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駐在裏日誌  作者: 吉四六
6/8

合わない辻褄

 30分後、松本家の前には黄色の規制テープによって立ち入りが禁止され、テープの内側では多くの警察官が鑑識活動などを行っていた。

 松本早苗と母親のものと思われる遺体を発見したことを皐警察署へ報告したことから、皐警察署や警察本部から刑事や鑑識が押し寄せてきたのである。

 円山はテープの外側に立ち、野次馬に来た住民たちへの説明を行っていた。

 平穏な集落で起きた大事件の噂は、瞬く間に酒井村に広まっていた。

 何台ものパトカーや救急車が大音量のサイレンを鳴らして押し寄せてくれば誰だって何か起きたのだと考える。

 現場に現れた野次馬は興味津々で何があったかを尋ねてくる。

 しかし、捜査に支障が出たり、個人情報の保護の観点から詳細は答えられないと説明したところで野次馬の好奇心を満足させることはできるはずもなく、規制テープの前でいつまでも現場の様子を窺っているのである。

 そうこうしていると、富田と大木が連れ立って現場に現れた。

 二人は円山の姿を見つけると、他の野次馬とは違い何やら深刻そうな表情を浮かべながら円山の許へと歩みを進めた。

 「駐在さん、昨日はどうも。何か、あったのですか?」

 富田の問いかけに、円山は少し困った表情を浮かべつつ、他の野次馬に何度も説明した内容を富田にも答えた。

 「こんにちは村長さん、大木さん。ちょっと事件があったんですが、今は捜査中でお答えできないんです。すみません。また後からお宅に伺いますので、その時にお話します」

 その答えを聞くと、今度は大木が円山に顔を近づけた。

 「そちらの事情もわかっているつもりなんですが、これだけは教えてください。松本さんのお宅で、誰か亡くなったのですか?」

 大木は住職であるため、葬儀の準備もあるため生き死にについては少しでも早く知りたいのだろう。

 松本家の主人は海外に単身赴任中で未だ連絡も取れていないため葬儀の段取りも組めないだろうし、おそらく二人の遺体は皐警察署に搬送することになり、司法解剖など必要な捜査が終わって親族に引き渡せるようになるまで葬儀もあげられないだろう。

 そう思った円山は、二人のだけ聞こえるように額をつき合わせて、小声で説明をすることにした。

 「実は、家の中で母親と娘さんが亡くなっていたんです。まだ現場検証中で詳細はわかりませんが、とりあえず殺人事件として捜査することになるはずです。ご主人さんは海外に単身赴任中で連絡も取れませんし、警察でしばらく遺体を保管することになります。ですから葬儀の関係は、ご主人さんが帰国してから調整してもらうことになると思います」

 円山の説明を聞いた二人は、何やら目線で頷き合うと、その目を円山に向きなおした。

 「亡くなって、どれくらいなんですか?ひと月くらいは経っているようですか?」

 円山は、妙な事を聞くなと一瞬思ったが、少し汗ばむことが増えた今の時期では、遺体はあっという間に腐敗が進む。

 棺や死に化粧の準備をするのに必要なことなのだろうと思い、この質問にも答えることにした。

 「そんなに経ってないはずです。実は、亡くなった娘さんと私は昨日の昼間に会っているんです。母親には会っていませんが、おそらく同時刻くらいに亡くなっているはずです」

 円山の言葉を聞くと、二人はほっとした様子で顔の緊張を解いた。

 「そうですか、わかりました。それでは来週中には葬儀を挙げることもできますよね?」

 「どうでしょう・・・。何とも言えませんが、おそらく大丈夫じゃないですか?ご主人さんが帰国して、うちの刑事と話をした時に大まかな予定がわかるはずなので、今後の事はご主人さんから聞いてみてください」

 「わかりました、ありがとうございます。すみません、お仕事の邪魔をしてしまって。今日はお忙しいでしょうし、また今度お寺に遊びに来てくださいね」

 「はい、必ず」

 富田と円山は、先ほどまでの険しい表情とは違い安堵した表情を見せながら円山に一礼すると、何やら野次馬たちに声をかけ始めた。

 二人と言葉を交わした野次馬たちは、同じように安堵の表情を浮かべると徐々に帰宅していった。

 しかし、円山にはその様子は少し奇妙に思えた。

 親子は何者かに殺害されたかもしれず、犯人がどこかにいるかもしれない状況で浮かべる表情ではないはずなのである。

 では、彼らは一体何に安堵したのだろうか。

 思考をめぐらせる円山の背後から、一人の刑事が声をかけてきた。

 「円山、ちょっといいか」

 「わっ!はっはい!」

 不意を突かれた円山が振り向いた先に立っていたのは、奥田だった。

 「って、係長・・・びっくりするじゃないですか。本署勤務一日目に大事件って、何か持ってるんじゃないですか?」

 もともと刑事畑の出身だった奥田は円山と交代した後、刑事課に配属されたのである。

 人員配置早々に大事件が起きたとあっては、きっと刑事課内では悪運持ちのレッテルが貼られることだろう。

 驚かされた仕返しにと奥田をからかう円山に対し、奥田は深刻な表情を浮かべたまま、円山に問いかけた。

 「お前、昨日俺と一緒に早苗ちゃんに会ったよな?」

 「え?あぁ、はい。会いましたね」

 「今、検視官と一緒に遺体の状態を確認したんだが、はっきり言っておかしい。数時間前に亡くなったような状態じゃないだ」

 円山は奥田の言葉に首を傾げた。

 松本早苗と最後に会ったのが昨日の正午ころで、遺体を発見したのは今日の朝8時ころ。

 松本早苗が、円山たちと別れてすぐに死亡したとしても一日も経っていないのだから、遺体の状態としては綺麗なはずだ。

 訝しげな顔の円山に、奥田はさらに言葉を続ける。

 「実は、俺はその後もう一度会っているんだ。駐在所を出て辺りが暗くなったころだから、多分晩の8時前後だ。峠に祠があるだろう?早苗ちゃんが、一人で祠の前に立っていたのを見たんだ」

 「なら、死亡推定時刻はもっと絞り込めるはずですよね?確かにちょっと暑くなってきたので腐敗は進みやすいかもしれませんけど、そんなにおかしい状態だったんですか?」

 「ああ。二人ともだいぶ腐敗が進んでいる。お前だって、蝿が飛んでるのに気付いて遺体を発見したんだろう」

 蝿のことを言われて、円山もはっとした。

 通常、人間が死亡すると新陳代謝の停止により体温が低下し始め、概ね24時間程度で外気温と同じ温度にまで低下する。(死体は氷のように冷たいというが、単純に自分の体温より低いので冷たく感じるだけなのである)

 さらに血液の循環が停止することで、体内の血液は重力により下へと集まり、血管から細胞に染み出していくことによって、死斑と呼ばれる模様が皮膚に浮き出てくる。

 そして腐敗は、外気や体内の温度によって異なるものの、概ね3時間程度を超えると細菌の汚染が始まり、特に腸などの内臓が多い下腹部から腐敗が始まる。

 蝿は、この腐敗が始まると死臭を嗅ぎつけて集まり、卵を植えつける。

 卵から蛆が孵化して遺体を食べながら成長し、蛹になって成虫の蝿になる。

 問題は、蝿の成長サイクルの期間だ。

 卵から成虫になるまでには、約2週間程度の時間がかかるのだ。

 「母親がすでに亡くなっていて、昨日今日の内に早苗さんが亡くなった、というのは?」

 「いや、それもない。二人の腐敗は同じくらい進んでいる上に、母親の遺書が見つかった。遺書には海外で不倫をしていた夫への恨みと、進学校の勉強についていけない娘の将来を悲観する言葉が書いてあったよ。もともと精神的に不安定な人でな、以前にも癇癪を起こして暴れているのを保護したことがあったが、ついに無理心中をしてしまったようだ。司法解剖もするだろうが、おそらく早苗ちゃんの死因は包丁か何かで心臓を刺されたのが原因だろう」

 「でも、それだとおかしくないですか?僕たちが昨日会った人は、誰なんだって話になりますよ」

 「だから俺だっておかしい、って言ってるだろうが。だが、捜査がややこしくなるから昨日早苗ちゃんに会ったことは勘違いだったと思っておけ。遺体は嘘をつかん」

 「はあ・・・わかりました」

 釈然としないまま、奥田の命令を了承すると、奥田は足早に現場へと戻っていった。

 

 会えないはずの人物に会った。

 円山は松本早苗とは初対面だったが、奥田と彼女とのやりとりを見た限り、本人に間違いないはずだ。

 それなのに、そのとき彼女はすでに死んでいて、この家の中で体中を蛆に食われていた・・・

 そういえば、奥田は彼女をもう一度見たと言っていた。

 「出る」という噂の、あの祠の前で・・・

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