙。
その隙間を縫うようにして、ハロムの大剣が真横に滑る。
アリューズは咄嗟に後ろに飛んで回避した。
さらにハロムは着地の隙を見逃さない。
瞬時にプラーナを生み出し、剣に満たし、振り下ろす。
飛翔する刃がアリューズに迫った。
無論、威力は控えめではあるが問題はそこではない。
(今の一瞬、しかも実戦の中で気剣斬を!?)
ハロムの繰り出す騎士剣術の精度が、驚くべき速度で進歩しているのだ。
「はあぁぁぁッ!」
アリューズはとっさに腕力をプラーナで強化し、それを弾き飛ばす。
ガゴンッ! と木剣同士の戦いとは思えないほど重たい音が鳴り、衝撃波が風となって師範や門下生たちの肌を撫でた。
アリューズの腕もビリビリと痺れる。
そんな中、ハロムは大きく飛び上がり大剣を叩きつけた。
「もらったあぁぁぁあッ!」
だが――それはあまりに大きすぎる一撃。
おそらく初勝利が見えて、気が逸ってしまったのだろう。
アリューズは横に転がり回避すると、素早く前に飛び出して側方からハロムに斬りつけた。
「そ……そこまでぇっ!」
師範は、どう考えても自分より格上の手合わせを前に、涙目になりながらそう宣言した。
ハロムはがっくりと肩を落とす。
「う……やられちゃったぁー……」
落ち込むハロムだったが、アリューズはその横で肩を上下させている。
「はぁ……はぁ……ふふ、油断しすぎなのよ、あなたは……」
いつもの癖で勝ち誇ってみたが、しかし心は曇天のままだ。
(もしあの気剣斬が本気で放たれたものなら、私は受け止められなかった)
本当にそれは勝利だったのか?
自分でも信じられないぐらい、紙一重の戦いだった。
(それに騎士剣術も、実戦の勘も、息一つ乱さない体力も、凄まじいスピードで進化してる……)
もはや切磋琢磨などと言っていられる状況ではない。
(いつ追い越されてしまうのか――)
完全なる敗北の日は近い。
ならば、そうなったとき、自分が拠り所にするものは一体?
いや、そもそも元から何を拠り所にしているのか――
「やっぱりアリューズは強いね! 私も、もっと強くならないと」
たとえ勝っても素直に喜べないアリューズ。
一方で、敗北してもまっすぐに笑えるハロム。
もやもやする。
ぐちゅぐちゅとした気持ち悪さが、腹の中を這いずり回っている。
◇◇◇
稽古が終わると、ハロムとアリューズは二人並んで帰るのがすっかり日常になっていた。
夕日が沈み、橙色に街を染める中、稽古で火照った体を昼と夜の狭間の心地よい風か、涼しく撫でていく。
「今日も楽しかったねー」
何気なくハロムがそう呟く。
アリューズから返事はなかった。
返事がないこと自体はそう珍しくはないが、彼女の表情がどうにも暗いことにハロムが気づく。
「アリューズ、何か嫌なことでもあったの?」
何かと隠し事をしがちな彼女に物事を聞くときは、はっきり言った方がいいのだとハロムは学んでいた。
しかし今日は、それでも彼女は答えない。
「何でもないわ」
けれどそれが何かあるときに、決まって言う言葉なのだと気づかれている。
「何かあったら、私に言ってね。力になりたいから」
そうやって寄り添うように言うと、アリューズはさらに泣きそうな顔になった。
通りを歩く人はまばらだ。
もうあと少しで暗くなる、遊びに出た子供たちもとっくに戻った後である。
賑やかなコンシリアに、少しだけ寂しさが差し込む時間帯。
そういう寂しさが、人の心も感傷的にさせるのかもしれない。
「あなたの前で本音なんて言えるはずないわ」
だから、言わなくていいことまで言ってしまう。
言ったら強く後悔するくせに、口走ってしまう。
「私、あなたみたいに……澄んでいないから」
そして一度言い出したらもう止まらない。
溜め込んだ呪詛が、溢れ出す。
「だからいつまでも剣術だって上達しない」
「そんなことないよ。アリューズがいい子だってこと、私も知って」
「だったらそれは何も知らないってことよ!」
責め立てるようにアリューズが言うと、ハロムは言葉を失った。
さらに彼女は畳み掛ける。
「私とハロムの境遇に大きな違いなんて無いはずなのに、あなたはキラキラ輝いて、私は醜く淀んでる。そんな真っ直ぐなあなたに――本音なんて向けられるわけないじゃない!」
前はできていたはずなのに。
近づきすぎたから、美しいものだと知ってしまったから。
「近づけば近づくほど眩しくて、自分がどれだけ醜いのかを嫌ってほどに見せられる……ッ!」
瞳が潤み、声に涙が混ざり始める。
「ただでさえ穢れているのに、私は、家族は、あなたに負けてしまったらどうなるの? 無くなって消えてしまう! 無価値なものだってわかってしまう! 私、自分が何者なのかわからなくなるッ!」
おそらくそれは、アリューズの本音なのだろう。
だがハロムにはまだ伝わりきっていない。
一体、何がアリューズをそこまで苦しめているのか。
彼女を縛る家族の呪縛が何なのか、肝心な部分を教えてくれないから。
「お願いだからそれ以上近づいてこないで! お願いだから、これ以上は強くならないでッ! 私より弱いままでいてよ、ねえ、ねえッ!」
ただただ、拒絶と嫉妬と憎しみと、それだけは伝わってくる。
そして同時に、決して自分を嫌っているわけではないのだという、相反する感情も。
「アリューズ……教えて。どうしてあなたはそんなに苦しんでいるの? 私、力になるよ。一緒にどうにかできないか考えるからっ!」
ハロムは戸惑いながらも勇気を出して、彼女に手を伸ばした。
しかし、アリューズはそれを乱暴にはねのける。
「無理よッ! 言ったでしょう? この苦しみは、あなたのせいなんだから」
「だったら、私になら解決できるってことだよね!?」
「っ……」
それでもなお、ハロムは真っ直ぐだ。
人を嫌うということを知らないのだろうか。
憎らしい。美しい。忌々しい。愛おしい。
本人は善意のつもりでいるのだろう。
けれどこんなもの、人を惑わす邪悪以外の何物でもない。
「こんなに綺麗なものが世界にあるなんて、知らなければよかった。自分の心は綺麗なんだって自惚れたままでいたかったッ!」
駆け出し、離れようとするアリューズ。
「アリューズ。待って、アリューズッ!」
それを必死に追いかけるハロム。
しかし単純な身体能力ではアリューズの方が上である。
その姿は遠ざかっていき、やがて見えなくなるのだった。
◇◇◇
その晩、食事も摂らずに部屋に閉じこもったアリューズ。
彼女の父はそんな娘を案じ、ノックしてドアごしに声をかけた。
「さっきまでお友達がずっと待っていたよ」
「友達じゃない……」
「急にいなくなったから心配だと」
「友達じゃ、ない……」
アリューズはベッドに潜り込み、呪文のようにそう呟くばかりだった。
「大事にしてくれる人がいるのなら、頼ればいいじゃないか」
「違う。違う。ハロムはそんなんじゃ……」
「頼むよアリューズ。あの女と同じようなことだけは考えないでくれ」
「違ううぅぅっ!」
彼女がひときわ大きく声を荒らげると、ヴィントは部屋の前を去っていった。
再び一人になったアリューズが目を閉じると、嫌でも〝あの日〟の光景が思い出される。
それは一年前の出来事。
何気ない日常の延長線上。
幸せだった毎日に、突如として降り注いだ災厄だった。
とある休日、母と二人でおやつにケーキを作った。
楽しい時間。
父も交えて三人でそれを食べたあと、母は突如としてアリューズをリビングから連れ出した。
廊下で二人きりになると、彼女はアリューズの肩を掴んでいつもと変わらぬ表情で言った。
『言わなければならないことがあるの』
果たして〝いつも〟が異常だったのか、それとも本当にいつも通りの母だったのか。
『あなたの本当のパパは、ヴィントじゃないわ』
今となってはもう、わからない。
ただ、結果として――
『あなたの父親は、ディーザ様なのよ』
どうにもならない現実だけが、そこに残された。
「ううぅ、うううぅぅぅう……っ」
体内を這いずり回る汚らわしい血液の感触に苦悶する。
まばゆい太陽に、心すらもその同類だと照らされる。
自己否定の災禍の中で、アリューズはただひたすらに苦しいだけの夜を過ごすのだった。
後編は明日か明後日に更新予定です。
面白いと思っていただけたら、↓の☆マークから評価を入れていただけると嬉しいです。
ブックマーク登録も励みになります!




