嫁が俺より強いんじゃないかについて
「我々の訓練は基本非公開です。ですが、その成果を見てもらわなければ、皆さんの旦那さんや息子さんが担っている任務の重要性を、理解してもらうのは難しいことであります。そこで本日は、自分の家族がいかに厳しい訓練を潜り抜けてきたかを、皆さんにほんの一部ですが見学していただくために、集まっていただきました」
群長の篠原一佐が、小難しい顔をして全員の前でスピーチをしている。
そんな群長の前に並んでいるのは、俺達だけじゃなくその家族。普段は群長の前で微動だにせずに立っている俺達だが、今日はその腕に子どもを抱いたり足に纏わりつかれたりした状態で、戦闘服ではあるものの、かなりのんびりしたムードだ。
そんなわけで、俺もさっきから娘を肩車した状態で立っている。
「おい、千佳。パパの頭は、お前のお気に入りの太鼓じゃないんだぞ、いいかげんに叩くのはよせ」
さっきから御機嫌な様子で、ヘルメットを叩いているおチビに声をかけた。だがそれは逆効果だったようで、ますます御機嫌な様子で叩き出した。やれやれ、まったく。
「まったく、安住家の女はそろいもそろって、俺のことを殺しにかかってるな……」
「なにか言った?」
横に立っていた京子が肘で小突いてくる。ほら見ろ。俺のスネや脇腹は、この嫁のせいですでにボロボロだ。娘のせいで頭がデコボコになる日も、そう遠くないかもしれない。
「ヘルメットをかぶっておいて良かったと言ったんだよ。帽子だったら、今頃は脳震盪でその辺で倒れてる」
「ちょっとやそっとでは壊れたりしないでしょ?」
「それって酷くないか? 俺だって人間だぞ?」
「だって事実じゃない。前に捻挫した時だって、あの高さから落ちて捻挫ですんだんだもの。キョウちゃんって不死身なんじゃ?」
「無茶言うな」
京子が言っているのは、結婚前に俺が怪我をしたことについてだ。
あの時の捻挫、訓練中に崖から落ちたとは話していたんだが、京子は階段程度の段差だと考えていたらしく、まさか本当の崖とは思っていなかったらしい。俺、ちゃんと「崖から落ちた」って言ったんだがな。
「あれ? 勇一はどこいった?」
「ユウちゃんならあそこ」
京子が指さした先には森永三佐。そしてその横には、勇一になにか話しかけている奈緒さんの後ろ姿があった。
「なんとまあ」
もじもじしながら、奈緒さんの問い掛けに大人しく答えている息子の様子に驚いた。普段はヤンチャで、俺や京子でも手に負えないことのある勇一が、奈緒さんの前では借りてきた猫だ。
もしかしてこっちに背を向けているからわからないが、三佐が無言の圧力をかけている可能性も無きにしも非ずか? なにせ、奈緒さんに近寄る男は老いも若きも関係なく、すべて木端微塵に粉砕するぐらいの溺愛ぶりだからな。
ああ、話が随分と横にそれたけど。
もともと、嫁の会なんてのを結成して、隊員の家族同士の交流を推進しようと最初に言い出したのは、群長だった。隊員の足元が盤石なものでないと、有事の際に浮足立つ人間が必ず出るからという考えからだ。
だから、駐屯地の一般開放時以外にも独自にイベントを催していて、今ではこんな風に身内が集まるのは珍しいことではなくなっていた。だが、訓練の成果を見せるなんてのは初めてのことだ。
多分、一ヶ月ほど前に、奈緒さんが重光大臣と一緒に訓練を見学にきたのをきっかけに、思いついたんだろう。まあ最近じゃ、豆まきもサバゲーみたいになっているから、いまさらな感じがしないでもないけどな。
とは言っても、俺達と同じ訓練内容を、素人に体験してもらうなんてことは不可能だ。
だが案の定、建物から垂直に降下するラペリングを見せると、自衛官の遺伝子が騒ぐのか、子供達もやってみたいと大騒ぎになった。
あまりのしつこさに、食い下がってくる少し年長の子供達に対して群長は「これを全部身につけて、トラック一周を全速力で走り切ったら教えてやる」と言って、演習で俺達が装備する全装備を子供達に身につけさせることにした。もちろんいくら中学生でも、あの重量を背負って全速力で走れるわけがない。
「大きな声じゃ言えないが、俺だってあれは無理だと思うぞ」
「そうなの?」
「群長、ちょっと盛りすぎだ」
装備を背負わされ、その重さに固まっている子供達の様子を見ながら笑った。
「まあ、走れるヤツもいるとは思うけどな。だがあの装備を背負って、400メートル全力で走るのは、現実的じゃない」
「なるほど」
「俺でも200メートルが限界かな、全力疾走だと」
「なによ、走れるんじゃない」
嫌というほど小突かれた。
「だから現実的じゃないって言っただろ? 俺達の移動は隠密行動で、相手に気取られないことが基本だ。あんなの背負って全速力で走ったら、ガチャガチャうるさくてあっという間に相手に見つかるじゃないか」
「そういう問題じゃないの。本当にここの人達って化け物じみてる」
「それって褒めてるんだよな?」
「まったく……」
あきれたように首を振っているが、まあ褒めてくれているんだと解釈しておこう。
あれこれと普段している訓練の様子を一通り見てもらった後、群長が再びマイクを持って全員の前に立った。
「さて、では本日のメインイベントでもある、断郊訓練を見ていただこうと思います。コースは駐屯地の訓練場敷地内のみなので、距離的には普段よりもかなり短いですが、装備を担いでどんなコースを走っているかよく見ていただきたい。そして今回の訓練参加者は既婚者限定です。お前達、背負うのは荷物ではなく嫁だ。子供じゃないぞ、嫁だからな」
その言葉に、既婚者の隊員達がそれぞれの場所で、お互いの伴侶と見詰め合った。
「なんと」
「知らなかったの?」
「俺達は装備を背負って、皆でゾロゾロと歩くんだとばかり思ってた」
群長がメインイベントにすえた時点で、なにかあると察するべきだったな。
「一番でゴールしたヤツには米50キロを進呈しよう。うちの嫁の実家で作った米だ。俺が言うのもなんだが、ここの飯よりうまいぞ」
「おお、米50キロとは群長も太っ腹」
「食べ盛りの家族がいる家にとってはありがたいわよね。頑張らなきゃ」
さすが主婦。
「行くわよ、キョウちゃん」
「って、なにしてる?」
俺の前に立ってこっちを振り返る京子。待て、逆だろ逆。
「背負って走るんでしょ?」
「いや待て。お前がじゃなくて俺がなんだが」
「日頃の訓練がどんなものか体験するのも悪くない。しかも一番だったらお米がもらえる。頑張るから」
「待て待て、頑張るのは俺、だろ?!」
そんな言葉を無視して、京子は俺のことをうちのチビ達をおぶっていた時のように、ヒョイッと背負って歩き出した。
「オイオイオイオイ、キョウコ、オマエムチャスンナ!!」
驚くやら恥ずかしいやらで声が裏返る。こんな風に誰かに背負われたのは、結婚前に崖から落ちて三佐に背負ってもらった以来じゃないか? ってことはうちの嫁は三佐並みの力持ちってことか? すげーな、おい。
「オマッ、ケガシタラドウスルンダ!!」
「舌かみたくないなら黙ってて。なんで私が今日はトレッキングシューズにしてきたか、わからないの?」
「は?!」
「純ちゃんから聞いていたのよ。断郊訓練でお米が景品になるって。豆まきでは散々な目に遭わされてるからね。今日は私が、キョウちゃん達をぎゃふんと言わせる番だから」
「おいおい、まじか……」
景品が米のせいか、京子はめちゃくちゃ張り切っている。警察官とは言え主婦はすげーな……。周囲からは冷やかされるし散々だが、まあ京子が張り切っているんだからしかたないか。
「お前、コース知らないんだろ。黙ってたら迷子だ、ナビ役は引き受ける。ちょっとしたショートカットのコツと注意点はそのつどするから、ちゃんと俺の言うことは聞いとけよ」
「わかった。目指せ、お米50キロー!」
「おう、頑張れ、カーチャン」
三佐と奈緒さんが、千佳と勇一と一緒に俺達を見送ってくれた。
あ? 結果? 当然うちのカーチャンが一位になったに決まってるだろ。俺はナビゲーター能力だって優秀なんだからな。




