第1話 夢と現実の狭間〜ジン
「ジンクーン。」
台所から嫁のノリコの声が聞こえてきた。
「ご飯よ〜。」
「ワンワン!ワンワン!」
ノリコに呼応しようとしているのか、その隣で一生懸命、体全体をクルクル回しながら甲高く吠えるポメラニアンの愛犬りり。
「ん〜。。。。夢か。。。」
ジンは特殊なアイマスクを外しながら、朝陽を眩しそうに腕で顔を覆う。
「。。。この臨場感は、正に、現実だな。ははは。夢と現実の区別がつかないや。。。」
その商品とは、好きな夢を自由に見れる、いや、むしろ体感出来るというのが正解の装置「ドリームメーカー」。
その名の通り、人々が夢にまで見たアイマスク。
一見、普通の布製のアイマスクにBluetooth(イヤホンの無線)が付属してるだけの簡易なものだが、それを装着した途端、脳はα波を発生し、安らぎに誘ってくれる。
そして、眠りに落ちた後、眠っているにも関わらず、起きている時の記憶が残っている。
つまり、起きている状態で夢の世界に入るので、まるで、ゲームやDVDを見る感覚で、夢を選ぶことが可能なので、可能性は無限大。
しかも、夢の中では時間の概念がないため、6時間睡眠であっても、1ヶ月ほどの長い夢を体感することも可能になる。
「でも、これに慣れてしまうと、麻薬の様になるから、現実で生きる意味を見失ってしまうなぁ。」
本来、夢とは、日常の出来事との均衡をとるもの。
現実で、辛い思いや苦しい思いをした場合、夢ではそれを打ち消すほどの、幸せな思いや楽しい思いを見ると言われている。
その反対に、現実で喜びが大きい場合は、夢で怖い思いをすることもある。
その繊細な、聖域とも言える、夢と現実の均衡を崩すことを懸念して
、ジンは、倫理上、その装置を世に出してよいものか、戸惑いを持ち始めていた。
実際、ジンは何度か使っているうちに、夢の中で、時空を自由に操作出来る総隊長になりきり、まるで世界の中心にいる様な、自分がいないと世界が滅びる様な、そんな感情さえ芽生え、この装置の虜になっていた。
この現象は、いわゆる、脳内麻薬だ。
脳内麻薬とは、パチンコや競馬など、ギャンブルなどで、偶々(たまたま)訪れる、大きな美味しい思いを味わった際に、脳内でエンケファリンやβエンドルフィンなどの麻薬成分が生成され、麻薬中毒者と同様の症状になってしまうことだ。
その昔、過去の偉人たちが犯してきた過ちは、大半、その欲望から生まれていたとも考えられている。
今回の偉大な発明は、人々へ脳内麻薬を振りまく様なものじゃないのか?
ジンは寝起きから、そうこう考えていたが、ふと、現実に戻り、
「うわっ!夢に耽ってる場合かよ!今何時だ!?」
慌てふためき、かけ布団を蹴りながら、目覚まし時計を見て、ベッドから飛び起きた。
「やっべぇ〜。」
そういいながら、1階へバタバタと転げんばかりに降りて行く。
「おはよう。また、なんか、で〜っかい声で寝言言ってたよ〜。」
料理を出しながらノリコが笑顔で言った。
「おはよう。寝言また言ってた?なんて?」
寝ぼけ眼をゴシゴシしながら、パジャマのズボンを脱ぎ、新しいシャツに着替えながら、食卓についた。
「何て言ってたかなぁ。。わかんない。」
最後に出てきたみそ汁が、食欲をそそらせる湯気を立てながら、目の前に並べられる。
「内容は具体的に覚えてないけど、すっげえ強いのよ、俺。だって、時空を操作出来るわけだから。」
いただきまーす、と言うかけ声とともに、ご飯とみそ汁を一気に口へかけこむ。
「時空を操作出来るの。ふーん。」
そう言いながら、ノリコは私は全く興味ありません、という様な素振りで朝の支度をしていた。
「ま。要するに、時間を止めたり、戻したり、空間に穴を開けて、その穴からハワイに行ったり出来るってことよ。」
ジンは口にマヨネーズをつけながら、サラダを頬張り、どや顔で説明する。
「今度、ノリコにも貸してあげるよ。寝るのが楽しくてしかたないと思うよ。」
「私は結構です。寝る時くらいゆっくりしたいし。」
ノリコは首を大きく横に振りながら、食べ終わった食器を洗い始めた。
「でも、ハワイ行けるのかあ。それならちょっと試そっかな。ははは。」
「ほんと、旅行好きだな。。。って、もうこんな時間か!朝はバタバタだな。夢なら、ここで時間を止めれるんだが。」
食事もそこそこに、食卓を立ち、ジンは洗面所へ足を運ぶ。
「妄想ばっかりしてないで、ちゃんと、現実見てよ。最近、夢に没頭しすぎじゃない?」
ノリコはエプロンで手を拭きながら、クローゼットからスーツを取り出す。
歯ブラシを手に取り、ゴシゴシと泡だて、口をすすぎ終えたジンは、
「現実みてるから会社行くんだろ!」と言い放つ。
「あ。今日は雨降るみたいよ。」
ノリコはコロコロを使い、細かなホコリや糸などをとり、スーツの上着を宛ら店員の様に、ジンの背中から腕を滑らせる。
「雨か。最悪だな〜。今日に限ってスーツだし。」
普段はシーンズにブーツと言う、ラフな格好での通勤だが、今日は本社で業績発表のプレゼンがあるのだ。
「じゃ。行ってきます。」
そう言いながら、玄関の扉を開けて、いつもの忙しい一日が始まろうとしていた。
だが・・
ジンは扉を開けて、その光景に自分の目を疑った!
辺り一面、真っ赤な世界。。
地は割け、溶岩が噴火し、空は赤く染まっている。
「火事?いや、違う。。夢の続きなのか?。。」
そこは、さっきまで夢に出てきた、あのワンシーン…。
放心しきっていたジンを他所に、ノリコは笑顔で
「何をボーッとしてるの?気をつけて行ってらっしゃい。」
と、普段と変わらず見送りに顔を出し、パンッと背中を叩いた。
「おいおい!!行ってらっしゃいって。。。外をみてみろよ!。」
ジンは取り乱しを隠せず、玄関の扉を全開にし、ノリコに改めて見てみろ、と言わんばかりに身振りを大きくした。
「なに?もう雨降ってるの?」
そう言いながら、扉の外を覗き込みながら、耳を疑うことを口にする。
「いい天気じゃんか〜!これだったら、傘いらないね。」
「いい天気って。。。冗談言ってる場合か!地面から溶岩出てるし、空だって、青くないだろ?!」
「変な装置の使い過ぎで、頭がおかしくなったんじゃないの?それが現実でしょ?空が青いって、何年前の話してるのよ。」
ノリコはジンを見下した様に、イラっとしながら、首を横に振りながら言った。
本当に妄想から目覚めてないのか?
頭がおかしくなったのか?
ジンは自分の顔面を両の掌でバシ、バシ、と殴打した。
そして、確認をしなければ、と、
靴のまま勢いよくリビングへ駆け込み、一目散にテレビの電源を入れた。
「もう!くつ脱いでー!」
ノリコは怒りを通り越し、半ば呆れながら、後ろからついてきた。
「。。。。」
やっぱり、おかしい。
妄想でも。夢でもない!
「おはようございます!今日も一日、がんばりましょう、ジンさん!あれ?顔色が悪いですよ。大丈夫ですか?」
テレビの向こう側の人が声をかけている。
その光景に恐ろしくなり、全身の力が抜け、手に持ったリモコンを落とした。
NHKの歴史番組だろうか…。
明らかに、画面の向こう側のナレーションがジンに声をかけてきている…。
だが、更にジンを恐怖が襲った。
テレビの画面左上に出ているゴシップ。
それを見て、ジンは本当に自分は気が狂っていると確信した。
「俺、やっぱり、頭がおかしくなってる。。」
そう言いながら、大きく尻もちをつき、全身の震えが止まらず、ただただ、その文字を見続けた。
テレビの画面左上の文字。
そこに記されたゴシック体の文字。
紛れもなく、こう記されていた。
「祝!スカイツリー200周年!」
恐る恐る、台所を振り返った。
卓上カレンダー・・そこに記されていたのは。
【2212年5月12日】