居住者
その男は墓に住んでいる。
男の知覚できる世界はごく僅かな範囲だけだった。
其処から一歩でも外に踏み出そうものなら、まるで死んでしまうとばかりに男は墓場から出ることを拒絶した。
村人は彼を【亡者】だと忌み嫌い、気狂いだと蔑んでいた。
だが男は、少なくとも彼にとっては墓場の中こそ世界であり、墓石や供え物が人間だった。
故に、男の_________ギ
浮かぶ。駄目だ、集中しろ。
そしてそれが_____ギ
いや、意識せず、そうゆっくりと眠るように。
ありていに言えばそれ___ィ
ィいイ。
「っ……」
無理だ。
思わず頁を捲る手を止め、眉間に皺が寄った。
集中が途切れる。
全く騒がしくてかなわない。深い意識の底から無理矢理すくい上げられたようなこの感覚は何時までたっても慣れはせず、だから俺はいつも通りに苛立っていた。
食堂の扉が開く。
ろくに手入れをしていないペンキの剥げた扉は、それに相応しい歪で曖昧な音を鳴らした。
ようやく面子が揃ったようだ。
全く、時間通りに行動することもできないのか……そうでなくても、此処は無駄が多過ぎる。
「………あれは」
渋々本を閉じ扉へと視線を向けると、夕食の席を囲む一人である藤堂優斗が見知らぬ男を担いで卓へと進んでくる。
疑問、疑惑、疑心、氷解、納得。
「ああ…」
成る程あれ(彼)が件の入居者か。このかがり荘へとやってきた新たな住人。
まあ。
どうでもいい、興味もない。
無駄なことだ、余分で余剰で余計な思いだ。
「新しい人だ。寝てんのかね?要?」
隣の芝村が肩を掴んで話しかけてくるが、鬱陶しい。その寝惚けた様な面がどうにも気に入らない。その夕焼けのような、塩素で色が抜けた髪も直視に耐え難い。
「気になるなら本人聞け。俺は知らん」
そうだ、勝手にするといい。俺を巻き込むのはやめろ。俺を惑わすのはやめろ。
「それもそうだね、へいユウト君。そちらのお連れは何者だ!」
大声で彼方へ駆けていく馬鹿。珍妙なポーズをとりながら藤堂に質問をぶつける芝村は、まるで新しい玩具を貰った子供のようだ。
尤もあながち外れてもいない、この女の悪癖の一つでもあるコレは日常的なものなのだから。
故に傷を負うのだ、よせばいいのにやめられない。遠回りな自傷癖、ああ全く救いがない。だからあいつは___いや。
「人のことは言えんな。……どうにも癖は拭いがたい」
気付けばじっとりとした嫌な汗が頬を伝っていた。心なしか手が震えている。
「先生……救いは何処にあるのですか」
声は、いつでも聞こえてくる。音はどこでも聴こえてくる。
__カナメ、救うとは同時に奪うことでもある。心の憂いを払い、魔を退けるということは、キミが清廉でなければ出来ないことだ。だからカナメ、我々はいつも正しく清らかであらねばならない。
__決して情を持って救済を行なってはならない、それは傲慢というものだ。あくまで仕事、使命の一環でありそれ以上でもそれ以下でもない。
「貴方は、だから俺のことが…」
いや……いまさら後悔したところで意味はないのだ。もはや過ぎ去った事柄であり今の俺には無関係なのだ。
だからそう、いや、違う。
「優先されるべきは清らかであること。淀みなく透き通り見渡せること」
だから俺が知覚する世界は狭くて矮小で構わない。それら全てを感覚で理解できることこそが喜びであり安寧である。
だからどうか、お願いだ。これ以上俺に近寄らないでくれ。勘違いしそうになるだろう?
「帰ろう、か。これは夢なのだから。」
震える右手で本を開く、嗚呼。
_おかえり、カナメ。
「ただいま、先生」
どうか俺を救ってくれ。