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異世界にはない職業

 人類最古の職業は、娼婦と傭兵だと彼が言ったのを覚えている。


 エルフやドワーフやらの他の種族について答えられないのが僕の教養の限界だが、少なくとも目の前のソファーで寝っ転がっている男はどこか知っていてもおかしくないと感じてしまうのはなぜだろうか。


 そんな種族と関わり合いになるのは、彼の人生においてはつい最近のことだと言うのに。


「で、システムエンジニアだっけ?」

「不正解」


 あくび混じりの声が聴こえる。ちなみに今の会話に説明を付け加えるのであれば『あなたがこの異世界に来る前の世界での職業はシステムエンジニアですか?』『いいえ、違います』となる。


 個人的には、ぜひとも国語の教科書に乗せてほしい例文だ。少なくともどの国どの種族の言語であっても、『これは林檎ですか?』『はい』とかいう文章よりは余程役に立つはずだ。なにせ、見ればわかる。


「……エンジニアはあってるんだっけ?」

「エンジニアの部分はね」


 彼は寝っ転がっているのに飽きたのか、大きく背伸びをしてからやっぱり大きなあくびをした。いつもと同じ白い襟付きのシャツのボタンを適度に上から順番に開け、黒いスーツはシワだらけ、肩まで伸びた髪の毛はボサボサだけれど気にしない。


 僕の知り合いの女性は彼の事を美丈夫だなんて言っていたが、世間的にはそうなのだろうと日頃の恨みを抜けば思う。もっともその捻くれた性格が僕にかける迷惑を自覚しているかはわからない。


 彼、エージは少なくともそういう男だ。


「あのさぁアル……対応する言語が無いんだから答えられないのは当然。それこそナポレオンの辞書で不可能って単語に赤線を引くぐらいには」


 部屋の隅に置かれたサイドボード上のティーセットから、エージお気に入りのマグカップに紅茶を注ぎながら言う。ちなみに僕はナポレオンの辞書がどんな辞書なのかは知らないが、少なくとも欠陥品の仇名なんだという事は想像できる。


「まぁ君のお仕事は……だいたいどこの国の色んな世界の人が見ても答えられるだろうけど」


 そう指摘されて僕は思わず自分の服の襟元を引っ張っていた。水色のシャツの胸にはグレンビート帝国の紋章が刺繍されており、机の上においてある腰のベルトには手錠やら小さめの棍棒やらがぶら下がり、靴は動きやすい黒の革靴。


 あとは父から遺伝した茶色い髪の上に紺色の帽子をかぶれば、どこに出しても恥ずかしくないこの国の警官の出来上がり……なのだが。


「いやまぁ、僕はこう見えても軍人だよ? そりゃ警官らしいのは知っているけどさ」

「仕事も警官だろ? じゃなかったら召喚者の俺が協力しないよ」


 そう言って紅茶をすするエージ。


 ――説明しよう、召喚者、とは。


 このグレンビート帝国に二百年ぐらい前からちょいちょい着の身着のままに余計なものをぶら下げてにやって来る、はた迷惑な連中の総称であり、嵐のように迷惑をかけるほとんど災害みたいな扱いだ。こうして絶賛迷惑をかけられている僕が言うから間違いはない。


「まぁ、ニーナもそうだけどさ」


 ニーナ、とは部屋の端で小さな椅子に座り本日何個目かわからないコロッケ……昨日はマフィンだっけ? を食べている、兜以外の鎧を着込んだ赤い髪の美少女である。口数は少ないを通り越してゼロで、コミュニケーションは成立しない。たまにボソボソ小声で喋るのだが、もはやエージぐらいしか気にしていない。


 それでも大丈夫、彼女はまだ召喚者の方でもマシな方なのだから。


「それでは警官アルフォンス・グレンモーレンジ殿、本日のお仕事は如何程で?」


 一応、部屋を見回してみる。あるものは事務机が四つとサイドボードにティーセット、一応整理を諦めたせいでいつ崩れてもおかしくない違法建築物に成り果てた書類の山、ソファーとイスと僕の暇つぶし用の本ぐらいだ。


 仕事、ね。


「……ないよ」


 仰々しくお辞儀をしながらくるくる回っていた手が『ないよ』の一言で止まってくれる。いつでもこれで彼のよく回る口の回転が止まってくれればと願わずにはいられないが、またすぐに彼は口火を切った。


「そうだね、君らの業務は休まず送れず仕事せずとは言ったものさ。いやね、こうして僕はグレンビート共わ……帝国だっけ? の臣民として毎日の平和を願っているのに君は協力しようとさえしない。その事務机をママのように大切に眺めては定時が来るのをボケーッと間抜け面で時計を眺めてはあとはそこの整理整頓されていない書類の山を眺めてはうんうん頷いて年寄りになって棺桶に入って地中を這うミミズを眺めて悔いはなかったと土に帰りたいという」


 よくもまぁ心にもない事をべらべらと噛まずに答えられるものだと感心する。ただ僕の口から出てきたのは疲労の色が濃いため息だった。


「あのさぁエージ、君がここグレンビート帝国陸軍付属都市郡警備庁本部所属特別鑑識室に来て三年なのは知っているけれど、仕事って何日に一回の頻度であった?」

「昨日の夜飲みすぎてなかったら、週に一回ぐらいだったと思うよ」

「そうだねその仕事ってのは」

「ようボンクラ諸君! お仕事……持ってきたよ!」


 室長の声で僕らの行動が止まる。僕は立ち上がりベルトを巻き、ニーナは食べかけのコロッケだかマフィンを急いで胃袋に仕舞い、エージは天に向かって拳を突き上げる。ちなみに室長の説明、金髪ポニテ巨乳メガネエルフ。以上。


「とりあえず南の方だからアル君は馬車の用意、ニーナ嬢はとりあえず付いてきて、エイジさんは……」

「あとよろしく?」

「正解」


 室長の仕事はここで終わりである。僕達に仕事を持ってきておしまい。しかしこれは、仕方のない事である。なにせここに持ち込まれる仕事は全て、エージにしか解決できない事なのだから。


 はた迷惑な召喚者である、その傍若無人ぶりからは想像できない控えめな力のせいで。


「で、室長……どっち?」


 部屋を出ようとする室長を呼び止め、エージがそんな事を尋ねる。やることは大して変わらないのだが、それは彼にとって最重要とも言えることだった。


「まぁ、それを確かめるのをお願いしたいんだけど……大丈夫当たりはつけてある、我々も無能が故に給料をもらってるわけじゃないからね。ってごめんね話が逸れた、多分転生者の方だよ。エイジさんが好きなね」


 そうやってウィンク一つだけ残し、彼女は部屋を後にする。僕とエージは思わず自分の顔を手で覆う。その表情が邪悪に歪むのを、僕は見逃さなかった。


 ――まぁ僕は、結構見慣れているのだけれど。





 珍しく舞い込んできた仕事、というか現場は、郊外の大きなお屋敷だ。いわゆる貴族という感じの白い大きな屋敷で、庭には嫌味ったらしい薔薇とかチューリップやら名前も知らないような高そうな花が咲き誇っている。


 ――もっとも、僕らの目の前に転がっている女性の死体とは何ら関係ないのだが。


 先に来ていた警官……もとい士官が事前に纏めておいてくれた資料に僕はざっと目を通す。死因、掃除中に乗っていた踏み台が倒れたことによる転落死、氏名、ファミリア・ウィル・フランブル、性別女性、年齢19歳、職業身長体重公式的な恋人の有無やらなんやらについて書いてある。この短時間でこれだけ調べられる当たり、伊達に無能で給料をもらっていない事を証明してくれたような気がした。


 もっともこの資料に目を通すのは僕だけだ。一応全員に配布はされているのだが。


「花も恥らう16歳……ってね」


 やっぱりエージは読んでないようだ。まぁそれも仕方のない事である。基本的に僕らは、死体を見る必要は無い。だから彼がこうやって死体を突っつき回しているのは、趣味なのかなと思わなくもない。


 さて、僕らの仕事についてなのだが、言い忘れていた転生者についての説明が必要となる。


 まぁ転生者についての説明は彼女が掃除中に足を滑られて不運にもお亡くなりになった事と関係はないのだが、そこで鼻息を荒くしている成金貴族の禿頭にはひどく重要な事である。


 一つは心情的な問題として、もう一つは制度上の問題として。


「じゃあなんだ貴様は、私の娘が赤の他人だったっていうのか!?」


 先に来ていた警官……でいいか、彼に、成金貴族は怒鳴りつけていた。


 ――説明しよう、心情的な問題とは。


 転生者とは、このグレンビート帝国に二百年ぐらい前から着の身着のままにやって来る……召喚者とは少し違う。違うのは二百年のところではなく、着の身着のままという所だ。彼らは文字通り、どこぞの誰かとして生まれてくる。戸籍があり、両親も居て、帝国臣民としてすくすくと育つくせに、一般人とは大きく違う。


「だから、それを確かめに来たのが彼ら特別鑑識室なんですってば!」


 士官の一人が僕らを指差し、大声でそんなことを言う。ちなみに人はこれを責任転嫁と言うのだが、辞書のところに僕らの名前を乗せて欲しい。こういうのが、毎度毎度僕らの役割なのだから。


「そうです俺が特別鑑識室……巡査?」

「特尉」

「そう特別鑑識室特尉エイジです。トクトクお買い得エイジと覚えて下さい」


 そして火に油を注ぐプロフェッショナルが、エージである。多分そういう仕事をしていたんだと僕は密かに思っているのだが、なんという職業が適当なのかわからないままでいた。


「なんだとこのっ、人の大事な娘が死んだっていう」

「まぁまぁまぁまぁ、そう怒らないでくださいよ貴族様。被害者の遺族のメンタルケアってのもね、我々の仕事のうちなので」


 怒らせる事じゃなくてね。


「貴様……!」


 拳に力を込め、エージに殴りかかろうとする貴族。だが、その拳は当たらない。それを止めるのが、ニーナの仕事なのだから。


「まぁぶん殴ってほしいのは僕も同じ気持ちなのですが、公務執行妨害の書類を作成したくないのでその辺で」


 僕のとっても事務的な言葉で諭すと、貴族の禿頭が噴火しそうなぐらい赤くなるが、振り上げた手を彼はゆっくりと下ろしてくれた。良かった説得できたようだ。と思ったのも束の間で。


「それで、貴族様」


 おっほん、なんて仰々しい咳払いをかましてから、その成金貴族に歩み寄って。


 満面の笑みを浮かべながら、エージ火の中に爆弾を放り投げる。


「娘さんに、どれだけ財産移してました?」


 そうして僕らが解決すべき制度上の問題を口にしたエージは、思い切り頭突きを食らわされることになった。



「……ところでアル、あの禿のお貴族様はどれだけ刑務所にお努めになるのかな。その、不敬罪とかで」


 血が垂れていた片方の鼻の穴にちり紙を詰めながら、エージがそんな事を聞いてきた。まぁ僕らは陛下の代理人という書類上の立場はあるが、流石に不敬罪はあたらない。


「ならないよ」


 僕はと言えば亡くなった彼女、ファミリア・ウィル・フランブル女史の部屋を漁って、それっぽい物の数々を持参した敷物の上に並べていた。こういう地味な作業こそ、僕ら特別鑑識室の仕事なのである。


「なんで?」

「僕は公務執行妨害の書類を作成したくないし、彼がエージを殴ってくれればと心の底から思っていたから」


 それっぽい物。例えば日記、例えば衣服、例えばゴミ箱の中身。一通り並べ終わったかな、と思った僕はついため息をついていた。


「まぁ、君の顔に免じて許すとするか……それで終わり?」

「これぐらいあれば君なら出来るだろうと思ってね」

「信頼の証として受け取っておくよ。特にこの……靴下とか」


 いつの間にか白い手袋をはめていたエージが、嫌そうな顔で洗って無さそうな靴下を摘んでくれる。これだけ金も使用人も余ってそうな屋敷でも、探せばあるものである。


「まあ、転生者だから美人だったよね」

「ついでに学業優秀で、才能が溢れ出している」


 先程彼女が卒業した学校の成績表を見れば、転生者らしく全て最高評価。壁には当然のように様々な美術やら音楽やらのトロフィーがずらっと並べられている。


「そりゃまぁ、転生者の疑いは十分か」


 疑い。美人、学業優秀、ダメ押しの豊かな才能。それが彼らを彼らたらしめる、紛うことなき証明だ。


 ――エージ曰く、転生者とは。


 どこかの世界から好んで連れてこられた、神に愛された連中の事である。


 一般人との違いは二つ。


 一つ、前世の記憶をこの世界に持ち込んでいる。自分が前はどこぞの誰で、親は誰で住所はどこか好物は何か。そういう些末な事すら覚えているのだから、異世界の知識を全て覚えているに決まっている。禿頭貴族氏が自分の娘じゃないと言い放ったのは、そういう事情があったせいだ。


 まさしく強くてニューゲームだ、とはエージの言葉だが、それが僕にはどういう意味なのかわからない。僕にわかっていることと言えば、転生者が一様にして天才だという事だけ。


 しかしながら、そんなどこぞの世界からやって来た転生者に甘い我がグレンビート帝国ではない。それがもう一つの違いだ。数十年前、とある転生者の一族が起こした国家転覆未遂事件の戒めとして制定されたのが、転生者遺産相続法である。


 ルールは一つ、転生者の遺産は全て、国家が没収するという法律だ。要は生きてる間は好きにしていいが、死んだ後の財産はこっちで貰うぞという法律だ。一代限りの栄華だけが、彼らに許されたこの世界の生き方である。


 だからエージが頭突きをくらった質問は、あの頭突きをされたという事実が彼女の素性を証明しているようなものであった。あの貴族は知っていたか、それとも感づいてはいたが確かめなかったのかまでは分からないが。


「しかし不思議だよな、どれだけ神に愛されてようが、どれだけ学業も芸術も剣も魔法も収めようが……洗ってない靴下は臭いだなんて」


 エージは塞がってない方の鼻に一瞬だけ靴下を近づけるが、すぐにその辺に放り投げた。


「じゃあ神に愛されてないエージの靴下は臭わない、と」

「ああ、自信あるよ。履く前とか特に」


 それから本命の日記をゆっくりとめくり始めるエージ。こうして日記を付けてくれると、僕らの仕事は随分と楽なのだがと思わずにはいられない。なにせ僕らの仕事は、死んだ人間が転生者か召喚者か見極める事なのだから。


「実際ニーナはよくやってる方だよ。召喚者の中ではさ」


 口が回らないと困るのか、世間話を始めるエージ。今日の話題はどうやらニーナ嬢らしい。


「まぁ、ね」


 僕が同意できるのは、召喚者の死体を何度も眺めているからだ。神に愛されていないなどというエージの戯言を、それこそ鵜呑みに出来るぐらいには。


「そりゃまあ、神様に一つ好きな力を寄越せって言われて裏切られたら、自暴自棄になるってものさ」


 召喚者は、こっちの世界に来る時に神様って奴から好きな能力を一つ貰える、らしい。


 例えば永遠に金の湧く泉が欲しいとか、時間を止める能力とか、また無尽蔵の魔力とか、そういう類の物を手に入れられる。


 ――そして、往々にして殺される。それも無残に。だから僕達の仕事がある。


「その点彼女はいくらでも食べても太らない体とか願ったんじゃないかな。力は強いがゴリラの範疇だし……ゴリラって知ってる?」

「さあ」

「森の聖人」

「力は関係あるのそれ」

「森はさ……暴力が支配するんだ」


 そこでエージの手が止まる。


「まぁ召喚者が力持ちなんて頼んだ日には、触った瞬間全部ぶっ壊れるようになるさ。世界の法則を書き換えるのが、俺達転生者の能力だから。チートっていうほうが、個人的には気に入ってるんだけどな」

「で、君の個人的な意見は置いておいて、何の前フリ?」


 エージと仕事をする中で気付いたのは、彼は異常なまでに自分の本心を隠すという所だ。それが元来の性格なのかは分からないが、少なくとも仰々しい仕草やセリフは、木を森に隠そうとする時の癖。


「これ……読める?」


 اريد العودةと書いてあるのだが。


「……眠くてペンが走り書きになった」

「よし決定。彼女は召喚者のレアケースだ」

「……え?」


 思わず間抜けな声を漏らす。ついでに自分が間抜けな顔をしているのに気づき急いで顔に手をやるが、時間が巻き戻ることはない。


「この仕事の楽しみの一つは、君の間抜けな顔が見れるところだな」


 手袋を脱ぎながら邪悪な笑みを浮かべるエージ。なにかこう馬鹿にされているみたいで腹立たしいが、それでも俺は聞いておこう。例えこの話題が、僕の書類作成に不必要なものだとしても。


「で、なんて書いてあるんだい?」


 気になったものは仕方ない。それが僕が一般人たる証明のような気がしたから。


「ちょっと、フランブル卿!」


 ドアがその機能が無くなるほど強く蹴飛ばされた音の後に、遅れてやって来た士官の間抜けなセリフ。


 二つの音の鳴った方へと顔を向ければ、そこには顔を真赤にした貴族様とそれを真っ青な顔で制止しようと努力する士官がいた。まったく軍人の癖に運動不足の貴族すら止められないとは困ったものである。


「んで、ニーナは?」

「えっと、厨房の方に……」


 ああうん、よくあるパターンね。


「やっぱり何を願ったんだろうな彼女、無限の嗅覚とかかな」

「無限の嗅覚って何だいエージ」

「さあ? 俺は大体自分の発言に責任を取らない性格をしてるから」

「それは知ってる」

「じゃあ聞かないほうが良かったんじゃない?」

「おいそこの黒髪! お前だその減らず口!」


 一瞬エージが僕を見たが、僕は親切丁寧に彼の肩を叩いてあげた。黒髪かどうかは光の加減かも知れないが、減らず口かどうかは確かめるまでもない。


「はいはい、嬉しくないご指名のようで」

「貴様ら、娘の、娘の部屋を荒らして……!」


 半狂乱になった貴族様の手元を見れば、これまた由緒正しそうな装飾が施された剣を握りしめている。凄いな、あれだけの金細工を施すなら指輪かネックレスのほうが良かっただろうに。


「で、どうするの決闘とか? 好きだよね貴族って、そういう類のさ。プライドか何かわからないけど、運動不足の中年が軍人と戦って勝てるわけ無いでしょ」

「……殺してやる!」

「仕方ないなあ」


 頭に血が上った貴族を前に、エージはふっと息を吐いた。


「見せてあげようか。俺が召喚者って証明をさ」


 一瞬貴族様の顔がこわばる。そりゃそうだ、召喚者なんて普通に生きてれば、化物みたいなものだ。しかも彼の能力を使って出来ることは。


「じゃ、アルフォンス君あとよろしく」


 軽く僕の肩を叩いて、満面の笑みを浮かべ丸投げすることなのだから。


「召喚者としての能力は?」

「人脈」


 肩をすくめてまったく悪びれもせずに答えるエージ。


「まぁ言い得て妙だけどね君の場合は」

「……だろ?」


 というわけで僕は腰の警棒を抜き取って、両手で構えて貴族様に対峙する。


「あ、公務執行妨害にはしませんから。書類書くのが面倒なので」

「……何だ、そんなに娘が大事だったか。あんな言葉を残させておいて」


 不機嫌そうなエージがそんな事を言ってまた火に油を注ぐ。言葉、というのが引っかかるが、今の言い草だけは本心だったように感じた。


「それはっ……当然だ! 彼女はな、やっと授かった私の一人娘で」

「はいはい」


 相手にならない。バカ正直にまっすぐ走ってくる貴族様の後ろを取り、警棒で首をぶん殴る。一瞬で気絶してくれたあたり、後腐れが無くて助かる。


「いやお見事! 流石肉体労働者」

「まぁ、荒事はニーナと僕の担当だしね」


 恨まれるのは慣れている。そりゃそうだ、死んだお前の家族やら隣人やら恋人はどっかの世界からやって来た迷惑な連中だなんて吹聴して回るのが恨まれない訳がない。だからこうして剣に覚えのある僕がここにいるのだが……配られるのが警棒なあたり、いよいよ警官が身にしみてきた気がする。


「で、日記になんて書いてあったの?」






「よう、おつかれ諸君! 今回も転生者の証明ご苦労様! 彼女に税金対策で生前贈与されていた三億ビルドは無事税金に変わったので帝国の未来は明るい……あ、定時過ぎてるんでまた明日ね!」


 事務所に戻って全員一杯の紅茶を啜り終わったあとに、ドアを半開きのまま顔だけだして踵を返した室長。お疲れ様でしたと返すより早く帰宅したのは、彼女が室長たる所以だろうか。時計を見ればもう六時を回っていたので、ニーナも足早に事務所を後にしていた。


「で、あれなんて書いてあったの……というかなんで教えてくれなかったんだあの時」

「そりゃ他の人もいたしね。あんまり信用してないんだよ、ここの人達以外はさ」


 時計の音だけが部屋に響く。定時を五分ほど過ぎてはいたが、ここから先は無駄話なので残業代は申請しないでおくことにした。


「帰りたい、だってさ。思うような人生を手に入れてもね」


 思い出すように目を閉じながら、ソファーに寝転ぶエージが呟いた。


「君には走り書きに見えたかもしれないが、俺にはそう読めるんだよな」


 ――自動翻訳。


 それがエージが神に願った、唯一無二の能力だ。例えそれがどんな言語だろうが、彼は一瞬にしてその意味を理解する。ひどく単純な能力かも知れないが、それは彼ら召喚者にとって何よりも必要な能力だった。


 僕はエージとこんなふうに会話をする事ができるが、他の召喚者は違う。彼らの話す言語はあくまで彼らの母国語だ。しかもどういう原理か知らないが、後天的にこちらの言語を学ぶことが出来ないらしい。


 ニーナがその良い例だ。彼女も最初はもう少し口数があったらしいが、いつの間にか口を閉ざすようになってしまった。エージとの会話は可能らしいが、それでもほとんど喋らないのは生来のものなのだろう。


 だからエージは召喚者を、神に裏切られたと言う。


 それもそうだ、折角特殊能力を持ってこっちの世界に来たと言うのに、誰とも会話出来ないんじゃどうしようもない。異性を口説こうにも言葉は通じず、物を買おうにも苦労する。指差し辞書なんて物を使おうにしても、そもそも索引の文字が理解できない。


 そうして発狂して自殺するか、能力の暴走を止めるため殺される。ちなみに召喚者の場合は財産の没収はないのだが。


「僕に見せたところだけ彼女の母国語だったの?」

「いいや、あの走り書き以外はこっちの世界の言語で書いてあった。だからこそのレアケース」

「どういうこと?」


 そう尋ねればエージは自分の頭を指差した。そうだねおかしいね君のそこだなんて思うが、口に出さないでおくことにした。


「転生者と召喚者は、ここの言語野が違うんだよ。まるっきり別物なのか、何かロックがかかっているのか……まぁそれは俺らには確かめようのないことなんだが。多分彼女が願ったのは、金持ちの家に生まれたいとかそういう類のものなんだろうな。扱いとしては召喚者なんだが、生まれ変わる段階で脳みそが作り変えられたと。転生者だったら、どれだけ自分のいた世界を思い出しても、自分のいた世界の言語なんて書けないからね」

「うーん……さっぱりわからん」


 エージが何を言ってるのか、僕には理解できなかった。ご多分に漏れず随分と間抜けな顔をしていたに違いない。


「まぁ机にかじりつくのが仕事の公務員ならそうだろうさ」


 そんな嫌味を言われたせいで、俺もほんの少しだけ頭に来る。どうせ頭の出来と口の回転で敵わないのはわかっているが、それでも対抗したくなるのが人間という、いやむしろ一般人という種族なのだろう。


「だが、そんな僕にもわかることがある」

「なんなりと」


 仰々しく頭を下げるのは、彼の良心の呵責だと信じたい。


「……本当は彼女の遺産、何億だった?」


 彼は彼女が召喚者だと断定し、そして今証明した。くせに、僕の提出した報告書は転生者。よって財産は没収した。したのだが、おそらく報告した数字は実際の数字よりもっと少ない。さて問題です。


「え?」


 残りの金額は、誰のポケットに消えたでしょうか。


「ああまぁうん、これはほらあれだ、あの糞みたいな神様に対する復讐みたいなものだからね。愛されている連中から財産をせしめれば、そんな気分になるだろう?」

「まぁ、黙っておくけどさ……毎度のことだけど」


 一回二回、ではない。おそらく彼の口座には、とんでもない桁の数字が刻まれているのだろう。一般人を転生者呼ばわりにしたり、転生者を転生者呼ばわりし、召喚者を転生者呼ばわりし没収した財産を闇に葬る。そういう悪行を繰り返したくせに、彼は中々昼食を奢ってくれない。


 まぁこれを報告したところで仕事が増えるだけだし、あまつさえもっと忙しい部署に異動させられるかもしれない。休まず送れず働かず。結局彼の指摘する通り、僕の神経はそう出来ているのだろう。


「毎度一つに質問なんだけど、結局エージは何のエンジニアなの?」


 思い出したように僕は尋ねる。今このタイミングなら、口止め料として貰えるような気がしたから。


「……多分なんだが、エンジニアってのは自動翻訳の変換ミスなんだろうな。俺の国の言葉なら、技師って翻訳されるんだが、文章を区切る場所が違うんだよ」


 帰り支度を始めた彼が、ほとんど何もない荷物を小さなカバンに詰め始める。今日にしてようやく、普通の会話が出来るような気がした。


「で、なんの技師?」

「さ」

「……さ?」


 サとは、なんだろうか。システムじゃなくてか。


「詐欺師」

「それって、どういう仕事?」


 ため息混じりに訪ねてみれば、彼はもうドアノブに手をかけていた。


「まぁそうだね、ざっくばらんに説明すると」


 それから彼は、たった一言だけ残して去った。


 耳に残る言葉を反芻し、なんだ今と変わらないじゃないかなんて感想を抱きながら、定時を十二分過ぎた時計を見送り誰も居ない部屋の扉を閉めた。




「チートで金を稼ぐ仕事、かな」

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続きっぽいのです。気に入っていただけたらどうぞ。

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― 新着の感想 ―
[一言] どうしよう……ケツに聖剣がぶっ刺さった訳でも無いのに、突然全裸アフロになってもいなのに、肉色の波動とか感じないのに面白い…… 主人公の死に方が異世界転生史上一間抜けだとそういうオチですよね…
[良い点] 面白いなあこれ。最後のセリフがいいね
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