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男に名は無かった。産まれてすぐに両親を失った男を拾ったのは子を失ったばかりの狼の番、そして男は自分が『人間』である事も知らずに『狼』となった。『狼』として成長した男はいつしか自らの『番』を求める様になった。
だが、男は思った。
『なぜ自分と同じ形の雌はいないのだろう?』
男は自分が父母や仲間たちとあまりにも違う形である事に気が付いた。
自分の身を包む毛皮は亡き兄たちの物、鋭い牙も爪も無い、長さの違う足は酷く不格好で幼い頃はそれをよく馬鹿にされ悔しい思いをした。
男は群れの中で生きる為に必死だった、そして男は群れに認められる為に猛獣に立ち向かい見事打ち勝って漸く一人前として認められた。
その後も並大抵の努力ではなかったが、一つ傷が増える度に功績を上げ、群れの仲間たちはその類稀なる知恵と統率力を認め男を群れの次代の長とすることを決めた。
誰もが男に頭を垂れ、男の外見を笑うものはいなくなった。男は力で欲しいもの全てを手に入れる事に成功した。
されど、男は『孤独』だった。
男を孤独から救いだしたのは泉で出会った一人の少女だった。美しい月光の下、沐浴をする少女を見つけた時、男は思った。
『あぁ、やっと自分の雌を見つけた。これが俺の番だ』
それから男と少女の交流が始まった。男は少女にせっせと獲物を届け、少女は男に『人間』を教えた。
少女の名は『アリス』愛を司る女神の一人で神々の中で最も可憐で美しい少女であった。少女は男に『手の概念』を与え、『人の姿』を与え、最後に『言葉』を与え、少女はそれが最も男にとって幸福な道であると信じ男を『人間』に戻した。
だが少女は幼く、男の本当の孤独を正しく理解していなかった。
そして、人を与えられた男は『狼として番を求める気持ち』とは別に『人として』少女を愛していた。少女また、会うたびに渡される数々の獲物が狼の求婚である事を知り酷く迷った。少女も男と同じように男を愛し始めていたからだ。
神と人とが結ばれるのは男の世界では難しい事ではなかったが、少女にとっては違った。少女は愛を司る神であり、全ては平等である必要が少女にはあった。たった一人に愛を注ぐことで少女の無垢さは失われる。少女は自らが愛の女神である事に誇りを持っていた、だからこそ悩み、苦しんで、そして少女は迷いのまま愛しい男を残し死んでしまった。
少女は男を愛する事で起こる大いなる変化を恐れ、逃げ出した先で彼女の無垢さを妬む他の神の姦計に嵌り、弱っていた心の隙に漬け込まれた少女は命を落としてしまった。
二人が出会った泉で少女の躯を見つけた男はただ呆然とその場に立ち尽くした。
『………アリス?』
名を呼べど少女は二度と返事をする事はなかった。
男は愛しい少女によって再び『孤独』の道に叩き落とされたのだ