7.赤狼は番犬となる①
ラドルファスは捨て子だった。赤ん坊の頃に廃教会前に置き去りにされていたのだ。
当然生まれた日など定かではなく、現在の年齢も二十歳前後という事しかわかっていない。
そんな彼を拾って育て上げたのは三人兄弟の冒険者達であった。
当時、長男は十六歳、次男は十五歳、三男は十三歳の年若いパーティーであり、互いに助け合いながら旅をしていた。
彼らは時に厳しく、だが普段は過保護に、ラドルファスを実の弟のように大事に大事に育てていった。
幼い頃のラドルファスは今と違い、とても素直で無邪気で可愛いげがあった。それゆえに年の離れた兄達にとっては可愛くて仕方のない存在だったのである。
特に三男はこれまで末弟であった為、兄という立場にずっと憧れがあった。ゆえに自分にも弟が出来て嬉しいと、ラドルファスの世話を進んで買って出ていた。
二人は常に行動を共にしていた。
その結果、三男の粗暴な口調がラドルファスにうつってしまい、上の兄達は頭を抱えたものだった。
こうして愛情いっぱいに育ったラドルファスは、当然の如くお兄ちゃんっ子に育った。
そんな彼に、兄達は何度も何度もこう言い聞かせてきた。
──強い者は弱い者を守るものだ。誰かの為に頑張れる奴は格好良い──と。
お兄ちゃんっ子の彼にとって、兄達の教えは絶対だった。
何より、兄達に「格好良い」と褒めてもらいたかった。
その一心で行動している内に、いつしかそれが生きる上での彼の信条となった。
旅先で知り合った者達の中には、実の親に捨てられたラドルファスの境遇を哀れむ者もいた。
だがラドルファス自身は自分を不幸だと思った事は一度たりともなかった。
優しい兄達にめいっぱい愛情を注がれ、大切にされてきた自分はむしろ恵まれているとさえ思っていた。
幼い身での旅は決して楽なものではなかったけれど、それ以上に冒険に対するワクワク感のほうが遥かに勝った。
割と早くから戦闘狂の血に目覚めていた彼は、十二を数える頃には並の冒険者に引けを取らぬ程の実力を身に付けていた。
しかしそれからさらに四年の月日が経つまでの間に、兄達はそれぞれ別の理由により冒険者を引退する事となった。
最初にパーティーを抜けたのは次男だった。
彼は弓の使い手であり、また弓を作る事にも興味があった。ゆえに前々からいつか職人に弟子入りしたいという夢を抱いていたのだが、とある国の王都にて、ついにそれが叶ったのである。
その次は長男だった。
彼は旅先で立ち寄った町の女性と恋に落ち、彼女と夫婦になった。
長男は兄弟の中で最も堅物な人物であった為、これには三男と二人で目を丸くしたものだった。
今後はその町で傭兵として働き、町と家族を守っていくのだという。
そして。
ずっとラドルファスの傍にいてくれた三男とも、ついに別れの時が訪れた。
とある村で魔物退治の依頼を受けた際、三男は腕を負傷してしまった。
彼を診た医師は告げた。
日常生活においてはさほど影響はないが、今までのように冒険者として旅を続ける事は難しいだろう、と。
当然ながら愛用の大剣も振るう事が出来なくなってしまった。それでも短時間だけならば一般的な片手剣くらいは使えるのがせめてもの救いか。
村人達の厚意で村への移住を勧められた事もあり、農夫兼村の用心棒として働く事となった。
村娘の一人とも何だか良い雰囲気であったし、次に会いに来る時には夫婦になっているか、もしかしたら子供だって生まれているかもしれない。
ラドルファスは彼が愛用していた大剣を譲り受けた。
この大剣を振るう三男の姿にずっと憧れていたし、既にこの大剣を振るえるだけの力が当時のラドルファスにはあった。
大剣を受け継ぐ事が出来たのは嬉しい。
けれどもそれ以上に、兄と離れるのが寂しかった。悲しかった。
兄達との旅は楽しかったし、幸せだった。だからこそ、兄達との別れは何よりも辛かった。
それでも、彼らの体や将来のほうがずっとずっと大事だった。
だから我慢した。平気な風を装った。
彼らは決して短くはない期間を幼いラドルファスを育てる為に費やしてきたのだ。
自分はもう一人前の冒険者だ。一人で生きていける。これからは彼らに自由に生きてもらいたい。
それからの数年間、ラドルファスはたった一人で旅をしてきた。
その中で、久しぶりにそれぞれの兄達に会いに行ったりもした。
長男の元には双子が生まれ、また妻のお腹には三人目の命が宿っていた。
次男は師匠の一人娘の婿養子となり、師匠の家を継ぐ為、日々弓作りの腕を磨いていた。
三男にいたっては件の村娘と先日ようやく籍を入れたばかりであった。──もうとっくに夫婦になっているとばかり思っていたのだが。
どうやら二人はお互い素直になれない、いわゆる喧嘩ップルという奴であり、結婚までにこんなにも時間を費やしてしまったらしい。
──皆それぞれの居場所があり、守るべき家族がいる。
自分にもいつか家族が出来るだろうか。
愛する女性に巡り会えるだろうか。
ラドルファスはまだ恋というものをした事がない。
しかし別に女性に興味がない訳ではなかった。
どうせならば強い女性と一緒になりたいとラドルファスは思う。そうすれば生まれてくる子供もきっと強い子供になるだろう。
旅の中で弱肉強食を生き抜いてきた彼にとって、強さこそが絶対的かつ至高の存在であった。
特に、共に戦場を駆けずり回ってくれるような女性ならば最高である。
それならばきっと、兄達と旅をしていた頃を思い出せて楽しいだろうから……。
一人旅では会話らしい会話などない。
店先やギルドで二言三言話すくらいのものである。
他の冒険者とパーティーを組む事も考えたが、いかんせん彼は兄達以外と深く関わった事などない。
おまけに成長するにつれて本音をさらけ出す事に気恥ずかしさを感じるようになり、今やすっかり意地っ張りで憎まれ口ばかり叩くようになってしまった。要は照れ屋なのである。
人恋しいくせに変なところだけ内気な彼にとって、赤の他人との旅というのは決して簡単なものではない。ましてや自分から他人に声を掛けて仲間に誘うなど、まず不可能であった。
そんな一人ぼっちの旅の中、とある国に立ち寄った。
魔境に隣接しているにもかかわらず、全体的に生活水準が高く、これまでラドルファスが見てきたどの国よりも豊かで治安の良い国だった。
ギルドで何か良い依頼はないかと尋ねると、魔境との国境付近に位置する砦の一つで傭兵として働いてみないかと提案された。
そこでは傭兵達は【番犬】と呼ばれ、衣食住が保証されているという。まだ出来たばかりの砦であるものの、既に二人の冒険者が内定しており、明日現地集合する予定らしい。
戦闘狂のラドルファスにとって、魔物を退治しながら暮らしていけるというのは最高の環境だった。そして何より、共に戦う仲間がいる。断る理由がなかった。
明くる日、ラドルファスは砦で他の二人と合流した。
「お、おれはテオ。よ、宜しく……」
薄めの茶髪の魔法使い、テオ。
攻撃魔法の使い手だが、気弱で終始おどおどとしている。
その性格で何故冒険者になったのかと問えば、彼は攻撃魔法しか使えなかった為、冒険者になる他なかったのだという。
魔法使い業界というのは案外就職難であるようだ。
「わたしはアルベルトというよ。二人とも、これから宜しくね」
深い青の髪を持つ中性的な見た目の青年、アルベルト。
彼はレイピアを携えた魔法剣士であり、また精霊の生まれ変わりと言われる『精霊人』であるらしい。
神秘的な青の髪は精霊人の特徴であり、彼らは精霊特有の特殊な魔法が使えるのだという。特に彼は身体能力の強化や魔法の威力を増幅させる、いわゆる補助魔法が得意であった。
ちなみに彼は便宜上男性という事にしているが、実のところ、精霊人に性別というものはないらしい。
それゆえに子宝に恵まれる事のない彼は家を継ぐ事が出来なかったが、幸いにも彼自身はそういった事にまるで興味がなく、それどころか普通の人間として生まれてきた弟にここぞとばかりに家を任せ、自分は冒険者として気ままな旅に出たのだという。
他人と会話らしい会話をしたのは本当に久々で、ラドルファスは内心感激していた。しかし相変わらずの照れ屋であった為、無愛想で粗暴な反応しか返さなかった。
そんなラドルファスに気弱なテオは終始びくびくとしていたが、ムードメーカーなアルベルトが二人の間を取り持ち、なんだかんだで上手くバランスが保たれていた。
会話をしたいが会話が苦手なラドルファスはあまり積極的には話さず、最低限の受け答えしかしてこなかった。──その後、彼はその事を後悔する事になる。
彼ら三人がこの砦に集ったわずか一週間後の事。
砦に警報音が鳴り響き、魔境から現れたのはマンティコアの群れだった。
しかもその数、優に三十は超えている。
本来ならばこれ程の数の魔物が一度に攻めてくる事は稀である。
何故ならば人食いの魔物にとって、群れが大きければ大きい程食糧を確保するのが難しくなり、群れを維持出来なくなるからだ。
もしかしたら大規模な『狩り』をおこなう為に、一時的に複数の群れを統合したのかもしれない。
この規模の群れが市街地へと侵入してしまった場合、殲滅するまでにどれ程の犠牲が出る事か……。
すると魔境の森の上空に、蝙蝠の翼を持つ個体が現れた。まるで他のマンティコア達を先兵として送り出しているかのようだ。
恐らくあれが群れの親玉だろう。
群れが砦に到着するまでの僅かな時間に三人は短く話し合った。
そして、まずは三人で戦って群れの数をある程度削り、その後残りの群れをラドルファスが引き受け、その隙にアルベルトとテオが親玉を討つ作戦となった。
マンティコアは個体差の激しい種族であり、この群れも獅子、虎、鬣犬等、様々な見た目の個体がいた。
また、尻尾の形も主に二種類に分かれていた。
一方は尾の先が虫のような外骨格に覆われており、そこに無数の針が生えているタイプ。その針を遠距離から発射して攻撃してくる。
もう一方はサソリの尻尾のような形状をしており、テオいわく、このタイプは尾の先に猛毒があるという。
テオは臆病だからこそ、どんな敵にも対応出来るよう魔物に関する知識が豊富なのである。
これらの攻撃を避けながら、かつ爪や牙にも対処せねばならぬというのは決して楽な事ではなかった。
それでも、アルベルトが仲間達を強化し、テオの魔法で焼き払い、ラドルファスが大剣で薙いでゆく。
そうして徐々に敵の数が減っていき、ついに残り十頭を下回った。
作戦通りアルベルトとテオに親玉撃破を任せ、ラドルファスは群れの殲滅に徹し、目の前の敵をひたすら斬り伏せていった。
途中でアルベルトが掛けた強化魔法の効果が切れた為、最後の一頭を倒し切るまでに少々時間が掛かってしまった。
急いで仲間達のいる、森の入り口付近の雑木林へと向かう。
そして。
テオが杖を握りしめたまま腰を抜かしていた。
彼は敵の親玉──背に蝙蝠の翼を生やした、漆黒の毛皮とサソリの尾を持つ獅子──と対峙していた。近くにアルベルトの姿はない。
マンティコアは大抵、それぞれの肉食動物と同程度の体格をしているが、この個体は通常の獅子の何倍もの巨体を有していた。人間など一口で平らげてしまいそうだ。
しかもその漆黒の毛皮は鮮血に染まっており、特に口元が著しかった。周辺には服の切れ端に包まれた、何やら赤黒い塊がいくつか転がっている。
また、口元の血の赤に紛れるように、何か糸のようなものが数本付着していた。目の良いラドルファスにはそれが何かすぐにわかった。──わかってしまった。
それは髪の毛だった。
神秘的な深い青の髪。──精霊人の証の色。
「…………っ!!」
声にならぬ叫びを上げ、気が付けば黒獅子に斬りかかっていた。
我を忘れて怒りのままに大剣を振り回す。
その鬼神の如き猛攻により絶え間なく斬りつけられ、黒獅子は思うように反撃出来ない。
ラドルファスが優勢なのは明らかだった。
だがこの状況は決して良いものとは言えなかった。
本来ならば空を飛べる魔物と戦う際には、真っ先にその術を断つ必要がある。
しかし頭に血がのぼった今のラドルファスには冷静な判断など出来なかった。ただただ正面から相手の体を斬りつけ、その首を刎ねる事しか考えられなかった。
その結果、このままでは分が悪いと判断した黒獅子はその大きな翼を羽ばたかせ、魔境の森へと逃げてしまった。
深追いすれば縄張りを荒らす侵入者と見なされ、魔境の他の魔物達も黙ってはいまい。それらに対処する気力も体力も、今のラドルファスにはもう残っていなかった。
辺りを見回すと、大きな血溜まりの中にアルベルトの愛用のレイピアが転がっていた。
──せめて遺品だけでも共に帰ろう。
ラドルファスはレイピアを回収すると、ようやく歩けるようになったテオと共に砦へと帰還した。
砦に帰還してからもテオは酷く取り乱していた。
彼の放つ言葉の端々を繋ぎ合わせてみるに、どうやらアルベルトはテオを庇って黒獅子に喰われてしまったらしい。
そしてついにテオは、もうこれ以上こんな所にはいられないと、番犬の仕事を降り、砦を去ってしまった。
ラドルファスはまた一人ぼっちになった。
あの時、あとほんの少しでも早く駆け付けていれば、アルベルトを助けられただろうか。
──いや、あれ以上早く辿り着くのはどう考えても不可能だった。テオが犠牲になる前に間に合っただけ良しとしなければ。
──だがせめて、生前に自分からもっと積極的に話し掛けてやれば良かった。
テオとももっと良好な関係を築けていれば、彼が出ていく事はなかっただろうか。彼の心を救ってあげられただろうか……。
がらんと静まり返った砦で一人、何度も何度も考える。
そんな日々を送り続けた、ある日の事。
──コンコンコン。
砦の扉をノックする音が鳴り響いた。