言伝え
正午を過ぎたころ、ようやく現場検証を終えた捜査員たちは二人の遺体を搬送車へ積み込むと皐警察署へと撤収する準備を始めていた。
野次馬対応をしていた円山も任務を解除され、捜査員の片付けを手伝っていた円山を、奥田が呼び止めた。
「俺たちはこれから署に戻って、父親の会社に連絡をして父親を帰国させる予定だが、帰国がいつになるかわからんから、現場離れる前に門のところに規制ロープを張ってから引き上げてくれ」
「了解です。じゃあ父親が帰ってくるときに外しますから、予定がわかれば連絡してください」
「ああ。それと、大丈夫だとは思うが念のために現場周辺のパトロールを強化しておいてくれ。万が一、泥棒にでも入られたらたまらんからな。初っ端から大変だけど、頼むわ」
「了解しました。・・・係長、ちょっと話があるんですけど・・・」
「奥田係長、片付けが終わったので、検視官がそろそろ署に戻ろうと仰ってます。皆さん車で待ってますよ」
奥田を呼びにきた若手捜査員に、円山の声は遮られてしまった。
「ん?ああ、わかった。円山、後は頼むな。何かあったらいつでも連絡くれ」
「あ、は、はい。お疲れ様でした」
撤収する捜査員たちの車を見送る円山の心は、強くざわついていた。
昨日、松本早苗と言葉を交わしたことに間違いはない。
しかし、昨日よりずっと前に彼女はこの家で、母親とともに死んでいた。
この奇妙な矛盾が、円山の心を激しく掻き立てるのだ。
(昨日会ったのは、まさか幽霊、だったのか?)
ふと頭に浮かんだ考えに、オカルト好きの血が騒いだが、小さく頭を振って浮かんだ言葉を掻き消す。
亡くなっているのは、自分の管轄する地域の住民なのだ。それをオカルト話にするなど、言語道断である。
(昨日会ったのは松本早苗に似た別人で、奥田が勘違いしただけ。奥田が祠の前で見たというのも、その別人だったか、見間違いだろう。それなら理屈は通る、よな?そうだ、そうに違いない。)
自分にそう言い聞かせ、奥田に指示された規制ロープを張ることにした。
ミニパトの荷台を開けて規制ロープを探していると、妙な気配を感じた。
振り返り見ると誰もいないが、やはり何者課の気配と視線を感じる。
円山は、周囲に目を向けて気配の元を探したが、松本家の敷地の外には円山しかおらず、隣の家も少し離れており、人影は伺えない。
ゆっくりと視線を巡らせ、門、庭の中、玄関、リビングの窓。
「誰もいない・・・うん?」
リビングの窓はカーテンが閉められ室内を見ることはできないが、そのカーテンにうっすらと人影のシルエットが浮かんで見えた。
どうやら、
「誰か置いてけぼりくらったのか?すみませーん!他の方はみんな撤収してしまいましたよー!」
この後、ミニパトで署まで送ればいいか。そんなことを思いつつ窓に近づいていた円山だが、庭の中ほどで足を止めた。
確か、さっき若手捜査員が奥田を呼びに来たとき、全員車で待っていると言っていた。
残っていた捜査員は、奥田が最後であったはずなのだ。
ならば、あれは誰なのか。そんな考えが頭をよぎった円山は、見えている人影に向かって声を発する。
「どなたですか?すみませんが、そこから出てきてください」
円山の呼びかけに人影は答えることも、動くこともしない。呼びかけながら窓をは凝視していた円山は、あることに気付いた。
カーテンに僅かな隙間があり、どうやらその隙間からこちらの様子を窺っているようなのだ。
じりじりと、呼びかけを続けながら窓までの距離を詰めていく。
その距離を3メートルほどまで詰めたときであった。
「誰ですか。早く外に出て、き、て・・・・・・・・」
近づくことによって、見えていたシルエットは女性のものだとわかった。
そして、カーテンの隙間からわずかに見えた服は、どうやらセーラー服のようだった。
昨日見た、進学校の制服に似ている。
そして円山は、シルエットの顔に当たる場所を、見た。
「うっ、ううわああああああああああああああっっっ!!!」
光を感じない、闇のように深く、暗い目が、松本早苗の冷たい瞳が、円山を見つめていた。
「あ、あああ、あっ、あっあ、ひ、ひ、ひいいいいいいいっ!」
円山はその場から逃れようと、慌てて庭を飛び出した。
警察官とは思えない、情けない悲鳴を上げながらも、そんなことはお構いなしとばかりに、一目散に逃げようとした。
「わっ!危ないっ!」
「ひいい、う、うわっ!」
門を飛び出した丸山の目の前に、男が立っており、円山と危うく衝突しそうになったが、円山が足を滑らせて転んだことによって、寸でのところで回避できた。
「どうしたんですか、駐在さん。そんなに慌てて」
「え、えっ?あれ、と、富田、さん?」
そこに立っていたのは、土で汚れた服に身を包んだ富田であった。
その手には、野菜が入ったビニール袋が提げられている。
「畑の帰りに、駐在さんに差し入れをしようと思って駐在所に寄ったんですけど、まだ帰ってないようだったからここにいるかと思って来たら、急に大声上げて飛び出してくるものですから、驚きましたよ。どうしたんです、一体?」
尻餅をついたままの円山に柔らかな表情を向ける富田を見て、円山はどうにか気持ちを落ち着かせようとするも、興奮と恐怖が静まらず、富田を見つめたまま、震える指で家を指す。
「さ、早苗さんが。亡くなったはずの早苗さんが、カーテンの奥に立ってて、こっ、こっちを、み、見てたん、です・・・」
富田は視線を円山から家へと向け、しばらくの間の後、
「駐在さん。誰もいないようですよ」
と言った。
恐る恐るリビングの窓へと目を向けたが、カーテンにも、どこにも松本早苗の姿は見えなかった。
「は、は、はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」
大きなため息をつく円山に、富田が妙なことを訊ねてきた。
「もしかして、駐在さん。松本さんが亡くなったのって、10日以上前なのかい?」
富田は今、そんなことを聞いてどうするのだろうか。
いつもなら、捜査情報として一般人にうかつに話すことはできないのだが、このときの円山は富田と会った安心感で、捜査情報の保護などはすっかりと忘れていた。
「ええ、どうやら2週間くらいは経ってそうなんです。無理心中のようで、早苗さんは、母親に殺されたようです・・・」
「そう、でしたか・・・」
円山の言葉を聞いた富田は、悲痛な面持ちを見せると、家の方へ向き直ると合掌し、深く頭を下げた。
「・・・実は、この村にはある言伝えがあります」
「言い伝え、ですか?」
しばらくの沈黙の後、富田は唐突にそんなことを話し始めた。
「この酒井村は、もとは境村、つまりある境が存在する村なのです」
「境?何の境ですか?」
富田は、円山に向き直ると決心したような面持ちで答えた。
「この世と、あの世の境ですよ」