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駐在裏日誌  作者: 吉四六
4/8

異動~赴任~

円山達が挨拶と引継ぎを終えて外に出ると、すっかり辺りは夕暮れの鮮やかな橙に染まっていた。

 日が長くなってきているせいか、夕日とはいえまだ眩しさを感じる。

 駐在所の正面に横たわる道路沿いに設置されている街頭は、互いに40メートルほど離れているため非常に薄暗い。

 しかし、南北に渡り一直線に伸びる道路には、田畑へと続く畦道が毛細血管のように連なっているくらいなため人通りも少なく、集落への道につながる交差点には押しボタン式の信号と照明が設置されているため、通常生活にはこの暗さでもそれほど問題はない。

 道路沿いには、簡易郵便局や個人商店、作物の個人販売所が数箇所、そして酒井駐在所がぽつりぽつりと建っているばかりで、住民はいくつかの細道の先に集落を形成している。

 円山は富田と大木、そして奥田を見送るために駐在所前まで出てい た。

 「今日はお忙しい中、わざわざお越しいただいてありがとうございました。これからも円山の事をよろしくお願いします」

 奥田が富田と大木に謝辞を述べて頭を下げるのに合わせて、円山も深々と頭を下げた。

 「奥田さん、短い間でしたけど、一生懸命村のために働いてくれてありがとう。円山さんも真面目そうな方だし、期待していますよ」

 「まだ皐署にはいるんでしょう?円山さんと一緒にまた遊びにでも来てください。大丈夫、お巡りさんがサボってる、なんて通報しませんから。そうだ円山さん、良かったら明日のお昼頃に寺に来ませんか。檀家さんの子どもたちと餅つきをするので、村のほとんどの子どもたちに会えると思いますよ。」

 「そうなんですか、でしたら是非お伺いします」

 「私もお邪魔しましょうかね。円山さんとお話もしたいし、子どもたちの遊ぶ姿を見るとこっちまで若返るような気持ちになりますからね。 それでは奥田さん、私たちはこれで」


 富田と大木が帰路につくのを見送ると、二人の背中の頭を下げていた奥田は深呼吸をしながら頭を上げ、円山に向き直った。

 「お疲れさん。悪いな、長引いちゃって」

 「いえ、大丈夫です。て言うか、富田さんってもっと怖い人だと思ってました。係長が怒られたって言ってたから」

 「あの人、酒が入ると人が変わるんだよ。素面だといいおじいちゃんって感じだけどな。間違っても区長って呼ぶなよ、村長って言葉にプライド持ってるから」

 そう言うと奥田は急に気をつけの姿勢をとり、帽子は被っていないが挙手敬礼を行う。

 はっとして円山も挙手敬礼を返す。

 「後は任せた。村をよろしく頼む」

 「はい、任せてください」

 夕日に照らされる奥田の姿はどこか寂しそうであったが、実に堂々とした姿だった。



 やがて奥田は残っていた自分の荷物を車に積み、運転席に乗ろうとしたところで、思い出したように動きを止める。

 「そういえば、早苗ちゃん来なかったな。悪いけど、今日中に来なかったら明日にでも家を訪ねてやってくれ。家は谷酒井の一番奥だから、 行けばわかると思うから」

 「あぁ、そうですね。わかりました」

 「谷酒井の場所とかは教えたと思うけど、わかるか?」

 「ええ。大丈夫です。あの辺りですよね」

 道路の西側にある集落を指差す円山を見て、奥田は大きく溜息を吐きだす。

 「そっちじゃねえよ・・・。ったく、もう一度説明してやるから、ちゃんと覚えてくれよ」


・・・・・・・・


 酒井地区は3つの集落で構成されており、地名はすべて酒井ではあるが地元では山酒井・谷酒井・池酒井とそれぞれ呼ばれており、それぞれの地区に特徴がある。


 山酒井は地区の北側にある美玉山の斜面に集落を構えており、大木が住職を務める惠光寺もこの地区にある。

 世帯は50世帯弱でほとんどが高齢者夫婦か独居老人ばかりで、若者は少ない。

 というのも、酒井村に住む人々の本家が山酒井に集中しており、昔は家を継がない次男以下の男や女は、村の周辺を開拓し新たに集落を形成することとされていたそうであり、その結果として現在の谷酒井ができたという歴史がある。


 谷酒井は道路の東側に集落を形成しており、世帯数約90軒と3つの集落では最も多く、働き盛りの年齢の者も多い。

 老人が多く閉鎖的であり排他的な一面を持つ山酒井とは違い、他所から嫁や婿をもらいながらできた谷酒井は割りと開放的であり、移住者の受け入れにも積極的だ。

 しかし、先祖が一から興した集落を貶めるような行いをしたり、集落のルールを守らない者には厳しい一面もあり、現在進行形で村八分にあっている者や、馴染めずにすぐに引っ越してしまった者もいる。

 酒井駐在所はこの集落に含まれているが、地域の治安保持に関わる駐在所に対する住民感情は非常に良好である。

 

 池酒井は、酒井とは名の付くものの、実はもともと酒井村とは別の村の住民がほとんどだ。

 かつて、川沿いに人形を特産としていた小さな村があったが、土砂災害により川が堰き止められると程なくして村も水の底に沈んでしまった。

 奇跡的に住民たちは全員無事だったが、生活の場を失った住民たちは、村同士の親交の深かった酒井村に逃れ、当時の村長が快く受け入れたため酒井村の一員として温かく迎えられたそうだ。

 現在は道路の西側に約70軒ほどが生活している。

 土砂災害によってできた天然のダム湖は、現在は飲料水用のダムとして開発され、水底に沈んだ村の特産だった人形にちなみ、人形ダムと呼ばれている。

 現在の池酒井は、国内有数の伝統的な人形の生産地としてその筋では有名なのだが、田舎特有の交通の便の悪さのためか観光客などは滅多に来ることはない。

 その反面、伝統的な人形作りに没頭できる環境ではあるためか、ごくたまに弟子を希望するものが移住してくることもある。

 職人の集落らしい気難しい人間も多いが、困っている者は見捨てない人情に篤い気質である。


・・・・・・・・


 「・・・という感じだ。わかったか?」

 「はい・・・っと。今度こそ了解です!」

 問いかけられた円山は素早く手帳にメモを取り終えると奥田に返答する。

 「よし、なら後は任せるわ。地図帳見れば載ってるはずだし、パトロールがてら話聞きに行ってやってくれ」

 奥田はやれやれといった調子で運転席に乗り込むとエンジンをかける。

 「じゃあ、俺も帰るな。しばらくは片付けで忙しいと思うが、村のパトロールも頼むな」

 「はい、お疲れ様でした!」

 円山の見送りに、奥田は笑顔で軽く手を挙げて応えると車を発進させ、市街地へと続く峠道へ向かって行った。

 「さて、とりあえず晩飯食ったら寝床だけでも作ろうかな。・・・いよいよ始まるんだな」

 ぐーっと背伸びをしつつ駐在所の中に消える円山の心には、すでに駐在所警察官としての炎が灯り始めているようだった。


・・・・・・・・


 奥田が峠道に差し掛かった頃、すでに辺りはとっぷりと暗闇の中に沈んでいた。

 背の高い木々に両隣を挟まれている峠道は、酒井地区のどこよりも早く暗くなる。

 見慣れた景色のはずなのに、奥田は妙な胸騒ぎを覚えた。

 まるで、初めて通る旅行先の夜道のように、車のライトをハイビームにして前方を食い入るように見つめて運転していた。

 峠の頂上に差し掛かった頃、奥田は視界の隅に影を捉えた。

 前照灯で照らしているが実態がうまく掴めない。

 黒っぽい電柱のように見えるが、この峠道にそんなものはないはずだった。

 間もなく横を通り過ぎるという所まできて、ようやくその正体に気づく。

 人だ。

 セーラー服を来た髪の長い女。

 女を横切る瞬間、奥田の目には見覚えのある顔が目に入った。

 松本早苗だ。

 奥田は思わず急ブレーキを踏む。

 (どうしてこんな場所に。一人だけなのか。どうやってここまで来たんだ。)

 奥田は沸きあがる疑問を押さえ、車から降りた。

 そしてすぐそこにいるはずの松本早苗の姿を探した。

 しかし、どこにもその姿はない。

 暗くてよく見えないのかもしれない。

 そう思い奥田は車に乗り込むとすばやく転回させ、元来た道を照らした。

 それでも、どこにも姿はなかった。

 あるのは道端に置かれた小さな祠だけである。

 「今確かに・・・見間違い?いや、そんなはずは・・・・」

 窓を開けると大きく息を吸い込み、叫ぶ。

 「早苗ちゃーん!いるのかー!?駐在の奥田だ!出ておいでー!」

 何度か叫んだものの、聞こえてくるのは、微かに葉を揺らす木々の音だけであった。

 「気のせいだったのか・・・?」 

 そう呟くと、奥田は再び車を転回し、家路につくことにした。

 が、未だ奥田の心はざわついていた。

 すれ違いざまに、わずか一瞬見たにすぎない松本早苗の顔が脳裏から離れない。

 昼間見たときとはまったく違う、黒く乾燥した肌に濁った虚ろな瞳、それは、死者のそれによく似ていた。

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