【 間幕 もう一つの物語 】
そしてここから、一人の男を新たな主人公に据え異なる物語が幕を開けた。
新たな主人公にも名前は無かった。産まれる前に父はなく、産まれてすぐに母を失った男は優秀な魔術師を父に、最後の魔族を母に持つ、この世でただ一人の異なる世界の狭間の子だった。
男の物語を語るには、男の全てを語る必要があるだろう。
迫害から逃れるために決死の覚悟で世界を渡った魔族。
新天地を求め、異世界へと送られてきた誇り高き魔術師。
共に黒髪に黒眼と言うこの世界の人間に存在しない色をその身に持ち、似通いながらも全く別の生き物である二つの種族は一つの世界で出会い、多くの悲劇を生むこととなった。プライドの高い魔術師は、同じように魔力を操る魔族の存在がどうしても許せず、最も優れているのは魔術師であると言う主張を肯定する為だけに、戦いを望まない魔族を執拗に攻撃し続けた。
元来争いを好まない性質の魔族は、いくつかの集団を作り遊牧をしながら必死に逃げ続けたが遂に逃げ切れず、男の母が暮らしていた集団も長い攻防に耐え切れず滅んだ。仲間や家族が次々に殺されていく地獄のような混乱の中で幼き母は逃惑い、気がつけば誰かの腕の中に匿われていた。
魔術師には珍しすぎる心優しい青年、怪我をして怯えている幼子を憐れに思い仲間の眼から隠して秘密裏に我が子として連れ帰った。
皮肉な運命は彼女を生き延びさせて、彼女に幸せを与えた。優しい養父母に愛されて幼子は少女となり、頼りがいのある義兄に心奪われ少女は女となった、惹かれ合って彼らは家族となり、新たな命を授かろうとしていた。
だが、幸せはなぜか長くは続かず、どこからも漏れるはずがないのに母が魔族であると知られてしまったのだ。
それは、地を這う怒号と共に始まった。
『早く逃げろ! 俺の事など気にするな、行け!』
屋敷に降り注ぐは数の暴力、郷の魔術師たちが大挙してやってきたのだ。だが、父の一族も世界でも上位とされる名門、烏合の衆が数で来ようがそう易々とやられはしないが、長く持つとも言い難かった。
『で、でも、あなたっ!』
『お前は生きるんだ。生きてその子を産んでくれ、その子に世界を見せてやってくれよ! こんな理不尽がまかり通る糞みたいな世界だけど、俺の人生は幸せだった。だから、その子にも幸せになってほしいんだっ、俺にお前たちを護らせてくれ!』
父は泣く母の背中を押し郷の外へと逃がし、夜の闇へと消えていく頼りない背中を見つめながら一筋の涙を零した。
『愛してるよ、君に出会えて本当に幸せだった……だから、俺の分まで生きてくれよっ』
そして、逃げ延びた母の耳に届いたのは、優しい養父母と愛する夫が魔族を匿った罪で近いうち死刑に処せられると言う知らせだった。
二度も愛する者を奪われた彼女の中に憎しみが燃え上がった。
『どうして、私から奪うの? 私たちが何をしたと言うの、ただ静かに暮らしているだけじゃない。家族を殺され私が魔術師を憎まなかったわけないじゃない! でも、父や母や兄がいたから私は、忘れたふりも出来たわ、優しいあの人たちがいたから許す事も出来たわ……でもそれもすでに過去の事よ、もう許さないわ。私とて最後の魔族の娘、ちからだけならば魔術師が束になろうと決して負けることなどない!』
その後、母は男の子を産み落として、その子を今まで暮らしていた魔術師の郷と対立関係にあった魔術郷に隠す事にした。魔術師の捨て子など珍しくも無く、魔族である自分さえいなければ子供は殺されはしない。
『ごめんなさい坊や、お母様はこれからお父様たちの所へ行くの、助けられないかもしれないわ、間に合わないかもしれない……いいえ、弱気な事は言っちゃだめね、必ず助けて迎えに来るわ。それまでいい子でいるのよ坊や』
そして母は笑顔を作って、赤子を温かい布で包み直し、郷の中心にある井戸の側にそっと横たえ、泣きながらその場を立ち去る母は一人胸の中で叫んだ。
『ごめんなさい坊や、強く生きるのよ、そして貴方は貴方の幸せを見つけてね。愛しているわ、私の坊や、出来ない約束をしてごめんなさいっ』
次第に小さくなっていく背中を赤子は泣きもせず黙って見ていた。
翌日、黒髪に黒眼を持つ魔術師の赤子が人々の手により発見されたのと、対立関係にあった魔術郷が跡形も無く消滅したという知らせが届いたのはほぼ同時であったという。