入寮と軋轢
ソレは古めかしい建物だった。
白を基調とした壁には所々細かな罅が走り、全体的にどんよりとした雰囲気を漂わせている。
「ここが長谷部君が暮らすことになる寮よ」
受付嬢の様な仕草で俺を招き入れる札島先生は慣れた足取りで奥へと進む。
玄関で靴を脱ぎ来客用のスリッパを履くと、ギシリと床が鳴った。
「寮の名前は?」
「…我輩は猫である。名前はまだ無いってね」
楽しげに、悪戯心を働かせながら応えてくる。
名無しの寮とはなんとも不思議な気がするが案外、そういうものなのかもしれない。
外観とは裏腹に内装はしっかり手入れがされており、管理の良さが伺えた。
「これからルームメイトを紹介するわ、少し気難しい子だけれどきっと仲良く出来るはずよ」
同居人…?成る程全く聞いていない。まあ、余程の問題児でなければ付き合っていけると思いたい。
広間を進み廊下の奥へ、通路の端に部屋はあった。
108号室と刻印プレートの下には恐らくは名前であろう文字が書かれている。
「藤堂優斗君、ですか」
「ええ、優斗君は貴方よりも一つ下」
ノックを数回、その数秒後にドアは開いた。顔を出したのは少年、当然の事だが藤堂優斗は男だった。
髪は長く目元が隠れている、どちらかと言えば華奢な体格であろう彼は胡乱げな顔で俺と彼女を交互に見やる。
「この人は?」
高い、声。
合唱コンクールなどで女子の列で無理矢理参加させられるような変声期前じみた甲高い声。
しかし、無駄を嫌う性格なのか元来口数が少ないのか。曲がりなりにも目上の人間、教師に向かってする態度ではないだろう。
「長谷部晋介君よ、貴方のルームメイト。これから仲良くしなさいね」
「………入って」
有無を言わさず俺の手を掴み部屋へ引き入れると藤堂はドアを閉めた。
「それじゃあ詳しい話はまた明日、今日はゆっくりと旅の疲れをとりなさい」
先生は扉越しにそう言い残し、去って行った。やはり声はどこか楽しげだ。
「……ベッドは下、風呂は僕が先」
どうやら彼は此方の都合というものを全く考えない性格らしい。
「まだ俺は君の名前を聞いていないんだけど?」
「表札に書いてあった」
それは、わかる。
「そうじゃない、これから一緒に暮らしていくんだ。まずは挨拶が基本だろ、あと俺は君より年上だ」
「だから?」
意味がわからないと言わんばかりに首を傾げながら嘲るように口元は歪んでいる。
気難しいというよりは自己中心的、ジャイアニズム的な思考。親元から離れて暮らす内にそうなったのかあるいは素の気質か。何れにせよどうにも面倒な輩だ。
「まあ、いい。俺も別に敬語云々は気にしないが常識的な観点からしても挨拶と言うのは重要なことだ」
「それが何の得になるんだよ?煩わしいだけだろ」
ふん。鼻で笑う彼は万事俺の思い通りになるとでも言いたげな顔をしている。
「いいやそれは違う。寧ろそういった過程を飛ばして進む人間関係など円滑なものである筈が無い。簡単言えば不評を買う」
足を不規則に揺らしながら息が荒くなっていく藤堂は此方に詰め寄ってくる。
「だから、なんだよ。それのどこがマズイってんだよ、大体後から来た奴がいちいちごちゃごちゃ五月蝿いんだよ」
「郷に入っては郷に従えって?」
「当たり前だ、調子にのんなよ」
………馬鹿だな。
「君の法則は極わめて限定的な条件下でしか通用しない」
「は?」
その惚けた顔に向かって拳を叩き込む、まさか殴られるとは思っていなかった藤堂は大きく仰け反って倒れた。
手が、痛い。
「ありていに言えばナンセンスだ。だからこうなる」
加減はしたつもりだ。
「……は?は?」
じわじわと痛みが襲い掛かって来たのだろう、眼には涙が浮かんでいる。そうでないにせよ顔への衝撃というものは中々【クる】のだ。
「君、何で殴られたのか分かってないだろ。難しいことじゃない、ソレが不評を買うってことだ」
やれやれ、どうにも前途多難だな。