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6.戦場の番犬は洗浄のメイドの強さを知る②

 雨がザーザーと激しさを増す。

 星も月もない夜は真っ暗だ。


 照明魔法により、傍らに小さな光の玉を浮かび上がらせる。

 私の魔力では足元を照らす程度が限界だが、十分だ。

 めったに人の立ち入らぬ国境付近は、当然ながら草木の手入れなどされていない。

 雑草が生い茂る中を無理矢理掻き分け、時にはナイフで切り開きながら進んでゆく。背の高い雑草の葉で体の所々に傷が出来たが、構うものか。

 ただひたすらに先を急ぐ。


 魔境の森が近付くにつれ、周囲に木々が増えてきた。この辺りはいわゆる雑木林といったところか。

 雨で視界が悪いし、周囲の音も雨に掻き消されて聞き取りにくい。

 おまけに地形まで入り組んでおり、木々により道が二つに分断されている。


 右側はここよりもさらに木々が鬱蒼と生い茂った道。


 左側は木々や雑草は少ないものの、ぬかるみの多い道。

 雨の為に今は余計にぬかるんでいるのかもしれないが、元々土壌のゆるい湿地だったのかもしれない。


 どちらも夜間には通りたくない道だが……どちらかを選ばねばならない。


 どちらに行けば良いのだろう。

 どちらの道なら彼に会えるのだろう。

 こうやって悩んでいる時間も惜しいというのに……!


 唇を噛み締め決めあぐねていると、突然──そう、本当に突然に──迷いが晴れたのだ。


 左の道に行こう、と──……。


 何故そう思ったのか、自分でもよくわからない。


 でも何故だか確信出来るのだ。こちらが正しい道だ、と。


 まるで声なき声が脳内に直接語り掛けてきたかのように、何かに導かれるかのように、私は左の道へと進んだ……。



 靴やスカートの裾に泥がはねる。

 ぬかるみで足が滑り、何度も転びかけた。

 それでも走る。


 すると一瞬、地面に何かが落ちているのが見えた。

 慌てて立ち止まり、それを確認する。


 それはリボンの切れ端だった。

 ほんの少しだけ血が付着しており、雨で滲んでいる。──今朝、私がラドルファス様の髪を結って差し上げた物だった。


 目を凝らして周囲の地面を見回す。


 すると土砂降りの雨で半ば消えかかっているが、無数の足跡のようなものが確認出来た。それらは人によるものだけでなく、巨大な獣によって付けられたと思しきものもあった。きっとここで一度争った後、さらに奥へと移動したのだろう。


 やはりラドルファス様はこの先にいるのだ。


 彼の無事を祈りながら、駆ける。


 そして。


 前方の地面に何か大きな物が横たわっていた。照明魔法の光を向けると、その僅かな光が深紅の髪に反射する……。


「ラドルファス様……!!」


 バシャバシャと泥を跳ねながら急いで駆け寄る。


 息はある。気を失っているだけのようだ。


 しかし身体中傷だらけであり、特に左の脇腹からの出血が酷い。


 森の奥からこちらに向かって彼の足跡が点々と残っているのを見るに、ここよりさらに奥地で戦闘をおこなった後、自力でここまで戻ってきたのだと思われる。つまりマンティコアとの戦いに勝利したか、もしくは逃げられてしまったかのどちらかだろう。少なくともこの近くに魔物の気配は感じられない。


 彼の傍らには愛用の大剣が転がっていた。

 毎日あんなに綺麗に手入れしていたというのに、今は血と泥にまみれてしまっている。


 私は彼を抱き起こすと、脇腹の出血箇所に手をかざし、治癒魔法を掛けた。

 私の魔法では出血を完全に止める事は出来ないけれど、ほんの少しくらいならば抑えられるはずだ。

 傷口はまるで数本の鋭利な刃物で肉をえぐり取られたかのようになっていた。内蔵にまでは達していないと思うけれど、油断は禁物である。

 とりあえず、持参した応急手当ての道具で脇腹の傷に簡単な処置を施し、その他の傷は砦に帰ってから手当てする事にした。


 意識のない彼を背負いつつ、浮遊魔法により大剣を運ぶ。

 例のごとく私の魔力では彼と大剣両方を浮遊させる事は不可能である。それどころか、大剣だけでさえも切っ先が地面スレスレの状態である。

 また、私とラドルファス様では体格差がありすぎる為、彼を背負うのも非常に困難であった。


 重い。

 大柄な彼はとにかく重い。

 それとも意識のない人間というのはこれ程までに重く感じられるものなのか、はたまた両方か……。


 私は非力とまではいかないけれど、あまり力が強いほうではない。

 彼を背負って砦まで歩く──照明魔法と浮遊魔法を使いながら──なんて、どう考えたって無理だ。

 無理だけれど……。


 ──やるんだ。今、私が頑張らなかったら誰が彼を助けるんだ……!


 神様、この地に住まう精霊様、いや、例え悪魔だって構わない。

 どうか私にラドルファス様を助ける為の力をお貸しください。

 惚れた男の為に根性見せたいんです──……!


 一歩、一歩、と地を踏み締めながら歩みを進める。

 すると不思議な事に、足と彼を支える腕がだんだんと軽くなっていった。

 これがいわゆる火事場の馬鹿力という奴であろうか。それとも、私の祈りが人在らざる何かに届いたのか──……。

 真実は不明だが、そんなものはどうだっていい。

 ラドルファス様を助けられるのならば、何だっていい。


 彼を背負いながら、ぬかるみの道を抜ける。


 いつの間にやら雨は止んでいた。


 もうじき雑木林を抜ける──その時。


 木々の間からバサバサと何かが飛び出してきた。


 それは蝙蝠型の魔物だった。

 普通の蝙蝠よりも一回り大きく、体色も時間が経って変色した血液のように赤黒い。それが二体もだ。


 この地では夜はほとんどの魔物が寝静まっているが、数少ない例外の一つがこの魔物である。夜行性であり、鋭い牙で噛み付いて人の血を啜る。

 正直、この魔物はそれほど強くはなく、新人冒険者でも倒せる程度の強さである。

 しかし私は冒険者ではなくただの使用人。

 おまけにリーチの短いナイフしか持っていない為、上空の敵には届かないし、攻撃に利用出来る魔法はせいぜい高圧水流くらいのものである。しかしあれは命中率が低すぎる。

 だが何としても奴らを倒さなければ。


 ──私が彼を守らなければ……!


 蝙蝠達は上空を旋回している。飛び掛かるタイミングを計っているのかもしれない。


 ラドルファス様を一旦地面に横たわらせ、彼を守るようにその前に立つ。浮遊魔法も解除して彼の傍らに大剣を置き、上空の蝙蝠達に意識を集中する。


 立体的に動き、かつ小回りの利く相手にどうやったら魔法を当てられる……?

 どうすれば敵の動きを止められる……!?


 考えるんだ、考えなければ……!!


 熟考したまま静止している私に、ついに蝙蝠達が襲い掛かってきた。


 ……だがそれと同時に、気付く。


 ──ああそうだ、当てられないのならば、あちらから当たりに来てもらえばいいんだ……!


 敵の攻撃を受け止めるように右手を前へと突き出す。一体の蝙蝠が手のひらに噛み付き、激痛と共に牙が食い込んだ。


(っ! 痛い……!! でも……)


 ──これで、逃げられる事はない……!


 すかさず右の手のひらに魔力を集中させ、高圧水流を放つ。


 至近距離から撃ち込まれた激流に、食らい付いていた蝙蝠が吹き飛ばされた。「ギィッ……!」と短い悲鳴が上がる。


 ──や、やった……!


 だが喜んだのも束の間、水の噴射は一瞬で止まってしまった。


 魔力切れだ。

 無理もない。

 午前中に高圧水流で掃除をし、夜にはラドルファス様への治癒魔法、及び照明魔法と浮遊魔法の同時使用だ。照明魔法にいたっては今も使用中である。

 一撃でも蝙蝠へ高圧水流を放つ事が出来たのは奇跡と言っても良いだろう。

 それでも、あともう少しだけ噴射が続いていたなら、もう一体も倒せていたかもしれないのに……!


 自分の不甲斐なさに唇を噛む。

 そんな私を嘲笑うかのようにもう一体の蝙蝠は上昇し、再び旋回しながらこちらの様子を窺っている。


 直後、フッ、と照明魔法が消えた。

 ついに魔力が完全に底をついたのだ。それと同時に急激な眠気に襲われた。


 駄目だ、今、眠る訳にはいかない。眠ったら終わりだ。


 初日に魔力不足を起こしてからは魔力残量にはずっと気を付けていたというのに、こんな所で──……!


 暗闇からバサバサとした羽音がこちらに向かってくる。魔法が途切れた事で魔力切れを悟られてしまったか。


 私はこれから訪れるであろう激痛に、思わず目を瞑った。



「ギイィィィ!?」


 ──けたたましい断末魔と共に、湿った地面にベシャリと何かが落下する。


 恐る恐る目を開ける。

 周囲は真っ暗闇で何も見えない……かと思いきや、雨雲の隙間から月が顔を出し始めていた。

 まん丸のお月様が現れるにつれ、周囲を柔らかな光が照らし出す。


 真一文字に一刀両断されて絶命した蝙蝠と、そして。

 月の光を受けて僅かに刃を輝かせる巨大な両手剣と、血のような深紅の髪──……。


「ラドルファス、様……」


 私が守ろうとしていた彼に、反対に守られてしまった。


 ラドルファス様はそのまま草むらを少し進んだ後、やがてピタリと止まった。丁度その辺りからバタバタとした羽音が聞こえてくる。

 そして地面に向かって大剣を振り下ろすと、「ギィッ……!」と短く叫んで羽音は消えた。


 ──そうか、私が水流で吹き飛ばした蝙蝠はまだ生きていたのか。

 私は結局、雑魚一匹倒せなかったのか……。


 勝利への安堵と、不甲斐ない自分へのやるせなさにどっと疲れが押し寄せてきた。


 ──ああ、眠い。もう限界だ。でもまだ眠る訳には……。

 早く……手負いのラドルファス様を砦まで連れて帰らなけれ、ば──……。


 ……。


 …………。





 ……頭と膝の裏が何かに支えられている。

 逞しくて、安定感があって、何だか安心する。


 意識だけは目覚めているものの、まだ身体はまどろみの中にいたいらしく、言う事を聞かない。瞼が上がらない。

 このまま二度寝してしまおうか。

 そもそも私、今まで何してたんだっけ?


 ──そうだ、確か、ラドルファス様が帰って来なくて、彼を探しに行って、それで……。


 ──それで??


 慌ててパチリと目を開けると。


「お? 目ぇ覚めたか。大丈夫か?」


 すぐ目の前にラドルファス様の凛々しいお顔があった。

 ──そう、私は今、ラドルファス様に横抱きにされているのである。いわゆるお姫様だっこである。


 サッと顔から血の気が引いていく。


「も、申し訳ございませんラドルファス様! ご主人様に何たるご迷惑を……! も、もう大丈夫ですから、どうぞ下ろしてください!」


「あぁ!? ダメに決まってんだろ! また倒れられたら困るだろうが!」


「た、ただの魔力切れですから! 眠っていくらか回復しましたのでもう大丈夫です! ラドルファス様は大怪我をなさっているのですから、これ以上のご無理は……!」


「俺も寝てる間に結構治ってっから大丈夫だよ」


「いやそんな訳ないでしょう!?」


 私の治癒魔法の治癒力の低さをなめてもらっては困る。

 私が彼を背負って歩いている間にそのように劇的に回復するなどあり得ない。


「ホントだっての。俺は昔から大抵の傷は一晩ぐっすり寝りゃ治んだよ。でなきゃ魔法を使えねー俺が一人で冒険者なんてやってる訳ねーだろうが?」


 確かに、彼のような戦士タイプの冒険者は治癒魔法を使える他の冒険者とパーティーを組むか、治癒魔法だけでもどうにかして習得するものである。

 ラドルファス様は育ての親達が冒険者を引退した後、この地で番犬になるまでずっと一人で旅をしてきたのだ。何の回復手段も無く、いくつもの魔境をその身一つでくぐり抜けるなど不可能なはずである。


「で、でも重いでしょうし……!」


「ばーか、あんた程度、重い訳ねーだろが。俺はいつもこいつを振り回してんだぞ?」


 言いながら、彼は背に負った愛剣にちらりと目を向けた。


 彼は普段から大剣用の鞘を背負っている。しかし剣が巨大な分、一度鞘に納めると再び抜くのが面倒との事で、実はあまり使用していない。

 にもかかわらず、今、あの大剣は彼の背中の鞘に納まっている。その理由は勿論、私を抱えていて両手が塞がっているからであり……。


「や、やっぱり私、自分で歩きます!」


「はぁ!? なんでそうなるんだよ! ダメだっつってんだろ!!」


 無理矢理下りようともがいてみたものの、しょせんは小娘と大男。勝てるはずもなく。

 大人しくお言葉に甘える他なかった。


 お互いしばらく無言のまま、草を踏みしめる音だけが響く。


 ──気まずい。


 こういう時、こういう体勢では視線をどこに向けているべきなのだろう。

 視線をさ迷わせていると、不意に蝙蝠に噛まれた自分の右手が視界に入った。


 そこには包帯が巻かれていた。

 お姫様だっこの衝撃が強すぎて全然気が付かなかった。

 恐らく私が持ってきた応急手当ての道具を使ってラドルファス様が手当てしてくださったのだろう。


「あ、あの、手当て、ありがとうございます……」


「おう」


「え、えーと、それと……マンティコアは……」


「倒した。森の奥でくたばってるよ」


「そ、そうですか。それは、何よりです……」


「おう」


 ……。


 …………。



 再びの沈黙。


 どうしよう、会話が続かない……!


 ……それにしても、想い人によるお姫様だっこ、か……。


 そう思った途端、先程まで血の気が引いていた顔にカァッと血がのぼっていくのを感じた。


 彼にバレない事を祈る。


 暗がりの中なのがせめてもの救いである。月明かり程度では流石に顔の赤みまではわからな──


「……つーかさー」

「は、はいっ!?」


 急に話し掛けられ、思わず声が裏返る。


「なんで来たんだよ? 逃げろっつっただろうが。命令違反って奴なんじゃねーのかよ?」


 前を向いたまま話す彼の表情は暗くてよく見えない。しかしその声音はうっすらと怒気を孕んでいた。


「……申し訳ございません。ラドルファス様の事が心配で、つい砦を飛び出してしまいました」


 どのような理由であろうとも、ご主人様の命令に背いたのは事実である。主の言いつけを守れぬ使用人なんて、きっと見損なっただろうな……。


「ま、まあ、元はと言えば俺が不甲斐ねーのがわりーんだけどよ……。だがよ、だからって冒険者でもねー奴が一人でこんな所に来るか普通? あんたほんと肝が据わってるよな……」


 彼は呆れたように、溜め息混じりに言った。いや、実際呆れているのだろうな……。


「そりゃあ勿論、物凄く怖かったですよ? でも……貴方を失うのはもっと怖かったから」


「!」


「私は戦闘においては何の役にも立たないただの使用人です。けれど……ご主人様を陰から支える事くらいは出来ますから。ラドルファス様の身に何かあったのなら、助けに行って差し上げたいと思ってしまいまして……」


 この国の為に、彼はたった一人で戦い続けているのだ。

 そんな彼の隣に立ち、共に戦う事は出来なくとも。

 せめてその負担をほんの少しでも分かち合える存在になりたくて。


「……ばーか、使用人風情がしゃしゃり出てくんじゃねーっつーの」


「す、すみません……」


 しゅんとする私に、「だが」、と先程とは違った穏やかな声が降り注ぐ。


「前にあんたの事、弱っちい足手まといっつったけど、あれ取り消すよ」


「……え?」


「あんたは弱くなんかねーし、足手まといでもねー」


「え? で、でも、私だけじゃ蝙蝠の魔物一匹倒せませんでしたし……」


「俺ぁ途中まで寝てたから詳しい事はわかんねーけどよ、あの死にかけの蝙蝠、あんたがやったんだろ? あんたが弱らせて動きを封じといてくれたから仕留められたんだ。パーティーで戦う時にはそういう足止め役ってのはすげえ大事なんだよ」


「それはまあ、そうかもしれませんけど……」


 あれはいわゆる火事場の馬鹿力という奴だし、相手に噛み付かれなければ攻撃を当てられないようではやはり実戦では役に立たない。


「それに、だ」


 彼はまるで照れ隠しにそっぽを向くように、こちらを見る事なく、言う。


「何より、あんたには強い心がある」


「……心?」


 キョトンとする私に、彼は「ああ」と頷く。


「あんたは危険を顧みず俺を助けに来たし、俺が目覚めるまでたった一人で戦い抜いた。恐怖に負けたり諦めたりせずに根性見せられるっていうのも強さの一つなんだって、あんたに教えられたよ」


 「ま、だからと言って無茶するのは感心しねーけどな」、と照れ臭そうに付け足して。


 ──いつもは憎まれ口ばかり叩く、意地っ張りで素直じゃない彼の、真っ直ぐな言葉。


 私のほうがなんだか気恥ずかしくなってしまう。


「か、買いかぶり過ぎですってば……! そんな大層な事はしてないと思いますけど……」


「ああ!? なんだよ、せっかく俺が褒めてやってんだから素直に喜べよな!」


 あ、やっぱり憎まれ口は健在なのね……。


 いつも通りのやり取りに苦笑を浮かべながらも、そんないつも通りの日々が戻ってきた事になんだか無性に安堵してしまうのだった──……。

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