EX9-6 僕は外、君は内
フラムの刃は、確実にデインの心臓を貫いた。
彼が“魂魄”そのものである以上、心臓を喪失すれば普通は死ぬ。
なぜならば、魂と連動する肉体の心臓もまた、同時に貫かれ破壊されるからだ。
しかしデインは死ななかった。
なぜなら彼の肉体は、違法改造されたアンドロイドなのだから。
(危ねぇぇえっ!)
神喰らいが引き抜かれた直後、転がるようにして後退し、フラムから距離を取る。
同時に胸の傷に手を当て、血を止めた。
今のデインにとって“血の流出”はただの見せかけ、何の意味もないエフェクトなのだが、それでも不愉快だったのだ。
彼女もそれに気づき、驚いた様子で再度剣を構えた。
(何だよ今の速さは、人間のそれじゃねえぞ! 偶然か? それとも一瞬だけ加速できる能力でも手に入れたのか?)
デインはまだ混乱したままだ。
態勢は整え、フラムの攻撃を待ち受けてはいるものの――目の前から、瞬時にその姿は消え、見失う。
(また消えやがったか!)
左右を探す、しかし見つからない。
(どこだ……どこに消えやがった、あの女!)
刃が迫る気配が、デインの背後より迫った。
振り上げられた剣が彼に触れるまでの猶予は、限りなくゼロに近い。
横に転がり回避するのと、ガゴォンッ! と神喰らいが地面を砕くのは、誰から見てもほぼ同時――しかしデインの反応が一歩勝った。
「くうぅっ、回避に専念して精一杯かよぉ!」
「喋ってる暇があったら死ね!」
フラムは容赦なく、その場で騎士剣術を放つ。
気剣乱――無数のブレードがデインを襲った。
再度、横に飛んで回避。
だが、かすめた余波がその肩を削った。
(チクショウ、何だこの威力! 速さだけじゃねえ、こいつ、単純にでたらめな力を持ってやがる!)
ギリッ、と歯をきしませるデイン。
気に食わなかった。
ようやく神にも等しい力を手に入れて、気持ちよく復讐できると思ったのに。
その力をもってしても、避けるのが精一杯だなんて。
許せない。許せない。許してなるものか――彼は着地と同時に、彼は手を前にかざす。
「認めねえ、僕よりお前が強いなんて、そんなことはよぉっ!」
威勢よく叫ぶデイン。
だが何も起きない。
何も存在しない。
何も聞こえない。
何も生じない。
何も無い――そのはずなのに、フラムは己に迫る“殺意”を感じていた。
「はあぁぁぁぁっ!」
彼女は予感に従い、剣を十字に切り、気極壁の展開。
直後、バチバチィッ! と激しいスパークが生じ、壁が“何か”を防いだ。
だがデインの放った力は、それだけでは止まらない。
回転しているのか、侵食しているのか、プラーナの盾をえぐってフラムに迫ろうとしている。
しかし、バチバチと弾ける光により、その場所は可視化されていた。
場所さえわかれば――
「消えろ」
有を無へと反転させることで、消滅させることが可能である。
「この世界の“外”の理屈……私たちでは理解できない“力”……妙に人間離れした動きをすると思ったら。千草が言ってた異世界からの脅威って、あんたのことだったんだ」
デインをにらみつけるフラム。
彼は膝に付いた砂を払いながら立ち上がり、へらへらと笑う。
「人間離れねェ、てめえに言われたかねえな。どうやって消しやがった。この世界に存在するエネルギーでは“絶対に防げない”、“絶対に消せない”属性を付与したはずなのによぉ」
「さあ? あんたみたいに調子に乗って自分の手の内を話すのは趣味じゃないから」
「チッ、どこまでもつまんねえ女だ。だったらこれでどうだ!」
再度、手をかざすデイン。
先ほどと同じように、音もなく、何かをフラムに向かって放っているようだ。
(何も策を打たずに同じ攻撃を繰り返すとは思えない――)
フラムはそう思いながらも、再度、気極壁を展開する。
弾丸は壁に触れる。
弾け、光を放ち、場所が可視化される。
そこに向かって、フラムは“反転”の力を放つ――
「消えろ!」
瞬間、デインがニタリと笑った。
「……消えない」
反転で消滅させようとしても、消えないその力。
手応えはあった。
間違いなく、その存在は裏返っている。
だが、有が無にならない。
戸惑っている間にも、力は壁を貫き、フラムに肉薄する。
「くっ、何なのこれっ!」
彼女が飛び上がると、先ほどまで立っていた地面が“力”によりえぐり取られる。
しかし着弾して終わりではない。
なおも向きを変え、フラムを追尾する。
「はぁッ!」
彼女は気円陣により、広い範囲に、薄く力場を展開。
まずは弾いて生じる光で、全く見えないその力の位置を把握する。
その形状は、自然では生じないレベルでの正円。
それがひしゃげることもなく、フラムの動きとそう変わらない速度で、的確に追尾する。
つまり、彼女が着地等で少しでも動きを止めれば、一気に距離は近づく。
「づうぅっ、このおぉっ!」
神喰らいで受け止めようと試みる。
確かに防ぐことは可能だった。
しかし、完全に止まりはしない。
フラムの腕力をもってしても、じりじりと、かかとが地面を削りながら後退する。
そして止めている間に、また別の球体が背後から迫ってくるのだ。
「ちぃッ!」
球体が後頭部に直撃する寸前、フラムは舌打ちしながら飛び上がった。
あわよくば、球体同士の衝突による相殺も狙っていたのだが――そう都合よくはいかない。
デインの放った力は、お互いに干渉せず、すり抜けて通り過ぎるだけだった。
「そうだ……力の差は単純な身体能力だけじゃねえ。僕は“一つ上の次元”にいるんだよフラムゥ! 物事は0と1だけじゃ表せないのさ!」
「ちょっと変な力を身につけたからって調子に乗ってッ!」
「負け惜しみ言ってんじゃねえよぉぉ!」
「負け惜しみなんかじゃ――」
フラムは追尾する球体の軌道を誘導しながら、デインと自分との斜線上に障害物がなくなる瞬間を待った。
「ないッ!」
直線ならば、いくらでも加速はできる。
ドゴンッ! と地面をぶっ飛ばして、デインに突進するフラム。
だが彼は笑う。
「かかったなフラム!」
球体が破壊不可能ならば、本体を狙ってくる――それぐらいの予想はついていた。
だから罠を仕掛ける。
自らの目の前に、あの“破壊不可能な力”で作った檻を呼び出すことで、フラムを閉じ込めるために。
「反転しろッ!」
一方で、フラムもデインが何も用意していないはずがない――そう考えていた。
ゆえに、デインの力の発動と同時に反転魔法を使用する。
(無駄だッ! 0でも1でもない、存在するし、存在もしていない――この“境界物質”を破壊するのは、この世界に生きるお前には不可能なんだからなぁ!)
そして檻は生成される。
中にはフラムが閉じ込められ、さらに彼女を追尾する境界物質の球体により、成すすべもなく肉体を破壊される――はずだった。
「……何? 何でだ……何で僕が“檻”の中にいるんだよぉぉおッ!」
しかし閉じ込められたのはフラムではない、デインのほうだ。
フラムは彼の背後に立ち、剣の先端をそちらに向ける。
そして目を細めて、プラーナを生成――剣技を発動させた。
「気想剣」
デインが閉じ込められた檻を囲むように、無数の剣が浮かび上がる。
もっとも、あの檻は彼が作ったものなので、いつだって解除が可能だ。
しかし――解除した瞬間に、檻を取り囲む剣が、デインを串刺しにするだろう。
「て、てめえ……」
デインの表情が焦りにゆがむ。
フラムの意図を察した彼は、境界物質による追尾をぴたりと止めた。
「やけに諦めがいいんだね」
「根比べなんざするつもりはねーからな。しかし困ったもんだ、こういうの千日手とでも言うべきかねえ」
「わかってるなら早く出てきてよ、めった刺しにしてあげるから」
そう話しながら、フラムは“檻”に対して何度か反転の力が使えないか試していた。
だが、やはり効果はないようだ。
反転の力を使えば、0なら1になる。1なら0になる。
だが0.5の物質が存在したとき――それを反転させても、有にも無にもならない。
また、どうやらあれに囲まれたデインに対しても力を使えないところを見るに、フラム自身が閉じ込められれば、脱出はほぼ不可能だろうと考えられる。
「おぉ、怖い怖い。何で僕のことをそこまで嫌うんだよ」
「嫌な予感しかしないの。あのミュートって子を連れてきたことも含めてね」
ミュートは少し離れた道の端に立ち、じっとこちらを見つめている。
先ほどの戦闘中だって、フラムはずっと彼女の監視を続けていた。
「ただし、事情は理解した」
「あぁ? 何がわかるってんだよ、下位世界の人間に」
「この世には幽霊も神様もいるんだから、魂だって、輪廻転生だって実在するってことでしょ?」
「……気持ち悪ぃ。スピリチュアルだねェ」
「現にこうして戻ってきたやつがいうセリフ?」
「へへっ、自虐だよ自虐。僕だってさあ、できれば戻ってきたくなかったさ」
「なら大人しくしてればよかったのに」
「そうはいかねえだろうが! どういうわけか覚えちまってたんだからよォ!」
それは――デインの嘆きであった。
「僕だってさ、なってみたかったさ。“違う自分”ってやつに。でもなれやしないんだよ、人間の根っこはそう簡単には変わらねえ! そして何より! 僕の奥底に根付いた憎しみが、それを許してはくれねえ!」
「……まあ、それはわからないでもないけど。だとしても、受け入れることはできない」
「ああ、そうだろうな。僕だって受け入れてもらおうとは思ってねえよ」
「じゃあ何で話したの?」
「暇つぶしだ」
「違うよ、あんたはそういう人間なの。昔から、強いようでいて仲間を求める。共感を欲する」
「あ?」
フラムはいつか言った言葉を繰り返した。
「要するに『甘えないでよ、気持ち悪い』ってやつ」
「……ッ! は……はは、あははははははっ! 変わらねえなァ、てめえも。そうやって相手の図星突いてよォ、優位に立とうとしやがる!」
「図星って認めるんだ」
「ああそうさ! 僕はあのゲームの中で、嫌というほど自分の弱さを認識した! 他者に認められたい、他者と馴れ合いたい、他者を支配したい、他者を跪かせたいッ! 欲求はいつだって、“内”じゃあなく“外”にあった!」
「認められたんなら、やればいい。自分の世界だけでそれが完結するんなら、誰も文句は言わないよ」
「できねえよ……できるわけがねえ……」
デインはうつむき、両拳を握る。
悔しげに歯を食いしばり、腕を震わせ、声に感情をにじませる。
そして――勢いよく顔をあげると、白い歯を見せながら、最高の笑みをフラムに向けた。
「だって僕、性根が腐りきってるからさあぁァ!」
フッ、とデインの姿が消えた。
境界物質の檻も消え、気想剣がズドドドドッ! と地面に突き刺さる。
「転移した!? いや、気配はないし、感覚も反応しない。あいつ、完全に消えてる……!」
念の為、“視覚”で周囲を探知するも、当然そちらに引っかかることもない。
だがミュートはそのまま残っており、虚ろな瞳でじっとフラムのほうを見ていた。
「あの捨て台詞を残して逃げたっての? だとしても、ミュートを残していく理由がない。一体、何を企んで……」
警戒を続けるフラム。
そんなとき、ミュートの視線がふっと自分自身の手元に落ちた。
何も握られていなかった手のひらに、ナイフが現れる。
彼女はそれを握ると、刃を喉元に当てた。
「……あいつ、まさか」
その行為が、フラムに対してさほど意味をもたないことはわかっているはずだ。
相手はミュート・アンデシタンド。
本来、助ける義理などないのだから。
しかし同時に、デイン・フィニアースという男は理解しているはずだ。
それを見たフラム・アプリコットが、止めずにはいられないことを――
「間に合えぇぇぇぇええっ!」
フラムもデインのことを、少しはしっている。
あの男は、こういうとき、フラムが助けにいかなければ本気で殺してしまう男だ。
だから助けずにはいられないのだ。
駆け出し、瞬時にナイフを奪い取る。
ミュートがフラムを見上げた。
「ごめんなさい」
心から申し訳無さそうにミュートはそう言うと、ナイフを持っていたのと別の手をフラムにかざす。
そしてミュートが作り出した境界物質の檻が、二人を取り囲む。
フラムは考える。
ミュートと二人で、完全に囲まれる前に脱出は可能か。
答えはノー、もう間に合わない。
ならば一人で、自らの脚力を使っては?
ノー、ノー、それだけの猶予はない。
であれば、他の方法は――“反転”しかなかろう。
「元に戻れッ!」
フラム自身の状態を、元に戻す――つまり、ミュートに接近する前の位置へと戻すのである。
こうするしかなかった。けれどフラムはそうしたくはなかった。
明確な根拠はない、ただ“第六感”が、『それはまずい』と告げている――
「再度ログインからのこぉんにぃちはぁーっ!」
デインの声が聞こえた瞬間、フラムは『ああ、やっぱり』と悔しげに顔をしかめた。
どういう理屈かはわからないが、彼はどうやら、この世界と自分の元の世界を、タイムラグ無しで自由に行き来できるようだ。
こちらの世界に来ることを“ログイン”と呼ぶということは、さっきは“ログアウト”したということだろうか。
今度こそ、フラムですら絶対に回避不可能な状況で、場所で、境界物質の檻が作り出される。
「こんのおぉぉおおおッ!」
フラムは無駄だと知りながらも、力任せに神喰らいを振り回した。
放たれた気剣斬はしかし、壁に阻まれ霧散する。
戻ってきたデインはポケットに手を突っ込むと、まるで動物でも観察するように、檻の周囲をぐるりと回る。
「くひひ……いいねェ。こうして僕を殺した女をじっくりと、舐め回すように見下せる瞬間! 興奮が収まんねえよ。なあフラム、もっと悔しげな顔してくれよ。もっと負け犬の遠吠えを聞かせてくれよ! なあ、なあぁ!」
「……」
「黙るなって。まあ、それも負け惜しみっぽくて気持ちいいんだけどさあァ! あっはははははははは!」
デインは悲願は成ったといわんばかりに、歓喜し、フラムをあざ笑う。
「境界物質は永遠にお前を閉じ込め、そして永遠にお前を狙い続ける」
デインは手をかざし、再度、境界物質の球体を生み出し、フラムを追尾させる。
「そして僕は、これからお前の大切にしてた人間を全員殺しにいく。えっと、ミルキット……だったっけ? あの包帯を巻いた気持ち悪い女。あれの死体を持ってきてやるからさ、わんわん泣いてくれよ。泣いて、泣いて、お前たちの感動的な愛で僕を愉しましてくれなァ!」
フラムの前から去っていくデインとミュート。
彼女はどうにか怒りを噛み殺していたが、ついに耐えきれず、境界物質の球体に、神喰らいを叩きつけた。
「落ち着け、落ち着け、落ち着け――」
言い聞かせるように繰り返す。
その後、数度の深呼吸を経て、彼女は冷静さを取り戻した。
そして眼前に立ちはだかる壁をにらみつける。
「“道”は見えた。あとは、掴むだけでいい」




