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図書室の幽霊少女

作者: リック

 その小学校の七不思議には――トイレの花子さん、一人でに鳴る音楽室のピアノ、真夜中にプールを泳ぐ影、動く人体模型、校庭を走る二宮金次郎像、体育館に鳴り響くボールの音。そのほかに一つだけ、異色ともいえる不思議があった。

 図書室で喧嘩別れした少年を待ち続ける幽霊少女。

 それを聞いた誰もが違和感を覚えた。一つだけやけに具体的な感じがする、と。好奇心旺盛な低学年中学年の児童達はこぞって物知りな上級生に尋ねた。その子によれば、実際にあったことだか、モデルがいるとかそういう話らしかった。

 その子も上級生に聞いた話によると――。


 その少年は小山内(おさない)(のぼる)といった。どこにでもいる普通の少年――ではなかった。親が離婚する、けどどちらも息子なんてほしくない。互いに親権を押し付けあっていた。そんな状況だったから、昇は現在、近所にある祖父母宅から登校していた。そうすると通学班登校で今の班でいいのかと問題になる。その近辺の通学班から登校するのが筋ではないか、いや、そこは女子児童しかいない、でも今の班だと子供が今までと違う所に寄らなくてはならなくなり可哀相だ――と騒ぎになり、目立つ、噂になる。お世辞にも素行がいいとは言えなかった昇は、ますます学校で問題行動を起こした。

 今年教師になったばかりの飯島(いいじま)久子(ひさこ)は、授業中に突然教室を飛び出すような昇をよく叱った。そのことに腹を立てた昇は、影で久子先生をヒス子と呼んで嘲笑った。理由は昇にとってのヒステリーをおこすから。ある日、いつものように忘れ物をして怒られた昇は教室で「ヒス子先生は本当にうっせーな!」 と叫んだ。しばらくシーンとしていた教室だが、意味が分かった児童達の間から吹き出し笑いがもれる。若い担任は教壇に突っ伏して泣き出した。それを見た昇は大人を凹ましてやった、これでもっと自由になれると子供特有の万能感で誇らしげだ。

 しかし放課後、待っていたのは校長室への呼び出し。昇は怒られた。あのヒス子が横でキーキー言っているのが猿みたいだ。

「もう本当に私の手には負えないんです。小山内くんは忘れ物は多いし授業をまともに聴いていられた試しがないしすぐ暴れるし。ええ分かってますよ、全部家庭環境に問題がある子の行動でしょう? けれどいくら可哀相だからといって、彼一人のために何度も授業を中断させるわけにはいかないんです。ですから、彼に特別学級へ行くことを提案します。ねえ小山内くん、名前は仰々しいかもしれないけど、今の教室よりずっと居心地がいいと先生は思うわ」

 昇は咄嗟に怒鳴りながら言った。

「ふざけんなよ、あそこ頭くるくるぱーの人間がいくところなんだろ」

 上手く話しが通じないとか奇行が多いとか、そんな悪い噂でもちきりの児童が何人も言っているところだった。こいつらは自分をそういう人間だと言いたいのか。しかしその反応をどこか楽しそうに見ながら久子先生は言った。

「あら、くるくるぱーじゃなかったの。一つも宿題提出が出来ない頭が幼いくん」

 反射的に殴りかかろうとして、周りにいた先生達に止められる。「やっぱり……」 「すぐ手が出るのは確かに問題」 という囁きが聞こえた。しかし久子先生も先ほどの言動を咎められていてその点はスカッとした。「飯島先生、子供相手に言っていい台詞ではありませんよ」 「どうも、学生気分が抜け切らないようですな。相手は自分の教え子ということをお分かりですか」 しょげている久子先生を前に昇は爆笑した。その様子を見て、周りの大人達はまた難しい顔をした。この様子を見ていた校長は、少し考えたあと静かにその場の全員にに語りかける。

「ふむ……ではこうしましょう。小山内くんに課題をもうけて、それの合否でクラスを決める。課題は……読書感想文で。本は昨年の課題図書でいいでしょう。期限は、そうですね一週間で」

「は? 何で俺がそんなことしないとなんねーの」

「未提出でも、やっていなくても、君は特別クラス行きだ。このようなことを言うのは心苦しいのだが、他の親御さん達から色々言われていてね。君は他の児童の迷惑を考えたことがあるかい?」

 昇はふんぞりかえって言った。

「ない。そんなの必要ない。学費払ってるんだから関係ないってかーちゃんが言ってたんだからな」

 後ろでかすかに「給食費払わないわけだ」 との声がした。それを目で制し、校長は昇に語りかける。

「君は、皆と心に差がありすぎるような気がするね。差がありすぎると、一緒に行動するのは教えるほうも教わるほうもつらい。課題はその判断基準にさせてもらうよ」

 校長は静かにそう断言した。有無を言わせない迫力があった。


 そして翌日から、昇の図書室通いが始まった。


 課題図書は一回読んだ。昇は問題児の割に本を読むのが嫌いではない。けれど、好きな本ではなかった。主人公がチートどころか、理不尽に怒られ蔑まれ、最後にやっと人並みくらいになる、そんな本。実につまらなかった。感想だって? 「時間の無駄」 の五文字で何故いけないのか。もっと足せば良いというなら「主人公むかつく、どんくさい、もっと上手くやれよバカ」 と書き足すが。これでも五百字詰原稿用紙は埋まらない。仕方ないので主人公の悪口を並べて仕上げた。一日で終わったと提出しに行ったら、校長は苦い顔をして言った。「小山内くん、これは感想とは言わないよ。見なかったことにするから、もう一度書いておいで。いいかい、主人公の気持ちを考えてみるんだ」 とセッキョーされた。

 昇はしぶしぶ図書室に戻り、うんうん唸りながら読書感想文を書いていた。特別教室は何だかんだいっても嫌だったから。暗くなるまで頑張った。


 あと少しで下校時刻の放送だな、という時間帯になった。冬休みの迫る校内は薄暗い。昇がふと図書室を見回すと、奥まった場所にある一つの席に、見知らぬ少女が座っていた。

 あんな子、いただろうか。そう思いながら、少女をジロジロと観察する。女なんかどうでもいいけど、今なら誰でも原稿用紙よりは見がいがある。

 少女は容姿はごく普通だが、目を引くのはその服装。くすんだ赤のロングスカートに足がすっかり隠れていた。そしてそのスカートの上に本を乗せて一心不乱に読んでいた。外国の絵にありそうな光景だった。そんな感想だけを持って、その日は家路についた。

 翌日、その日も没をくらって遅くまで図書室で唸っていた昇。「悪口を変えただけではいけないよ」 と諭されてまた書き直しだ。じゃあどうすりゃいいんだと言おうとした時、お客様とやらが校長室を訪ねて来た。私服の変なおばさんが入ってきて校長に出るようにと言われる。許可がなきゃ学校には来れないから何かの関係者なのだろうが……。昇は知らない人の前ではさすがに猫を被った。しかし出て行ってから心中で毒づく。

 もしかしてあいつら、俺を苛めるためにやってるんじゃね? ちくしょう、両親がまともなら、あんな奴ら出るとこ出て追い出してやるのに。きっと俺がそんな環境なのも分かってこんなことやってるんだ。最低だ。くっそ、特別教室行きだけは阻止してやる。

 そう考えながらも三枚目の原稿用紙が鬱陶しくて目を離し、ぼんやり図書室内を見渡す。すると、あの少女がいた。特徴的なスカートを穿いていたからすぐ気づいた。それと同時に、ある事実にも気づいてイライラした。つかつかと少女のもとへ歩いていき、暴言をはく。

「お前それ昨日と同じ服じゃね? くっせーんだよ」

 言われた少女はぎょっとした顔で昇を見た。

「え!? あ、ごめんなさい」

「お前んち、貧乏なの?」

「……うー……ん」

「へー可哀相なやつ、名前は?」

 そう言いながらも、自分だって二日おきに同じ服を着ているし、それをクラスメートにからかわれたこともあるのだが、似た境遇らしい子を見かけて自分が言われたことより酷い台詞を浴びせるのが昇の昇たる所以だ。

「……浅野(あさの)(たまき)

 少女はおずおずと答えた。そんな名前のやつ、この学校にいただろうかと考えたが、それよりはいい舎弟が出来た喜びが大きい。

「環ね。俺は昇。なあ、暇ならこれ手伝えよ。こんな時間までいるなんて、どうせお前も問題児なんだろ?」

「え? あ、うん。いいけど」

 ロングスカートの少女、環は育ちがいいのかお人好しなのか単なる馬鹿なのか、昇の要求をあっさり呑んだ。原稿用紙と課題図書を見せられて、環はしばらく考え込んだあとこう言った。

「最初のほう、本のあらすじで埋めちゃえば? 私の時はそうしたよ」

「お前天才か」

 二人は同時に吹き出した。そんなしょうもないことで、二人の距離は一気に縮まった。


 環の提案により、原稿用紙の三分の一は埋まった。あとはどうするか。

「環、お前ならどうすんだよ」

「そうだね。お母さんなんかは先生にウケがいいようにって言ってたけど。賞とかそういうの好きだったから」

「それって新聞や教科書に載ってるようなこと書けってことだよな。俺ああいうの嫌い。何だかんだ言ってこういう風に考えろって押し付けがましいんだよ」

「昇くん……でも、何だかんだ言ってそれが一番いい方法なんだよ。きっと」

「お前センセーみたいなこと言うんだな」

「あ、ごめん」

 夕暮れの図書室でしばらく沈黙が続いたあと、環が言葉を紡いだ。

「でも、終わらせたいなら、どこかで割り切らなきゃ。そうじゃないといつまで経っても終わらないよ。自分でルールを決めれば簡単だよ」

 溜息を嫌がらせ半分に深々とつきながら昇は折れた。それもそうだ。あいつらの嫌がらせにいつまでも付き合ってやる義理もない。考えてみれば嘘で塗り固めて見事騙したあとに馬鹿にしてやるのも楽しそうだ。そう考えを変えれば、筆は思いのほか早く進んだ。


「信じられるわけないだろう」

 校長の言葉は的確だった。

「悪口を並び立てたあとに取ってつけたように『でも主人公は可哀相な子だったと思います』 なんて。君は可哀相な子に『苛められてるところは面白かった』 と思うの? 見え透いた、とはこういう事を言うんだろうね。いいかい、この世に魔法の言葉なんて無いんだよ。これさえ付ければ許されるなんて思わないことだ。しかし正直、返ってくる原稿用紙を見るたびに、君は特別クラスが望ましいのではと思うよ。環境だけではないのかね」

 殴りたくなるのを必死で抑えて図書室に帰った。その怒りは大人しい環に当り散らした。


「お前の言うようにしたら怒られたじゃねーか!」

「ご、ごめんなさい……」

 昇は怒鳴るのも暴力も全く抵抗がない。両親がどちらもしょっちゅうやっていたから。環の非が無いのに怯えながら謝る姿に、自分が酷いことをしているみたいに思えてますます怒りを募らせる。昔から、訳の分からない怒りが昇をよく支配した。そうでもしないと、自分がバラバラになりそうな気がしていた。散々怒鳴ったあと、手を振り上げる。グーじゃなくてパーだからセーフのはずだ。


 しかし、その手は環の身体をすり抜けた。訳が分からず、もう一回叩こうとするとすり抜ける。課題図書にあった一文『幽霊みたいに透明になりたいと思った』 が頭をよぎる。

「ごめん……。私、だいぶ前に死んでるから。だからきっと今時の方法も分からないんだと思う。ごめん……」

「立体映像とかじゃなくて?」

 昇がかすかに震える声で言うと、環はスカートを少し上げて見せた。足の先がない。

「幽霊は上にあがるだけだから、歩く必要ないんだよね」 と環は笑う。

 昇は課題も忘れて環に詰め寄った。

「幽霊なの? ここで死んだ、とか?」

「ううん。交通事故。でも最後の時にね、『ああ図書館の本も返してないのに。図書館の本を全部読むのが夢だったのに』 って思っちゃったから。気がついたらここにいたの」

 昇は思わず呆れた。いくら本が面白くても、学校に死んでも来るなんて罰ゲームじゃないか。

 死んでも何かしたいなんて、どう生きればそんなこと考えるんだろう……。

「それで、読み終わるまでここにいる気か? もう全部読み終わるのか?」

「うん。一年も経てばさすがに終わるよ。でもその他にもう一つ、未練が出来ちゃったかも」

「?」

「昇くんの課題。OK貰ったところ、私も見たいな。死んでから私に気づいてくれたの、あなたが初めてだったから嬉しいの。ね、一緒に頑張ろう? そうしよう? 幽霊は時間だけはあるんだよ」


 変な、女だった。環は。クラスメートどころか親にも嫌がられる俺に気づかれて嬉しい? よっぽど一人が寂しかったんだな。惨めな奴。それにしてもどうして俺だけ? オンボロでひと気の少ない委員すらサボってどっか行く図書館だけど、他にも人はいるはずなのに。大多数の人が気づかない……大多数は普通……俺は特別教室行きが近い……。そこまで考えて頭をぶんぶん振った。偶然だ。チラリと環を見る。

 幽霊だけあって、ちょっと陰気で、暗い。けど、ここまで色々話したのも、教えてくれたのも、初めてな気がする……。


 そんな誰にも言えない、信じてもらえないような体験が、昇を少しだけ成長させた。ある種のショック療法だったのかもしれない。



 それから不思議なことに、課題を出すたびに校長が優しい目をするようになった。

「誰か、良い友人でも出来たのかい?」

「は?」

 昇は不遜な態度で返す。しかし校長も慣れたもので鷹揚に言葉にする。

「『もし主人公が一人で悲しかったなら、僕が友人になりたいと思った。嫌われ者は僕も同じだから』 こんな言葉、今までの君からは出なかったね」

 ちっと行儀悪く舌打ちする昇。そこに注目するのかよ。スペース埋める目的で適当なこと書いただけなのに。肯定されるのが何故か気恥ずかしくて、心にもないことを言う。

「違います。着替えもないような貧乏な子がいるから俺が構ってやってるんです。他に行くところないから図書室にいるけど、迷惑なんです。あいつがいたって、別に課題進まねーし。それに色々面倒なやつで……」

 校長はその長くなりそうな話をさえぎって言う。

「そうか。ではその子が君を成長させてくれたんだね」

 成長? 俺が?

 ……今まで成長してないみたいに言うんじゃねーよクソが。


 期限の前日、環と大喧嘩した。理由はこじつけのようなものだ。

「誤字だの言い回しだのいちいち指摘してくんなようざい!」

「でも、そのまま提出したって直されるよ?」

「先生が言うならいいんだよ。お前はダメだ! 年変わらないくせに!」

「ごめんなさい。でも、私生きてたら年上だよ?」

「屁理屈言うな! これだから女は! どうせ俺が間違うのを内心面白がってるんだろ? 馬鹿にしてるんだろ? 自分より頭悪い奴見るのって楽しいよな!」

「私そんなこと考えてない。ただ、これで昇くんの役に立てるかなって。消える前に、何かできるかなって……」


 そうだ、出来上がったら、こいつ消えるんだ。自分だけ満足して。俺なんか、産まれたくもなかったのに怖くて死ぬこともできない。こいつは違う。望みが達成されればいつでも成仏できるんだと考えるとイライラする。でもそんなことも分からないで「課題、早く終わるといいね」 とか言ってくる。

 お前がいなくなったら、俺の気持ちはどうなるんだよ。でもどうしてそんな考えになるのか、自分でも分からない。ただ、そうさせる原因のこいつが憎い。


「あーもういい! じいちゃん家で書く! もう図書室には来ねーよ!」

「昇くん!? 待って、待って!」

 ダッシュで逃げれば、図書室の地縛霊である環は追ってこられない。そのことにやっぱり生きている人間とは違うんだと思い知らされる。

 鬱々とした気持ちで家についたら、足の悪い祖父とボケ気味の祖母から大事な話があると言われた。

「昇。父親と母親、お前はどちらに着いて行きたいかい? 実は、二人ともお前を引き取ってもいいと……」



 期限ギリギリに提出した昇の課題は、合格。校長はベタ褒めだった。余りの出来のよさに職員室で回し読みされたが、あの久子先生だけは苦い顔をした。

「信じられません。別人じゃないかってくらい内容が違うのだから。あの小山内くんが『苛められているシーンは胸が締め付けられるようだった』 なんて。あの小山内くんが『小説の中に入って主人公を助ける事はできないけれど、現実で人に手を差し伸べられる人になりたい』 なんて。何があったっていうのかしら。誰かの盗作だったとしたら、転校で証拠隠滅できると思ってるなら間違いなのに」

 さすがにその言い様には他の人間から注意をされた。注意された久子先生は「変わるなら早く変わればいいのに」 とそれでも不満を隠さなかった。昇の素行不良を知ってる先生達は同意したのが、久子の救いだった。しかしそれでも学級崩壊に悩まされた身としては毒づかずにいられない。

「ちょっとは良い子になったかもしれないけど、相変わらず所々は無神経よ。批判と悪口、言ってはいけないことの区別がついてないのも相変わらず。案外今も何かやらかしてたりしてね」

 それには子供を何が何でも悪者にしたいのかと思われ、さすがに庇う人はいなかった。


 昇は校長に課題を提出し終えた時、同時に転校も告げた。校長は驚いたが、家庭環境を一通り聞いているらしく「気をしっかり持つんだよ。君は若い。親に思うところがあっても、今の君ならきっと大丈夫」 と昇を励ました。

 父親は、昇がくると仕事先の寮でひと回り広い部屋に住めるらしい。母親は、昇がいれば子供がいるということで様々な手当てが仕事で受けられるらしい。昇は、知らない人が着いてこないほうを選んだ。校長室から出たあと、昇は以前見たおばさんが立っているのが見えた。何気なくその顔を見つめて驚く。

 あの顔と首、あと手に皺をつけたら環だ。何で気づかなかったんだろう。環のお母さんだ。そう思うと、その皺にすら畏敬の念がわいた。

 ジロジロ見られたのに気づいた女性は、にっこり笑って挨拶する。娘の友達に話しかけるように。

「初めまして。おばちゃん、この学校に本を寄付しに来たのよ。娘が本好きだったから。近々入ると思うから、機会があったら読んで頂戴」

 昇はその娘って環さんですかと言いかけて、やめた。環に――成仏してほしくなかったから。とは言っても、俺一人で人の考えが変わるなんて思い上がってない。環だって、こんな男とっくに見限ってるだろう。そうは思いながらも、図書室に行く気になれなかった。別れを告げられるのが怖くて。誰もいないのが怖くて。

 昇は、そのまま転校して行った。


 昇が学校から消えてどれくらい経ったか。ある夕暮れ。久子先生が見回りで図書室を訪れた。そこには――見慣れぬ少女がいた。あんな子いたかしら? とにかくもう帰らせないと。

「あなた何年生? もうすぐ下校時刻よ。帰りなさい」

 その少女はある母親が寄付した本棚の横に座り、赤いロングスカートに本を載せて読んで――いや、見ていた。少しもページをめくる気配がない。聞こえてないのか、目を開けながら寝ているのかと久子は再び少女に下校を促す。少女は本から目を離し、心なしか冷たい目で久子を見つめるとこう言った。

「足があったら帰る……」

 そう言って少女がスカートをめくると、そこには足がなく、少女はスーッと消えていった。

 また別の話では、図書室に宿題をしにきた低学年の少女が、赤いロングスカートの少女に勉強を教えてもらう。勉強の合間のお喋りから、少女は図書室の本読破を目指しているが、残っているのはある棚の本だけ。でも読み終わらないように一日一ページしか読まないと聞く。どうして? と聞くと少女は悲しそうに答える。

「読み終わったら消えちゃうから。そうしたら、あの人に会えなくなっちゃうから……」


 彼女は今も、彼を待っているのだろうか。

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