咲き分け
僕には、少し人とは毛色の違った過去がある。高校の時付き合っていた彼女が突然亡くなった、という経験がある。花火を見た帰り道で、飲酒運転の車に跳ねられたのだ。
あれから幾度かの夏を通り過ぎた今でも、花火を見ると彼女のことを思い出さずにはいられない。花火の上がる度に鳴り響く轟音に耳を塞ぎながら楽しげに笑う、浴衣姿の彼女が今も鮮明に瞼の裏に蘇る。そして僕は今日もまた、瞳を閉じて彼女を思い出す。
「どうしたの?」
僕の隣で立つ華々しい浴衣に身を包んだ女性が、僕の顔を覗き込む。少女ではない、大人の女性。僕の、恋人。
彼女とは、付き合い始めてまだ一年にも満たないが、僕は密かに彼女と結婚しようと心に決めている。
あの夏以来僕は、女性と付き合うこと、人を好きになることが怖くて仕方なかった。もう二度とあんな思いを味わうのはごめんだと。
しかし彼女は、僕のそんな恐怖を驚くほど綺麗に取り払ってくれた。彼女といることで僕は心底満たされたのだ。だから、僕は彼女を心底愛している。そのことが後ろめたくないと言えば嘘になる。僕ばかりが成長して、僕ばかりが幸せになるなんて許されることなのだろうか、と。
「いや、ごめん。ちょっとぼーっとしてた」
もの思いにふけり過ぎていたようだ。僕は務めて明るい表情で答えた。
「早く行かなきゃいい場所なくなっちゃうよ?」
彼女はそう言うと僕の手を取って駆け出した。
けれど、そんな僕らのささやかな努力は虚しく散ってしまった。花火が上がった瞬間、僕らは揃って肩を落とした。生い茂った木で花火の上の方しか、僕らには見えなかったのだ。
僕は彼女を気遣って移動しようかと提案したが、彼女は「この雰囲気と音だけでも楽しめるから、ここでいい」と言った。人混みの中を歩くのは僕も嫌だったので、僕は素直に彼女の意見に従うことにした。
次々と上がる華やかな花火と、その度に湧き上がる歓声。はしゃぐ子供達の姿。それを見守る親。幸せそうに笑うカップル。僕らは花火ではなく、周りの人や音を感じてひと時を楽しんだ。確かに、こういう楽しみ方もいいのかもしれないな、と僕は思った。
「ねぇ」と、彼女が僕を呼ぶ。僕は彼女を見て返事をした。
「なに?」
「知ってる? 花火ってね、昔は死んだ人を追悼するために打ち上げられてたんだって」
花火の轟音に負けないよう、彼女は少し大きな声で僕の耳に口を寄せてそんなことを言った。
「へぇ、そうなんだ。確かに、花火なら天国で見ても綺麗かもしれないね」
「うんと綺麗よ、下から見るよりも。でもね、上から見る花火はすごく寂しいの。全部こっちから遠ざかっていくんだもの」
僕は黙り込んだ。彼女の話し方に、ただならぬ違和感をおぼえた。胸がざわつく。そのせいで、何も言えない。
「またこうして、花火を見れるなんて本当に幸せ。大好きだったあなたと、またこうして花火を見てるなんて、本当に嘘みたいよ」
彼女は花火より美しい、満たされきった笑顔を臆することなく僕に向けてきた。
「ずっとずっと、願ってたの。あなたとまた、花火が見たいって。そして、その時にはあなたも幸せそうに笑ってて欲しいって。あなた、花火を見る度に辛そうな顔をするんだもの。私も辛かったわ」
彼女の俯いた横顔が、花火の光でパッと明るく照らされた。
「ねぇ、今、幸せ?」
唐突に彼女が僕に問いかけた。僕には、今の彼女が誰なのか分からなかったけれど、答えはたった一つだった。
「うん。幸せだよ、すごく」
目の奥に、じんと熱がこもる。心臓が紐できゅっと縛られたように感じる。
「良かった。私も幸せよ、すごく」
そう言って彼女は、天に上っていく花火に再び目をやった。その横顔は今までに見た彼女の数々の表情の中でも、とびきり魅力的だった。満足げで、幸せに満ち満ちた表情。
僕は何も言わずに彼女の手を握り締めた。その存在を確かめるように、強く、強く。