3.戦場の番犬は心配性
私がここに来て二週間が経った。
例のごとく、前線で戦うラドルファス様の馬鹿笑いと魔物達の断末魔が砦内にまで響き渡る。
二週間もするとすっかり慣れたもので、「あら今日もラドルファス様はお仕事頑張っていらっしゃるわね、うふふ」などと考えてしまう。慣れって怖い。
まあそれはさておき。
「あぁ? 買い物?」
夜、リビングで大剣を手入れしているラドルファス様に声を掛ける。
「はい、ギルドから送られてくる物資だけでは足りない物が多いものでして」
ギルド経由で送られてくる国からの支援物資は本当に最低限の物しかない。
食糧は保存の効く固いパンや根菜類や干し肉ばかりだし、ラドルファス様が狩ってくる新鮮な魔物肉を加えたとしても食事がワンパターンになってしまう。
日用雑貨だってもう少し買い揃えたいという気持ちもある。
……それに、たまにはラドルファス様にちょっとしたお菓子でも作って差し上げたいのだ。
多分彼はこれまで甘いお菓子なんてめったに食べてこなかっただろうから、きっと喜んでくれるのではないかと思うのである。
ただ、市街地の中心部はとにかくここから遠いのである。
乗り合い馬車を乗り換えながら、早くても片道三時間は掛かる。
「……別に行くのは構わねーけどよ……あんたぼけっとしてっからな、一人で大丈夫なのかよ? スリやら人攫いやらに狙われっぞ」
「ユタシアは比較的治安が良いので大丈夫ですよ。私は生まれてからずっとこの国で生活してきたんですから」
他国では魔法技術は上流階級の者達が独占している場合が多く、生活水準等において身分格差が激しい。その為国民達は不満を溜め込みやすく、それが治安にも影響を与えているという。
しかしユタシアでは庶民層にも魔法によるインフラ整備が広く普及しており、生活水準が高く治安も良い。それゆえに国王への支持率も高い。
また、魔境というのは世界各地に存在し、魔境に隣接する国は常に危険と隣り合わせの生活を送らざるを得ない。
にもかかわらず、この国はそうとは思えぬ程の豊かさであり、他国から訪れた者は驚きで目を丸くするという。
「でもよ、大通りには馬車とか魔法で動く乗り物とかが走ってんだろ? 轢かれそうになってもあんたの細腕じゃ受け止め切れねーだろ!?」
「なんで受け止めるの前提なんですか。そんなの生身で出来るのはラドルファス様くらいですよ。普通の人は受け止めずに避けるんです。……なるべく道の端っこを歩くようにしますから、ご安心ください」
その後も彼はああだこうだ言ってきて説得が実に大変であった。
そういえば私が幼い頃初めてお使いに行った時、母はこんな感じだったな。
だが私は先日十八才となり、世間的には立派な大人である。
このご主人様、自分の事に関してはズボラな癖に、他者に対しては非常に心配性かつ過保護である。将来子供が出来たら親バカになるタイプと見た。
「あ、それとラドルファス様のお召し物も一緒に買ってきますね」
「? オメシモノって何だ? 食いもん?」
「……要は服の事です」
「んだよ、最初からそう言えよな! 俺ぁ育ちがわりーんだ、難しい言葉使われてもわっかんねーんだよ!」
「は、はあ、すみません……」
彼は一体どういう環境で育ったのか。
冒険者というのは知識が必要な魔法職はともかくとして、彼のような戦士タイプは腕っぷしさえ強ければ身分や出自を問わず誰でもなれる。ゆえに子供の頃に十分な教育を受けられず、読み書きさえ出来ぬ冒険者も珍しくはない。
その為ギルドでは様々な手続きにおいて、そういった者達に絵や図を用いながら、かつ、わかりやすい言葉で説明するよう心掛けているのだとか。
もしかしたら彼もまた、きちんとした教育を受けられない境遇にあったのかもしれない。
ともあれ、今後は畏まった敬語で話すよりも、少しくだけた丁寧語くらいの口調で話すほうが良さそうである。
そんなこんなで次の日。
「日暮れまでには帰って来るんだぞ」と、ばっちり門限まで設定されてしまった。遊び盛りの娘を持つ父親か。
ちなみに、砦勤めの者は購入した物の領収書をギルドに提出し、必要経費として認められればその場で費用分を精算して貰える。勿論経費として認められない物に関してはそのまま自腹となる訳だが。
ゆえに買い物を一通り終えた後、私はギルドへと向かった。
ギルドの受付嬢は私の顔を見るなり、「あっ」と小さく声を上げた。
「新しい砦で使用人をされているセリア・ネヴァ様でいらっしゃいますか!?」
「あ、はい、そうですけど……?」
「この度は情報が入れ違いになってしまったようで申し訳ございませんでした。まさかあの砦を守る番犬がたった一人になっていたとは……。丁度ネヴァ様が砦で働き始めたすぐ後くらいに、番犬の仕事を辞めたいという方が手続きにいらしてようやく発覚したものでして……」
──例の不穏台詞の人、無事に街まで辿り着けていたようで何よりである。
だが辿り着くまでに随分と時間が掛かっていたところを見るに、きっと相当波乱万丈な旅路だったのだろうな……。
「まだ欠員の補充の目途が立っておらず申し訳ございません。それで、あの……砦での生活は……『色々と』問題ございませんでしたか……?」
受付嬢は少し言い辛そうにおずおずと聞いてきた。
『色々と』というのは恐らく、まず一つ目は、守り手がたった一人しかいない砦で魔物に襲われたりはしなかったか、という事。
そして二つ目は、二人きりの空間で、あの見るからに狂暴そうなラドルファス様に色んな意味で乱暴な事をされなかったか、という事だろう。
「全くもって問題ありませんのでご心配なさらず。実家のような安心感です」
「え、そんなにですか……?」
「ええ、まあ」
ラドルファス様は毎回魔物達が砦の間近まで来る前に殲滅してしまうし、あの隠れ善人が無体を働く事など決してない。ありえない。
……だが、あれ程強いラドルファス様であっても仲間を一人死なせてしまったとは、一体どれ程強い魔物だったのだろうか。
その魔物は無事討伐出来たのだろうか……?
「それならば何よりですが……。あ、では本日のご用件をお伺いしても宜しいでしょうか?」
「あ、はい。領収書の清算と、この手紙の配達をお願いしたいのですが……」
ギルドでは郵便事業も手掛けている為、前日にしたためておいた家族への近況報告の手紙を領収書と一緒に提出する。
精算には少し時間が掛かるとの事で、呼ばれるまで椅子に座って待つ。
すると近くの椅子に座っている二人の女性が何やら話をしていた。佇まいから察するに二人ともベテランの冒険者であろう。
「最近出来た砦、なんとあの赤狼のラドルファスが番犬をしているんですってね」
「そうそう、しかも今はたった一人で砦を守っているんだとか。冒険者として数多の土地を渡り歩いていた時も誰ともパーティーを組まなかったそうだし、まさに孤高の一匹狼って感じで素敵よねー」
「おまけに男前だしねー」
ほう、と二人の口から溜め息が漏れた。
……確かに、ボサボサに伸びた長い髪に隠れがちであるが、彼はなかなかに精悍な顔立ちであり、また普段から軽々と大剣を振り回しているだけあって逞しい体つきをしている。
──だが他の冒険者とパーティーを組まなかったのは多分、別に意図してやっていた訳ではないと思う。
素直じゃない彼は自分から声を掛けるタイプではないし、また鋭い眼光と口の悪さにより近寄りがたい雰囲気を醸し出している為、彼を誘おうと考える勇気ある猛者はそうそう現れないだろう。
結果として彼はいわゆる『ぼっち』と化してしまっていただけなのではあるまいか。
とはいえ夢見る乙女達の心を土足で踏みにじる訳にはいかない為、私は手続きを終えた後、無言でその場を後にした。
帰りの乗り合い馬車の停留所へと向かう途中、狭い路地裏で小さな影がうずくまっているのが目に入った。近付いてみると、幼い少年が目に涙を溜めて嗚咽を漏らしていた。
怖がらせないよう、しゃがんで目線を合わせ、「どうしたの?」と問う私に、彼はしゃくり上げながらぽつりぽつりと話し始めた。
彼の話を纏めると、どうやら共に買い物に来ていた母親とはぐれてしまったらしい。
ここから少し行った先に自警団の詰所があるので、そこまで連れていってあげるとしよう。……もうじき馬車が来る時間だが、まあ急げばぎりぎり間に合うだろう。多分。
詰所で自警団の人に事情を説明していると、自分の子供がここに来てはいないか、と少年の母親が駆け込んできた。
母親は私に何度も何度も頭を下げ、何かお礼がしたいと言ってきたが、私はそれを丁重にお断りしてすぐさま停留所へと向かった。
──走ればまだ何とか間に合うかも……!
しかし私の願いも空しく、乗ろうとしていた馬車は既に走り去った後だった。
次の馬車を数十分待ち、さらにその次の乗り換えの停留所でも待ち時間が発生し、砦の最寄りの停留所に着く頃には西の空に日がほとんど沈み込んでしまっていた。
大分寒さが和らぎ暖かな時期になってきたとはいえ、今はまだ日が短く、また日が落ちれば肌寒さも感じる。
この付近の人食いの魔物は昼に活動する種が多いゆえ、魔物に関してだけ言えば夜は比較的安全なほうである。しかしその代わりに、夜間は獰猛な動物達が動き出す。
ほの暗くなった空の下、ここからたった一人で砦まで歩いて行かねばならないというのはなかなかに心細い。
しかしこの時の私は知らなかった。
この先に待ち構える真の恐怖を──……!
砦の前に鬼が立っていた。
東の国の魔境に住まうという赤鬼であろうか。
否、あれは私が敬愛するご主人様である。
大剣を地面に突き刺し、柄の上に両の手を乗せて仁王立ちしていらっしゃる。
つい近くに生えている大きな木の陰へと身を隠し、様子を窺う。
彼は血色の髪の間から、同じく血色の瞳をぎらつかせて周囲をねめつけている。まさに鬼の形相。
私の身の内に宿るなけなしの野生の勘が告げている。
逃げろ、と。
いやいや、流石にそういう訳にはいかない。遅かれ早かれ彼の元に帰らねばならないのだから。
ならばなるべく早めに出ていってご主人様の怒りを最小限にとどめるのが得策であろう。
……と、頭ではわかっているのだが。
いかんせん体が動いてくれない。すっかり手足が竦んでしまっている。
絶対にあり得ない事だとはわかっていても、あの大剣でたたっ斬られるのではないか、とつい考えてしまうのである。それだけの迫力が今の彼にはあ──……
「おいセリア!!」
「ひぃっ!!?」
「いつまでそんなとこ隠れてやがんだ! とっとと出てこい!!」
「は、はいっ! す、すみません……っ!!」
ばれてた。凄腕冒険者の索敵能力恐るべし。
びくびくしながら木の陰から出ると、彼はすこぶる不機嫌そうに私を見遣った。その目には殺意が滲み出ている(ように見えた)。
お父さんお母さん兄弟達、ごめんなさい。今日が私の命日になりそう…… 。
「日暮れまでには帰って来いっつっただろうが! 今まで何してやがった!」
「も、申し訳ございません……! 迷子を保護していたら乗ろうとしていた馬車が行ってしまいまして……!」
私は深々と頭を下げた。それはもう最敬礼の角度で誠心誠意謝罪した。
とはいえ理由を告げて謝った程度で彼の怒りが収まるとは到底思えないが……。
「あぁ!? 迷子ぉ!? ……んじゃ仕方ねーな」
彼の怒りはあっさりと収まった。
子供に優しい。やだ紳士。
というか、私が保身の為に嘘を吐いているという可能性は微塵も考えないのだろうか……。
「──ったく、全然帰ってこねーから街で何かあったか、イノシシにでも襲われてんじゃねーかと思っちまっただろうが!!」
「す、すみません……! ご心配をお掛けしました……!」
つまり彼が今手にしている大剣は、私がもし動物に襲われていたとしてもすぐに助けに行けるようにとの事だったのだろう。
一瞬でも彼に斬り捨てられるかもしれないなどと考えてしまった自分が恥ずかしい。
「それと、その荷物貸せ! あんたトロいから俺が運んでやる!」
あまり頻繁に買い物に行けない分、色々な物を買い溜めした結果パンパンになってしまった買い物袋を指差し、ラドルファス様は言った。
「いえ、流石にそれは……。ご主人様に荷物持ちなんてさせられませんよ」
「俺は腹ぁ減ってんだよ! 早くメシ作れって言ってんだ。あんたがもたもたしてっと俺が困るんだよ!」
そう言って彼は強引に私が持っていた買い物袋をひったくった。
そして片手で大剣を担ぎ、もう片方の手に買い物袋をぶら下げるという何ともシュールな格好でスタスタと砦の中に入っていってしまった。
彼は長身で足が長い分歩くのが速い。若干小走りになりながら慌てて彼の後を追う。
部屋の中はきっと冷え込んでいるだろうから、後で暖炉に火を入れなければ、などと考えながらリビングに着くと、意外にも部屋は暖かかった。
暖炉に目を向けると、なんと既に火が入れられているではないか。
「お部屋、暖めておいてくださったんですか……?」
「……別にあんたの為じゃねーよ。俺が寒かっただけだ」
彼は無愛想にそう言って背を向けてしまった。
私は知っている。
冒険者として各地を渡り歩いてきた彼にとって、この程度の寒さなんてどうって事ないはずだって。
そもそもそんなに寒がりであるならば初めから野外で仁王立ちなんてしていないだろう。私の事が心配で仕方なく外に出ていたのだとしても、身震いひとつしていないというのは流石におかしい。
私は彼の大きな背中に向かって小さく「ありがとうございます」と呟いたが、聞こえていないのか、はたまた照れ隠しの聞こえないふりなのか、返事はなかった。
まあ多分後者なんだろうけど。
身も心もポカポカになり、私は夕食の支度を始めた。
白身魚をソテーにし、新鮮な野菜によるサラダを添える。さらにいつも食べている固くて味の薄いパンとは違った、ふわっふわのロールパンにバターを塗って食べる。
ラドルファス様は特にこのロールパンを大層お気に召したようで、何個も平らげていた。
大柄でワイルド気質の男性が美味しそうにパンを頬張っているこのギャップ、なんか可愛い。お腹いっぱいになるまでたんとお食べと言ってあげたくなる。
そんな彼の様子を見ながら向かいの席で食事をしつつ、ふとギルドで耳にした事を思い出す。
「そういえば、ギルドで女性冒険者の方々がラドルファス様の事を素敵とか男前っておっしゃってましたよ」
「ふーん」
「ふーんって……嬉しくないんですか? ラドルファス様の求める強い女性ですよ?」
「強い弱い以前に、知らねえ奴にモテたって嬉しかねーよ」
そういうものなのだろうか。誰であろうと好意を向けてくれるならば嬉しい気がするけれど……。
ぼっち疑惑のある彼の事だし、意外と人見知りの気があるのかもしれない。寂しがり屋のくせに人見知りとはなんとも難儀なお方である。
「でもいつか、凄く強い女性がラドルファス様に憧れてこの砦にやって来てくれるかもしれませんよ?」
「ハッ、どうだかな。こんな危険な上に自由のねー所で働きたい奴なんざそう多くはねーだろうよ。……むしろあんた、よくこんな所で働こうと思ったな。普通にお貴族サマや金持ち連中の屋敷で働いたほうが安全だったんじゃねーの?」
「あー……私の場合、単に他に働き口が無かっただけなんですけどね。内勤だし、番犬の方々が砦を守ってくれているならまあ大丈夫かなーって……」
あの時はとにかく手に職をつけたい一心で大分視野が狭まっていた。今思うとかなり短絡的な思考をしていたものである。
「あんた案外胆が据わってんのな……。けど今はもう番犬は俺しかいねーんだ。俺が死んだらあんただって魔物に食い殺されちまうかもしれねーんだぜ?」
「その時は全力で逃げさせていただくので大丈夫ですよ」
「逃げる間もなかったら?」
「まあその時はその時ですので運命と思って諦めます。潔くご主人様の元に逝くのも使用人らしくて良いんじゃないですか?」
あの番犬の任を降りた不穏台詞の人と同じように、私もこんな死と隣り合わせの職場などさっさと辞めてしまうべきなのだろう。
自分に合わない仕事を辞めるのは決して悪い事ではない。我々は生きる為に働いているのであって、働く為に生きている訳ではないのだから。
──だが何故だろう、この仕事を辞める気にはどうしてもなれないのである。
ラドルファス様ならば決して負けるはずがないという絶対的な信頼が心のどこかにあるからか、それとも──彼をまた一人ぼっちにさせる事に抵抗があるからか……。
「……ほんと胆が据わってんな、あんた。図太いっつーか変わってるっつーか……」
「あ、それっていわゆる『おもしれー女』ってやつでしょうか?」
「いや、どっちかってーと『やべー女』だな」
「ええ!? ひどーい!」
「ハハ!」
──あ、笑った。
魔物と戦っている時のあの狂気的な笑いではなく、ごく普通の人と同じように、ただただ愉快そうに笑っている。
口の端から小さく覗く犬歯が彼の端正な面差しに少しだけ幼さを与える。
──こうやって見ると好青年というか、ただの格好良くて気さくなお兄さんというか──……。
──はっ! つい見とれてしまっていた。いけないいけない……!
「じゃ、じゃあラドルファス様はなんで番犬になろうと思ったんですか?」
心の内の動揺を誤魔化すように彼に質問する。
「俺も別に深い理由はねーよ。思う存分魔物と戦える上にメシと寝る場所に困らねぇ。最高じゃねーか」
自由よりも飽くなき戦いの日々に身を投じる道を選ぶとは、まさに戦闘狂の鑑。
だがまあ確かに、常に旅をしていては生活は安定しないし、野宿が多い分ゆっくりと体を休める機会も少ないだろう。番犬の仕事はまさに彼にとって天職と言えよう。
とはいえ、このまま番犬が彼一人だけでは彼の負担が大きすぎるのも事実である。
「……早く新しい人に来ていただきたいですね。そうすればラドルファス様のご負担が減りますし、それに私と二人きりよりは賑やかになって楽しいでしょうしね」
「……足手まといが来るくらいなら別に今のままでもいいけどな」
「もう、すぐそうやって憎まれ口叩くんですから……」
本当は共に戦う仲間が欲しくてたまらないくせに。
だって私がここにやって来た時、ラドルファス様は使用人よりも戦闘要員を欲していたではないか。
それにどんなにダメダメな人が配属されたとしても、どうせ大事に優しく、過保護に人材育成していくのだろうに。
彼はやっぱり素直じゃない。