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駐在裏日誌  作者: 吉四六
3/8

異動〜第一村人〜

 「もうすぐ着くぞ」


 奥田がまもなくする到着ことを告げる。

 円山も何度か来た事があるため、言われなくてもわかっていることなどだが、今は立場が違う。

 頼れる上司も先輩もなく、ただ一人で勤務しなければならないうえに、馴染みの無い土地で生活することの緊張はかなり大きい。

 奥田の言葉は、緊張している円山の心情を察してのものだろう。

 円山は何度か深呼吸を行い、覚悟を決める。

 酒井駐在所は大通り沿いに建つ2階建ての建物であり、背の低い古民家が多い酒井村の中では目立つ建物だ。

 酒井駐在所まで残り50メートルといったところで、駐在所の手前に道端に女性が立っているのが見えた。

 髪は長くぼさぼさで、皐市内にある進学校の制服であるセーラー服に身を包んだ女性が、酒井駐在所の方をじっと見つめて立っていた。

 

 「第一村人発見、ですね」


 円山の言葉に奥田も女性の方に目をやる。


 「あれは松本さんとこの娘さんの早苗ちゃんだな。珍しいな、外に出てるなんて。あの娘は引きこもりでな、滅多に外に出ないんだよ。最後に見たのは2ヶ月くらい前かな。なんか用事かも知れないから、ちょっと話聞くわ」


 奥田はワンボックスカーを松本という女性の横につけると、円山の座る助手席側の窓を開けた。

 そのとき、なんだか生臭いような、なんとも言えない臭いが車内に漂ってきて、円山は顔を一瞬顰めた。


 (風呂入ってねぇのかな。引きこもりって聞いたけど、ちょっと臭いきつくね?)


 円山は失礼な事を考えつつ、住民の一人である松本に気取られないように顔に笑顔を貼付ける。


 「早苗ちゃん、うちに何か用事だった?」


 円山を挟んで奥田が声をかける。

 しかし松本は視線をまっすぐ駐在所の方角に向けたまま動かず、言葉も発しない。


 「早苗ちゃん?」

 

 奥田がもう一度問いかけた。


 「…奥さん」

 「ん?」


 松本の、健康的とは程遠い痩せこけた顎が、かすかに動いて言葉を発する。


 「奥さん、いないんですか…」

 「あ、ああ。実は今日限りで異動することになってね。嫁は先に引越しちゃったんだよ。嫁に用事だったの?」

 「…そう、ですか…」

 「それで、明日からはこの円山が赴任することになったから、よろしくね。円山、お前も挨拶しとけ」

 「えっ、あ、はい。円山です、よろしくお願いします」


 急に話を振られ、どもりながら挨拶をする円山に、それまで人形のように微動だにしなかった松本がぐりっと首を円山に向けた。


 「そう、じゃあ、あなたに、するわ」


 円山に向けられた顔は不気味なほどに白く、薄く濁った瞳が円山を映していた。

 妙な寒気が円山の背筋を走る、が、円山はそれを貼り付け放しの笑顔の下に隠し通す。


 「えっと…円山にするっていうのは、何か相談?それなら、後で家に寄らせてもらうよ。ちょっと約束があるから遅くなっちゃうけど。もし男に話しづらいことなら女性警察官を呼ぶけど、どうしたの?もしかして、何かあったの?」

 「大丈夫ですよ、円山さん、今度また、迎えに、来ますから」

 「迎えにって、どこに…あれ?ちょっと」


 松本は、円山の質問に答えることなく円山たちの乗る車に背を向けて立ち去ってしまった。


 「…何だったんですかね、今の」

 「さぁ…。まあ、また駐在所に来るみたいだし、待ってたら会えるだろ。もし今日来なかったら、その時は悪いけど話聞いてやってくれ」

 「はぁ…あの人、なんか苦手です」

 「そう言うな、一応住民なんだから。でも、確かに様子がおかしかったな。大人しい娘だったけど、前はもう少しまともに話できてたんだがな」


 松本早苗。奥田が赴任した当初は酒井地区内にある中学校の3年生で、吹奏楽部に所属していたそうだ。

 口数も少なく、大人しい性格だが年下に対する面倒見がよく、お姉さん的な立場だったそうだ。

 しかし、市内の高校に進学してからは友人関係に悩みを抱えていたようで、2年生になったころから不登校になり、家に引きこもるようになったらしい。

 噂では、高校の吹奏楽部内でいじめを受けていたという話もあるようだが、本人が一切理由を話さないため、家族をはじめ周囲の人間は見守るしかない状態だそうだ。

 何とも言えない、モヤモヤとした空気が車内に漂う中、奥田はそれを振り切るように駐在所までの道に車を走らせた。


・・・・・・・・


 「よーし、着いたぞ。お客さんが来るまでは時間がまだあるから、先に荷物降ろしててくれ。俺は来客の準備しとくから」

 「はい、了解しました!」


 室内へと向かう奥田に返事をすると、ハッチバックを開き、中から持てるだけの荷物を持って室内に入る。

 駐在所の中はがらんとしており、6畳ほどの畳敷きの居間には小さな折り畳み机と、各種の警察書類や駐在所の入り口を撮影する防犯カメラのモニターが納めらたキャビネットがある。

 さらに、ふすまを隔てた板張りの台所には、電気ポッドと電子レンジのみがあり、そこで奥田がインスタントコーヒーを淹れる準備をしていた。

 明日から入居する円山のために、数日程度の生活に最低限必要な物以外はすべて搬出済みであり、帰りのワンボックスカーに残った荷物を積んで帰るのである。

 

 「何も無いだろ。2階にも和室が2部屋あるけど、空にしてるから好きに置いてくれ。それより、冷蔵庫もないから氷もないんだけど、ホットコーヒーで出してもいいと思うか?」

 

 6月後半に入った今頃だと実に微妙であるが、今日は非常に天気がいい。

 少し汗ばむような今日は、ホットコーヒーは合わないかもしれない。

 

 「どうですかね、冷房ガンガンに効かしたらいけるんじゃないですか?来るときに缶のアイスコーヒー買えば良かったですね」

 「冷房つけるのは早いだろ。まあ、いいか。引越し中ということで勘弁してもらおう」


 そう言うと奥田はいそいそとカップを用意したり茶菓子を用意するなど来客の準備を始めたので、円山も荷物を抱えて2階へ続く階段を上る。


 大変な思いをして積み込んだ大量の制服や書類などの荷物を抱え、何度も何度も車と駐在所を往復する。

 しかも面倒なことに、1階の居間にはこれから訪れる顔役たちを通さなければならないため、狭い階段を通って2階まで運ばなければならず、じりじりと円山の体力を削っていく。

 

 「こんにちは。やってますね」


 来客の準備を終えた奥田と共にようやく搬入作業を終え、車を庭から車庫に納めたところに、一人の老人が柔らかな声で話しかけてきた。


 「こんにちは、富田さん。今ちょうど終わったところですよ」


 富田と呼ばれたその男性は、曲がった腰に後ろ手を組み、穏やかな笑顔を奥田と円山の間をゆっくりと往復させていた。


 「富田さん、これが今日から駐在を勤めることになった円山です。まだ若いですけど、しっかりした奴なので何でも使ってやってください」

 「はじめまして、円山正です。これからよろしくお願いします」

 「こちらこそ、よろしくお願いします。こんな年寄りですが、一応区長をしております」


 富田とみた きよし

 畑仕事で焼けたのであろう黒い顔には年輪にも似た深い皺を刻んでいるが、その一本一本が穏やかな曲線を描いている。

 奥田の紹介によると富田の家系は、かつてこの辺り一帯の名主であり、江戸時代初期には戦乱で荒れた地域の復興と発展に大きく尽力したことから苗字帯刀を許されたほどの家柄であるとのこと。

 富田自身の人望も厚く、77歳の後期高齢者となった今も区長として活躍中であるそうだ。

  

 「本当はもう辞めたいんだけどね、親父も祖父も死ぬまでやっていたもんだから、辞めづらくってねぇ」

 「いやいや、毎朝子どもたちの通学の見守りもやっていただいてる上に、うちの署の防犯委員としても協力していただいて、本当に助かってます。これからも、円山に色んな事を教えてやってください」


 雑談を交わす富田と奥田の様子から察するには、どうやら富田は駐在といえど頭が上がらない存在のようだ。

 だからといって、富田からは偉ぶる様子は微塵も感じられず、むしろ年長者として若者を温かく見守るかのような雰囲気を全身から醸し出している。


 「奥田さん、こんにちは。すみません、少し遅くなりましたね」


 富田と奥田が世間話に花を咲かせていたころ、奥田と同年代くらいの男性が声をかけてきた。

 背は低く、ふくよかな体を作務衣のような紺色の服に包んだ男性だ。

 雪駄を履き、頭髪は綺麗に剃られている。

 

 「いえいえ、ちょうどお約束の時間になったころですよ。円山、こちらは惠光寺えこうじの住職さんの大木さんだ。この地区の住民のほとんどが檀家さんなんだ」

 「あ、はじめまして、円山です。これからお世話になります。よろしくお願いします」

 「はじめまして、大木です。あそこに大きい楠が見えるでしょう?あの木のある所がうちの寺ですんで、いつでも遊びに来てください。奥田さんもよく来てくださってたんですよ」

 

 大木おおき 義仁よしひと

 室町時代中期から続く惠光寺の第21代目の住職。

 関が原の戦いの折、西軍の落ち武者を匿ったことから焼き討ちに遭った歴史があるそうだが、富田の祖先らの協力により建て直すことができ、その後の戦乱や災害では一度も被災することなく、現在に至るそうだが、目下の問題は寺の老朽化であり、何度も補強工事を行っているとのことだ。

 ハイキングコースの登山道入り口となっているほか、ご神木である大楠は知る人ぞ知るパワースポットなんだそうで、年間を通して観光客が訪れるだけでなく、地元住民の憩いの場ともなっており、比較的賑やかな寺なんだそうだ。


 「いつでも気軽に遊びにきてください。奥田さんだって、ずーっと楠の下のベンチに座っているだけの日なんか、よくあったんだから」

 「い、いやぁ。何というか、あの楠の下は妙に気持ちがいいんですよ。さすが、ご神木なだけあって神々しさがありますよね。さぁてそれじゃあ、そろそろ顔合わせと引継ぎの確認をしましょうか」


 このおっさん、そんな人目の付く場所でさぼっていたのか。という雰囲気を円山から感じたのか、ごまかすように話を締めくくるとさっさと駐在所の中に入っていってしまった。

 しかし、ご神木の楠というのは気になる。今度パトロールがてら見に行ってみよう。

 円山はそんなことを考えながら、慣れた様子で室内に入る富田と大木の後に続いた。

 

 

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