スムージーで温まろう?
「こんばんは~」
明日が休みということで里帰りをしている京子の顔を見に地元に戻ってきた俺は久し振りに黒猫に立ち寄った。もちろん京子の実家にも俺の実家にも顔を出してからだ。先輩達の話によると、妊娠中にしでかした夫の不始末というものを妻は一生覚えているらしい。あっちに顔を出さずに一号の顔を見に黒猫に行ったなんて京子が知ったら、それこそあいつのことだ、キーボ馬鹿と死ぬ直前まで枕元で言われそうだもんな。
「あ、いらっしゃいませ、安住さん」
一号、いや、東明君はカウンターの向こう側からいつもと変わらない営業スマイルで俺のことを迎えてくれた。
「久し振り。今日はママさん、いるかな?」
「奥にいますよ。呼びましょうか?」
「頼みます」
東明君はバックヤードを覗き込むと調理をしているらしい澄ママに声をかける。実のところ今日の訪問は一号の様子を見に来たのもあったが、澄ママに会うのが第一の目的だった。
「あら、恭一君。私になにか用事でも?」
澄ママが俺の顔を見てニコニコしながらこっちにやってくる。
「いえ。京子から澄ママから生まれてくる赤ん坊用にってたくさんタオルやハンカチをいただいたって聞いたので、そのお礼に伺いました」
「まあまあまあ、ご丁寧に。そんなところに立ってないでこっちに来て座って」
「あ、はい」
手招きされてカウンターの椅子に座った。
「色々と迷ったんだけど、赤ちゃんの服とかそういうものはやっぱり自分達で選びたいでしょ? だからタオルとハンカチにしたの。ああいうものは幾つになっても使えるし、たくさんあっても困らないだろうから」
「ありがとうございます。京子も喜んでました」
「喜んでもらえて良かったわ」
「すみません、店にまで押し掛けてきて」
本来なら礼を言うなら昼間の方が良いんだろうが、ここは店を夜遅くまで開けているし俺がこっちに滞在できる間に訪問するとなると、この時間しか確保できなかったのだ。
「いいのよ、そんなこと気にしなくて。今回はゆっくりしていけるの?」
「明日の夕方までには戻らなくてはいけなくて。今日は酒もダメだって言われてるんですよ、残念なことに」
実のところ明後日から遠方での演習が控えている。三週間ほどの予定でしばらく連絡がとれなくなるので、それを知らせるのを兼ねて出発前にこっちに顔を出したってわけだ。
「あらあら。じゃあユキ君のいつものスムージーでも飲んでゆっくりしてちょうだいね。ああ、何か食べたいものある?」
「じゃあ久し振りにママのミートパイをお願いします」
店の入口にあるおすすめメニューが書かれている黒板にあった黒猫の特製ミートパイ。何度か御馳走になったことがあるが本当に美味いんだよな、澄ママのミートパイは。
「分かったわ、じゃあ焼きたての熱々を出してあげるからちょっと待っててね。ああ、ユキ君、あとはお願い」
「分かりました」
ママと入れ替わるようにして東名君がカウンターに出てくる。その手にはいつものグラスじゃなくて少し小さめの、京子が言うところのカフェオレボールがあった。
「これ、どうぞ」
覗き込むと緑色のドロッとした液体らしきものが入っていた。だが今回はいつもと匂いが違う。
「? いつものスムージーじゃないんだな」
「さすがに夏じゃないのに冷たいものを出すのはどうかと思って。スープ風にしてみたんです」
なるほどと渡されたスプーンでかき混ぜる。中身は色からしてほうれん草とブロッコリーがメインとみた。
「まさか甘いとか言わないよな?」
東名君の料理の才能は素晴らしいんだが、時折チャレンジャー精神を発揮してとんでもないものを出したりするので少しだけ警戒して尋ねてみる。
「普通のスープと同じ味付けですよ。安住さんが甘いのが良いっていうならそうしますけど?」
「いやいや、普通の味付けで結構です。いただきます」
甘いスープなんて考えただけでも顎が痛くなる。スプーンですくって一口飲んでみる。駐屯地で食べるような濃い味付けではなく優しい味だった。
「どうですか?」
「うん、美味い」
「良かった」
東名君はホッとしたように微笑む。
「……良かったって、もしかしてまた俺に試食させたのか?」
「まさか。ちゃんと自分で味見をして納得したから安住さんに出したんですよ。ただ、濃い味付けになれている人にとっては頼りないかなと思って」
別に駐屯地で食べているものが特別に味が濃厚というわけじゃない。ただ、以前に普段の俺達がどんなものを食べているのか話した時の印象がどうもそんな感じだったらしい。
「なるほどね。俺は美味いと思うけどな」
「だったら寒い間、安住さんがここに来た時にはそれを出しますよ」
「ならまた時間を作って戻ってこないとなぁ」
しばらくして澄ママが焼き立てのパイを持って来てくれた。それを突きながら東名君と世間話をする。東明君は仕事柄なのか聞き上手だったし、こんな風にダラダラと雑談するのは普段は規律に縛られた生活をしている俺にとってはホッとできる時間だった。
それに、大きな声じゃ言えないがここだったらいきなり脛を蹴られることもないし?
「お酒を飲むなと言われているってことはまた大きな訓練でも? ああ、話せないなら話せないで問題ないので」
「詳しくは言えないが普段より条件の厳しい場所での訓練ってとこかな」
「なるほど。気をつけて下さいね、前のこともありますし。それに今は奥さんもお子さんもいるんだから」
「ま、俺がいなくても京子だったら逞しく子育てしそうだけどな」
「笑えませんよ」
そう言った東明君の顔がマジだった。いや、だけどそんなこと言っても俺達の訓練は危険がつきもので何が起きるか分からないのは事実だ。
「もちろん京子とまだ生まれていないチビスケを置いて死ぬつもりはないんだよ、俺だって。でもな、訓練中の事故で殉職する人間が今まで出なかったわけじゃないんだ。ニュースでもたまに見るだろ?」
「それはそうですけど」
「大丈夫だって、こう見えても体だけは頑丈だから」
そう言うと、東明君は何やら難しい顔をしたままバックヤードに引っ込んでしまった。あれ? もしかして更に機嫌を損ねるようなことでも言っちまったかな。
謝ろうにも当の本人がなかなか出てこないのでどうしたものかと考えながら、パイとスープスムージーを口に運びながら座っていると、奥からなにやら大きなグラスを持ってきた。……なんだか嫌な予感がするぞ?
「これ、飲んで下さい」
ドンと出されたグラスはいつもの倍ほどの大きさだ。
「……なあ、これって一体?」
「カルシウムたっぷりのスムージーです。まだ試作段階なので出すのはどうかと思っていたんですが呑気に試行錯誤をしていれない事態のようなので」
「どういう事態なんだよ……」
しかも寒くなってきたら温かいものをって言ったのにこれはどう見ても冷たいヤツだろ?
「前みたいに高い崖から落ちても骨を折らないようにです。カルシウムとそれを摂取しやすくする栄養素がたくさん含まれています。そしてこっちがレシピです」
前だって骨折したわけじゃと言いかけたところで、カウンターの上にバンッとノートから破られたような紙切れが置かれた。
「継続して飲まなければ意味がありません。これを京子さんに作ってもらって下さい。もちろん安住さんが自分で作ってもいいですが」
「なあ……いくらなんでも極論過ぎるんじゃないかと。それに訓練が始まるのは明後日からで……」
それにだ、こんなにでかいグラスのを一気に飲んだらそれこそ腹を下さないか?
「訓練は今回だけじゃないですよね?」
「そりゃまあ」
「だったら今回の訓練以降のことを考えて毎日飲んでください」
「毎日ってどんだけバナナを買わなきゃいけないんだ? これ、絶対にバナナが入ってるよな?」
「毎日です」
「スムージーだけでエンゲル係数が跳ね上がらないか?」
「毎日、です」
「……はい」
いつにも増して真剣な顔の東明君に、それ以上は反論できずに頷く。
「ではまず最初にこの一杯から」
「お、おう……」
美味いんだから良いんだけどな……。
「まったく、東名君は俺のもう一人のカーチャンみたいだよな。俺の健康を心配するより自分のカノジョのことをもっと気にかけてやった方が良いんじゃないのか?」
「言われなくても璃青さんのことは大事にしているから御心配なく。ちゃんと全部飲んでくださいね」
顔をしかめつつも少し赤くなっているところがなかなか可愛いよな。
そして店を出る時に澄ママがやってきて「京子ちゃんに」と言ってこっそりと紙袋を持たせてくれた。中身は焼き立てのミートパイだった。
「ありがとうございます。さっそく夜食にいただくように言っておきます」
最近の京子の食欲は留まるところを知らない。全ての栄養は腹の中にいるチビスケに持って行かれているようで、食べても食べても足りないという感じなのだ。
腹が大きくなる前に胃袋がとんでもないことになるんじゃ?と心配しているのだが、本人もそれなりに気にしているようで、体に良さげなものを選んで美味しそうに食べている。だから今のところは止めることなく見守る態勢だ。きっとこのミートパイも明日の朝には綺麗さっぱりなくなっているだろう。
「じゃあ、お邪魔しました。おやすみなさい」
「京子ちゃん達によろしくね」
「はい」
「安住さん、そのスムージー、ちゃんと毎日ですからね」
「なあ、本当に……」
「毎日、です」
「……はい」
何ていうか、やっぱり東明君は年上なんだよなあ……。




