三佐嫁様のお顔を拝見
コイアイで信吾さんが奈緒と結婚してからの安住君の動向です。
『恋と愛とで抱きしめて』で信吾さんと奈緒が結婚してからの安住君の動向です。
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「本当に久し振りだね、恭一君」
そう言って、変わらない笑顔で迎えてくれたのは、桜木茶舗の御隠居だ。
俺が京子と結婚してから十年。それぞれがその分だけ歳を重ね、家族が増えたり減ったり色々なことがあったが、ここは良い意味で驚くほど昔と変わらない。俺達が結婚する直前、ここに戻ってきた籐志朗さんが似たようなことを言っていたが、今になってあの時の意味がわかったような気がする。
「御隠居は変わりませんね、ちゃんと歳くってますか?」
「当たり前だ、人を妖怪かなにかのように言うんじゃないよ」
俺の言葉に楽しそうに笑う。御隠居も八十代、そろそろ九十歳の大台が見えてきた歳だ。衰えていないと言えば嘘になるが、その目は昔と変わっていない。穏やかな眼差しの中に鋭さを宿している。
「ところで、京子ちゃん達は元気にしているかい?」
「はい、お陰さまで」
この町で子供を育てたいと言っていた京子だが、俺が特作に転属することになり、そんなことも言っていられなくなってしまった。今は退職して官舎住まいとなり、下山や矢野の嫁達と仲良くしている。上官の嫁様達ともうまくいっているようで、数年前に嫁の会なんてのまで作って、自分達の亭主をほったらかして家族ぐるみの付き合いを楽しんでいる様子だ。
「今日はどうしてこっちに? 急な休暇が取れたというわけじゃないんだろ?」
御隠居は、チラリと悪戯っぽい笑みを浮かべた。
ま、この人には隠し事ができないのは、今に始まったことじゃないから驚くことも無いんだが、たまにそら恐ろしくなることがあるのも事実。このご隠居の前では、あの鬼の篠原群長が恐縮して一礼するんだもんな、大した御老体だよ、まったく。
「まあ半分仕事みたいなもんですかね。残りの半分は、野次馬根性みたいなもんです」
「野次馬根性のためにここまで?」
「うちの上官が嫁をとりましてね。ちょっとご尊顔を拝しに」
「なるほど、たしか、山手にある大学に通っているお嬢さんだったか」
「その通りです」
俺の直属の上官である森永三佐の嫁様は、なんと二十歳の女子大生でいらっしゃる。しかも医学部だとかで、なかなかの才女らしい。
まあそのあたりまでなら、わざわざ訓練の合間に口実を作ってまで抜け出したりなんてしないのだが、問題はその嫁様の親だった。
片倉総一郎。
そう、なにかと俺達を目の敵にする、野党第一党のお偉いさんだ。議員が娘を使ってハニートラップを仕掛けるなんて聞いたことも無いし、そんなものに引っ掛かるような森永三佐ではないから大丈夫だとは思うのだが、どんなことにでも、万が一という事態というものは存在するわけで。
「なかなか紹介してくれないので、一体どんな美女なのかと興味がわきまして」
「まったく君ときたら。あいかわらず自分の欲望には正直な男だね」
「褒め言葉だと受け取っておきますよ」
「それでどうして我が家に? その様子からして、実家にも顔を出していないんだろ?」
「俺は今、ここにはいないことになっているので」
「やれやれ、だったら変装ぐらいしてきなさい」
「いや、実家にまだいるれいの青いヤツにでも入ろうと思ったんですが、余計に目立ちますから断念しました」
そうそう、十数年前にこの商店街に生まれたゆるキャラのキーボ君はいまだに健在だ。さすがに、最初に使われていた着ぐるみのままではなく、何代目かに変わっているらしいが、この商店街のイベントや市のイベントにはいつも呼び出されているらしい。
最初はそんなことになるとは思っていなかったが、息の長いキャラクターになったもんだ。そして実家にある幼稚園にも通称二号が残っていて、外で遊んでいる子供達のお守りをしているんだと。いやいや、まいったね。
「どちらにしろ、嫁様のご自宅まで、密かに護衛を兼ねて同行しようと思います」
「それはいわゆるストーキングというものでは?」
「まさか。護衛ですよ護衛。敬愛する上官殿の嫁様に、なにかあっては一大事なので」
「物は言いようだね、まったく」
「変な先輩とかいう男にも、目をつけられたぐらいですからね。用心するに越したことはありません」
御隠居の溜息に笑いながら店の中から外を伺っていると、写真で一度だけ確認した顔がやってくる。小柄でクルクル巻き毛の可愛いお嬢さんだ。
はあ、片倉議員の遺伝子の片鱗さえ見られないのは本人にとって幸いだよなとつぶやくと、御隠居がおかしそうに笑った。
「じゃあ、自分はこれで失礼します」
「ああ、体には気をつけて。なにかと厳しい部署なんだからね」
「わかってます。最近は下の連中の指導が増えましたから、怪我することも減りましたよ」
「なら良いんだが。京子ちゃんにもよろしく」
「はい。お茶を御馳走様でした、桜子さんにもよろしくお伝えください」
そう挨拶して店を出て、駅へと歩いていく嫁様の後ろをのんびりとした歩調で続く。前を歩く嫁様はなにか用事でもあるのか、他の店をのぞくこともなく真っ直ぐ駅へと急いでいる。唯一の寄り道は、途中で商品を買う為に立ち止まった篠原豆腐店だけだった。購入したものは枝豆豆腐に油揚げ。さらにはおからを二袋。
「へえ……ちゃんと料理はできるってことか」
政治家のお嬢ちゃんにしてはきちんとしているらしい。こりゃあれだな、父親の遺伝子がどうのってことではなく、母親の遺伝子が偉大だったってことか。嫁様の母上様ありがとう。お陰で森永三佐が食当たりで苦しむことはなさそうです。
嫁様の住所は、政治家の娘らしく駅向こうのそれなりに高級なマンション。三佐と結婚はしたものの、諸々の都合でいまだに同居していないのだとか。新居に引っ越すのは、嫁様の春休みになりそうだとか言ってたっけかな。それまでは三佐と嫁様は週末婚ということになる。
「ああ、そうか、今夜こっちに帰ってくるのか」
明日と明後日は三佐は休み。帰ってくるという表現が正しいのかどうかはわからんが、どうやら嫁様のところに三佐がやってくるらしい。だから夕飯の支度をするために急いでいるということだ。今時のお嬢ちゃんにしてはけなげだねえ……。
片倉、いや、森永奈緒さん。
なかなか良い子そうじゃないか、俺は気に入ったぞ、森永三佐の嫁様。
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「で?」
「で?とは」
「どうだったんだよ、三佐の嫁」
その日の夕方、駐屯地に戻った俺を待っていたのはむさくるしい野郎共の質問攻め。
「おお、可愛かったぞ、三佐嫁。間違いなく光陵学園の女子大生様だった」
そこで、おおーというどよめきが。お前等はガキか。まあ、訓練を抜け出して顔を拝みに行った俺が、偉そうに言えた義理じゃないけどな。
「そのうち紹介してもらえるのかね、俺達」
「さあ、どうだうろうなあ……あの嫁様、こういう集団には免疫なさそうだったぞ?」
政治家殿の娘とは言え、雰囲気は箱入り娘そのもの。こんな連中が目の前に現れたら気絶するかもしれんなと、同僚の顔を見渡しながら密かに思う。
結局、俺達が三佐の嫁さまに紹介してもらえたのは五月になってから。俺達の嫁と篠原のお嬢が計画した、お披露目会なるものでのことだ。あれがなかったら、きっと十年ぐらいは俺達には紹介しなかったんじゃないか?というのが、群内部でのもっぱらの噂だった。




