膿、歪、病。
「さ、行きましょう」
軽い足取りで歩いていく優斗に追従する。
その間に食堂の説明を受ける。
優斗の話によると食堂は寮内の中央に位置する場所にあるようだ。
其処から左右へ広がるように居住スペースがあり、お互い(男女)が行き来するためには必然的に食堂を通る必要があるらしい。尤も、それは原則として禁止されている。
「一応談話室も兼ねてますけど…まあ、そもそも住んでいる人も多くはないですからね。あまりそういう目的で使われてるのは見たことがありません」
「そうなのか?」
「ええ、確か八人だったかな。丁度半々、じゃなかった。晋介さんが来たから男子が一人多いのか…」
何気無く放った言葉に驚きを隠せない。
この広い寮に僅か九人。
その言葉を聞いた瞬間、この寮の空気が変わった気がした。
曲がりなりにも新生活、期待するところはあった。そう、字に起こすとすればソレは「青春」と呼ぶべきだろう。
当たり前に友情を育み、勉学に打ち込み、そして願わくば彼女の一人でもと。
そんな平穏な、しかし刺激的な生活の拠点たるのがこの寮。
だが、確かに変わったのだ。いや、やっと認識したというのが正しいのか。
常識的に考えれば、ただ寮には住人が少ないというだけだ。殆どの生徒は自宅から通学しているだけだろうと。
ならばこの違和感はなんだ?
俺は何を感じたんだ。
「……どうしました?」
俺の態度に疑問を覚えた優斗が心配そうに此方を見てくる。…やはり気のせいなのだろうか。
「いや、やっぱり眠くてな。食堂に着いたら顔でも洗うさ」
足早に食堂を目指す、余計なことは考えなくていい。少なくとも今は。
しかし、ああ、何と無くなのかな。
「優斗」
「はい?」
口が渇く、その一言を発するのがどうしてか酷く困難に感じる。
その疑念がたとえ当たろうとも、精々が悪戯かと思う程度のはずなのに。
「その、な。この寮の名前は……なんて言ったかな?」
吾輩は猫である、名前はまだ無い。
名前は、無いのだ。
優斗は怪訝な表情で答えた。
「かがりです、かがり荘。札島先生から説明されませんでしたか?」
空気が変わる、より複雑に混ざり合い認識を阻害する。
閑散とした通路、遠くで誰が居る気配すら感じず食堂で騒ぐ賑やかな音すら聞こえない。
どこだ、何処なんだ、ココは。
いや、なんなのだろうかコレは。
さながら伏魔殿へと放り込まれた気分だ、ぐらぐらと足が震え力が入らなくなる。
思わず近場にあるものに縋りつこうと反射的に優斗へ抱きついた。
「へっ?」
わけも分からないであろう彼は目を白黒させながら慌てている。
「あの…晋介さ」
駄目だいよいよ目も回ってきた、視界が安定しない。必死に優斗にしがみつく。
「…あ■。これ■■の人◼︎言■てい◼︎」
そこで意識は暗転した。
「…ですよ」
え、え。
「だい、じょうぶです」
なんだ、と。
「です、から。だいじょうぶです」
そんなのわからないじゃないか、なんで分かるんだ。
「いいから」
なにがいいんだよ、だってぼくは。
「だいじょうぶ」
うるさいうるさい五月蝿い。
「だいじょうぶだから」
なんだなをだなにわだおまえははにわだ!
「しっかり、深呼吸をして」
はーっ、はーっ、はーっはは、ははは、はひゃはははぃは、は。
なんだ、ぜんぜんだいじょうぶじゃないぞぼくをだましたなうそつき!
「晋介さん」
しんすけってなんだ、ぼくかぼくのなまえはなまえだ!
「先輩」
せんせんせんせん…?うるさいわけのわからないことばをつかうなぼくはえらいんだぞー、えらいんだぞぉお。
「あかり」
あ、
あ、い、。
「だいじょうぶです、灯。貴方を虐める人はもう居ません」
あか、あり、。
「そうです響も貴方のことを心配してますよ」
お、ねぇが?
「はい、とても」
ぼくのこお、を。
「そうです」
そ、お。
しぃ、いくんは?
「………大丈夫、少し眠っているだけです。貴方が帰ればすぐにまた」
そ、ぅ。ぼくの。わかっ、た。
「…ひとつ、いいですか?」
な、に。
「晋……しぃくんは貴方のなんですか?」
………………あっ、と、。か、らし。
「へえ」
じゃ、もいい?
「ええ、おやすみなさい」
う、ん。や、なさい。
崩れ落ちた晋介を優斗は無言で背負う。行き先は食堂。
「理由は何がいいかな……眠気に勝てなかったとか?」
考えることはこれからのこと。この先輩をどうアレらに紹介するか。
「任せてください、先輩。僕がばっちり決めてみせますから」
曲がり角を通ればそこは食堂、扉の磨りガラス越しに感じる灯りを眩しそうに見ながら優斗はドアノブを回した。